夜になってしまい、紺野姉妹の前に現れたのは木綿季が今まで存在しないと思っていた《鬼》だった!
2人の運命は今動き出す。
「ヒヤッハー!女子が二人たぁ今日はついてるぜぇ!しかも片方は《稀血》じゃねえか!」
「――!?」
声がする方に顔を上げるとボクらの行く手を遮る様に立つ……人?人にしては爪が長いし瞳孔が細いし、何より角のようなものが生えている。これじゃまるで―
「――鬼だよ。」
「え……。」
「ケケケ。嬢ちゃん知ってんのかい?」
男の口が開く度に牙がちらつく。鬼は本当にいたんだ……。
「私が隙を作るから、ユウはその隙に逃げて。」
そう言いつつ姉ちゃんが立ち上がってボクの前に立つ。
「でもそれじゃ姉ちゃんが!」
「大丈夫。後で追いかけるから。」
「大丈夫じゃな――」
「じゃあ父さん達にこの事伝えて。その間に逃げるか凌ぐから。」
「――うん……。」
もう何も言えなかった。流石に命を投げ出すような事はしないとは思うけど、相手は今まで信じてこなかった鬼。人間みたいな思考力がある分熊より厄介だ。しかも身体能力も差が天と地程にある。「大丈夫」今回ばかりはあまり信用できるような状態じゃなかった。けど姉ちゃんは考え無しにそんなことは言わないと思ってる。それにやっぱり似てるんだ。まるでアスナに言われてるみたいで……。ここの姉ちゃんがあそこの姉ちゃんと同じなら信じてみようって思う。
「話は終わったかい?」
「そうだね。それで貴方は態々自分が嫌いな臭いを追ってきた訳なんだね?」
そう言って姉ちゃんはポケットから何かの巾着袋を取り出した。
「ああ、これくらいの臭いで退いてちゃ稀血なんて喰えねぇからなぁ。けど正直もう懲り懲りだぁ。この距離でも鼻がひん曲がりそうになる。」
「そっかー……それはご苦労様っ!」
「ガァッバ!」
姉ちゃんは巾着袋を鬼に思いっきり投げ、顔面にクリーンヒットさせた。
「ユウ!」
「……やっぱり姉ちゃんも――」
「一緒に逃げてもすぐに追い付かれるだけだよ。私が誘き寄せてるからユウはお父さん達にこの事を伝えて!さぁ早く!」
「――死なないでよ!」
木綿季は走り出して蹲っている鬼を横切った。
「――!!おい待ちやが――!」
「貴方の相手は私よ!」
「嬢ちゃん……いいのかい?あの娘を囮にして自分が逃げるなんて事もできたんだぜ?」
鬼は未だに藤の匂いが残っているからか顔を歪ませながら言う。
「妹を身代わりにして逃げるなんて事、姉のすることじゃないでしょう?それにそんな事しても少なくとも私は逃がすつもりなんて無い。そうでしょ?」
「ハッ!分かってるじゃねぇか!それじゃ――」
「まぁだからって易々と食べられる気なんて更々無いけどね!」
藍子は木綿季とは反対方向に駆け出した。
「逃がさねぇよ!」
鬼は藍子の後を追った。
「はぁ、はぁ、はぁ、」
走り始めてどれくらいになっただろう……もう走る体力も無い。だけどもう家はすぐそこだ。無事でいてよ、姉ちゃん!
