夏の陽射しが砂浜に降り注ぐ。海面は波打つたびに目映い陽光を跳ね返し、海風が心を洗い流す。
(青い空……広い海……監禁されてたからひさびさ……じゃなくて)
「いやどこここ」
アレンは我に返った。
「南方のゴールドリリー諸島だよ」
「ここまで現実感のない現実逃避があるのか……」
アレンは自分がイカれたと思った。
リープリの監禁に苦しむあまり、外の世界の自由を求めるあまり、あり得ない幻覚に囚われたのだと確信した。
「いや違うよアレン。現実逃避じゃないよ。現実だし逃避行だよ」
「俺は二分前まで東方の城下町にいたんだ! 一体どうやって南方のゴールドリリー諸島とやらまで移動したんだ!? 瞬間移動でもしたって言うんじゃないだろうな!?」
「なにそのアリバイトリックに自信のある犯人みたいな言い草」
「だって実際ムリじゃないか?」
「できるよ。私、時間を操る魔法が使えるの」
「時間を操る……?」
「見せてあげるよ。じっとしててね、アレン」
マリアは恋人にしかあり得ないくらいの距離までアレンに近付く。
爽やかな海風が彼女の銀髪をなびかせる。アレンは近くに寄って初めて、彼女のまなじりに泣きぼくろがあるのに気付いた。
「せーの」
パチンと指を鳴らす。瞬間、アレンの髪が腰元まで伸びた。
「えっ……はっ? なんだこれ」
「髪だけ時間を早送りしたの。さっきも、東方から海を渡って南方に来るまでを早送りしたんだよ」
「つ……つよっ……」
そもそもリープリ・キャペンリッシュの魔法を相殺することができる者など、この世界には数える程しかいない。
アレンは改めて、いま目の前にいる美少女もまた、リープリと同じ『抵抗できないタイプの女の子』であることを理解した。
「何者なんだ、君は?」
「アレンの恋人」
「そうじゃなくて、具体的に南方何位?」
「一位だよ。私が最強」
「わーお……」
太陽のような笑顔だった。
「私のお城案内するよ、来て」
「い、いやだ! 行ったが最後二度と空見せてもらえないんだろう!?」
「そんなことないよ……どんな目に遭ってたのアレン……」
*
大きい部屋だった。
リープリの部屋は真っピンクでお姫様然とした感じだったが、彼女の部屋はゴシック風だった。
「改めまして、私はマリア・マリーメイル。キミの前世の恋人だよ」
マリアは真剣な表情でそう言った。
「その、前世云々の前に聞きたいことがあるんだけど」
「なに?」
「近くない?」
アレンはベッドに座って腕を組まれていた。
「近くないよ?」
「いまだかつて元カノとしかしたことない距離感なんだけど」
「元カノじゃなくて浮気相手でしょ」
腕組みから流れるように押し倒された。マリアのサラサラとした銀髪が頬に掛かって、くすぐったさに身悶えする。
「浮気相手って……俺と君は恋人じゃないんだから、リープリと付き合っても浮気にはならないだろう」
「違うよ。私とアレンは前世から恋人なの。あの女は浮気相手なの」
「そう言われても……」
(ああ……もう何人目だろうな、話通じない系の娘……)
アレンは現実逃避で天井に意識を向けた。黒い壁紙に星座が描かれている。
「とりあえず、思い出すために治療してあげるね?」
マリアはおもむろにナイフを取り出した。
「いや待って二度あったけど三度やめて」
「チクってすると思うけど我慢してね?」
「そんな心優しい擬音じゃすまないよ。グサッブシュッだよねえ待ってほんとにもうやめ」
グサッブシュッとなった。
「え……?」
抵抗する暇などなかった。マリアが『ナイフを振り下ろす』時間を早送りしたのだ。
「うそ……だろ……」
視界が黒く染まっていく。遠のく意識のなか最後に想ったのは、恩しかない両親と、愛すべき妹と、そして……。
*
魔王城、玉座の間にて。
果たし合うべき最後の戦場には燃えるような闘気が充満し、骸骨と髑髏で組まれた肘掛けが震えた。
「フハハハハハハハハハハハ! よく来たな勇者よ! この世界の半分上げるから見逃してくれ!」
「諦めんなよ! お前のために散っていった部下のために命果てるまで戦えよ!」
勇者と魔王は対峙する。めちゃくちゃアホな絵面で。
「フフフフフ……フハハハハハハハハハハハ! などと言うと思ったか! まさか本当に余が降伏するとでも? ありえんな!」
「そうか、やはり魔王の矜持は捨てていないか、それでこそ最後の敵に相応しい」
「貴様の故郷に伏兵を送った。余を殺したら貴様の家族も死んじゃうぞ! いいのか!?」
「搦め手じゃねえか! てか俺の父は先代勇者だ! 雑兵が敵う相手じゃない!」
「だが家族思いの貴様のことだ! 一パーセントでも家族が傷つけられる恐れがあるなら手出しはできまい!」
「くっ……卑怯者め!」
「だって四天王が三秒で倒されたんだぞ! 一人辺り一秒掛かってないんだぞ! 正々堂々戦っても実力差通りちゃんと負けるだけなんだぞ!」
「情けなっ!」
