ナンザン
入口には大きな門。広い玄関、手入れされた庭。
家具も一つ一つがそれなりの値段がする気がするし、ガーデンと呼ばれる庭園もある。
こうして机に四人で座っている今も、視界に映るのは今まであまり見た事のないくらい値段がしそうな家具しかない。
対面に座る男、愛歌の父親である彼は至って平凡に見えるが、それでも話からするに母親のいない状況で一人、この家と生活を維持している稼ぎ頭である。
庭園の維持には当然金がかかるはずだから、それだけで一般家庭出身の自分には考えられない出費のはずだ。
それにも関わらず調度品は高い品質であり、一家の服装もよく見れば高級品であることを理解出来る。
仕事の内容は不明だが夕方になってこうして帰宅したため、定時退社は出来る職場なのだろう。
だから間違いないのは金持ちであること。
娘たちの衣服や教育に関して妥協していないであろうこと。
これらの二点程度しか、推し測ることは出来ない。
──沈黙が場を支配している。
八歳だという綾香ちゃんは年齢にそぐわない綺麗な姿勢で黙って座っている。
愛歌は横目に見た感じニコニコしているが、沈黙の原因なので見なかったことにした。
そして今、沈黙を誰も破ることの出来ない理由である彼女たちの父親、沙条広樹はじっとこちらを見つめたまま動かない。
正直、これが一番気まずい。
初対面で怒鳴ることもなければ怒りを堪える訳でもなく、冷めきった目で自分を見て平坦な声でようこそなどと言われた。
次に愛歌が口を開き事情を少し曲げて説明しても、首にある絞め跡を一瞥するだけ。
インフルエンザの流行で学級閉鎖期間だという綾香ちゃんが部屋から現れ、こうして四人になってからは無言。
愛歌が俺と暮らしたいから家をしばらく空けると言っても無言。ただ何かを見定めるというわけでもなく、思索に耽りながら見つめられている。
迂闊に口を開いて地雷触れるのも怖いし、愛歌の首を絞めて意識を落としたところで自宅に持ち帰ったというのが事実なので何も語りたくない。
そうやって沈黙が維持されること十数分。体感にして数時間後経ったかと思うような停滞を破ったのは沙条広樹その人だった。
「分かった。好きにしろ」
「やった!」
よかったわ! なんて喜ぶ愛歌を横目に少し痛んだ気がした胃を押さえる。
俺の人生どうなるんだ……、と未来に思いを馳せながらキッチンに向かう愛歌の姿を追う。綾香ちゃんがとてとてと着いていくのも見えた。
広樹氏が目配せしてきたのでそれに従い、一旦リビングを後にする。
◆
用意された夕食は豪華だった。初めて食べる本格的なディナーである。
作成者は沙条愛歌とお手伝いで妹の綾香。
メインはローストチキンとローストビーフ。
どちらも調理の具合は完璧と言って差し支えなく、香草によって引き立てられたチキンの味は格別なものであり、焼き具合の見事なローストビーフは絶品だった。
スープにはあまたのパプリカ粉で味わい深さのあるオーストリア風グヤーシュ。
これは解説されて初めて存在を知ったが、新鮮な味わいでありながら病みつきになる美味しさがあった。
苦手なサラダはフランス風に飾り付けられていて、ドレッシングでつけられた味わいは嫌いなものではなかった。
更に畳み掛けるようにして追加。
ロシアから鮮やかな赤のボルシチ。オリエントからペリメニにケバブ。中華の焼売に刀削麺。日本の釜飯にドイツ風のパン。
食後のデザートにスコーン、ケーキ、ゼリーなどなど。
総じて美味。非の打ち所がない出来であり、味と量の両方で腹を満たしてくれた。
些か量が多かった気もするが、気がついたら平らげていたので誤差の範疇だろう。
広樹氏が目を丸くしているが、食べ盛りの大学生ならこれくらいは余裕である。
「ご馳走様でした」
どこか嬉しそうに片付けをする愛歌を見ていると、取り残された妹から視線を感じた。
気まずそうでありながら隠しきれない好奇心をのぞかせる瞳はどことなく愛歌に似ていて、決定的にどこかが違う。
瞳の色とか髪の色とか、そういった身体的特徴では無い何かが違う。
けれどもどことなく顔立ちは似ていて、愛歌のそれよりも更に幼い彼女に擽られる何かがあった。
「綾香ちゃん、でいいかな?」
「えっと、はい。真人さんで、いいですか?」
「ああ、もちろん」
改めて話をしてみれば、おずおずとした様子のまま色々な質問が飛んでくる。
歳、好きな食べ物、苦手な食べ物、学校、お友達、お姉ちゃんとはどうやって出会ったのか。
広樹氏が自室に戻っているからか、お父さんとは何を話したんですか? などと聞かれてしまう。
ほかの質問はいいが、これは困る。
問題ないといえば問題ない話だが、一応内緒の話だしここは適当にお茶を濁して回避したい。
