0話/始まり⇔終わり
「《国内最古の原子時計よりお知らせします。閉館まで、あと二十分です。本日は県立科学博物館にお越しいただきありがとうございました。本日の来場者は、〇名。侵入者は、一名です。来場者の皆様は気をつけてお帰りください。侵入者の皆様は二度とお帰りになれません。閉館まであと二十分、世界は終わりを迎えます》」
響く不気味なアナウンス。薄暗い博物館の中を、
「はぁ、はぁ、はぁっ……! 死にたくない、死にたくない死にたくない死にたくない!」
息を切らし、必死で走りながら、わずかに背後を振り返る。
もしかしたら逃げ切れたのではないかと期待したのだが、そんなことはなかった。まるで引き離せていない。どころか、徐々に距離が縮まっている。
トウジに迫るドラム缶型警備ロボットは、彼を追い立てるように警報を鳴らす。
金切り声のような不協和音と、ランプの放つ不気味な赤光。二つが、もうトウジのすぐ近くにきている。
「《不審者発見。不審者発見。体格・運動姿勢・染色体情報より、不法侵入者を二十代男性と判断。これを本日の対象に設定。全警備ロボットは、ただちに対象を殺害し展示します。お客様は安心して、館内の展示をお楽しみください。不審者に通告します。逃げ場はありません。あなたは死にます、苦しみながら。あなたは死にます、悲鳴を上げて。繰り返します。死ね》」
捕まれば、死ぬ。
泣きそうになりながら、トウジは必死に足を動かす。
本来なら、このドラム缶型警備ロボットはそう危険な物ではない。
不審者に対して警報を鳴らしたり、展示物を盗んだ人間を拘束するだけのもの。搭載された装備といえば、攻撃力の無い捕獲用ネットぐらいのものだ。
だが、今トウジを追っているこれは違う。
そのロボットは、壊れていた。機体にはいくつもの穴が空き、床には剥げかけた外装と千切れたケーブルを引きずっている。
普通なら動かなくなるはずの有り様で、しかし性能限界を超えた速度で迫ってくる異様な機械。剥き出しになった内部のパーツには、べっとりと赤いものが付着している。
人間の血だ。
無論、ただ壊れただけではこうはならない。
このロボットはもう、存在からして完全に壊れている。『
日本では付喪神と呼ばれ、欧州ではポルターガイストとも呼ばれた超常現象。およそこの世に存在するあらゆる無機物に起きると言われており、古くから人々を脅かしてきた。
この警備ロボットも、もはやまともな論理では動いていない。
時速数百キロで人間を追いまわし、数億ボルトの電気を纏いながら体当たりをしてくる警備ロボットが、まともであるはずがない。
それも、バッテリーの切れた状態で。
このような
強化者は特殊な臓器を持ち、物体を強化する力を操る異能の使い手である。彼らは自分の肉体を強化して超人となり、強大な力を持った超常の武器を振るう。
そんな通常の戦力とは比べ物にならない力で、人々を守護する存在なのだ。
「なんでだ……! なんで、Sランク級の強化者だった俺が、こんな……っ!」
竜胆トウジもまた、そんな強化者の一人である。
彼はかつて、強力な強化者だった。唯一無二の特殊な能力を使いこなせず、養成機関ではずっとくすぶっていたが、自己流の戦闘法により少しずつその才能を開花。このままいけば、学生の内に最強のSランクに届くと言われた秀才だったのだ。
しかし、今となっては惨めなものだ。
三年前にある『事故』に遭った彼は、強化者が持つ特殊な臓器を損傷。それによって、持っていた特殊な能力は、ただの不便な力に劣化した。
弱者となったトウジはSランク級の称号を引き剥がされ、戦力外であるFランクのラベルを貼り付けられた。
完全に能力を失ったわけではないのがまた悪かったのだろう。
事故に遭ったトウジは自分ならまたやり直せると教師の薦めも無視して進級。しかし、劣化した能力ではカリキュラムについていくことは出来ず落第。
別の養成機関や組織に入ろうにも、事故理由での退学ならともかく、落第が理由ではそれも難しい。
かと言って、今さら強化者と無関係な職業になんて就けるはずがない。
無為な日々の中、家族からは愛想を尽かされ、軽蔑の視線に耐えかね出奔。その後は、ゴロツキ相手の用心棒として、能力を持たない一般人との喧嘩で食いつなぐ始末。
なんとも無様な転落ぶりであった。
(あいつら、騙しやがった! 何が『能力を元に戻せる』だ、クソッ……! 結局、逃げ足の速い囮が欲しいだけだったんだ!)
