「アレン、お昼ごはん食べよ?」
「うん……」
ガチャガチャと鎖が外される。解放されるのは嬉しくても、食事は憂鬱だった。
監禁されて一週間。ずっと惚れ薬が主食の生活を強いられている。
もう辛すぎて、逆に普通の料理を出されたら好きになってしまうかもしれないレベルだった。
「ねえアレン」
「なんだ?」
「リープリたち、もうお互い十九だよね?」
「そうだな」
ある種の拷問を味わいながら、リープリの質問に答える。
「ならもう結婚しちゃおう?」
「嫌だと言ったら?」
「明日から口移しかな。あ、おやつにも惚れ薬入れよっか」
涙がこぼれそうになるのを必死で堪える。
(こんなの……どうすればいいんだ……?)
「で、いいよね?」
「うん……」
嘘でも頷く。というのはアレンにとって本当に苦痛だった。それでも頷いた。信義に反してでも逃げ出したい現実が目の前にあった。
「そうだよね。相思相愛なんだもん、当たり前だよね。いつお家にお邪魔しよっか?」
「……え? 家来るの?」
「うん。アレンのご両親と妹さんにも挨拶しなきゃ」
「俺同伴で?」
「流石にリープリ一人で行くのはおかしいでしょ」
思わぬ所から希望の光が差し、アレンの瞳が輝き始める。
「あ、ああ……そうだな。行こう。善は急げだ。なるべく早く行こう」
「そんなに早く結婚したいんだ、嬉しいな。リープリの仕事が落ち着いたら……そうだね、一週間後には行けると思う」
「分かった。ありがとう」
(千載一遇……ここしかない。必ず逃げ出してやる)
こうして、アレンは愛(から)の逃避行を決意した。
*
そして、アレンの実家へ行く日が来た。
「じゃあ行ってきます」
「行ってらっしゃいませ、大賢者様」
仰々しい見送りを受け、馬車に乗り込む。キャリッジという、金の箱に王冠を被せたような箱馬車である。
「目立ちすぎないか?」
「外からは安い幌馬車に見える魔法を施してるよ。儀装馬車ならぬ偽装馬車だね」
アレンは胸を撫で下ろした。こうも派手だと注目の的になるので逃げ出しようがないからである。
「ぎゅー」
リープリはアレンの腕に抱きつき、肩に頭を乗せて寄り掛かった。なんとなく彼が頭を撫でると、幸せそうに頬を緩める。
(まあ……いいか)
アレンは窓の外を見た。流れる景色の中、露店に並ぶリンゴの赤色が目に残った。
一週間ぶりの外は新鮮だった。当たり前に見ていたものが、ひどく真新しく感じられる。
「自由……か」
「なにか言った?」
「ん、なんでもない」
アレンはリープリの頭を撫でてごまかした。
一度奪われるとその大切さがよく分かる。意識するとその二文字が強く頭に居残る。
(ほしい……自由が、ほしい)
通りに仲睦まじいカップルの姿があった。お互いを理解し合い、お互いを支え合う恋人。アレンは羨ましいと思った。
「アレン……なに考えてるの?」
ドスの聞いた声だった。アレンはギギギギギと軋むように首を動かし、リープリへ目線を移す。ハイライトがなかった。深淵を覗いたら、超至近距離で深淵に凝視された。
「いや、なにも……」
「女の人見てたよね?」
「えっと……その……」
「許さない……絶対許さない……」
しなだれかかる体勢からそのまま押し倒され、両手で首を絞められる。アレンも彼女の手首を掴んで離そうとするが、魔法で強化されているため離れない。
「待って! ほら! 御者の人にも聞こえてるから!」
「ごゆっくりどうぞ~」
「なんでだ!?」
中年の御者は馬を操りながら、リープリの蛮行を許した。
「リープリ以外を見る目なんて……いらないよね?」
「ちょっ……待って! 違うんだ! 羨ましいなって思ったんだよ! あんな風にデートしたいなって考えてただけだから!(リープリ以外の女の子と)」
「ふふ、そっかぁ……でも、まだダメ。完全にリープリのものになってからじゃないと、ね?」
「そ、そうだな……あはは」
リープリに押し倒され抱きつかれたまま、アレンは乾いた笑いをもらす。
「アレンの実家までずっとこのままでいい?」
「マウンドポジションのまま帰省する奴があるか!」
*
「息子さんを私にください」
リープリがアレンの両親を前に頭を下げる。
「どうぞどうぞ好きに持ってって」
「いやー息子が大賢者様の旦那になるなんて夢みたいだな」
二つ返事だった。満面の笑みだった。
父と母は知らない。馬車を降りる直前『少しでも下手なことを言ったら分かってるよね?』と脅されたことを。そして、今もテーブルの下ではリープリがアレンの手(綱)を握っていることを。
(そうだよな……俺以外には優しいし料理できるし可愛いし東方最強だしこの国一番の権力者だもんな……)
リープリ・キャペンリッシュは、ヤンデレとメンヘラを足して二で割らないような性格を除きさえすれば、完璧な女の子だった。
「私は……嫌……。まだお兄ちゃんには結婚してほしくない」
しかし、アレンの妹であるカリンだけは認めようとしなかった。それはアレンにとって救いだった。
「私にはお兄ちゃんが必要なんだもん。三年も会えなくてずっと辛かったのに、いきなり帰ってきて結婚なんて勝手すぎるよ!」
「カリン……!(いいぞもっとやれ!)」
三年会えなかったのはアレンがリープリを避けたためである。
中学を卒業してすぐ、彼は待ち伏せと鉢合わせを回避するため町を出た。海を越えて西方の高校に通い、三年間一人暮らしをしていた。
「そうだよな! いきなりすぎたな! ごめんなカリン! やっぱり結婚はもう少しだだだだだだだだだあッ!」
万力のような力で左手を絞められ、アレンが悲鳴を上げる。リープリは強化の魔法で身体能力を上げているのだ。
「アレン、どうしたの?」
(こ……の、サイコパスが!)
