グリモア~私立グリモワール魔法学園~ 虐げられた元魔法使い 作:自由の魔弾
逝去した前学園長の米寿の祝いに生まれた娘。可愛がられて育ったのでワガママ。遺言により後を継ぐが、同時に魔法使いへ覚醒したため学園生も兼ねることになった。前学園長が存命の頃からいつも連れ添って様々な所を闊歩していた為、学園内外問わずあらゆる分野のお偉いさんと面識交流がある。
あれから少し時間は経過し、今は四月の下旬に差し掛かろうとしていた。結局のところ、あれから真面目に登校してみたものの今まで月単位で落としてきた出席日数など当然足りるはずもなく、内心諦め半分で留年を覚悟した。いや、したはずだった…と言う方が正しいかもしれない。それはなんでかというと、何者かによる帳尻合わせが本人も学園内部でも与り知らぬところで行われていた……この結論に至った。怖っ。
「…まぁ、何はともあれ進級できたし、誰のおかげか知らないけど感謝しなきゃだよな」
そう。この学園には魔法の制御が不可能か或いはその状態に等しかったり、著しく素行が悪い魔法使いは危険と判断されて送致されるという矯正施設があるらしい。僕はまだまだ卒業規定年数には届かないものの、このままいけば確実にブラックリスト入りは確定だと思っている。そうなれば今まで以上に行動に制約が付き、二度と“自由”に動き回れるなんてことは遥か遠く手の届かないものになるだろうさ。
「…それでも、止まらず走り切るしかない、か…」
「…ねぇ〜?ちょっとちょっとっ!さっきから何ぶつぶつ言ってんのよ。追い込みかけないとまた部長に締め切り当日ボツ食らっちゃうんだから!」
僕が感慨にふけていると、対面の席に座って必死にスクープ記事を書き上げている夏海ちゃんが不思議そうな視線と半ば八つ当たりのような視線を入り混ぜた言葉を僕に送ってきた。同じ部でもなく学年も違う二人がなぜ一緒にいるのかというと、ぶっちゃけ特段理由があるわけではなく、強いて言うならばそれは遊佐さんが原因だろうか。
「そう言われてもねぇ…僕に報道部の活動は手伝えないし、そもそも遊佐さんに用があって来ただけなのに、それがどうして夏海ちゃんの雑用までする羽目に…」
「しょーがないでしょ?あんたとは入れ違いのタイミングで、部長は結希に呼ばれて出て行っちゃったんだから。ありゃ暫く部室には戻ってこないかもよ?それよりもほら、手が止まってるっ!」
夏海ちゃんは僕に檄を飛ばしてまくし立てる。それを受けて僕は力なく座っている机の上に置いてあるうちわを手に取って、そのまま夏海ちゃんに向けて扇いであげる。
「…ってか、先月からずっと思ってたんだけど……なんか暑くない?」
「あー、あれでしょ。北海道にいた魔物を追い払ったから日本全体の平均気温が上がったとかいうやつ。制服に体温調節機能が付いてるからある程度は過ごしやすいけど…こうも急に暑くなるとねぇ〜。あんたはワイシャツ一枚だから涼しそうで羨ましいわ」
そう言いながら恥ずかしげもなくスカートをパタパタ手で扇いでいる夏海ちゃん。いくら対面に机があるから見えないとはいえ、こうも無防備に振る舞われるとなんとなくこっちも意識してしまう。そんな僕の悩みを知ってか知らずか、何か思い出したかのように話題を振ってきた。
「あっ、そういえば知ってる〜?なんか如何にも正統派美少女って感じの子が転入してきたの!これがまた本当に可愛い上に礼儀正しくて、思わずあたしまで感化されるとこだったわ」
…夏海ちゃんはもう少しお淑やかになってもいいと思う。口を開けばやれ特ダネだのスクープだの盗撮盗聴なんでもござれ。この前もなんかの撮影に巻き込まれたし…何だっけ?たしか、何とかズバリッ!みたいなやつだったかな?
「ふーん…そうなんだ」
「なによ〜?興味ないわけ?それとも…もう決まった相手がいるとかぁ!?ほれほれ、言っちゃえば楽になるよ〜?」
僕の食いつきが悪いのがお気に召さなかったのか、勝手な憶測を立て面白がって僕に詰め寄る夏海ちゃん。
それに対して抵抗する僕。
「さっさと白状しーなーさーいーよーっ!」
「がっつかないでよっ!!はーなーれーろーっ!」
持っていたペンをマイクのように持ち替え身を乗り出して僕に迫る。当然僕だってそれを甘んじて受けるつもりもなく、夏海ちゃんの顔面を手で抑えて何とか踏ん張ってみる。
うおぉ〜!!くあぁ〜!!
