この国で一番偉い元カノに復縁を迫られている   作:耳野 笑

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第1話 会いたくなくて会いたくなくて震える

 

 昔彼女に刺された傷が疼き、アレンは腹を押さえた。

「な……んで、リープリがここに……?」

「久し振り、アレン。本当に、本当に本当に本当に久し振りだね。リープリのこと捨てて、今までなにしてたのかな?」

 桃色の髪と瞳の少女が、震える男に問い掛ける。瞳にはハイライトがない。

「嘘……だろ」

 金髪のイケメンはガタガタと震えながら、何かの間違いであることを願う。

「まさかアレンも城下町にいるなんて思わなかったな……あの町を探しても見つからないわけだよ」

 アレンはリープリに背を向けて逃げ出そうとした。が、彼の目前に土壁がせり上がり、行く手を遮る。

「な……ひっ!?」

 振り向き、すぐそこに淀んだ瞳があった。壁ドンの形で追い込まれる。それでも横に逃げようとするが――

「逃がさないよ」

 氷の杭がズドドドドドドドドッと突き刺さる。杭はアレンの服を壁に縫い止める形。あっという間に人間標本の出来上がりである。

「なんで逃げるの? ねえ? リープリのこと嫌いなの?」

 リープリがアレンの首を両手で包む。たやすい追い込み漁だった。彼は涙目で磔刑を受け入れる。

「もう、三年前に終わっただろ」

「何が?」

 首を絞める力が増す。圧迫感に耐えながらどうにか喉を動かす。

「俺たちの関係が……だ。俺は君と一緒にいられない。もうあのとき全部言っただろ」

「……」

 リープリが無言で、首を絞める力を強くする。

「ちょっ……待っが……ッ」

 いよいよ苦しくなったアレンは彼女の肩をタップして降参を伝える。

 渋々ながら彼女は手を離した。アレンは膝を付くと激しく咳き込む。

「お話しよう? 分かり合えるまで、分かち合えるまで、ね?」

 リープリはしゃがみこみ、アレンを抱き締めた。柔い感触に、温かな抱擁。しかし冷や汗が止まらない。

(どうして……こんなことに……)

 

 

 

 アレンとリープリの物語は、二人が中学生のときから始まる。

 二人は同じ学年で、一緒のクラスで、共に学級委員をやっていた。

「なんだか、俺たち付き合ってるみたいに言われてるらしいぞ」

「そうらしいね。不思議だね」

 二人は学級委員の仕事のため、放課後まで教室に残っていた。

 学舎は夕焼けに照らされている。こういった薄暗さは、人の哀愁や慕情を誘いやすい。

「リープリはいいけどね」

「え?」

 学級日誌を書いていたアレンの手が止まる。

「いま、なんて?」

「リープリはアレンと恋人になりたいなって思ったの」

 リープリの頬は朱く染まっていた。それは決して夕暮れのせいではなく、ひたすらに愛がもたらす発熱だった。

「本当に?」

「ホントに」

「一日待ってもらえるか?」

「むしろ一日で返さないでほしいかな。一緒に過ごして、それでリープリのこと好きになったら返事してほしいなって」

「分かった」

 

 

「お前もちゃんと恋愛感情あったんだな。そろそろホモかと思ってた」

「おめでとう、リープリさんならお似合いだよ。お幸せにな」

「もう婚約までしてるとか凄いな、お前しかできんわ」

「え?」

 翌日。アレンは友達から、身に覚えのない祝福を受けた。

 アレンがリープリの方を見ると、彼女もまた同じような困り顔で笑っていた。

(どこから広まるんだろうなあ……こういう噂)

