「――っ」
そして、ミライは現実世界――強化学院東第二校舎の訓練室へと戻ってきた。
(ぐ……久しぶりだな、この感覚も……)
《
周囲には密集した生徒たち。
彼らは一様に戸惑った表情で、距離を取りミライを注視していた。
「な、なあ、どうすんだよ、これ……」「俺に聞かれても……」「竜胆が知り合いっぽかったし、とりあえずあいつ前に出しとくか……?」
そんな戦々恐々とした雰囲気をかき分けるように、普段は見ない複数名の教師と、髪をサイドテールにした風紀委員の少女が、ミライを取り囲むようにやってきた。
「はい、ちょっと退いてください! 退いて退いて!」
彼らは、相当にミライを警戒しているようだった。腰には強化解除金属が電極に使われた対強化者用
世界最強と引き分けた謎の部外者が突如現れたとなれば、警戒されるのも仕方がない。だが、ミライとしては不満この上なかった。
(何も悪いことしたってわけじゃないのに……)
学院に不法侵入しているのだが、それは完全に頭の中から抜けていた。
彼女が唇を尖らせる中、トウジが慌てて前に出て、ミライを庇うように立つ。
そんな二人の様子を見ながら、筋肉質な教師が、あくまで冷静にミライに向けて言った。
「――理事長がお呼びです。ついて来ていただけますか?」
「ああ、はい」
「それとそこの……竜胆トウジくんか。君も、一緒に」
ミライはトウジとともに、理事長室へと連れられる。
途中の廊下。トウジは困った顔をしながら、ミライに向けて問いかけた。
「ミライさん……」
「私は悪くないぞ。先に喧嘩を売ってきたのはあっちだ」
彼が何を言いたいか察し、ミライは即座に言い訳した。
「いや、それはまあいいけど……。というか、俺は別に関係ないだろ、これ」
「先生方に言ってくれ。あと、私に関係あることは全て君にも関係ある」
不服そうな顔のトウジとともに、理事長室へと入る。
「《来たかね》」
部屋の中には、先ほど壇上で話をしていた教頭がいた。
ただし、教頭は無言だ。「SOUND ONLY」の文字列が表示された携帯端末を手に持ち、両腕でかかえている。
どうやら、学院理事長と通信を繋げているらしい。
二人が着席を促されると同時、他の教師たちはゆっくりと部屋の端に移動する。
「《直接顔を合わせられず申し訳ない。学院理事長、真稜マナブだ》」
「ああ、いえ。問題ありません。お大事になさってください」
「《感謝する。――単刀直入に聞くが、君は何者だ?》」
流石に、強化学院のトップ。話が早かった。
「《不知火教員からは、そこの竜胆くんの家族だと聞いている。しかし、武装も持たずにそこの御剣セツナくんと渡り合える強化者が竜胆家にいるなど聞いたことがない。何も尋問しようというわけではないが、出来る限り答えてほしい》」
理事長の問いかけに対し、ミライは真顔で目を瞑り、黙考する。
肉体操作で表情筋を固定しているので顔は冷静だが、内心は結構焦っていた。彼女がなかなか答えないのを見て、トウジが代わりに口を開く。
「えっと、この人は竜胆ミライ――」
「林道ミクです。どうぞよろしく」
「は?」
「生まれは
突如として別の名前を名乗り出したミライに、ぱちくりと目を見開くトウジ。
もちろん、生まれや実家の家業
本当は竜胆ミライという名前の戸籍があれば一番よかったのだが、流石にそれほどちょうどいい戸籍は裏の紹介屋にもなかったのだ。
「《しかし、土下京の辺りは十数年前に立て続けに
「はい。それからはずっと土下京の避難所で救助を待ってました。戦い方に関しては、一緒に被害にあった空手家に教わって。で、その空手家が死んだのを機に、どうにか土下京から脱出して、半月ほど前に火右京市に来ました。今は竜胆少年の家に間借りして、能力の指導をしています」
トウジが「えー……?」という顔でミライの方を見る。携帯端末を抱える教頭も少し渋い顔をしていた。
ミライとて、この嘘がかなり厳しいことは分かっている。無数の
だが、身元を尋ねられた時の言い訳に関してはミライもまだ考え中だったのだ。先ほど慌てて考えていなかった部分を詰めたので、強引なところがあるのは仕方がない。
「へー、お姉さんとちょっと似てるね。わたし、ちっちゃい頃は危険区域住んでたもん。その後は御剣家の養子にもらわれたけど」