そんな落ちぶれたトウジに声をかけたのが、かつての同級生である
競馬場でハズレ馬券を持って悪態をつくトウジに、ハヤトは言った。
――『能力の使えなくなった人間が、ここの
だからトウジはそんな甘言に乗せられて、まんまとこの博物館に連れてこられ……そして、警備ロボットを惹きつけるための囮として使われた。
「ふざけやがって……!」
大方、警備ロボットとは別口で、希少価値の高い特殊物質を生む
ハヤトたちにしてみれば、ほどほどに警備ロボットに抵抗する能力を持ち、しかし逃げ切れるほどの力はないトウジは囮としてうってつけだったのだ。
加えて、トウジは正式な強化者のライセンスを持たないために、この危険区域で死んでも自己責任として扱われてしまう。ハヤトに連れ込まれたのならともかく、トウジはここに自分に意思で侵入してしまっている。
「《不審者発見。不審者発見。体格・運動姿勢・染色体情報より、不法侵入者を二十代男性と判断。これは、本日の対象に設定されています。全警備ロボットは、ただちに対象を殺害し展示します。絶対なる館内のマナーに従って》」
荒い息を吐き出しながら、トウジは逃げる。
こんなところで死ぬわけにはいかない。
こんなところで死ぬために、今まで生きてきたんじゃない。
五年前、自分の能力は誰にも評価されなかった。これまでに例の無い能力。自分自身でさえ使い道が分からず、しかしそれでも必死に努力して、少しずつ形にしていった力。
それがようやく周囲にも評価され始めた矢先の、事故。積んできたものは一瞬で失われた。だけどそんなこと、認められるわけがなかった。こんなのは間違っていると、なりふり構わずしがみついた。まだ何か出来るはずだと、自分を認めさせることが出来ると、強化者としての自分に固執した。
「《警告に応じ、合流。体格・運動姿勢・染色体情報より、前方三十メートル先の個体を、本日の対象と判断。他機と連携し、ただちに対象を殺害します。標本、分解、抽出、実演。展示方法を乱数にて決定中。対象が警備区域外に逃走した場合は、全て段階的に展示されます。お客様は、安心して館内をお楽しみください》」
また一機、警備ロボットの
トウジは段々と包囲されていく。
もうどこをどう逃げているのか分からない。一秒先の生存すら覚束ない。ただ、逃げて、逃げて、逃げて、逃げて――
「――――、あ……」
行き止まりだった。
扉を開けた先には、小さな部屋があるだけだった。
「《対象に警告。対象の逃走経路は予測されています。諦めてください。あなたは殺害されます、残酷に。あなたは殺害されます、惨たらしく。終了までの工程は、極めて長引く予定です》」
勢いよく扉を閉めた。鍵をかけた。
だけど、そんなことで逃げられるはずがない。
息を殺した。音を立てないことだけに集中した。
だけど、そんなことで誤魔化せるはずがない。
(ちくしょう……ちく、しょう……!)
声にならない声を上げて、トウジは自分の胸に手を当てる。
今から発動させるのは、トウジの持つ固有能力――事故で劣化してしまった能力だ。
しかし、こんな使い方をするのは初めてで、身体にどんな影響を及ぼすか分からない。自分の能力によって死ぬ可能性さえある。
だが、使わなければどちらにせよここで死ぬ。仮にこの行為が無意味だったとしても、トウジには賭けるしかない。
痙攣さえ起こしそうになるほどの緊張の中、トウジは能力を発動した。
(……《ウロボロス000》、発動ッ!)
