白衣を着た男、よく分からん衣服に身を包んだ緑髪の男、イタリアンな風貌の男? 、黒い僧衣に身を包んだ男がいた。
大学にある最も大きな講義室を僅か四人で占領し、黒板に何かを記すこともノートに何かを書く様子もない。ただ何かを語る白衣の男の言葉に耳を傾け、各々に反応しているだけだ。
──曰く、全ての命には与えられた価値がある。
全ての命には果たすべき役割があり、果たすべき使命がある。それは産み、作り、育み、壊し、進むことだけでは無い。誰かが誰かに何かをすることにも、与えることにも、愛することにも。
一見して価値なんてまるでなくとも、そこには確かに変え難い命の価値があるのだという。
臥藤門司はそれを受け入れ、更に己の道を進まんと奮起した。
妙漣寺鴉郎はそれを認め、あらゆる命の価値を肯定した。
坂上真人はそれを否定し、今も自分の価値を探している。
───曰く、人生とは旅である。
人生とは順境と逆境を繰り返しながら未明の荒野を彷徨い歩くものであり、その果てに辿り着く地で答えを得る。順境は友を作り、逆境は友を試す。出会い別れ、肯定して否定して、右往左往しながらも歩き続ける苦難の道程こそが人の一生であるといえる。
臥藤門司はそれを肯定し、だからこそ救いを探さねばと断言した。
妙漣寺鴉朗郎それを肯定し、しかし諦観を抱いていた。
坂上真人はそれを肯定し、その上でくだらないと吐き捨てた。
───曰く、運命とは残酷である。
運命とは人に見えぬ道標、全ての命に敷かれた旅路。誰が決めたのか、何が定めたのかすら分からぬ不明の道筋。しかして多くのものがこの通りに歩を進め、その果てに決められた末路を辿る。仮にそうだとして、お前たちはいかなる思いを抱くのか。
臥藤門司は怒りを抱いた。
妙漣寺鴉郎は諦めた。
坂上真人は▪️▪️した。
懐かしい夢だと思う。結局、この後も人の生涯だの命の意味だのについて語られ、所感と意見を述べさせられることの繰り返しだったはずだ。講義時間の全てをそうやって過ごし、終盤になると白熱し始めた門司が色々と熱意を持って語りだし、妙蓮寺が窘めていたように思う。俺は俺で教授と訳の分からん問答を毎回のように行い、横槍を入れてくる門司とたまに衝突していた。
もはや懐かしい、一年前の光景だ。
『坂上くん、もしも君の目の前に押せば幸せになれるボタンがあったとしよう。押せば間違いなくこれから先の将来は満ち足りたものになるだろう。あらゆる罪、あらゆる後悔、あらゆる未練は残らない。君はこのボタンを押すかな?』
それになんと答えたのか、思い出せない。
『ああ、それでいい。実にボク好みの答えだ。まあボク好みの答えが出せる生徒しか受講させないから当たり前ではあるけどね』
それはそれで問題があるのでは? と思うが学内で絶大な権力を握っているらしい教授のことなので何かあっても握り潰すのだろう。そういえば魔術にも造詣があるらしいが何者なのだろうか。聖杯戦争についても知っているようだし、やはり謎が多い。そんなことを思っていると、音声が乱れ始める。
『───────────』
聞き取れていたはずの言葉が聞き取れない。聴覚がノイズだけを垂れ流す。
『─────、──?』
ノイズが奔る。視界が黒と白の線だけで構築された世界に変わる。黒い獣のような何かが映る。
『────、───────』
ノイズ。ノイズ。ノイズ。ノイズ。ノイズ。
雑音が消えない。視界が乱れている。記憶が混じっている。思考が捻れている。身体が壊れていく。世界がノイズに変わる。何もかもが分からなくなっていく。壊れて綻びて崩れていくなかで、たいせつなことを、──、だいじな、ひとを。────?