自分でやっておきながら、『突然奇声を発したアレンを心配そうに見つめる彼女』の表情をするリープリ。
彼はその邪悪さに、怒りを通り越して恐怖を覚えた。
「なんでもない……」
「ねえお兄ちゃん考え直して」
「そう言われても……(俺じゃなくてリープリに言ってくれ!)」
割りとどうしようもない詰みだった。カリンの抵抗は幾ばくかの救いだが、それでも逆転の一手にはなり得ない。
そしてリープリは油断なく、最後の希望すらも刈り取る。
「カリンちゃん、大丈夫だよ。リープリと結婚しても、もう会えなくなる訳じゃないから。ずっと一緒に暮らしてたカリンちゃんなら分かるよね? お兄ちゃんのこと、信じてあげて」
「でも……三年間放っておかれたもん……」
「それは確かに酷いと思う。どんなことがあっても許されることじゃないと思う」
(それお前の所感じゃねえか!)
三年会わなかったという意味ではリープリも同じである。彼女はカリンへの共感にかこつけてアレンを糾弾していた。
「でももう大丈夫。リープリがお嫁さんになったら、一年に一回は、ううん、半年に一回は実家に帰らせるから」
「……もうちょっと、会いたい」
「じゃあ三ヶ月に一回でどう?」
「いいよ……」
「うふふ……ありがとね、カリンちゃん」
リープリは完全勝利とばかりに、アレンの左手をギュッと握った。口角が吊り上がるような、邪悪な笑いを浮かべている。
かくして、リープリはアレンの家族を懐柔してみせた。刻一刻と悪くなっていく状況に、アレンは焦りを感じた。
*
別れたはずの元カノが自分の家に押し入ったらどうするか。
もちろん犯罪なので、即刻追い出すべきである。しかし、今リープリはアレンの部屋のアレンのベッドのなかでアレンの匂いに包まれて、幸せそうに布団にくるまっている。
そしてそれがまかり通ってしまっている。
「やっぱりしゅきぃ……」
アレンは自分の人生の大切な部分を冒されている気持ちでいっぱいだった。このストーカーから、一刻も早く距離を置かなければならないと思った。
「アレン、おいで?」
「うん……」
渋々ながらベッドに入る。
(まだ従順でいよう。逃げるまでは悟らせちゃダメだ)
するとリープリはおもむろに鎖を取り出して、アレンの手首に繋げ始めた。
「いや……いやいやいや! 待って待って! え、家でも繋ぐの!?」
「一応だよ。一応」
「どっちにしろリープリが抱きついているからいらなくない!?」
「そうだけど、一応だってば」
リープリは聞く耳を持たなかった。慣れた手付きで四肢を縛り付け、瞬く間に捕虜を完成させる。
「ふふふ、幸せだなあ」
(俺は不不不幸せだなあ……)
リープリは抵抗できないアレンに抱きつき、その温度をたっぷり味わう。彼女にしてみればこんなに幸せな空間も他になかった。
「お兄ちゃ~ん、ちょっと入……」
「あ……」
ノックせず扉を開けたカリンが硬直する。そしてふるふると震え、涙目で逃げ出した。
「うわああああああんお母さああん! お兄ちゃんが変態SMプレイに目覚めてるううううう!」
「待ってええええええええッ!」
*
「さようなら、カリンちゃん、お義母さん、お義父さん、またすぐ来ます」
「ええ、さようなら」
「いつでも来るんだぞ」
「またね、約束だよ」
色々あったがアレンとリープリは彼の実家を後にした。
そして城下町へ戻る道中、アレンにとって最大のチャンスが訪れる。
「ちょっとお花摘みに行ってくるね」
リープリが席を外し、車内にはアレン一人となる。御者は馬に構っていて彼の方を見ていない。
アレンは荷物を持ち、静かに馬車を降りた。実家から拝借したナイフを懐から取り出し、両手首のミサンガを切る。
そして、全速で逃げ出した。
(走れ! 走れ! もうここしか逃げるチャンスはない!)