回避したいがしかし、先程きわどい質問をはぐらかそうとして失敗しているので怪しい。
無垢な瞳が心を苛む。
こてんと小首を傾げた姿は彼女の姉にとてもよく似ていて、これが子供の力かと戦慄する。
とても愛らしく、素敵なものだ。
「綾香、あまり困らせちゃダメよ」
だから愛歌の助け舟が有難かった。
流石に姉が仲裁に入ると我に返ったのか、少しばかりしゅんとした様子で下がっていく。
それが聞けなかったことに対する残念さから来ているのか、姉に注意されてしまったという後悔からきているのかはさておき。
「それにしても意外ね」
「なにが?」
「綾香がこんなにあなたのことを気にするなんて、思ってもみなかったわ」
あわわ、と混乱すると妹の頭を撫でる姿は優しい姉の模範的な行動のように見れる。
見れるが、言動がちょっとあれかもしれない。
「真人のことは
「義兄さん……?」
ちょっとクラっときた。
色々とツッコミどころがあるが、いい。とてもいいものだこれは。
無垢な幼子という感じがして、尊いものを見る気持ちになる。実際、子供は尊く、大切なものだ。
「そろそろお勉強の時間ね」
「あっ」
「ほら、お父さんが部屋で待ってるわ」
頷き、それじゃあまた、と子供ながらに会釈をしてから立ち去る姿を見送ってから、愛歌の方へと視線を向け直す。
色々と、聞きたいことがあった。
家のこととか。俺の背中にあるよく分からない紋章のこととか。完全に感じられなくなった◼◼◼のこととか。学校のこととか。魔術なるもののこととか。
聞かなくてはいけないことは沢山あって、けれどそれをどれから聞けばいいのか分からない。きっと全てを答えてくれるのだろうけれど、聞きたくないと思う自分も確かにいる。
聞けば何かが終わるような、そんな気がする。
我儘だなと自嘲した。
「真人、お話しましょう?」
「そうだな」
手を引かれて移動する。
リビングを出て廊下を進み、部屋を無視して直進。大した時間も経たずに一度建物を出る。
そうして目に入るのは家に隣合うようにして立つガラス張りの壁と天井の建築物。ガーデンと言われていた庭園に辿り着く。
こういった方面には疎くとも、見事な作りであることが伺える。静かな夜に、昨日とはうってかわってよく見える月の映える庭園だ。
月光を浴びて金の髪が仄かに輝る。
──全身が熱を帯びる。
熱くて痛いとか、反射で身体が跳ねるとか、思わず悶えるようなそれでは無い。
ただなにかに抱かれたような、そんな暖かな熱が湧いてきた。なんだろうか、これは。
「ええっと……その、服を脱いで欲しいのだけれど……」
「わかった」
思案していたところに声をかけられ、反射的に返事をしてしまった。
脱げと、彼女は言ったのか。
この夜空に見守られる庭園の中で服を脱げと歳下の少女に請われ、返答してしまった己を僅かに恨む。
だがしかし、この身も男。ここで臆していては名が廃るというもの。
決意と共にジャケットとシャツを脱ぐ。
勢いのまま下もいこうとベルトに手をかけ、
「上! 上だけでいいの! そんな残念そうな顔をしながらズボンに手を伸ばさないでちょうだい!」
もう! と顔を真っ赤にして怒る姿に少し意地悪したい気持ちが湧くが、諸刃の剣なので自重する。
いや、助かった。流石にこの状況下で素っ裸は紳士である自分にも苦しいものがある。
この季節でも寒くないのは有難いが、顔を赤くして見られるのはありがたくなかった。少し擽ったい。
というか何故脱がされたのかと考えたところで、答えが浮かぶ。なるほど、背中か。
くるりと回って指を指す。
「これ何か分かるのか?」
「……ええ。よく分かるわ」
昼、起きた時にはあったよく分からない黒い紋章。七つ羽を描くそれは背骨を軸に背中いっぱいに広がっている。
どこから取り出したか分からない姿見で背中越しに確認させてくれるが、昼間よりも濃くなっている気がするのは気のせいか。より黒く、明確に。
「第一階梯、熾天使ね」
「なんだそれ」
「真人は魔術や魔法を信じる?」
「魔術に魔法かぁ……」
正直なんだそりゃ、というところではある。
科学技術の発展によって暮らしは豊かになり、世界の形が急速に変わっているこの時代において魔術、魔法。頭の痛くなる話だ。
しかし理解出来る話ではある。
手早いところだとどこからともなく取り出された手鏡がそうだが、世の中どうにも解せないことが多いのも確かだ。
もしかしたら、地元でたまにいた霊能力者とか名乗る変な奴らも魔術絡みなのかもしれない。
頭に響く◼◼◼の声も、そうなのだろうか。
「信じてくれる?」
「もちろん」
魔術はあるとして、それなら背中のこれは魔術によるものなのだろうか?
