「と、いう約束をしたことを今思い出したんですよ……」
話しながら、アレンは自然と土下座の体勢を取っていた。
全力で額を床に擦り付け、リープリの怒りを少しでも収めるように慈悲を乞う。
「……」
リープリは無言だった。代わりに、シャッシャッという謎の音が聴こえてくる。
「ん? なんの音だ……?」
面を上げたアレンが見たのは、砥石で包丁を研ぐリープリの姿だった。
「すいませんでしたああああああああッ! すいませんでしたッ! 許して刺さないで殺さないで!」
「……」
シャッシャッという音が、一面ピンクの部屋に反響する。なお、展開次第ではこのあと一面紅に染まるかもしれなかった。
「マジで……ホントにごめんなさい。許して、今はリープリのこと愛してるから」
床にめり込まんばかりの勢いで土下座しながら、深淵モードの大魔術師に許しを乞う。
しかし、彼女の答えに慈悲はなかった。
「ギルティ」
「ひぃいいいいいッ!」
ゆらり、と包丁を向けながら立ち上がるリープリに、いつかの光景を重ねながら後退するアレン。
「あのときは、付き合ってなかったよな!?」
「ねえ、付き合うのって片方の告白だけで成立しないよね? 告白して、相手がそれを受け入れなきゃ成立しないよね?」
「そ、そうだな」
「なら別れるのも一方的な宣言じゃ成立しないんだよ? アレンが勝手に別れた気になってただけで、その三年間もリープリの恋人だったんだよ?」
「……」
「浮気、だよね? ね?」
背中が壁に当たる。もうそれ以上下がれない。
アレンは命が崖際にあるのを理解して、懸命に絶望へ抗う。
「もうしないから許して……」
「ねえ、アレン。『俺は絶対、リープリの圧制に負けないくらい強くなって、普通の幸せを手に入れてみせるんだ!』ってなに? なんなのかな?」
「それはその……その時思ってただけで今は違うぞ! 俺はリープリのこと愛してるから!」
「随分と実感こもってるように聞こえたけどなあ?」
「……違うんです」
「しかもなんなの? 三年間ほかの女と同棲? ディープキスしてプロポーズまでされてた? ギルティだよ、アレン」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい、どうか命だけは……」
ガチの涙目でアレンは懇願する。それでもリープリは止まらない。
「限界なの……アレンが他の女とそんなことしてた過去があるってだけで気が狂いそうなの。だから、もう、ね?」
「ね? じゃない! なあ、リープリ、変わってくれるじゃなかったのか!? あの可愛いリープリはどこへ行っちゃったんだ!」
「西方へ行っちゃったアレンがそんなこと言う資格ないもん」
至近距離。刃先はかつての刺し傷と全く同じ場所へ当てられていた。
「さよなら、アレン」
アレンの脳裏に一瞬で色んな人たちの姿が浮かんでは消えていく。
(ごめん母さん、父さん、カリン、ノナン、ヴァーミリア、マリア、ミア……)
それでも、最後に最も強く想ったのは、目の前の愛する彼女だった。
「愛してる、リープリ」
それを遺言にしようと思った自分を誇らしく思い、アレンは目を閉じた。
瞬間、地が揺れ、爆音と共に城が崩落した。
「なっ……」
「なに!?」
最上階にいるアレンたちは、当然宙に放り出される。
「リープリっ!」
今しがた刺されかけたにも拘らず、アレンはリープリを抱き締め瓦礫から庇った。
そのまま、地面に落ちる。幸いにも特に怪我はなかった。
「何が……起こったんだ?」
アレンは起き上がりながら、辺りを見回す。煙のせいでほとんど状況は分からない。
が、刹那、殺気が彼の体を貫いた。
「久し振りだね、我が愛弟子。ああ、実に久し振りだ。ボクのことを捨てて、今まで何をしていたのかな?」
それは、三年越しにリープリと再会したときと同じ、死神の呼び声だった。
「ミア……」
アレンは痛切な表情で、彼女の名を呼んだ。
白磁の肌。白髪は後ろで束ねられ、涼やかになびいている。顔立ちは清らかで麗しく、しかし瞳は虚ろだった。
「驚いたよ。故郷が恋しくなったと思って寛大な心で送り出したら、元カノとゴールインだなんて……ボクとの約束は、すっかり忘れてしまったようだね?」
アレンは答えに窮した。その表情は、かつてないくらい後悔と自責に歪んでいる。
そんな中、アレンの代わりにリープリが返答した。
「貴女がミーア・アムルスタント?」