『そろそろ起きて、寝坊助さん?』
◆
見覚えのある天井だ。いや見たことが無い天井だ、なんて言う奴がいるのだろうか? いるなら見てみたいが、少し考えてみれば病院送りにされたら見た事がない天井かもしれない。まあ少なくとも今視界にあるこの天井は二週間泊まると言って入ったホテルの天井だろう。ビジネスじゃなくて普通の、というか冷静になるとそこそこいいお値段のホテルだ。ふかふかのベッドに寝ている幸福を噛み締めたい。
「至福……」
人肌の温もり、ふかふかのベッド、起床義務の消失。この三重の幸福を前にすれば人間の知性など容易く砕けて溶けるだろう。これは抗えぬ人類の性、人類の生みだした最大の過ちにほかならない。腕の中にあるさらさらでいい匂いがするものに顔を寄せると幸福度が上がる。頬ずりした時の感触もたまらん! たまらんが、ここから更に長々と語っても結局行き着くのは惰眠最高!! という結論なので二度寝でもしようかなと思ったところで、そういえば腕の中にある人肌の温もりとこの匂いの元ってなに? と気がついた。
チラッと見る。金色の髪と真っ赤な顔が見えた。
「………………」
「…………………………その、えっと」
「…………………………………………………………」
「……もっと、してもいいのよ?」
「今すぐ腹を切って詫びます」
布団を跳ね除けて飛び起きる。手頃な刃物は見当たらないのでカルナを呼んでとりあえず槍を借してくれとせがんで略奪する。では、さらば現世。後悔ばかりだったが存外悪くは無いものだったかもしれない。
「悲しかな 流石にこれは アウトです」
「む、腹切りは流石に止めさせてもらうぞ」
「そんなっ……!?」
「わたしはいつでもウェルカムだしね……」
槍を取り上げられて背後から愛歌に抱きつかれ、そのまま後ろに引かれてベッドに倒される。あぁ、柔らかいしあったけぇと感動しつつ一周回ってようやく冷静になった頭で色々と思い出す。なんか色々頑張ってオジマンディアスの宝具の中で死に体になりながら勝った……? のだろう。たぶん勝った。なんか最後の辺りのアレが何だったのか分からないが、東京吹き飛ばす規模の一撃を相殺どころか正面から上回ったところまでは覚えている。
となると、問題はその後だ。
あれだけやって殺せてませんでした、では話にならない。恐らく宝具である神殿は吹き飛ばせただろうが、カルナたちがオジマンディアスの死を確認していなければ一段落とはいかない。仮に生きているなら今すぐ殺しに行かないといけないだろう。放置しておくのは選択肢としてありえない。
「案ずるな、マスター。ライダーの死はオレが確かに見送った」
「……そっか。それならいいんだ、ありがとう」
あのまま死んだなら、まあいいだろう。中指立てて見送れなかったのが残念だが、それはセイバーに取っておこう。うっかり巻き込まれて死んでないかなと淡い期待を抱くが、察したカルナが首を振ったので溜め息を吐いて愛歌を抱き寄せる。
──やはり、年不相応に小さな身体だ。本気でやればこのまま圧死させることすら出来そうなほど。微笑みながら身体を寄せる姿は愛らしい。あまりにも彼女は可憐で、無垢に過ぎる。
「ねぇ真人、身体はどこかおかしくない? あの蒼い光は救世主としての権能の断片でしょう? こう、痛いところとか変な感じがするところがあったら直ぐに教えてね?」
「ああ、大丈夫。……俺は大丈夫だよ」
救世主。思考を塗りつぶすような靄、馬鹿みたいな出力と肉体性能。自意識が吹き飛びかけるような感覚はないが、オジマンディアスと戦ってまた一つ近寄ったのだろう。世界が求める救世主。獣を討つ者。運命などという下らぬ首輪に繋がれた虜囚の末路。たぶん割と、完成まであと一歩とかそんなものだ。それまでにどう在るかを定義しきれなければ呑まれるだろう。あれはそういうものだ。
なんとなく怖くなって抱き寄せる腕に力を篭める。暖かいと感じられる。まだ肉体ではなく心が人としてあれる。自分が自分で無くなる感覚の中でも、この子のことを思えばきっと耐えられる。自分という個我を守りきれる。──必ず、未来に送り届けるのだ。何を引き換えにしても必ず、沙条愛歌を彼女が笑っていられる未来に送る。それを強く、固く胸に刻む。この命だけが、坂上真人が坂上真人であった証明だから。
「よし、充電完了。作戦会議しようか」