 アレンはこういう噂に慣れていた。

 彼は中学に入ってからおよそ半年しか経っていないにも拘らず、既に三十人以上の女の子から告白されている。そしてすべて丁重にお断りしている。

 ただ今までと違うところが一点。『また一人死んだ』ではなく『遂に攻略されたか』という感じで噂は広まっていた。

「アレン、ちょっといいかな?」

「あ、ああ」

 リープリがアレンの裾を引く。

 奇声に黄色い声、どす黒い殺気にドスグロい殺意とかがいっぺんに挙がる。

 二人は生徒たちの視線をほしいままにしながら、屋上に出た。

「ちょっと近くに寄って」

「近すぎない?」

「あっちに聴こえちゃうから」

 リープリとアレンはほとんど密着する距離で話し始めた。

 そうでもしないと、屋上まで覗きにきたやじ馬に盗み聞きされるからだ。

「流石アレンだね。もう広まっちゃってるみたい」

「尾ひれ三十枚くらい付いてきてるけど」

「あはは。ねえアレン、ホントに付き合わない? 誤解解くの大変だし、付き合い初めてからちゃんと好きになる恋もあると思うんだ」

「不誠実じゃないか?」

「リープリが良いって言ってるんだもん」

「分かった。それなら良いよ」

「うふふ、ありがとう。嬉しい」

 リープリはアレンに抱きついた。

 瞬間、ドゴッガシャアン!と音を立てて屋上の扉が吹っ飛んだ。

「なにしてるのアレン君……一昨日私のことフった癖に、なんでその女と付き合ってるの?」

 ハッキリとした殺意のこもった瞳で、その女生徒はアレンをにらんだ。

「フーリエ……。いやこれは「なに? 引っ込んでてよ」

 零下の声音に、血が凍る。学校一の美少女から出たとは思えないような、ドスの効いた声が屋上の時間を止めた。

「アレンはリープリのものなの」

 フーリエへ見せ付けるように、ますます密着する。

「ね?」

「は、はい……」

 あ、これイエス以外なら死ぬ。予鈴を塗りつぶす大音量の警鐘が、そう告げていた。

「だから消えて。ね?」

 フーリエは脱兎のごとく逃げ出した。彼女の生存本能もまた、『一秒後、死』のアラートを鳴らしていたのだ。

「やった……やった。これでアレンはリープリだけのものだよ。もう誰にも渡さないからね。ね?」

 全てがリープリの思惑通りだった。

 『二人が付き合っている』という噂を流したのもリープリ。『告白して、オーケーした』という噂を流したのもリープリである。

 そもそも『二人きりの教室』でなされた告白を知る者など二人以外にはなく、そのことを報せられるのもリープリしかいない。

(あれ……俺これ、やったのでは?)

 

 

 そう、やったのである。やらかしたのである。

 この後三年間、リープリの闇は進化し、リープリの病みは深刻化した。

 リープリヤンデレ物語の一説にこんなものがある。

「おはよう。アレン」

「待て」

「ん? どうしたの? 愛情たっぷりの朝ごはんだよ? 早く食べないと冷めちゃうよ?」

「待て待て、冷めちゃうのは俺の体温だ。血の気引きまくってるんだ俺が」

 一人暮らしの『はずの』アレンの家に、当たり前のようにリープリがいて、二人分の朝食を作っていた。

「少し重いことを言うぞ。付き合うといった以上、君がヤンデレベルの高い娘でも受け入れようと思った。なんなら住所教えてないのに玄関前に立たれるところまで予測していた。でもさ……」

 アレンは食卓を見て、そして戸締まりしたはずの玄関を見て、改めてリープリを見て言った。

「家内はホラーだよリープリ……」

「お嫁さんになるんだから、別にいいよね?」

「俺が出すべきは婚姻届じゃなくて被害届な気がしてきた」

「うふふ……冗談にしても笑えないよ。リープリ、人を傷つける笑いは好きじゃないな」

 今しがた愛情たっぷりの朝食を作った包丁がアレンに向けられていた。

「ひえぇ……」

 

 

 まだまだこんなものではない。ヤンデレエピソードの数々は、山のようにある。

 そしてそれらを余すところなく経験したアレンは、ついに彼女と別れることを決意した。

「別れよう、リープリ」

「え……?」

 卒業式の日、夜景の見える丘の上で、アレンは別れを切り出した。

「ごめん、よく聞こえなかった。もう一回言ってみて?」

「別れよう。俺たちの関係は、ここで終わりにするべきだ」

「なんで……? なんでなんでなんでなんで?」

「勘違いしないでくれ。リープリのことが嫌いになったわけじゃないんだ。三年間一緒に過ごしたから、リープリがどんな人なのかは分かってる。

 人を思いやれて、誰にでも優しくできて、責任感があってちゃんとやるべきことをやるし、人の幸せのために頑張れる。

 世界一可愛いよ。三年の間も、今も好きだ」

「そこまで言ってなんで別れるなんて結論になるの?」

「重い」

「……え?」

「愛が重いんだ。悪いことじゃない。好きな人に一途なのは良いことなんだ。でも、俺には重すぎた。

 だから、リープリの愛に応えられるくらい心の強い人に愛してもらってくれ。リープリの隣にいるべきは俺じゃなくて、そういう人のはずだから」

「アレンは……間違ってるよ」

 リープリは世界に言い聞かせるように呟いた。

「いまアレンが言ったこと、これっぽっちも理解できなかった。好きなら一緒にいるべきだよ。愛してるなら結婚するべきだよ。重いとか、全然、まったく分かんないよ」

 その瞳にハイライトはなかった。もう完全に、ヤンデレベルが臨界点を越えていた。

「撤回して。なかったことにして」

「できない。あの日、あの教室で、うやむやになって出来なかった返事を、今しようと思う。ごめん、君とは付き合えない」

 時間に溶けてしまった、三年越しの返事。その答えは、リープリの心を壊した。

「うふ……うふふふふふふふふふ……」

 愛されない。愛されない。価値がない。そんな自分も、そんなアレンも、価値がない。アレンも世界も、間違っている。

「ねえアレン」

 気付いたときにはもう遅かった。

「はあっ……はあっ……アレンが悪いんだよ……」

 アレンは倒れ込んだ。深々と包丁の刺さった腹から、とめどなく血が溢れだす。

 生命が流れて、丘も視界も赤くなる。

(どうすれば……どうすれば……!?)

 冷静さを欠きながらも、生存本能は確実に最適解を選び出した。

 アレンは包丁を抜き、内臓まで達した傷を回復魔法で癒やす。ただ切れただけの部位は溶接の要領で、むりやり傷口を閉じた。

「あ……どうしよう……リープリ……」

 リープリはうろたえていた。刺したのは感情の爆発だった。自分のやったことの意味が後から追い付いてきた。

「病院には行かない。警察も呼ばないで。血だけ処理して。いいね?」

「え……うん……」

 リープリと反比例するように、アレンは冷静さを取り戻した。

(前科なんて負わせない……せめて、愛した彼女を守るくらいは)

 リープリを置いて、アレンは逃げた。

 死なないこと。血だらけなのを人に見られないこと。

 彼女の経歴に傷を残さないため、それだけを考えて逃げた。

 

 そして物語は冒頭へ戻る。

 

 


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