え、もう6月末なんですか……?
炎上し、崩壊する東京に鏃の雨が降る。数えることなど不可能なほどの鏃は雨と呼ぶに相応しく、その一つ一つが頑強なビルを砕くほどの威力を秘めている。故に、それをただの攻撃手段とするアーチャーはもはや災害に等しい存在だ。ただの一矢がビルを砕き、山を抉り、大地を平す。
「中々やるな!」
だが、それだけの暴威を前にしても最優のサーヴァントは倒れない。彼は雨を払いながら大地を駆け、聖剣より放たれる輝きは暗闇を割いてアーチャーへと迫るほどだ。それだけで決着が付くことは無いが、サーヴァントとしての実力が飛び抜けた二騎の戦闘はとにかく派手であり、その全ての動作が崩壊していく東京の滅びを加速させている。
だが、開いた距離が詰められることはなく、ただじわじわと消耗を続けるだけの戦いだ。コップの水を流し続けるのと同じように、どちらのマスターも遠からず魔力が足りなくなるだろう。そうすればアーチャーのマスターが願いを叶えることは叶わず、セイバーのマスターもまた、聖杯の回収という目的を達成できない。それは互いに望まない結末だろう。
そして、魔力という面で有利なのはセイバーだ。燃費という面では決していいとは言えないが、彼のマスターはキャスターと契約しており、その結果としてマスター本人とは別の魔力供給が存在する。その差は非常に大きく、所詮一人の魔術師でしかないアーチャーのマスターでは埋め難いものだ。故に、先に打って出るのはアーチャーである。膠着した現状を打破するべく行動を起こさなくてはならないのはアーチャーであり、セイバーはその時まで耐え凌げばそれでいい。
とはいえ、それも容易い行為ではない。
鏃の雨によって発生する瓦礫の群れを足場に跳び、四方八方から迫る致死のそれを打ち払う。足を止めれば迫る確実な死を前に臆することは許されず、僅かな誤差は弓兵の卓越した技量により死を招く切っ掛けとなるだろう。時に瓦礫を足場に空を跳び、時に鏃の雨を掻い潜りながら大地を駆ける。黄金の残光が夜闇を照らし、時折斬撃として放たれるそれも鏃によって散らされる。
これは正しく超一級の英霊同士の争い。ただ戦うだけで地形を変え、多くの命を奪う頂上の争いだった。一つの物語において最高の位にある二体は互いが全力を出し尽くしていないまでも本気であることは理解していた。同時に全力を出せば最後、相打つ結末になるであろう事もまた。
「アーチャー、貴方は何故……!」
それ故に、セイバーにはアーチャーが理解できない。聖杯を求めるマスターに応え、本気で戦いながら全力ではない彼の姿に。千里を見通す瞳を持たない騎士王には、文字通りに千里を見通す弓兵の心中を見通すことはできない。もはや壊れ始めた揺籃の行く末も知らず、ただ時間を浪費する他にない。聖剣の解放も不可能ではないが、身を潜めるランサーを考えれば安易に使うことは出来ない。
衰えることの無い鏃の雨、鉄の暴風。永遠にも感じられる攻防を繰り返すこと千と少し。セイバーは確かに、東京の何処かでどす黒い何かの鼓動が鳴ったのを聴いた。物理的に音を拾った訳ではなく、確かな感覚として彼の第六感はそれを感じた。その根源は一度は打ち倒した獣の残り香か、或いは別の邪悪か。正体が定かではなくとも、セイバーはそれを許されざる邪悪であると即座に断じた。
そして、それこそがこの歪な特異点の元凶であることを、彼は直感で感じ取っている。有り得ざる気配に動揺を隠しきれないセイバーはふと、不気味な程に彼を足止めしようとするアーチャーの悲しみを湛えた目を見た。憐れむようで、悔いているようで、しかし確かな悲しみを宿した瞳はアーチャーの後ろに広がるビル群の彼方を見据えていた。
「貴方にも感じられたはずだ、アーチャー! 我々が為すべきことはここで争うことではなく、今生まれた邪悪を正すことだと!」
恐らく、ランサーのマスターは失敗した。沙条愛歌という悪をそのままに目覚めさせてしまったのだろう。かつて騎士王アーサーが聖杯戦争にて葬ったあの少女は、この世界でも悪と成り果てたのだと彼は思った。それを悲しいと思わない気持ちがないと言えば嘘になる。だが、そうなってしまったのならばお終いだ。目の前のアーチャーとて、その悪を見逃す道理はない。
