「面目ない」
庭で手斧を振り下ろし、薪を割る行冥に深く頭を下げる。
「可能な限りの言葉は尽くした。だがそれでも……二人の意志は変えられなかった。本当に申し訳ない」
胡蝶姉妹の説得は失敗に終わった。
原因はやはり、二人の決意が既に完了していたことに尽きる。
鬼と戦うことの厳しさ──毎日のように怪我人や戦死者が絶えない現状や、最終選別で入隊志願者の大半が死亡すること、膂力で劣る女性では男性と比べてどうしても不利を強いられる事実など。
これから歩もうとしている道が如何に苦難と無情に満ちているかを、一切隠すことなく二人に語った。
きっとろくな死に方をしない、無力感と後悔を抱きながら命を落とすことになるぞと、半ば脅すような言葉さえかけた。
──全て、覚悟の上です。
しかし、二人は揺るがなかった。
カナエの方はあまつさえ、鬼を救いたいとまで口にしたのである。
その酷く見覚えのある双眸に黙らされたのは私の方だった。
お館様も、鱗滝
鬼殺隊に入りたいと言った在りし日の私を、こんな気持ちで見つめていたのだろう。
私は口をつぐみ、拳を固く握り締めることしか出来なかった。
「いや、謝る必要はない。結果はどうであれ君は私の頼みを聞き入れ、あの娘らを説得してくれた。むしろ感謝しなければならない」
「……二人のことはこれからどうする? 育手を紹介してそちらに任せるか?」
「今そのことについて考えていたところだ。もし静里でも上手くいかなかった場合はどうすべきか、と」
カラン、と。
割られた薪が転がって乾いた音を立てる。
「……恐ろしいのだ。私の下す決断によって、あの娘たちの未来が変わってしまうことが。若くして死に追いやってしまうかもしれないということが」
その声はかすかに震えていた。
訪れる沈黙。
それを破ったのは秋晴れの空を飛び回る鎹鴉の鳴き声だった。
「穂群静里、任務ヲ伝達スル。カァ」
「分かった。……すまないが任務のようだ。すぐに向かわなくては」
「承知した。武運を祈る」
己の力不足に申し訳ないという気持ちが込み上げる。
薪割りを続ける背中に向けてもう一度頭を下げ、踵を返して屋敷を後にした。
一つ任務を終えるとまた新しい任務が伝達される。
時に担当地区を外れ、時に合流した隊士と共闘し、一段落つく頃には早いもので一週間が経過していた。
まとまった時間を得た私が足を運んだのは皆の待つ煉獄家……ではない。
あぜ道を抜け、山道を登り、またしても行冥の屋敷に戻ってきたのである。
カナエとしのぶ、鬼殺隊を志望する姉妹がどうなったのか、行冥がどのような結論を出したのか、確かめるために。
一週間ぶりに訪れた屋敷に人の気配はない。
玄関で声を上げてみても応答はなく、やはり誰もいないように思われた。
「既に事は済んでしまった、かな」
行冥は恐らく任務だ。
彼も私と同じ鬼殺隊の柱で多忙の身、不在であったとしても不自然ではない。
では胡蝶姉妹はどうだろうか。
考えられる理由は二つ、育手のもとへ行ったか鬼殺隊を諦めて去っていったかである。
行冥が音を上げたとすれば前者の可能性はなくもないが、やはり考えられる線としては後者が濃厚だ。
一週間前、最後に見た彼は二人を鬼殺隊に入らせたくないという姿勢を一貫していたのだから。
「……儘ならないものだな。行冥も、あの娘たちも」
片方は鬼殺隊に入りたいと言い、もう片方は鬼殺隊に入るべきではないと言う。
どちらが正しいのか、どちらが間違っているのか、白黒はっきりさせることはあのお館様であっても難しいに違いない。
何はともあれ、カナエとしのぶはここを去ってしまったと、屋敷に誰もいないことを理由に私はそう思い込んでいた。
「あれ、静里さん?」
故に、後ろからもう聞くことはないと思っていた声が聞こえた瞬間、少なくない驚きが胸に生じた。
立ち去ろうとしていた足を止め、振り返った視線の先には確かにカナエとしのぶの姿があった。
「こんにちは」と手にしていた斧──行冥が使用していたものと同一と思われる──を置いて丁寧にお辞儀をするカナエ、そしてしのぶは軽い足取りでこちらへと近付いてくる。
「悲鳴嶼さんに用があって来たの? あの人は何日か前に任務に行っちゃったわよ」