思わぬところから援護が飛んだ。
新たに理事長室に入ってきたのは、白いダッフルコートの女、御剣セツナだった。
「……っ」
立ち上がり、警戒。いつ攻撃が来てもいいように身構える。
流石に、仮想空間の外で暴れるほど見境無しではないだろうが、それでもこの御剣セツナはそもそもミライの知る歴史に存在しなかった女だ。本人にしか理解できない理由で、何か突拍子もないことをしてきても不思議ではない。
ミライは、ポケットの上から強化解除金属が使われたナイフを確かめる。
このナイフの存在は、まだセツナには知られていない。その点においてミライは有利だが、相手だってSランク強化者が与えられる継承武装をまだ見せていない。
相討ち覚悟なら殺せる自信はあるが、相手が手の内を見せ切っていないこの状況ではさしものミライも分が悪い。
「…………」
トウジに危険だと目配せし、自分の背中に彼を隠そうとする。
「…………」
それを拒み、ミライが何を考えているのかわからないなりに、彼女をこそ自分の背中に隠そうとするトウジ。
二人が無言で腕の引っ張り合いをする中、セツナはミライの向かいの椅子にどかりと座った。
そして、身にまとっていた白いダッフルコートを脱ぎ、首筋を手団扇で扇ぐ。
「ていうかさ、
「《……無理なスケジュールを強いたことは謝罪しよう。だが、そちらこそ先の暴力的なパフォーマンスはどういうつもりかね》」
「つい一週間前に観覧車で轢き潰されそうになった学院の生徒があんなに呑気してるのは問題でしょ? 新任教師として危機感を教えただけ」
「《だが、それでも君のやり方は――》」
「素直に言いなよ、理事長先生。後進の指導とかまどろっこしい言い訳してないでさ。『強化学院だけじゃ狂教会相手に太刀打ちできない可能性があるから、Sランクに助けて欲しい』って。上の
氷のように冷たい視線で、「SOUND ONLY」の文字をにらむセツナ。人も射殺しそうな銀の双眸に、室内の人間たちが身構える。
それは、先ほどミライと戦っていた時の彼女からは想像出来ない表情だった。どうにもおちゃらけた匂いしかしない彼女だが、やろうと思えばシリアスな顔も出来るらしい。
「(なんか、俺たちもう帰ってもいいんじゃないか?)」
「(そうだな。ひとまず出とくか)」
冷静なトウジに言われ、気配を殺して席を立つ。
周囲の人間は苛立ったセツナの迫力に威圧されており、二人に注意を払う余裕が無い。他者から見ても、暴れた時にミライよりセツナの方が危険であるのは明らかである。
唯一、風紀委員の少女だけは特に気圧された様子もなく、ミライたちが部屋を出ていこうとしているのを見ていたが、真面目に仕事をする気が無いのか咎めることはしなかった。
ミライは風紀委員の少女にぺこりと頭を下げて歩いていく。
出来ればもっと御剣セツナの正体について探りたかったところだが、このままでは何やら面倒な話に巻き込まれそうだ。ミライが知りたいのは御剣セツナがどうして過去の世界に突如現れたかであって、Sランク第一位のお仕事事情ではない。
今のところは退いておこうと、トウジを連れて部屋の扉へと向かう。背後では、未だに、セツナと理事長の話が続いている。
「《……対異能者戦闘のための指導が早急に必要だというのは、事実だ》」
「こっちだって何も、強化学院を守りたくないってわけじゃないんだよ? ただ、お姉さんが教師なんてやったら、教える側も教わる側も不幸になるってだけ。その辺の融通効かせてくれたら、私よりよっぽど対異能者戦闘の講師に向いてる人だって紹介できるのに」
そして、突如。
室内にいる人間の視線が、一斉にミライへ向いた。
「……あん?」
視線を感じ、振り返る。
御剣セツナは、竜胆ミライを指差していた。
「
「はあ……? おい、待て。なんで私がそんな――」
「理事長先生、わたしへの依頼料って、月給でいくらだったっけ?」
パッ、と教頭の持つ携帯端末の画面が切り替わり、頭に¥マークのついた数字が表示される。
その額に、ミライは思わず目を見開いた。
「っ……!?」
「お姉さんのポケットマネーで更に上乗せしてもいいけど」
「じゃあ上乗せして――じゃないっ、アンタ、何のつもりだ?」