「……悪いな、セイバー」
だが、返答はセイバーの期待したものでは無かった。言葉と共に放たれた鏃は一本。しかしこれまでのどれよりも重い一矢は、それを受け止めたセイバーの身体を大きく吹き飛ばした。何棟もの建物を突き抜け、ようやく止まった時にはサーヴァントであっても差し障りがないのが不思議なほどの距離を移動させられていた。姿は小さく、声だけが魔術によって伝わるだけの距離。
「たとえそれが悪であろうとも、今回のオレはあの坊主のファンなんでな」
それは、これから行うことが自らのマスターのための行為ではないと告げているようなものであり、紛れもない真実だ。アーチャーはこれから、自らのマスターの為ではなく、己の我欲の為にセイバーを射つ。
「なあ、セイバー。お前さん、聖杯の在り処を知ってるかい?」
「……」
「知ってるって顔をしてるぜ」
それがどうしたとセイバーが答える前に、アーチャーは矢を番える事もせずに口を開く。困ったように薄く笑いを浮かべ、戦意を欠片も纏わない姿にどうしようもない違和感を感じる。
「聖杯は東京の地下にある。だが、それは特定の地点の地下ってわけじゃあない」
「……まさか」
「聖杯は東京というテクスチャの下にある。だから、穴を掘るのはどこでもいいってわけだ」
直感で聖剣を解放する。十三の拘束を解放するまでいかずとも、せめてマスターを巻き込む事になることは避けなくてはならないと聖なる輝きを宿す。煌めく刃は真なる輝きを宿す段階になくとも超一級の神秘であり、確かにセイバーが望むだけの効果は得られるだろう。
だが、それだけだ。アーチャーは自らの意思を持って弓を引き、そのマスターは沙条愛歌に諭されたままに令呪を行使している。
莫大な魔力が収束する。並大抵ではないそれは、神王オジマンディアスの大電球すらも食い破りかねない極光となるだろう。偉大なる弓兵、アーラシュ・カマンガーの集大成。大陸を割いた一矢、命と引き換えに行使される奇跡の宝具。令呪により、矢を番える以外のあらゆる工程を無視して放たれるそれを回避するすべは無い。
「──墜ちろ、セイバー!!」
そうして、極光は放たれた。遠く離れたビルの屋上から、燃え盛る街並みの残骸へ。とても小さな極光だ。元々は鏃の一つ、ただの一矢。それが莫大な魔力の尾を引いてセイバーへと迫り、不可避の速度を持って聖剣と衝突する。セイバーは決して砕けることがないはずの聖剣が軋むのを感じながら、余波で周囲が崩壊していくのを感じる。
アーチャーはセイバーを仕留めるというよりも、聖杯のある地下に落とすことを目的としているような口ぶりだった。そうであっても気を抜けば一瞬で死に至るほどの一撃であり、セイバーは全力を以てそれに相対している。即死していないのは矢の目的が掘削であり、セイバーの殺害ではないからというだけだ。目的が殺害であれば、セイバーはマスターのいる方向に被害を散らさないことを意識する暇もなく死んでいただろう。
「たぶん今回がラストチャンスだ。あとは上手くやれよ、真人」
彼以外の誰もが彼の動機を知ることも無いままに、アーラシュ・カマンガーは消滅した。マスターとしての資格を喪失したエルザ・西条がこの東京から姿を消したことを知る者も誰もいない。炎上し、破滅という末路を迎えた閉じた世界に残るのは、僅かな人と英霊だけだ。
──アーチャーが消滅したことを感じながら、深い穴を落ちていく。暗がりの底の底。そこは地下というには深く、星の内海というには浅すぎる。かつての記憶に存在しない奈落を墜落していく。黄金の尾を引く姿は夜空に奔る星のようだった。マスターの姿はなく、魔力の供給は絶たれている。
隔離された空間に突入した感触から、絶命によるものではなく空間的な断絶であることを把握する。もしかすれば絶命によるものかもしれないが、藤丸立香にはあの花の魔術師がついている。己のマスターならば大丈夫だろうと彼は不安を振り払い、長い墜落の終わりを見据える。
