「俺と、決闘しよう」
アレンの瞳は真っ直ぐにミーアを捉える。彼の心には、静かに燃える覚悟があった。
「ふむ、わざと負けていいかい?」
「そういうのはダメ」
師匠は一ミリも乗り気じゃなかった。
「だってか弱い女の子が好きなんだろう!? そんなの負けたいに決まってるじゃないか!」
「そうだよ! そういう女の子凄いタイプだよ! でも今は『いいだろう。あのとき果たせなかった決着を』の流れでしょ!」
「知るか知るか知るものか! ボクは負けるぞ! キミに好かれる手弱女になってみせる!」
ミーアは幼子のように駄々をこねた。しかし幼いながらも涙は涙。人が悲しむ姿に心痛を覚えるアレンには効いていた。
「まあ……そもそも俺のワガママだからな。ミアが受ける理由ないのも当然だ」
アレンはうなだれる。それでも、諦めた訳ではない。
もう一度彼女と真正面から向き合い、想いを伝える。
「そもそも俺を景品にしたランキング戦になるはずだっただろ? だから、それを今やろう。俺には懸けられるものが人生しかないんだ」
ただ当たり前のことを言っているだけである。
そもそも約束を破ったのはアレンだ。ミーアが臨んだ戦いに彼は姿を現さず、遠く離れた南方で触手に蹂躙されていた。
「いいんだね? ボクが勝ったら、本当にキミを貰うよ?」
「ああ、そのときはこのまま西方に帰化する」
「……分かった、いいとも。キミの貞操は今夜で終わりだ」
「もうちょっとシリアスな感じで始めさせてよ師匠……」
半ば脱力しながらミーアと距離を取り、決闘の状態へ移る。
しかしミーアの目には爛々と肉欲が輝いていた。
「ヤる」
「今シンプルに犯すって言わなかった?」
「そうだけど?」
「俺に責任あるからそのときは抵抗せずにヤられるけど、それは別として三年半思ってたことを言わせてくれ」
間もなく訪れる、開戦の瞬間。長い長い三年半を追憶し、アレンは口を開く。
「めっちゃパワハラ&セクハラですよ師匠」
「弟子に貞操とかないから」
「俺今でも弟子入りする相手間違えたって思うんだ。この戦い終わったら弟子辞めさせてくれないか?」
「そうだね、この戦いが終わったらパパになるからね」
「もうやだこの師匠……」
アレンはヤケになりながらコインを取り出し、それをかざす。
その金貨は、月光を一条だけ跳ね返した。
「このコインが落ちたら開戦だ」
「ああ、分かった」
アレンはコインを跳ね上げた。ゆるやかに放物線を描き、両者の間を落下する。
そして――。
「ウイング・レイピア」
――神速の突きがアレンの頬を掠める。
「――ッ」
腐っても、ミーア・アムルスタントは第一位であり、西方最強の槍だった。
「ブレイズ・ネイル!」
ゴオッと噴き上がった炎が、追撃を防ぐ壁となる。
ミーアはとん、とん、と跳ねるように三歩下がった。
「フレイム・アーマー」
瞬間、鷹様から奮迅へ転じて突撃。
刀はまだ鎮火しない炎を捲き込んでアレンへ迫る。
「……ッ! ぐッ!」
鬼気迫る覇気。決着など待たずとも、押し倒せればそのまま犯し尽くすという野心が窺えた。
(打ち合えばますます劣勢になる!)