瞬間、全身に激痛が走る。
耐え難いほどの痛みだった。細胞の一つ一つが悲鳴を上げるような、埒外の苦しみ。骨格が曲がり、肉が歪み、神経が繋ぎ直される。負荷に耐えきれなくなった一部の細胞は
目に見えて削れていく自分に、トウジは痛み以上の恐怖を覚えた。
「ぐ、ぎ、うぅ……っ! はぁっ、ぜぇっ、ぜぇっ……!」
声は徐々に音質を変えていく。
ようやく痛みが収まり、トウジが荒い息を吐き出した時――目の前で、勢いよく扉が開いた。
「っ!」
「《最終警告。対象は殺害されます、それが区画外であろうと。絶対なる館内のマナーに従い、全ての侵入者は展示され――》」
そこで、警備ロボットの動きがピタリと止まった。
ロボットは赤いランプを不気味に点滅させ、困惑したように合成音声を再生する。
「《――エラー。
警備ロボットは、何事もなかったかのように部屋を出ていく。
部屋に入ろうとしていた他のロボットたちもそれに続き、けたたましく鳴っていた警報は段々と遠ざかっていった。
無音となった部屋の中で、トウジはがくりと崩れ落ちる。
「……たす、か、った……」
その身体は、先ほどとは大きく変わっていた。
まず、体格が全体的に縮んでいた。百八十センチ以上あった身長は十数センチ小さくなり、それなりに鍛えていた身体も細く華奢になっている。
しかし、その胸元は大きく膨らんでおり、短く刈り上げていた髪は腰近くまで長く伸びていた。
まるで女性のように、というと語弊がある。
トウジの身体は、完全に女性になっていた。骨格から染色体から何から何まで、今の彼は、まごうことなき女と化している。
これこそ、彼が持つ無二の異能――肉体操作《ウロボロス000》によるものである。
《ウロボロス000》は、かつて最強に届きうる能力だった。無限の再生と無敵の肉体を備えた、攻防一体の力。
だが、事故によりかつての力は失われ、もはやその強さの面影はない。変身の負荷で身体は三割近くが灰のようになり、まるで戻る兆しを見せない。もう、トウジの《ウロボロス000》に無限の再生能力などは無いのだった。
「く、そっ……! なんで、なんで俺がこんなっ……!」
涙目になって発する声も、いまや女性のそれだ。
こうなってしまっては、もう戻れるかどうかも分からない。いや、劣化した《ウロボロス000》では間違いなく元の身体に戻ることは不可能だ。肉体の三割近くが失われた以上、整形手術をしたって大した意味があるとは思えない。そもそもそんな金なんて無い。
トウジはよろめきつつ立ち上がる。慣れない身体にふらつきながら、博物館の外へと歩いていく。
警備ロボットは去っていったが、ここが依然危険区域であることには変わりがない。
素材となった物体の性質を再現する
相手はそもそも壊れているのだ。こちらの推測が通用するとは考えない方がいい。
トウジの足取りは覚束なかったが、しかし
このまま外に出れば、少なくとも命は助かる。
だが……助かったところでなんだと言うのか。
この姿では今までのような荒事も難しくなるだろう。女の喧嘩屋なんて、実力があったところで雇うやつはいない。仮に雇う人間がいたとしたら、そいつは身体目当ての成金男か何かだ。
トウジはもう、何も考えたくなかった。
虚ろな目で、ただ死にたくないという感情のままに、非常口のドアノブを回す。
「――お前、もしかして竜胆か?」
瞬間、かけられた声。トウジは思わず身を震わせる。
そこにいたのは、刀を提げた男だ。灰色に近い白髪に、暗い色を映す青の瞳。身に纏うのは強化者専用の黒い戦闘服。男らしい精悍な顔立ちには、嗜虐的な笑みが浮かんでいた。
「ハッハハハハ! すげぇな、無能が生きてやがったぜ、おい!」
彼の名は御剣ハヤト。トウジを囮にした元同級生だった。
ハヤトは腰に差した刀を鳴らし、見下した目でトウジを嘲る。
「つーか何だ、その身体? オカマかよ、気持ち
「……殺す」
懐からナイフを取り出す。
しかし、ハヤトは何ら臆することなく冷笑した。
「おいおい、Aランクの俺をそんなもんで殺せると思ってんのか、落第生ちゃん? 頭までFランクになっちまったか!?」
「黙れっ! 本当なら、本当なら俺もSランクになってるはずだった! いいや、あの『事故』さえなければ、俺が最強の強化者だったんだ!」