「おや、意外だね大賢者殿。ボクを知っているということは彼から聞いたのかい? アレンの口からどのようにボクが語られたのか気になるな」
「しつこいメンヘラだって」
「殺す」
「言ってない! 言ってないですよ師匠!」
悪辣すぎるウソをつくリープリと、真に受けて殺意を色濃くするミーアの間で、哀れな男が一人わめく。
「でも、アレンはもうリープリのものだもん。さっさと西に帰ってほしいな」
「いいや、アレンはボクのものだ。さっさと西に返してほしいな」
東方最強と西方最強がにらみ合い火花を散らす。一触即大爆発の雰囲気のなか、アレンは勇敢にも間に入った。
「俺がどっちのものかはともかく、ミアに言いたいことがある」
「なんだい?」
「俺はミアとの約束を破った。本当に申し訳ない、ごめんなさい。君の想いを、裏切った」
「ああ、その通りだ。しかし問題はない。『キミが最強にならなければ、ボクは永遠に、キミを守る盾となる』という約束は、有効だ。キミは西方最強になれなかった。不愉快ながら不義理の結果不戦敗という形でね。つまり、キミは宣告通りボクのものになったという訳だ」
「う……そうなんだよな、そうなんだけど……」
「なんだ、抗弁の余地などないだろう?」
「ない。俺の非で、全部俺が悪い。ミアが怒るのも当たり前だ」
「そうだね、酷く傷付いたよ。だからキミには責任がある。さあ、一緒に帰ろう」
ミーアは手を伸ばした。それは救いの手ではなく、救いを求める手だった。
しかし今しがたグサッとやられかけたアレンからすれば、救いの手のように映った。
「うぅん……」
悩むアレンにリープリが怒りを露わにする。
「アレン、どうして悩んでるの? そんな昔の女早くフってよ」
「そう言われても……今さっき刺されて死にかけた俺からすると、めっちゃドラマチックなホワイトナイトに見えるんだけど」
「刺されて死にかけた?」
「あ、ああ。師匠のこと話したら浮気だって言われて、包丁でグサッとやられかけたんだ。本当にギリギリのタイミングだった」
「ほう……驚いたな。それが真実なら、ボクが関与する前からキミたちの夫婦関係は破綻していたということになる」
「浮気したら刺すでしょ。刺すよね?」
「いや、ボクだったら『そうかい、もうボクはいらないんだね』と言ってアレンの目の前で自死する」
「そうだよね! 師匠はそういうタイプだよね!」
発想のヤバさはともかくとして、アレンとしては『絶対に放っておけないタイプ』だった。
「ともかく、そこの女はアレンを殺そうとした犯罪者で、ボクはキミを救ったドラマチックなホワイトナイトだ。さあ、どちらを選ぶ?」
「アレン、こんなメンヘラに付いていかないよね?」
「ドメスティックなバイオレンスは引っ込んでいたまえ」
アレンを挟み、リープリとミーアは舌戦を繰り広げる。その最中も彼は悩み、そして一つの結論を出した。
「でも、やっぱり今回は全部俺が悪かった。リープリが怒るのも当然だし、ミアが恨むのも当たり前だ」
「それで?」
「どうするんだい?」
「まず、リープリに謝りたい。ごめんな、もうこんなことはないようにする。不安になんてさせないから、少しだけでも変わってほしい」
「……いいよ。リープリだって、アレンに好かれたいもん」
「ありがとう」
そう、今回はタイミングが悪かっただけだ。『これからの夫婦生活で、お互い変わっていこう』といった矢先にこれだっただけだ。
本当は、これからちゃんとやっていけるはずなのだ。
そして、彼は今度こそ、自らの業に相対する。
「ミア、約束を破って本当にごめん。でも、俺はやっぱりリープリが好きだ。こんな形で答えるなんて最低だと思うけど、俺にはこれしか言えない」
アレンは懸命に、自分のなかの本当の気持ちを伝えた。
「ふう……」
ミーアは目を閉じ、ゆっくりと息を吐き出した。そして緩やかに目を開き、ハイライトのない瞳でアレンを睥睨する。
「殺す」
本日二度目の死刑宣告だった。
「師匠、話し合えば分かる」
「そうだな、果たし合えば分かる」
「ぜんぜん話聞いてくれない!」
折衝は失敗に終わり、殺生に突入する。
「グングニル――」
アレンには理解できた。ミーアが必殺にして絶対破壊の一撃を充填していることを。
そして、その剣圧がかつてより遥かに上昇していることを。
「――ジ・オリジン!」
世界が白く染まる。解き放たれた光の奔流が、崩れた城を更に押し流し、溶かしていく。
それでも、アレンのやることは変わらなかった。リープリを庇うように光条の直撃を食らい、そして彼の意識は途絶えた。