ようやく着いた家の戸を勢いよく開ける。
「木綿季、遅いぞ――おい、藍子ばどうした?」
「帰り道に、鬼にあって、それで……」
息を切らしながらさっき遭ったことを簡潔に話す。
「なんですって!?」
「不味いな……木綿季はここにいろ!俺は藍子を探しに行く!」
「なら私は藤の花の家紋の家に行って鬼狩り様を呼んでくるわ!」
「頼んだ!」
「えっちょっどう言うこと!?」
木綿季は困惑していた。手際が良すぎる――まるでこの事を予見していたかのように。
「木綿季には知らないで欲しかったんだが……後で話す!」
そして二人はそれぞれの目的の場所へ走っていった。
それから数分間、漸く木綿季の頭が冷静になり始めて、さっきまでの事を整理始めた。
まずはあの鬼についてだ。鬼の噺なら木綿季は近所の老人からたまに聞いていたが、あくまで御伽噺、童話の一種だと考えていた。だけど実際は違った。
「鬼は本当にいたんだ……。」
木綿季が聞いた鬼の話で共通していることは、夜は鬼の活動が活発になること。その鬼を狩るための「鬼狩り」と言う存在があること。そして鬼を滅する時は必ず鬼の頸を斬ること。
これらの事から鬼の弱点は「頸」と言うことになる。我が家の門限は日暮れまでと言うのは恐らく鬼が夜に活動すると言うことからなのだろう。しかし、まだ解せない事が幾つもあった。まず何故自分の父と母は鬼が出没したことに対して何も疑う事なく、かつスムーズに自分たちで何をするべきかを考えて実行していたこと。一応子供である自分でも信じなかった話を親が信じるのは早々無いことだろう。
次に自分の姉が常に所持し、鬼の隙を作るために使った巾着袋だ。以前巾着袋について訊いてみたこともあったが、「単なる御守りだよ。」としか答えなかった。普通御守りを投げ飛ばすなんて事はしないはずだ。となると、あの巾着袋は「鬼に対してなんらかの効果を持った物」と考えるのが妥当だろう。その証拠に、巾着袋をぶつけられた鬼はあまりに大袈裟だと思う程蹲り、会ったときからも所々顔をしかめていた節があった。
しかしここでまた疑問が発生する。何故自分の姉はそれが鬼に通用すると分かっていたのか?あの巾着袋からは微かに藤の花の匂いがした。藤の花には確か魔除けの効果があると、木綿季は前の世界で聞いたことがある気がすると思った。でももしそれを知っていたとしても実際に藤の花をぶつけると言うことはしないだろうし、効かないと言う可能性もあるはずだ。―と言うことは自分の姉と親はその事について知っていたことになる。
だとしたら何故知っている?自分で調べた?―いや、そんな本は見たことないし実験しようにも危険すぎるし自分の記憶の中でそのような事をしていた節はない。
じゃあ誰かに教えて貰った?誰に?……鬼狩り様に?
『なら私は藤の花の家紋の家に行って鬼狩り様を呼んでくるわ!』
「――っ!?」
数分前に母親が口にした言葉。これは鬼狩り様の存在を信じているか否かの言葉ではなく、明らかに鬼狩り様はいると肯定している言葉になる。と言うことは自分の家族は鬼狩り様の存在を確認している。と言うことは―
「姉ちゃん達はボクが知らない間に鬼にも
繋がった。繋がってしまった。我が家の門限が日暮れまでと言うこと。家族が鬼の噺について何も言わなかったこと。それは自分に鬼の存在に恐怖しながら生きてほしくなかったからだ。そしてあの巾着袋は鬼に会ったときに鬼狩り様に貰ったのだろう。
でもまだ解せない。さっきの鬼が発した単語「稀血」。鬼がこれを口にしたとき、大分喜んでいるような声になっていた気がした。
《稀血》。前の世界だと病院で暮らしていた為極たまにそんな単語を耳にした。さっきの鬼が言ったものと同じものかは定かではないが少なくとも鬼にとっては歓喜するようなもので、数が少ないと言うことは確かだろう。そして鬼は言った。片方は稀血であると。
あの場にいたのは木綿季と藍子の二人。稀血は鬼にとって喜ぶもの。そして恐らく鼻が良い鬼に対して効果がある藤の花の匂いがする巾着袋。
「あ……あああ……。」
気付いてしまった。あの時鬼が言った「稀血」は藍子に対しての言葉だったのだ。藍子はそれを知っていて木綿季を逃がしていた。
「いや、まだだ。まだ姉ちゃんが死ぬなんて決まった訳じゃない。」
そう言って立ち上がって家から出て姉を助けに行こうとするが、玄関でその足を止めてしまう。
自分が今行ったところであの鬼の前で何が出来るのか?鬼狩り様に任せればいいのではないのか?そんな事が頭に過る。
それでも、行かなきゃ……姉ちゃんにはなんとしてでも生きてて欲しいから。
木綿季は姉と生きて帰ったらとある事を訊こうと胸に誓い、家の戸から飛び出して行った。
ご精読ありがとうございました!本編にある通り、木綿季以外の紺野家族は一度鬼にあって鬼狩り組織に助けられています。その中でも稀血の藍子は鬼にとってはご馳走となるため、藤の花の香り袋を携帯するようにしていましたが、もし木綿季と一緒にいたときに鬼に会ってしまった場合、今回のように香り袋を捨ててまで木綿季を逃がすと決めていました。
以上大正コソコソ噂話でした!
次回 甦る剣技