「ウゼえな。身の程ってのを弁えろよ、無能が調子に乗った罰だろうが。お前なんかが俺より上に行きやがったのが悪いんだ。いつまでもみっともなく強化者の肩書きにしがみつくぐらいなら、死んで俺たちの役に立つ方が良いってもんだろう、なあ?」
もはや、トウジの脳内には怒りしかなかった。
後先など何も考えず、ただナイフを構えて突貫する。
強化された肉体のスピードは、常人の目に追えるものではない。が、同じ強化者であるハヤトにとっては、難なく迎撃出来る程度の速度。
しかし奇妙なことに、トウジに対しハヤトは何の反撃もしない。
「死ぃ、ねえええぇッ!」
彼我の距離がゼロになり、ナイフを突き刺しただけとは思えないような轟音が響く。
トウジのナイフは、確かにハヤトの胸に突き刺さった。
戦力外のFランク強化者とは思えぬ、凄まじい一撃。心臓は貫かれるどころか消滅し、ナイフを持った腕はハヤトの背中まで突き抜けている。
腕が抜かれた後には、致命傷という他ない大きな風穴が空いていた。
「ああ、それとだ」
「な……ッ!?」
しかし、それはすぐに再生していく。
肉が塞がり、皮膚が備わる。
残ったのは、攻撃を外したのかと思うほどに無傷な身体。だが、穴の空いた服と、飛び散った肉片がそうではないことを証明していた。
これはあり得ない現象だった。ハヤトの異能に再生の力などは無い。
むしろ、その再生力は誰よりもトウジにとって見覚えのあるもの。
「三年前、お前は『事故』で能力を失ったんじゃねえ」
「まさか……まさか、お前……!」
かつての同級生は酷薄な笑みを浮かべ、トウジに言う。
「お前の《ウロボロス000》は――
「御剣……」
「感謝してるぜ。おかげで俺はSランクになれる。喜べよ、ちゃんとお前の『能力』は認められてるぞ、竜胆」
「御剣ィイイイイイイイッ!」
憤怒に満ちた形相でナイフを振りかぶる。
しかし、その直後にトウジの身体は吹き飛ばされた。
トウジは砲弾のように勢いよく壁を突き破り、脱出した博物館内へと強制的に戻される。
「がはっ……」
何をされたのかまるでわからない。
確かにハヤトの能力である《スサノオ454》は刀の抜刀速度を上げ、刀身を延長することができる。だが、これほどのスピードは異常だった。
「《ウロボロス》で、身体を強化して……!」
「それから、ここの博物館なんだが……閉館時間に館内に残っていた人間が消えるんだとよ。そいつがいたって記録ごと。ライセンスの無いお前には、知らされてない情報だろうがな」
ハヤトの言葉に、トウジは目を見開く。
「原子時計の
「て、めぇ……!」
必死に立ち上がろうとするが、トウジの体は崩れた瓦礫に身動きを塞がれてしまっている。
ハヤトが狙ってやったのは明らかだった。
「《国内最古の原子時計よりお知らせします。閉館まで、あと一分です。本日は県立科学博物館にお越しいただきありがとうございました――》」
「じゃあな、竜胆。お前が落ちこぼれだったって事実も、消えてなくなる。存在ごとな」
「《来場者の皆様は、気をつけてお帰りください――》」
不気味なアナウンスが響く中、ハヤトはゆっくりと立ち去っていく。
「返せ……」
ハヤトは答えない。
血を吐きながら、トウジは叫ぶ。
「返せぇっ! 俺の力を! 俺の人生を! ふざけるな、認められるか、認められるか、認められるか! 俺は落ちこぼれなんかじゃない! 俺は、俺はぁッ!」
「《閉館時間になりました――》」
無情なアナウンスが鳴り響き、視界が真っ白に染まっていく。
「《――世界は終わりを迎えます》」
そして時間は始まりに戻った。
・まとめ
異能者の学院を落第になった青年。《ウロボロス000》という自分の肉体を操る能力を持っているが、特殊な臓器の損傷により上手く力が使えない。
敵の目を欺くためにTSしたものの、自分を騙した元同級生に待ち伏せされ、存在を消されかけている。
トウジの元同級生。学生時代、事故に見せかけてトウジの力を奪った。《スサノオ454》という能力を持ち、刀の抜刀速度を上げ、刀身を延長させる。
超常の力が宿った物体。基本的に人を傷つけ殺そうとする。付喪神とも呼ばれる。
強化者
異能の使い手。