重桜指揮官、アズールレーンの捕虜生活 作:まったりばーん
あぐらになった俺の膝の間に足を投げ出して収まるエセックス。
そんな彼女の髪を手に持つクシで掻き分ける。
サラサラとシルクの様に真っ直ぐ伸びるエセックスの髪の毛は痛みも枝毛も見当たらない。
彼女の不断の手入れを伺わせた。
豆な性格な彼女の妹、シャングリラの努力かもしれないが…
海に出る事の多い艦船は潮風で頭髪を痛めがちだ。
しかし、目の前の空色の髪にはそんな感じは一切ない。
髪から溢れるシャンプーの薫りとエセックスの体臭が混ざりあって浴室を満たすが、不思議と嫌な気分にはならなかった。
先程の会話が中断された事で二人の間に無言の時間が流れるが、俺は腕を動かすのを辞めない。
一心不乱に手を上下させ、彼女の髪の手入れをする。
そろどころか、いつの間にか彼女の肌触りの良い髪の束を楽しんでいる自分がいた。
それ位、エセックスの髪の毛は素晴らしかった。
サラサラとしていて、それでいて長くて…できれば可能な限りこの髪を触っていたい。
俺の回りを取り囲む敵意から逃避する様に、そう思わずにはいられなかった。
「…随分と面白い事をしているな」
だが次の瞬間、俺のクシを動かす手は止まる。
ここにいる筈のない空母の声は、俺の思考を圧するのに充分過ぎるプレッシャーを帯びていた。
「先輩…?」
上ずったエセックスの声。
俺達二人の眼前には今、洗面所に足を踏み入れたばかりのエンタープライズがいた。
お馴染みのセーラー服調の制服に白い軍帽を目深に被った彼女。
その姿は一見、普段とは変わらぬ佇まい。
だがその声には抑揚を一切感じない。
それはエンタープライズが本気で怒っている時の特徴である。
それを察っしてか俺の脚の間のエセックスも猫の様に小さくなる。
そんな気がした。
「優秀な後輩二人を見つけて、戦場はその姉妹二人にまかせて帰宅できたと思ったら…随分と面白い事をやっているな?エセックス?」
「せっ先輩、違うんです…これは!」
「何が違うんだ?エセックス?昨日、散々罵倒した男の脚の間に挟まって、まるで飼い猫みたいに毛繕いされているこの状況の何が違うんだ?」
エンタープライズの射ぬく様な冷たい視線。
エセックスを見下す彼女はまるで小学生を叱る教師を連想させる。
「そのっ…昨日のあの場では皆さんがいる手前、ユニオンの旗を背負う物として…指揮官にあの様な態度をとってしまったんですが、本当は私も指揮官の事を歓迎していて…」
「旗を背負う?それでは昨日のエセックスの態度がまるでユニオンの総意みたいじゃないか?そんな事はないだろ?誰がいつ指揮官の事を拒絶したんだ?」
「そっそれは…」
「昨日、エセックス、が指揮官の事を拒絶したんだろう?発言には責任を持つべきだ。違うか?」
「あぅ…」
先輩の張る言葉の弾幕に萎縮するエセックス。
エンタープライズの言葉のラッシュに何も言い返せない。
見ていて少し可哀想だった。
「ではユニオンの旗を背負っている空母が、亡命したとはいえ敵陣営の男にデカイ猫みたいにじゃれあっているのは情けない…そうは思わないか?」
「…」
容赦なく降り注ぐ言葉のシャワーに空色の空母は沈黙せざるおえない。
「私が言いたい事、解るな?エセックス?」
「…はい、解りました。」
エセックスはそう言うと立ち上がり、自分の服を手にとって洗面所から出て行った。
急に俺の膝が寂しくなる。
そしてそのままエセックスは廊下を抜け、この家から出て行ったのが玄関の鍵の音で解った。
「ただいまだ、指揮官。」
そして鍵の閉まる音がするとすぐに、俺の脚の空いたスペースに、先程のエセックスと同じ様にエンタープライズは腰を下ろした。
目の前に拡がる光景が空色の髪から銀色の髪に変わる。
「敵陣営の男にデカイ猫みたいにじゃれあうのは情けなんじゃなかったか?」
「うん?私は貴方の為なら猫にでもなれるぞ?にゃー」
俺の突っ込みに右手を猫の手の様に挙げ、そう言うエンタープライズ。
随分と大きな銀猫だ。
「…エセックスが少し可哀想じゃないか?」
俺がエセックスの事を擁護するとエンタープライズは目を丸くする。
「にゃー…まさか貴方からそんな言葉が出てくるとは」
「まぁ、確かに彼女とは昨日、色々あった。…が、エセックスだって求められてる役割がある。ユニオンから求められる本心とは別の…だからあんなに言うのは少し可哀想だ。」
「…まぁ、確かに私も貴方を本心とは別にここに縛り付けているな」
彼女は顎に指を当て独り言る。
因みににゃーは付いてない。
猫に成りきるのはもう飽きたらしい。
「自覚あるのかお前」
「あぁ、自覚はある。でも、悪いとは思わない。欲しい物は奪え…違うか?」