だからこそ、アレンは一歩踏み込んだ。
「――ッ!?」
揺らいだアレンが突如繰り出したチャージは、自身の体を焼きながらもミーアを吹っ飛ばすことに成功した。
「驚いた。下がると思ったよ」
「驚いたのはこっちだ。なんだあの初撃。油断させて、始まる瞬間に牙を剥いてきたな」
「剥かれるのはキミだけれどね」
バサリ、とアレンの上衣が落ちた。炎を纏った斬撃は、ギリギリ彼に届いていた。
「裸になったら負けにしないかい?」
「勝つまで我慢してくれよ!」
「野球拳ならぬ野球剣だね」
「そんな態度で勝てると思ってるなら屈辱だな」
「まあ実際この後、辱しめに屈することになるわけだからね」
アレンの額に青筋が浮かぶ。そこまで含めて、ミーアの策略であるとも気付かず。
「はああああああッ!」
冷静さを欠いたシンプルな斬撃は、あっさりと受け流され、返す刀でまた一枚服が落ちる。
「ほらほら、どうしたんだい?」
「ぐッ……このッ!」
必殺の間合いで斬り結ぶ。一回、十回、百回と、繰り返し剣戟が繰り広げられる。
「ッ……はあッ……はあッ……」
「強くなったね、アレン。打ち倒すには二歩及ばないが、ボクと正面から斬り結べるだけ見事なものだ」
「ッ……」
(あっ……ダメだ、これは……)
「……アレン?」
気付けばアレンは涙を溢していた。
月光に煌めく雫が地面に落ち、まるで開戦を告げる金貨と対になるように戦いが止まる。
「ど……どうしたんだい?」
「違うんだ……これは……」
アレンは子供のように泣きじゃくりながら訳を話す。
「まだ勝てないのが悔しくて……でも、『強くなったね』って言ってくれたのが嬉しくて、よく分かんなくなって……」
「……」
ミーアは今すぐ刀を収めて彼を抱き締めたいという想いに駆られた。
それでも、最後に残った一欠片の矜持が、刀を放さなかった。
「堪えるんだ。まだ戦いは終わっていない。決着は見えているかもしれないが……それでも、終わらせなければ進めもしないだろう」
「ああ……そうだな。ごめん、師匠」
アレンは袖で涙を拭い、改めてミーアに向かい合った。
「はああああああッ!」
アレンは再び斬り掛かる。持ち直した心で、何度も何度も斬撃を繰り出す。
それでも、ただの一度も彼女には当たらない。
圧倒的な、実力の差。
剣だけに人生を捧げてきた者の、怪物じみた強さがそこにあった。
「そろそろ終わりにしようか」
剣気を感じ、アレンは飛び退いた。『敢えて』で踏み込めば間違いなく終わっていた一撃が、一秒前にアレンのいた場所を斬り抜ける。
「ほう……よく躱したね。だが短い延命だ」
アレンは一度泣いてスッキリしたことで、冷静さを取り戻していた。
(なにか……なにかある。引っ掛かっている。既視感だ……なにか、逆転のためのヒントを、俺は知っている……)
そして、アレンはたどり着いた。つい数分前彼女と交わした会話の中に、逆転へと繋がるヒントがあった。
「オクトパス・テンタクル」
粘液をまとった巨大なタコの触手が、ミーアへと殺到する。
「なっ!?」
ミーアは八本の脚をかわし、いなし、切り落としながら、アレンへ怒号を飛ばす。
「見損なったぞ! こんな卑猥な攻撃があるか!」
「ついさっき『弟子に貞操とかないから』とか言ってただろうが!」
そう、だから思いついたのである。皮肉にも、あの下らない猥談がマリアとの戦いを想起させ、劣勢をひっくり返した。
ミーア・アムルスタントは剣術の頂点に立つ人間である。しかし、魔法においてはそうではない。
「だから、中・遠距離から魔法を飛ばすのが最適解だ!」
ドロッとした脚を召喚し続け、ミーアへと放つ。斬られ断たれで効く様子はなかったものの、やがて彼女の動きが鈍り始める。
「くっ……剣が滑って……足場も悪く……!」
追い込まれつつあると自覚したミーアは、タコ足の間隙を縫ってアレンへ突撃する体勢を取る。
が。
(――いない!?)