「ん……ああ。やはりそうか。教えてくれてありがとう。ところで二人は今何を?」
「試練よ。えっと……育手? とかいう人を紹介してほしいなら成し遂げてみせろって、悲鳴嶼さんったらとんでもないことを言ってきたの」
不満ですと言わんばかりに鼻を鳴らし、頬を膨らませたしのぶに思わず口元が綻ぶ。
鬼殺隊を目指しているといっても、やはりしのぶはまだ十歳の子供なのだ。
こうして年相応に怒ったり喜んだりしている様子は、見ていてとても微笑ましく思えてくる。
しかし、それにしても試練とは。
「どんな内容なんだい? その試練というものは」
「岩を動かすのよ。大人一人分くらいもある、こーんなに大きい岩を! でないと育手を紹介しないって本気で言うの。思わず馬鹿じゃないのって言っちゃったわ!」
「それは……」
それは、遠回しな拒絶ではないだろうか。
しのぶの言う通りであるなら、それほどもある大岩を年端もいかない姉妹二人で動かせる訳がない。
当然それは課した本人も分かっている筈で、つまりこれは試練としてそもそも成立していないことになる。
彼が二人の入隊に反対していたのは承知していたが、このように思いきった方法を選ぶとは流石に予想外だ。
「悲鳴嶼さん、あの岩は動かせっこないって決めつけてるのよ。だから絶対にあの岩を動かして、帰ってきたときにびっくりさせてやるんだから。なんて言われようと絶対に諦めないわ」
「悲鳴嶼様の意図は私たちにも分かっているつもりです。けれど私たちは……鬼殺隊に入りたい。一人でも多くの人を護りたいんです」
初めて出会ったあの日と同じ、固い決意をその目に宿して姉妹は口を揃える。
既に様々なやり方を試しているのだろう、二人の爪には土がこびりつき、白く小さな掌には擦り傷と
私は膝をついて視線の高さを合わせると、二人をそっと抱き締めた。
歪であっても構わない。
諦めず、強い心で困難に挑む彼女たちはただただ眩しく、そして愛おしかった。
「あの、静里さん……?」
「立派だよ。挫けそうなとき、出来ないかもしれないと思うとき、それでもと踏ん張れる者は決して多くない。試練を手伝うことは出来ないけど、私は君たちを心から応援するし、敬意を表する」
背中に回していた手を離し、そのまま肩に置いた。
「どうか頑張って。最後まで諦めない気持ちがあれば、きっと成し遂げられる」
揺れる眼差しに向かって微笑みかける。
数秒の間が空き、返ってきたのは私の聞いた中で最も元気のいい声だった。
それから間もなく姉妹と別れた私は、気配を消して音もなくその背中を追った。
試練を突破出来るのか否は関係ない、時間の許す限り二人のいく末を見守りたかったのだ。
経験は浅いとはいえ私は鬼殺隊最高位の一角、まだ剣士の入り口にも立っていない少女に気取られるような真似はしない。
一旦屋敷に戻って物置に斧を返したカナエとしのぶは、続いて屋敷の反対側、すなわち山の方へと足を踏み入れていく。
迷いない足取りで進んでいく姉妹がやがて足を止めたそこには、切り倒された長細い木の幹が横たわっていた。
そして、余計な枝の処理されたそれを二人は協力してゆっくりと運び始める。
どうやら先程持っていた斧は木を倒す目的で使われたようだ。
だが、果たして何が目的でわざわざ木を切り倒したのだろうか。
薪にするためならもっと運びやすい大きさに解体した方がよかった筈で、そのことにあの聡明な姉妹が気付かないとは思えない。
そもそも私が何をしているのかと尋ねたとき、しのぶは試練だと答えていた。
試練の内容は岩を動かすこと、つまり順当に考えるなら木を倒したのは岩を動かすためとなる。
「木で岩を動かす方法……もしや……」
思案し、一定の距離を保って姉妹についていく。
辿り着いた屋敷の裏には確かに大岩と呼ぶべき丸岩が鎮座していた。
大人一人分くらいという言葉の通り、やや離れた位置から見ても五尺半から六尺*1ほどの高さがありそうだ。
あれだけの大きさならその重量も相当なものだろう、当然カナエとしのぶの力で動かせるようなものではない。
これではしのぶが怒るのも頷けるというものである。
「ああ、やはり
岩の下に向けて空いた穴、そのすぐ近くに置かれた丸太、そして今しがた運び込まれた木の幹。
揃えられた要素から私は自分の予想が間違っていなかったことを確信する。