「…それは力がある奴だから言える事だ。」
「そうだ。私には力がある。貴方を手に入れる…その為に力を付けた。柄にもなく政治に口を出してな、だけど私にそうさせたのは貴方だ。私のこの胸に抱く感情、まさか知らない訳ではないだろう?」
俺の膝に収まるエンタープライズは顔をこちらに向け、目を合わせてきた。
その瞳には熱があった。
彼女の言わんとしてる事は解る。
「どういう意味だ?」
だが、俺は解っていてはぐらかす。
そうするしかできない。
「私も数年前と違って純粋無知ではない。貴方がどういう人間かも貴方が去った後で気づいた。それでも私は貴方が好きだ。貴方にその気が無いのは知っていた。でも、これは私の初恋だ。成就させない訳にはいかないんだ。」
膝上で告白するエンタープライズ。
だが、それは愛の告白というより独白に近い。
俺の答えなど求めてはない。
自分の心に貯まった鬱憤を吐き出すような、そんな独白だ。
「悪いがエンタープライズ…キミの気持ちには応えられない」
「あぁ、知っている。あの時は知らなかったが今は解る。できればその言葉、あの時に聞きたかった。そしたら諦めもついたのに…教えてくれ、指揮官…どうしてあの時、私の叶わぬ恋に気づいていながら私に優しくし続けたんだ?どうして、どうして…私の事を拒絶してくれなかった!」
エンタープライズはこの段になって初めて感情を発露した。
昨日からずっと張り付けていたポーカーフェイスを破り、眼にはうっすらと光る物。
「…すまない」
俺は小さな声で謝罪する。
それと同時に彼女の顔にある二つのダムも決壊した。
数年前、彼女の叶わぬ恋を知っていながらそれを利用したのは他でもない俺だ。
エンタープライズを含めた艦船達の好意をうっすらと感じながら俺はそれを曖昧なままにしていた。
理由は単純。
だって、俺に好意を抱いている艦船ならどんな困難な命令も聞いてくれるから…。
それどころか俺に認められる為に戦果を上げようと、より一層の努力を自発的にしてくれるのだ。
艦船とは感情を持った兵器。
通常の兵器とは同列には扱えないが、逆を言えばその感情を上手くコントロールできれば期待以上の力を発揮する。
幸い艦船達は産まれ落ちてから日が浅く、人間としての精神はその見た目よりも遥かに幼い。
だからそんな感情経験未熟な彼女達に少しでも優しく接すれば、鳥の刷り込みの如くすぐに人に好意を抱く様になる。
そして、俺は彼女達を他のどの指揮官よりも上手く運用し、セイレーンを打ち倒したのだ。
彼女達の心の隙間に入り込み勝利の為、彼女達の俺に向ける好意を利用した。
自分でも許されない事をしているとは自覚していた。
でも仕方ないじゃないか、セイレーンを倒すにはそれしかなかったんだから。
心のどこかで逃げ切れる…そう思っていた。
だから重桜の脱退を機に俺はひとまずアズールレーンから逃げた。
その後で重桜の艦船からも彼女と一緒に逃げるつもりだったが…戦争が始まったのは予想外だった。
「…すまない」
俺はもう一度そう言うと、泣きじゃくるエンタープライズを抱き締める。
「許さないぞ、指揮官」
彼女の嗚咽混じりのその言葉。
どう受け止めればいいのだろう。
──
「ふむ…」
老艦三笠は手元の書面を見てそんな事を呟いた。
テーブルを挟んで向かいにいるのは今回の交渉相手。
ユニオンと同じく現下、戦争中である敵陣営ロイヤル。
丁度、昨日ロイヤル側からコンタクトがあり中立地帯にて話合いが持たれたのだ。
交渉役としてロイヤル通である三笠が全権を委任されこの席についている。
「この条件は本当か?」
三笠は老眼鏡を外すとロイヤル側の交渉役を睨み付ける。
「はい、重桜側がその条件を認めてくれるのなら我々は今回の戦いから身を引きます…無論、鉄血との戦いは継続しますが今後、一切、重桜には手を出しません。それが陛下のお気持ちです。」
銀髪の給仕服をきたロイヤルのKANSENはビックネームを口にした
陛下…、それはKANSENながら、ロイヤルの統治者であるクイーンエリザベスを表す。
クイーンエリザベスが今回の条件を提示したのなら、いくら三枚舌と言われるロイヤルでもこの約束は守るだろう。
書面にもちゃんと彼女の発行した事を保証する刻印が刻まれていた。
三笠はその頭脳で算盤を弾く──
重桜がユニオンと戦争状態に突入した後、なし崩し的にアズールレーンの構成陣営であるロイヤルとも交戦状態に陥った。
その為、現在、重桜はユニオン、ロイヤルの両陣営と二正面で戦争を続けている。
そして、それが重桜が押されている原因の一つでもあった。
(だが、もしロイヤルがその戦争から抜けたら?)