大通りから細い路地に入り、捜索を困難にするべく何度も曲がる。
アレンは焦るあまり、走ったまま十字路に飛び込んでしまった。同時に、曲がり角から一台の馬車が飛び出してくる。
「うおっ!」
アレンは辛うじてかわし、難を逃れる。
「おっと! 怪我はないか!?」
「平気です! すみませんでした!」
「気を付けてな!」
アレンは優しい御者に頭を下げ、走り去ろうとする。しかしその寸前、荷台から声が掛けられた。
「あの! 待ってください!」
あどけない声だった。荷台から顔を出したのは、十五程度の若い少女である。亜麻色のバンダナと、人形のように大きな瞳が印象的だった。
「なにか?」
アレンは焦る。立ち止まっていては追い付かれる。
その切迫した表情は、少女の目に深刻に映った。
「えっと……その、急いでるみたいですけど、なにかあったんですか?」
「話すと長いんだけど、元カノに追われてるんだ。だから早く逃げないとまずいんだ。もう行っていいか?」
「ダメ!」
「なんで!?」
「その……匿ってあげます! 乗ってください!」
「え!? それはまずいって! そんなことをしたら君も危なく「アレン! どこにいるの!?」
十字路の向こうから怒気を孕んだリープリの声が聞こえた。
「早く!」
少女が手を差し伸べる。アレンにはもう選択肢がなかった。
彼は少女の手を取り、荷台の中に飛び込んだ。勢いが付いたせいで、少女を押し倒す形になってしまう。
「あ……うぅ……イケメンすぎる……」
少女は顔に紅葉を散らし、潤む瞳でアレンを見つめていた。息が掛かる距離である。
(ごめん。元カノがいなくなったら直ぐ出ていくから)
アレンは少女の耳元に口を持っていき、外に漏れないよう囁いた。彼女の体が目に見えてビクンと跳ね、頬はますます上気する。
「はぁ……はぁ……はひぃ……」
ウィスパーのせいでかえって少女の恋慕を強めていることに、アレンは気付いていなかった。
「おかしいな……こっちからアレンの匂いがしたはずなのに……」
荷台の布一枚挟んで向こうから物騒な言葉が聞こえた。アレンの背は冷や汗でグッショリだった。逃げ出した上に、女の子を押し倒している状況。
(やべえよやべえよ……見つかったらジ・エンドだ……)
「お父さん、行って」
少女が御者席に座る父親に指示を出す。
「あ、あぁ……」
父親は渋々ながら頷き、馬を走らせた。
(優しい人だ……この状況で得体の知れない男を助けるのに協力してくれるのか……)
街道を進み、やがて人通りのない草原に出る。辺りは一面緑が広がっているだけで、通行用に舗装された道が一本だけ伸びている。
「ごめん。今どくから」
「いいです! そのままで!」
「いや……でも」
「押し倒しててください! 後生です!」
「なんで!?」
「いい加減にしなさい、ノナン。君も早く娘から離れてくれ」
娘を誑かす得体の知れない男に、冷ややかな父親の目が向けられる。
(即追い出されなかっただけ感謝だな)
「すみませんでした……」
アレンは腕を付いて体勢を直し、改めて少女に向き直る。反省の意も込めて正座で。
改めて車内を見ると、鉢に入れられた大小様々色とりどりの花が所狭しと置かれていた。
「痴情の縺れというのは分かった。君のようなイケメンならそういうこともあるだろう」
「えぇと……」
「だが、それとこれとは別だ。目の前で娘を押し倒されて良い気持ちはしないね」
「本当にすみませんでした」
深々と頭を下げる。馬を操る父親には見えていないが。
「顔を上げてください。あと足も楽にしてください」
「はい……」
「えい」
押し倒された。アレンが、少女に。
「はあ!?」
「顔が良ぃ……好きぃ……」
ノナンと呼ばれた少女は恍惚とした表情でアレンと体を密着させる。
「本当にすみません本当にすみません本当にすみません本当にすみません本当にすみません」
神頼みの勢いで謝り倒すアレン。父親の神経を逆撫でしているナウなので謝罪しかできなかった。
「ノナン……一体どうしたんだ? おかしいぞ?」
「好きなの」
ノナンは息の掛かる距離で、アレンの瞳を真っ直ぐ見つめたまま言った。
「一目惚れです。付き合ってください」