灼熱にも似た気配。神々しい煌めきを捉え、聖剣を握る腕に力が篭もる。限界などとうに超えているが、悲鳴をあげる霊基を無視して着地に備える。相手の魔力の満ち具合から、自身の着地と同時に一撃が放たれることを逆算した。勝負の際であるそこで聖剣の拘束を半数以上解除することは可能だろうが、果たして間に合うかどうか。
「
是は邪悪との戦いである。是は己よりも強大なものとの戦いである。是は一対一の戦いである。是は精霊との戦いではない。是は生きるための戦いである。是は真実のための戦いである。
「──是は、世界を救う戦いである」
十三拘束の内の七つ。半数以上の拘束を解かれたことによって、およそあらゆる悪を退ける黄金の刃は解き放たれる。これが正しく機能した事実から、眼下にて待ち受けるランサーもまた、坂上真人と共に悪道へと堕ちたのだろうか。沙条愛歌という獣の女、救世主となることを否定した坂上真人。うち払われるべき特異点の中核を成す彼らを、セイバーは知っているようで知らない。
何故こうなったのか。何故特異点となったのか。何故選ばれたのか。何故セイバーは彼らが悪であることを知っているのか。何故世界は廻るのか。何も知らず、何も分からず、何も得られない。全てはそのように定められ、そのように進んでいるだけだということに気づけない。世界を救う黄金も、今や歯車の一つに過ぎないのだから。
「言葉は不要、ただその輝きを以て打ち倒して見せるがいい」
長い墜落を終えたセイバーに投げられたのは簡素な台詞。不敵な笑みを浮かべたランサーの真名をカルナ。マハーバーラタに語られる大英雄の一人にして、世界に悪とされた者。その宝具は周囲の環境すらも塗り替えながら、解放の瞬間を待っている。着地と同時にあまりの熱波で溶解を始めた大地を踏み、聖なる光を振り翳す。
「──
「
かくして、全てを灼き払う一撃は、黄金の輝きにうち払われる。星の内海より生じた輝きは、神の威光を一蹴した。なんということは無いと、呆気なく。それを成したセイバーですら半ば呆然とするほどに。黄金に呑まれたランサーの姿はなく、切り開かれた景色の先には青い光の柱が見える。
本来であれば岩石に阻まれた先の先。聖剣の輝きすら阻む青の煌めきを目にしたセイバーは、徐々に解け始める身体を無理矢理押し止めて前に進む。純粋な魔力不足だけではない。何か、異常な力があることを彼は感知していた。
たとえ何も出来ないほどに弱っていても、それでもこの聖剣を振るうべき時に振るわなくてはならない。ただその一心を以て、彼は霊基を酷使して歩を進めている。一歩進むごとに波動を感じる。一歩進むごとに鼓動を感じる。胎動する邪悪、目覚めてしまった獣の吐息。未完の救世主では何を成すことも出来ず、ただ死ぬ他にない強大な霊基。姿を捉える前から感じられる絶望的なまでの力。沙条愛歌は、坂上真人はどうしているのかと思った刹那、背中に何かが当たる音がした。
「……っ、ぁ」
「流石に英霊か、しぶといな」
「坂上、真人……!」
胸を貫いているのは腕だ。背中から胸を貫き、霊体を維持できないように破壊されている。音も、気配もなかった。疲弊しているとはいえ英霊に感知されることのない動きは人のものではない。腕を引き抜かれ、セイバーは地面に蹴り倒された。苦悶に喘ぎながらも消滅の間際で耐え、血に濡れた腕に青い炎を纏う男を見上げる。
「どういう、ことだ」
「どうもこうもクソもねぇ。最初から最後まで俺がしくじってただけの話だ」
坂上真人の左腕だけで抱き上げられた少女の胸元は血に濡れている。血に濡れ、口の端から血を流し、安らかな表情で眠るように死んでいる。想定していなかった事態にセイバーの思考は硬直し、真人は忌々しそうな表情を崩さない。ただ、それ以上を語ることはしない。
凄まじい霊基を宿した男は、あらゆる全てを憎むように殺意を振り撒いている。倒れた自分のみに殺意を向けている訳では無いと、セイバーは感じ取った。ともすれば、己自身すらもその対象に含めているのでは無いかとすら思う。
「お前は何も知る必要はない。このまま死ね、騎士王」
燃えるような憎悪を宿した瞳が倒れ伏した騎士王を捉える。頭を目掛けて振り上げられた足を、彼はただ見ることしか出来なかった。