現在、ロイヤルに割いている戦力を、一気にユニオン方面へと投入する事ができるだろう。
例えそれでもユニオンに打ち勝つには足りないが、今の絶望的な戦況を建て直しなんとか休戦にまでは持ち込めるかもしれない。
いや、そうでなくても確実に敗戦までの時間は伸びる。
それだけでも価値は十二分にあった。
しかし、それには二つの懸念がある。
「重桜としてはありがたい…だが、貴殿達はユニオンを裏切ろうとしている?報復の可能性はないのか?」
「確かにユニオンは今回の件を知れば怒り猛るでしょう。特にあのエンタープライズは…しかし、重桜がそうであるように、二つの戦線で戦争をする恐ろしさを彼女達は知っている。なのでその報復を受ける時は少なくとも貴女達重桜がこの地図から消えた後になるでしょう。それまでには我々も鉄血を片付けている自信があります。ご心配には及びません。」
若干、重桜を貶す様な物言いをするロイヤルメイドに三笠は不快感を覚えた。
しかし、この交渉、どう考えてもロイヤル側の方が上。
三笠はポーカーフェイスを崩さずもう一つの懸念を声に出した。
「…解った。繰り返す様になるが、重桜としても今回の貴殿達からの提案は大変ありがたい。だが、もう一つ問題がある。ロイヤルもご存知の通り、仮にこれを我が承諾したとしても…現在、我々は支払うべき対価を持ち合わせていないし、後払いにしようにも用意できる算段がない。それはどうする?」
「それは我々も承知しています。だからこそ、このタイミングで交渉の場をご提案させて頂きました。問題ありません。重桜が支払うべき対価は我等ロイヤルが自分自身の手で掴み取ります。既に二名ほどユニオンに派遣しました。ですから、ミズ・ミカサ、貴女はこの書類にサインするだけでいいのです。」
ロイヤル側の代表者の返答に三笠は再び書面に目を落とす。
(今回の交渉役、我が選ばれてよかった…これがもし赤城なら交渉どころではない…)
頭の中でそう考える三笠。
無論、彼女とてできればこの対価は支払いたくはない。
だが、この対価と陣営の存亡とを天秤で図れぬ彼女でもない。
だからこそ、この交渉役を任されたのだ。
それに今は手元にない対価でロイヤルとの休戦を実現できるなら、実質、何の譲歩もなしに状況を有利にできるのと同じ事。
かかる労力も彼女がペンを走らせる僅かなカロリーだけだ。
「解った。提案を受け入れよう。ペンを!」
三笠は横に座る護衛兼秘書の比叡にそう言った。
「しかし、三笠様…!」
だが隣に鎮座する比叡は三笠程、大人になれないらしい。
三笠の想定通りペンを出し渋る。
「我は今回の全権を上から委任されている…。」
小さな声でそう呟き、流し目で比叡を睨む三笠。
その視線から殺気を感じとった比叡は渋々、鞄からサイン用のペンを取り出した。
比叡から半ばひったくる様に奪い取ったペンで彼女は書類にペンを走らせる。
「懸命な判断、尊重します。ミズ・ミカサ。」
複数の書類にサインを記す三笠にそう、声をかける銀髪のメイド。
その顔には隠しきれない勝利の余韻が見てとれた。
「我とて、算盤が弾けなくなった程老いてはおらぬ。そちらのオールドレディと同じ様にな…。」
明らかな挑発にかまう事なく三笠はペンを走らせる手を止めない。
一枚、一枚書き損じる事なく綴りつづける。
「ミズ・ミカサ…もし貴女が望むのでしたら貴女一人分なら、ロイヤルにお席をご用意してあります。」
だが、ここでロイヤルの代表が発した一声に老艦の手は一瞬止まった。
「…いや遠慮しておく、我には重桜にて今回の件の責任を取る義務がある。」
しかし、すぐに何事も無かったかの様に手の動きを再開する。
「…そうですか、それは残念です。」
「できたぞ」
「ありがとうございます。」
三笠がサインを終えた書類、数枚を手に取るベルファスト。
確認の為に目を通す最中、彼女はある事に気がついた。
「失礼ですが、ミス・ミカサ…前はもう少し達筆ではなかったですか?」
書面に書き記された三笠のサイン。
どれもグチャグチャで線がぶれていた。
老齢ながら達筆な字。
アズールレーン時代、ベルファストは幾度となく三笠の筆跡を目にしている。
「問題あるか?」
「…いえ、判読が可能ですので問題はありません。」
「我も歳をとったかな…それにこの前、負傷して、左腕を取り換えたばかりなんだ。」
黒髪の老艦は寂しそうにペンを置いた。