そのとき、勇者の隣に立っていた女魔法使いが声を上げた。
「あの、今千里眼で確認したら、伏兵が返り討ちにされてたよ?」
「「え」」
時間が止まる。そして魔王は沈黙を破った。
「この世界全部あげるから見逃してくれ」
「エクスカリバアアアアアアッ!」
「アギャアアアアアアアアアッ!」
こうして、人々を脅かす魔王は打ち倒され、世界は救われた。
「信じてたよ。貴方なら必ず勝てるって」
「ありがとう。なによりもキミがいてくれたからここまで来れた。本当に、ありがとう」
勇者は共に厳しい旅路を乗り越えた魔法使いと、ひしと抱き合った。
「愛してる。この戦いが終わったから、結婚しよう」
「あはは、もう絶対折れない死亡フラグだね。喜んで。良かった……ここまで本当に長かった……」
「そうだな……」
「これでやっと、子作りできるね!」
「はい?」
「旅の途中で子供できちゃうと困るからずっっっっっっと我慢してたけど、もうヤりたい放題だもんね! 宿行こ! いやなんならここでいいや! ヤろう!」
「待て待て待ておーい! ここ玉座の間! おとなり魔王の骸だぞ!」
「私たちの聖戦はこれからだよ?」
「あっやめ、あああああああああああッ!」
*
「はっ……!」
アレンは目を覚ますとゴシック風の部屋にいた。
「私はだれ? 心はどこ?」
「キミは私のもの。心も私のもの」
銀髪碧眼の美少女がニッコリと笑う。
「マリア……ごめん。まさか本当だったとは……」
アレンは前世の記憶を思い出した。
そう、マジなのである。そういう電波系の娘とかではなく、本当に前世からの恋人だったのである。
「でもどうしてマリアは前世を覚えてたんだ?」
「時間の魔法だよ。早送りだけじゃなくて巻き戻しもできるの。履歴見たら一発だよ」
「そういうことか……てか俺、ホントにそうなのか……」
アレンの脳に一瞬で流れ込んだのは、世界を救った英雄の記憶だった。
魔王を倒して、共に戦ったマリアと結ばれ、家庭を築いて幸せに過ごした八十年の思い出である。
「思い出してくれたみたいで良かった。ねえアレン、今なら私のこと愛してくれるよね?」
マリアはその問いが否定される可能性をこれっぽっちも考えていなかった。共に人生を過ごした前世の恋人が、自分の愛に答えないなどあり得ないからだ。
「……待ってくれ、俺はもうリープリと結婚するって約束したんだ。それを覆すのは流石にできない」
「え……?」
マリアは呆然とした。そして虚ろな目のまま、アレンの両肩を掴む。
「なんで? 私だよ? 一緒に世界救って、結婚したんだよ? あんな女より私のこと選んでくれるはずでしょ?」
「それは……」
「そもそもアレン、あの女に権力と脅迫で結婚させられそうになってたじゃない」
「知ってたのか。まあそれはそうなんだけど、もういっかなって思ったり……」
「ああ、ひどい……ここまで洗脳されちゃったんだね……大丈夫だよ、私が目を覚まさせてあげるから」
「監禁して?」
「しないよ?」
アレンはもう麻痺していた。女の子の愛情表現が全部DVだと思い込んでいる憐れな男だった。
「ちゃんと外出してあげるし、働かせてあげる。だから、一緒に幸せになろう?」
その瞳には愛しかなかった。幸せにしたいという気持ちと、幸せになりたいという気持ちだけが宿る、純粋な女の子の光だった。
「いいのか?」
「もちろん」
アレンは感極まってマリアを抱き締めた。
「ありがとう……ちゃんと人権くれてありがとう……」
「なんか違う気もするけど嬉しい……愛してるよアレン。だから……」
マリアがガバッとアレンを押し倒した。互いの足が絡まる。雪のように儚げな銀髪が顔に掛かる。
「ま、マリア? なんかこう、肉食獣の目をしてないか?」
「まあ食べちゃうつもりだから間違ってないかもね」
前世の記憶が甦る。マリアはそっちの食欲が大分旺盛なタイプだった。
「子作りしよ? ね?」
「子育てとか考えてから! まだ仕事も見つかってないんだよ俺!」
「シたくないの?」
「死にたくないの! マリア加減してくれないじゃん!」
「いいから、ヤらせて。働かせてあげないよ?」
「凄い! ぜんぶ逆! 俺の知ってる世界じゃない!」
*
アレンは前世を思い出したので精神的には童貞ではない。
が、体は一応清いままを守ってみせた。
「なんとか耐えた……」
「強情だなあ。別にいいじゃない。夫婦なんだから」
「そのことなんだけど、俺はまだ気持ちが決まってない。前世で恋人だったから流れでとか、監禁されないなら誰でもとかそういうんじゃなく、それでもちゃんと俺の意思で選びたいんだ」
「いいよ、絶対好きにさせてみせるから」
マリアは慈母のような笑みを湛え、アレンの顔を覗きこんだ。
「来世も来々世も来々々世も一緒にいたいって言わせてあげるからね」
「う……うん(ま、まだセーフ。多分大丈夫、ハイライトはあるから……)」