幹を穴に差し込み丸太を支点として岩を動かす。
それが二人のやろうとしていることだ。
梃子を用いれば非力な姉妹でもあの大岩を動かせる可能性は十分にある。
とはいえ、可能性があるといってもそれは決して簡単なことではない。
梃子を利用するにしてもあの大岩を動かすには少なくない力はいるだろうし、道具が頑丈でなくてはかかる負担に耐えられず折れてしまう。
辺りに転がる折れた棒の数々からも既にそうした失敗のあったことが窺えた。
諦めず、挑戦を続けるカナエとしのぶ。
身につけた着物が汚れるのも構わず、呼吸を荒らげながら必死に岩を動かそうともがいている。
何度も、何度も。
頬を流れ、落ちた汗がまた一つ地面に吸い込まれていく。
全ては鬼殺隊に入隊するために。
鬼から人々を、穏やかな暮らしを護るために。
自分たちと同じ悲しみを繰り返させないために。
私はその姿をずっと見ていた。
二人に灯る決意の輝きを。
私は、見ていた。
「静里、ここで何をしている?」
「カナエたちを見ていたんだ。ほら、貴殿にも分かるだろう? あの娘たちが困難を成し遂げた証が」
「カナエたちだと? ……まさか」
目を見開いた行冥は早足でカナエたちのもとへと向かう。
そんな彼の背中を微笑で見送り、ふと底の抜けた秋空を見上げた。
あちらで交わされているであろう会話は聞こえない。
だが、おおよそどのような内容が話されているかは検討がついた。
今頃、立ち尽くす行冥にしのぶが胸を張って報告している筈だ。
言われた通り岩を動かしたわよ、と。
試行錯誤の果てに姉妹の努力は身を結んだ。
距離にすれば歩幅にして二歩か三歩かといったほどだろう。
それでも動かしたという事実に変わりはない。
彼女たちは誰にも頼ることなく、自分の力だけで試練を見事に突破したのだ。
羽織を翻し、私もまた姉妹の前に姿を現す。
「お疲れ様。カナエ、しのぶ」
「えっ……? 静里さん?」
「お帰りになられたのでは、なかったのですか?」
「二人が気がかりでね。黙って見ていたことは謝るよ。でも……うん、本当によく頑張ったね」
労いの言葉に姉妹は顔を見合わせて破顔する。
私はそんな彼女たちから、無言で傍らに佇む行冥へと視線を移した。
「驚いたよ。まさかこんな手を選ぶなんてね」
「……軽蔑するだろうな。自らの欺瞞であの娘たちを遠ざけようとした、弱い私を」
「別に責めるつもりはないさ。言っただろう、貴殿の想いが間違いだとは思わないと。ただ、二人の気持ちが私たちのそれよりずっと強かったんだ」
「……ああ。そうだな」
結ばれていた行冥の口元がふっと緩む。
「私は君たちを認めよう。よくぞ成し遂げた。カナエ、しのぶ」
「! やった、やったわ姉さん!」
「ええ! では……育手の方を紹介していただけるのですね?」
「責任を持って、腕の立つ者を紹介しよう」
「……そうだ、それについて私からも一ついいだろうか?」
声を上げると三人の視線が集中した。
「腕の立つ育手なら私に心当たりがある。元水柱で、私が最初に師事していた方だ。育手として信頼出来るし、その方のところにはちょうどしのぶと同い年の女の子がいる。鬼殺隊を目指すために切磋琢磨する相手には申し分ないと思うのだけれど、どうだろう?」
「なるほど。元柱であれば育手としてこれ以上の者はいない。私から反対する理由は特にないが……」
「では、そちらにはしのぶが行くべきだと思います。別々の育手のところへ行くというのは決まっていますし、同い年の子がいるのであれば私も安心しますから」
「……分かったわ。姉さんたちの言う通りにする」
話はまとまった。
そうと決まれば早急に今回の件について諸々を記した文を送らなくてはならない。
拒否されるということはまずないだろうが、それでも礼儀として断りを入れておくべきだ。
暫くあそこには顔を出せていなかったこともある、この機会に一度伺ってみるのも悪くない。
……これでいよいよ、二人は本当に鬼狩りの道を歩むようになる。
過酷で、熾烈で、凄惨で、無情な世界に足を踏み入れた。
戻ることも、立ち止まることも、もう出来ない。
──どうか、二人の行く末にその悲願が叶いますように。
喜びを分かち合う姉妹の未来を、私は祈った。