「……ふぇ?」
「承知した。ではアーチャーについての報告から始めさせてもらおう」
愛歌を放して身体を起こす。目を向けた先の埋込み型の時計の日付は最後に見たものから三日経過しているため、かつてないほど凝り固まった身体の節々の原因を察した。このまま身体を解しながらにしようと提案し、とりあえず各所の伸びから解しを始める。とんでもない凝り方しててちょっと痛い。
「アーチャーとそのマスターはこの聖杯戦争を勝ち抜くと決めたらしい。目覚めて問題がなければ連絡を、との事だ」
「おーけー、あとで連絡する」
「次にセイバーとキャスターは同盟を継続。現在はアサシンを捜索しているようだ。ああ、こちらも藤丸立香からもう一度話をしたいとの申し出を受けている」
「話し合いから殺し合いになりそうだな」
今回の特異点に関する事柄で妥協は互いにありえない。こちらは聖杯で願いを叶えなくてはならないし、あちらは俺にだけは願いを叶えさせてはいけない。俺が完全に覚醒してもカルデアはダメで、聖杯を使われてもダメだと話し合えば自ずと悟る。きっとその時が終わりなのだろうという確信めいた予感があった。
カルナも理解しているのだろう。頷いて話を続ける。
「マスターが藤丸立香と向き合えば最後だ。聖杯戦争は終わりに向けて加速するだろう。……ライダーとの戦いで少々引っ張られすぎたな」
「……まあ、それならアサシン殺してからでいいな。あれが生きてると事故が怖い」
「それがいいだろう。肉体と精神の剥離を修正してからでも遅くはない。その様子だとまともに動けるまで二日といったところか? 調整には付き合おう」
「んー、一日でなんとかしたいけど厳しそうかなぁ」
手を動かす度に数センチ単位でズレが出ているし、調整しながら動かしてみれば今度は手に力が入り過ぎている。たぶん魔術回路を常時回転させた昨日までの身体能力を超えているので、戦闘時にどこまで性能が上がるのも確かめる必要があるだろう。試しに手を伸ばしてカップを手に取れば、特に抵抗もなく壊れてしまった。
「やべっ……」
「はい修復修復。手先の調整は急務ね、それ」
「魔術の有難みを感じる」
粉々になったカップの取っ手を瞬く間に修復した愛歌の魔術に割と真面目に感動した。壊したら弁償しなくてはならないと思うので、そんな値段もしないとはいえ出費を抑えられたのはありがたい。ついでに閃いたのだが、もしかして壊れたものって大体魔術で直せたりするのではなかろうか。ストーブとかエアコンとか直せたら超便利な上にお財布に優しいと思うのだが如何に。
「そんなに便利じゃないのよね」
「無念……」
もう一回つまもうとして取っ手を粉々にして修復してもらい、効率悪い気がしてきたので一旦やめる。手を開いて閉じる動作を繰り返しながらどれくらい力んでいるかを確かめることにした。開く、閉じる、開く、閉じる。そうやって何度も確かめ、途中で何となく正拳突きしてみることにした。腰を落として腕を引き、突き出す。
なんか凄い風を切る音が出た。ついでに発生した余波で布団が飛んで愛歌が埋もれた。
「……マジか」
「びっくりしたぁ……」
「なるほど、見立てを訂正しよう。どうやら無意識に肉体が戦闘態勢に入っているらしい。それさえ抜ければ直ぐに慣れるだろう」
「どうすればいいんですかカルナせんせー」
こいつが見立て間違えるとかあるんだな、と驚いたのを抑えて問いかける。何となく嫌な予感がするのだが、気の所為だと思いたい。だからそんなジリジリ近寄ってこないで欲しい。こう、いい感じに拳握ってるのはなんなんだ。
「パラシュラーマ師はかつてこう言った」
「待てやめろその続きはダメだと俺の中の何かがそう言っている──!」
「寝れば治るから殴られろ、と」
「絶対頭おかしいだろぉ!!」
叫んだ瞬間に鳩尾に拳が突き刺さって中身を吐き出しそうになるのを我慢する。我慢するが、猛烈な痛みと内側に流し込まれた魔力に意識が薄れていく。
「ぅ、のうきん、が……」
「許せ、荒療治の自覚はある。だがお前は今一度夢に落ち、知るべきものを知るべきだ。休息はその後に取っておくといい」
意識が遠のく。ベッドに向けて引き倒される感触を最後に、夢の中に落ちていく。
暗い穴の底へと落ちるように。聞き慣れた誰かの声を聞きながら、昏い夢の中へと沈んでいく。