「別に何のつもりってわけでもないよ。お姉さんは休暇が欲しいから、代わりに教師してほしいってだけ」
「……教員免許なんて持ってないぞ」
「お姉さんだって持ってないよ。ここの正式名称は『国立強化者養成機関』であって、厳密には学校ってわけじゃないし」
「…………」
ミライはセツナをにらみながら考える。
(いや……この提案自体は、俺にとってはそう悪くはないけれど……)
今日のミライは、トウジがハヤトに何かされていないか心配して学院まで侵入してきた。
結局、それはミライの杞憂に終わったわけだが、トウジと一緒にいる時間が増えれば、そしてハヤトを監視する時間が増えれば、ハヤトが害意ある行動を起こした際にいち早く対応出来るようになる。
学院にいる間もトウジを鍛えることが出来るようになるかもしれないし、当然ながら金だって手に入る。今はタイムトラベラーとして社会的に孤立しているミライも、強化学院の教職員となれば社会的立場を得て色々と動きやすくなるだろう。
だが――
(こいつの、御剣セツナの狙いが読めない……)
御剣セツナがタイムトラベラー、あるいはそれに関わる人物であることは間違いないはずだ。正史には存在しない人間なのだから。
彼女の行動はその全てが過去改変を伴い、未来を変える可能性を持っている。
この提案にも、何か意味があると思われるのだが……。
(あるいは、本当にただ教師をやりたくないだけ……? 俺は御剣セツナが時間改変に関わると把握しているが、向こうはそうじゃないはずだ。俺が五年後の竜胆トウジであることを、あいつが把握しているとは限らない)
むむ、と悩むミライ。
そもそも、今の状況では御剣セツナが敵か味方かも分からないのだ。
先はひとまず相手の戦力を把握するため喧嘩を買ってみたが、この提案が、ミライを助けるものである可能性だってあり得る。
どう対処するにせよ、御剣セツナのことを調べなければならない。
「……いいだろう」
故に、ミライはそう答えた。
「ただし、交換条件がある。連絡先を教えろ。そして、休暇中だろうが何だろうが関係なく、私の呼び出しには応じてもらう」
ひとまずは、セツナとコンタクトを取ることだけを考える。
無論、リスクはある。だが、それを置いても情報は必要だ。
「全然大丈夫だよー。アドレスおしえてー」
拍子抜けするようなセツナの返答。
あるいは向こうも、こちらとコンタクトは取るつもりでいたのだろうか。
「理事長先生も、それで良い? 嫌っていうなら学院とは没交渉。世界に名だたる強化学院の面子にかけて、勝手に対処してればいい。観覧車が突っ込んで来ても放置するから」
「《……生徒の安全が守られるなら、否やは無い》」
結局、そういうことになった。
その後に学院を交えた諸々の面倒な話し合いがあったものの、セツナの後押し(ゴリ押しと言ってもいい)によって交渉はテンポ良く進む。
理事長室を出た頃には、既に昼過ぎになっていた。トウジとともに食堂へ向かう。
ふと隣を見れば、セツナも一緒に食堂へと向かっていた。
「ね、林道さん」
「…………」
「林道さん?」
「……? ああ、私か」
彼女の問いかけに、ミライは頭を掻きながら答える。偽名が増えて混乱しそうだった。
「……色々あって竜胆ミライって名乗ってるから、そっちで呼んでくれ」
「じゃあ竜胆さん。今日ね、連絡先交換してくれてありがとうね」
邪気のない笑みがあった。セツナが裏で何を考えているのか必死に考えていたミライはその表情に一瞬困惑する。
「それで――勝負の前に『何者だ』とか聞いてたけど、あれなんだったの? お姉さんのこと知らなかった? 結構有名なつもりだったんだけどなぁ」
どう答えるか悩むミライ。
その間に、セツナは勝手に口を開き始める。
「まあ、ずっと危険区域にいたなら仕方ないのかな。お姉さんがSランクになってからは結構いろんな危険区域制圧してきたけど、残ってるとこには普通に残ってるし」
さらりと言っているが、危険区域の制圧というのはかなりの成果だ。本来なら何人もの強化者が、数年かけて行うものである。
確かにセツナの
「やっぱり基本的に一人で動くしかないのが厳しいんだよね。背中を任せられる人がいないから、必要以上に慎重に動かなきゃいけなくて」