「魔術は魔術回路がある人間にしか使えないの。これは一般人の中にも偶に持っている人がいるのだけれど、基本的には魔術師として続いてきた家の人間にしかないわ」
「愛歌には?」
「もちろんあるわよ? 綾香もそうだしお父さんもそう。私たちは魔術師の家系なの」
なるほど、と理解する。
つまり魔術師であるから少々特異な娘を持ってもある程度の信頼と安心を持って放任できるのか。
「ここからが大事なのだけど、全ての魔術師には共通の目的があるの」
「ほう」
「根源と呼ばれる世界の全て、一にして全なるもの。そこに到達することが全ての魔術師の目的なのよ」
「ふむふむ」
「まあ根源に辿り着けた魔術師は長い人類の歴史の中でも限られているし、基本的に彼等は夢物語を追い続けている感じね」
「なるほどなぁ……」
要は世界の全てがある場所に辿り着くために努力しているけど、基本的にそんな所に辿り着けるはずもないと。
理解が深まる。聞いた知識から知らない知識が湧いてでるような感覚で多くのことを理解した。
魔術を以て根源に至り、その後彼等はどうするつもりなのだろうか。
世界を壊すのか、救うのか。
それともなにか、叶えたい願いがあるのか。
それが分からない。
「そこで根源に至る方法があるって言われたら、みんな飛びついて来ると思わない?」
「あるの?」
「あるのよ」
なるほど不思議なものだ。それは清々しいほどイカれている。
根源に至りたい魔術師が他のものとその手段を共有してでも辿り着きたいなど狂っている。
果たして何が彼らをそうさせるのか。
「──聖杯。有名なイエスの杯、その本物が東京に現れたの」
「……キリストのあれ?」
「そう、あれ。聖なる杯は時を超え、万能の願望器として東京のどこかに在るの」
思いもよらぬビッグネームに思考が止まる。
イエス・キリスト。世界最大の有名人、キリスト教の基盤となった聖人。実在が信じられないイカレ野郎。
聖遺物だのなんだのと求められるイエスの杯が、万能の願望器?
「私、それが欲しいの」
馬鹿げていると一蹴するにはあまりにも真剣で、ならそれをどうやって手に入れようというのか分からなかった。
「あれがあれば貴方を助けられる。◼◼◼から解放できる。だから私は聖杯が欲しい」
語る彼女は本気だった。
「七人の
聖杯戦争。戦争だ。
最後の一人になるまで殺し合うのだろう。それはとても危険なことだ。現代社会で許されるべきことではない。
「貴方は魔術を使えない。選ばれた人ではあるけれど、ただそれだけの貴方が闘う必要なんてないの」
言葉は甘い誘惑のようだった。
心底不安そうにこちらを見る瞳は震えている。言葉の一つ一つを丁寧に選んで口にしているのか、この一日で最もゆっくり話をしている。
これは妖精の誘惑だ。
これは悪魔の囁きだ。
手を取れば何の苦労もなく、あの煩わしい声から解放されるのだろうという確信があった。
彼女にならそれが出来るのだろうと、出会って一日も経っていないというのに。
心の底から信じている。
「私は貴方を助けたい。貴方に戦って欲しくない。私は貴方と一緒にいたい」
だから、───
「だから、私に背中の令呪をちょうだい?」
その甘い囁きに、意識が揺れた。
──この手に、聖杯を