剣圧に気付いた瞬間、ミーアは背後へと斬り返した。
アレンの剣はすんでのところで防がれ、届かない。
「このタコ足は陽動で、本命は自分かい?」
「いや、どっちもだよ」
アレンの連撃に合わせるように、ミーアの背へとタコ足が迫る。自分一人だけの、挟撃。
「のあッ……くッ……しまった!」
分かっていても対処しきれず、ミーアはタコ足に羽交い締めにされる。
服は大部分を粘液に溶かされ、色白な裸が露わとなる。皮肉なことに、ミーア自身が言った通り、剥かれることで決着となった。
端からみれば、暴漢とその被害者でしかなかったが。
「お……のれ」
動けなくなったミーアへ鋒を突き付け、アレンは声高に叫んだ。
「これ勝った気しない! もう一回やろう!」
「だろうね!」
*
「一緒に寝よう。アレン」
「ダメだろ」
袖をちょいちょいと引かれ、『この師匠可愛いな』とか思いつつも、アレンはちゃんと断る。
「どうしてだい?」
「ん~」
一、リープリを裏切ることになるから。
二、明日果たし合うのに一緒に寝るなんておかしい。
三、普通にもう一個ベッドあるから。
アレンは悩んで、なるべくミーアを刺激しない断り方を選んだ。
「明日果たし合うのに一緒に寝るなんておかしいだろ?」
「むしろインモラルで興奮するじゃないか」
「なんでだ」
「だって明日、ボクとキミは全霊の死闘を繰り広げるんだ。にも拘らず今夜は同じベッドで愛し合うんだぞ。なかなか背徳的だろう?」
「分かんないし分かっても一緒には寝ないからな」
ゆっくり師匠の手を掴んで袖から離し、アレンはかつて自分が使っていた部屋に入る。
「じゃあ、おやす「えい」
バスン!と音を立て、ベッドが真っ二つに割れた。
「いや……えっと……うん、……この人やば……じゃなくて、半分でもキングサイズだし余裕で寝れるのでこのまま「えいえい」
罪のないベッドは綺麗に四等分され、もう完全に役目を果たせない状態になった。
「じゃあもう床で寝る」
「くっ……流石に床ぜんぶはお金がすっごく苦しいが……やむを得ないか……」
「わー待って待って! 分かった分かった分かりました! 一緒に寝ましょう! だから刀を収めて!」
マジで床ぜんぶを斬ろうと刀を振り上げたミーアを、アレンは慌てて止める。
家を完膚なき惨状にすれば修理費が苦しいのは本人も認めるところで、彼女の瞳には若干の涙すら浮かんでいた。
「ベッドのお金も俺が出すから。そんな苦しそうな顔しないでくれ」
「うん……優しいね、アレンは」
『もうちょっと別のシチュエーションで聞きたかった』という言葉が出なかった。
今のハチャメチャなやり取りの中ですら、『優しいね』と言われて嬉し泣きしそうになった自分にアレンは驚く。
「じゃあえっと、ミーアの部屋行こう」
「ふふ……やった……」
ミーアは上機嫌に腕を組んでくる。
そのまま彼女と共にベッドへ入り、アレンは『何やってんだ俺』という気持ちでいっぱいになった。
「なあ、アレン」
「なんだ?」
「ボクの泣き顔ってそんなに好みなのかい?」
「……な、なんで?」
「アレンって、ボクが泣いてるとき半端ではなく優しくしてくれるし、しかもまるで恋に落ちた瞬間の乙女のような表情をしているからさ」
「ぐうぅッ……うん、そうだよ……」
だって好きなのだ。『守ってあげたくなるような』女の子のことが。
「もうずっと泣いていようかな」
「それはやめて……俺の心が罪悪感で死んじゃうから……」
でも別に泣き顔を見たいわけではない。アレンは人が悲しむ姿が嫌いだった。
「ふふ……ボクはいま幸せだ。これからもずっと一緒にいてほしいな」
ミーアにギュッと抱き締められる。
お互い薄い寝巻きを纏うだけなので、密着するとその柔らかさが直に伝わってくる。
「それは明日の勝敗次第だな」
「もうどうでもいいよ。ずっとこのままいてくれないかい?」
流麗で、でもどこか掠れたような、温かい囁きに心臓が高鳴る。
吐息すら伝わる近さ、晩秋には手放しがたい人肌の温もりが、全身で感じられる。
「それは……ダメだろう。勝つにしても負けるにしても、決着を付けないと前に進めないんだ」
中学の卒業式の日、アレンはリープリに別れを告げた。
互いに納得がいくまで話し合ったわけではなく、内臓に達するまでブスリとやられた。
それでも、あやふやなまま関係性は残っていた。
高校生活の三年間。一度たりとも女の子と付き合わなかった。
そういうことを考えたとしても不思議と桜色が頭を過っていたのは、包丁の感触が抜けなかったからだけではないし、また血と膓を曝すことになるのではという恐怖があったからだけでもない。
「けじめがいる。俺は、真っ当に生きたい」
「へえ、婚約者がいるのに別の女の子と同衾するのはキミの中で真っ当な生き方なのかい?」
「なっ……」
一番痛いところを一番どうしようもないタイミングで突かれ、思考が止まる。
「師匠が一緒に寝ようって言ったんじゃないか!」
「知らない。多分キミの勘違いだ」
「もう俺野宿します、さよなら」
「ああっ! 待って、お願いだ、ボクが全部悪かったから見捨てないでくれ……」
涙が刺さる。いいように刺さる。どうしようもないくらい胸を締め付けられ、(ついでに体も抱き締め付けられ)アレンは動けない。
「それ、ずるいって……」
アレンの体温は愛しさを隠しきれない。彼はミーアを抱き締め、優しく頭を撫でた。