「ごめん。なんとなくもう分かってると思うけど、俺は厄介な事情を抱えてる。君に迷惑を掛けるわけにはいかないから、付き合えない」
「気にしません」
ノナンの決意は固かった。それでもアレンは頑なな彼女を突き放そうとする。
「俺に触れると死傷するぜ」
「火傷じゃないんですね……」
「マジだ。実際に俺も刺されてる。関わらない方が君のためだ。今日俺と会ったことは忘れて、君の日常へ戻るんだ。いいね?」
「嫌です。私が決めた道です。それで傷付いても、貴方が罪悪感を覚える必要なんてありません」
ノナンはその心に燃えるような愛を、瞳には澄んだ覚悟を宿していた。
アレンは悩んだ。そのとき、御者台から声が掛かった。
「ノナン、本気か?」
「本気に決まってるでしょ。私がこんなこと言ったの、いままで一回でもあった?」
父親はノナンの気迫を理解し、ため息を吐いた。
「分かったよ。君、協力できることは協力しよう。ただし、娘の初恋を悪い思い出にしようものなら、ラフレシアの肥料にしてやるからな」
「すみません……ありがとうございます。肝に命じます」
*
着いたのは田舎の集落だった。
一面に田んぼや花畑が広がっている。あぜ道には年季の入ったかかしが立ち、ガラガラと水車の回る牧歌的な音が鳴っている。
雲隠れにはこれ以上ない村だった。
「ようこそ、アレン君の部屋は二階ね」
案内されたのは六畳くらいの部屋だった。アレンがベッドに腰掛けると、ノナンも隣に座った。
「イケメンって凄いですね。なにしててもいつどこでも『イケメン』なんですから」
「ありがとう。ノナンも子猫みたいな愛嬌があって可愛いよ。花屋より似合う職業もないと思う」
「ありがとうございましゅ……幸せです……」
嬉しそうに両手を頬に当てるノナンを見て、アレンも幸せな気分になる。
誉め言葉は本心である。バンダナを解くと栗色の長髪が露わになり、大きな瞳と小柄な体も相まって小動物的な可愛らしさに溢れていた。
「今の録音したいのでもう一回言ってくれませんか?」
「いいよ」
ノナンは録音水晶を取り出して、アレンのセリフを収めた。彼女は家宝のように抱える。
「永久保存します……ありがとうございます……」
「言ってくれればいつでも言うのに」
「そんなの……贅沢すぎて怖いですよ。バチが当たりそうです」
照れながらも絶対にアレンから目を背けないノナン。イケメンすぎて、ただ見ているだけで幸せだった。
「それに、俺のことを助けてくれた。見ず知らずの俺のためにここまでしてくれて、本当にありがとう」
「それはアレン君に近付きたかったからです。下心です」
「それでも嬉しかったし、助かってるんだ。ありがとう」
「どういたしましてです……あの、それで告白のお返事なんですけど……」
「ああ……俺は、まだ君のことをよく知らない。だから、友達からお願いします」
ノナンは苦しさと期待の入り交じった表情を浮かべ、初めてアレンから視線を外した。彼女はうつむいたまま、水晶をギュッと抱える。
そして、改めてアレンに向き直る。
「そうですよね。急ぎすぎました。こういうの初めてなので、まだ勝手が分かってないんです。ごめんなさい」
「謝ることじゃない。素直で情熱的なことは美徳だと思う。それに今までにもそういう人はいた」
「……アレン君イケメンで優しいですもんね。そっか……両手に花束どころか足元まで花畑なんですよね……あはは、はは……」
「ッ……!?」
その瞳にあってはならないはずの暗い光が宿った。一瞬だけノナンにリープリが重なって見えてしまい、アレンは身が竦むのを感じた。
「いやいや、そんなことない。俺付き合ったことあるの一人だけだし、向こうは諦めてくれないけどもう別れたし」
「本当ですか……?」
「本当だ」
「童貞ですか?」
「どっ、どどどどどどどどどどどど!」
「地鳴りですか?」
「冗談はともかく、ちゃんと童貞だよ」
「あぁ……良かったです。本当に、良かった……もしそうじゃなかったら私……どうにかなっちゃってたかもしれません」
(あれ……? 俺、もしかしてまた……いや、流石にそんなのってないよな?)
新生活に影が射す。ヤンデレの間でキャッチボールをされているような不安を胸に、第二の人生が幕を開けた。