「……そうか」
ひとまずそう答えるミライ。何と答えればいいか上手く分からない。
どうにも、この女性を相手にすると調子が狂わされている気がする。顔立ちがミライの好みであるためだろうか。これが黒髪で、もう少し胸が大きければ陥落していたかもしれない。
(いや、しっかりしろ俺……。こいつは敵か味方かも分からない正体不明の危険人物だぞ……)
雑念を振り払う。いい歳した大人が、こんな、見ず知らずの、今日初めて会った女に魅入られてどうする。思春期真っ盛りの男子高校生でもあるまいし。
そんなミライに、セツナは言う。
「でもさ、竜胆さんなら、お姉さんのサポートできるんじゃないかなーって思うんだけど、どう?」
「無理だろ。Fランクだぞ、私は」
「えっ、そうなの?」
ぱちくりと目を瞬かせるセツナ。なんとも意外そうな表情。
「…………」
悔しさが、杭のようにミライの胸を打つ。思わず奥歯を噛み締めた。
「そっかー。
「……ああ。だから無理だ。Sランク様の戦いになんてついていけない」
「うーん。でもさ、お姉さんは思うんだよね。勝手な直感なんだけど、きっと――」
次の言葉を、ミライは放たられる前に知った。
古い古い、
「
――ざり、と、意識が掠れた。
脳の奥で、記憶が揺れた。
真夏日、どこまでも青い空、八月十七日、令成十年、強化学院に向かう途中の川沿いの道、『ホンットごめんね! こらハヤト、ちゃんと謝るの!』、ボロボロの御剣ハヤト、無理矢理頭を下げさせられている、しきりに謝る年上のお姉さん、夏に似合わない白さ、気にしていないと答える自分、けれど弱気な言葉をぽつりと漏らす、そして――
「――ミライさん?」
はっと意識を取り戻した。
時間が現在に帰ってきた――現在?
横を見ると、自分がいる。
竜胆トウジが、心配そうにこちらを見ている。
「どうしたんだ?」
「……? 何が?」
「いや、急に立ち止まったから、気になって。何かぼーっとしてたし」
「ぼーっとしてた……? 俺――私が?」
困惑するミライ。
けれど、言われてみれば、確かに。何か思い出したような気がした。
何だったか。
思い出せない。
「……?」
存在していない記憶。
「そういえば、その子は? 竜胆さんの家族?」
「ん、ああ……。弟みたいなもんだ。一緒に住んで、色々と鍛えてる」
「へー、この子もなんかこう、強くなりそうだねー。さっきの仮想空間でも、思ったより避けた子多かったし」
セツナがほわほわとした声でそんなことを言う。
気のせいか、と思い直して歩き出す。
「私にも弟いるんだけどさ、二週間前に数時間だけこの街来てみたら、なんかボロボロになってて――っと」
セツナの持つ、特製の通信端末が着信音を鳴らした。
「あー、もう。休暇前から休暇後の話だよ。ごめんね、先に食堂行ってて」
「別に一緒に食べるつもりでもないんだが……。ハヤトでも勝手に誘えばいいだろ」
「むぅ。そんな寂しいこと言わなくてもいいじゃん。ハヤトのやつ、ここ数年全然構ってくれないし――っていうかハヤトのこと知ってたの? 知り合い?」
「こないだ少年……竜胆トウジっていうんだが、こいつを殴ってたから私がボコボコにした」
「あらー」
セツナがそう答えるのを聞きながら、ミライはトウジとともに食堂への廊下を歩いていく。
徐々に離れていく、両者の距離。
「それにしても久しぶりだな、ここの食堂で飯食うの」
「ミライさん、強化学院に来たことあったのか?」
「いや、通ってた」
「え? でも、さっきずっと危険区域で生活してたって」
「あんなの嘘に決まってんだろ」
「じゃあ――」
話す声も、少しずつ遠ざかっていく。
ただ、着信音だけが鳴る廊下。
セツナは、心底鬱陶しそうに通信端末を手に取り、通話ボタンを押した。
「はーい、御剣でーす……。また休暇明けの予定追加されたの? された? そう……。で、内容は? ふーん、危険区域での護衛任務ね。
・まとめ
国内最古の原子時計
人間の存在を抹消する力を持った
それはそれとして、ゆぬ(水霞)さんからファンアートをいただきました!
【挿絵表示】
あぐらかいたミライさん! かわいい! えっち! この格好でいたいけな男子高校生にベタベタしてる! 青少年のなんかが大変!