そんな奇声を上げながら攻防を繰り広げていると、不意に報道部の扉が開かれ、パシャッ!という音とフラッシュが僕たちを襲った。そこに立っていたのはこの部屋の主である遊佐さんであり、撮った写真の具合を確認すると苦笑気味に僕たちを微笑ましく眺めていた。
「お邪魔だったようだね…後輩想いの僕は失礼するよ」
そのままパタンと閉じられる扉。僕と夏海ちゃんはお互いの顔を見合わせ、そして同時に叫んだ。
『待ってくださいぃいい!!部長(遊佐さん)〜っ!!?』
「むぅ…」
生徒会室で小さく唸っているのは会長だ。このところずっとこんな状態が続いているのを他の生徒会役員も心配していた……特に会長を盲信している私は気が気でなかった。ほら、今にも意を決して会長に話しかけようとしていた。
「あの、会長…何かお悩みでしょうか?」
「んっ、あぁ…うぅ〜ん……ちょっと耳を貸してくれないか?」
「え?は、はい…」
ちょいちょいっと私を手招きして近くに呼び寄せる会長。そして、こそこそと私に耳打ちした。
「(…今のアタシは、そんなに魅力の無い女だろうか?)」
……は、はい!?会長がまるで恋する乙女の様な顔でそう呟いた。いや、まだそう確信を持ったわけではない。きっとアレだ。時間停止の魔法によって第8次侵攻が来ないとわかったが、その猶予があまりにも不確定要素な為に不安になっているだけだと信じたい。なので、私はその不安を取り除く様に会長を励まして差し上げた。
「…会長が何を悩まれているかは存じませんが、普段通り会長はとても素敵な方です。それは私が保証しますので、どうかご安心下さいませ」
「ふむ…普段通り、か。そうか……よしっ」
私の言葉を受けて少し考え込み、そして何かを決心した様子を見せる会長。ふぅ…どうやら私の杞憂に終わりそうですね。よかったよかった…。
「ちょっと白藤のところに行ってくる。恐らくそのまま街へ出ると思うから、その辺上手く手配しておいてくれ」
「はい、了解しまし……えっ?」
…私の聞き間違えでしょうか。今、会長は納得されて仕事に戻る感じの流れじゃありませんでしたっけ?
「あ、そうだ薫子…聖奈や朱鷺坂にも聞きたい。もし知っていたら教えてほしいんだが…」
「は、はい…何でしょうか?私に答えられることなら何なりと」
私がそう言葉を発すると、自分の席に座ってる聖奈さんや朱鷺坂さんも同様に頷いていた。久々に元気な姿を見せてくれている会長の為に、彼女たちも一肌脱ごうというわけらしい…。
「JCは…どんな“下着”が好みなのだろうか?色とか形とかどんな些細なことでも構わん、だから教えてくれないか…って、みんなどうかしたのか?おーい、もしも〜し。帰ってこ〜い…」
「だーかーら!部長が考えてるようなことは一切無いんですって!そもそもこいつとは厳しい取材を共に助け合ってきた…謂わば盟友みたいな関係ですし」
んー?僕と夏海ちゃんってそんなに深い仲だったっけ?たま〜に廊下で会う時に挨拶を交わすくらいの関係だとばかり思ってたよ。ってことは、これは夏海ちゃんのブラフってわけか。
「はいはい、わかったわかった。それよりも…夏海、君にはこんなところで僕とお喋りしている時間は無いんじゃないかな?締め切りは明日だよ」
「うぇ!?嘘ォ〜!?てっきり来週だとばっかり…こうしちゃいられないわ。とりあえず怜…は風紀委員だから見せちゃマズイとして、智花に仕上げ手伝ってもらわなきゃ!部長!失礼しますよ!」
夏海ちゃんは書き途中のスクープ記事原稿を持って、部室から飛び出して行った。僕は口こそ挟まなかったけど、途中から気づいていた遊佐さんの言葉遊びについてダメ元で言及してみる。
「遊佐さん…僕の目が変じゃなければ、このカレンダーには来週が締め切りって見えるんですけど?」
「ん〜?そうだったかなぁ…だったら僕のうっかりってことだねー。あー、やっちゃったなぁー」
そう言ってにやにや笑いながらはぐらかす遊佐さん。わかってて夏海ちゃんを追い出したのか?
「…もしかして、遊佐さんからも何か話が?」
「まぁ…それもそうなんだけど、JCくんからどうぞ」
むぅ…遊佐さんの話、気になるなぁ。本当は先に聞いてどこまで言っていいもんか吟味しようと思ってたんだけど…仕方ない。話しても実害無いと思う範囲で話そう。
「じゃあ、僕から…先々週くらいから、精鋭部隊の方に出入りさせてもらって戦闘訓練に参加させてもらってます。と言っても魔法で攻撃されたり、殴られたりされてるだけですけど」
「精鋭部隊に?それも先々週って…その頃は部隊長のアメディックくんは教司会のクエストに同行していて不在だったんじゃないか?」
そう。初日からウィリアムズさんの有り難い指導…という名の憂さ晴らしに付き合わされ、そのまま来栖さんの格闘訓練…という名のサンドバッグ状態。挙げ句の果てに守谷さんと我妻くんによる広域魔法の雨を避ける訓練まで強要されて、あれよあれよと流されるままに気がつけば、ほぼ毎日のように訓練所に通い詰めていた。そのおかげなのか青の力の扱い方がかなり上達し、今では自分の意思でスイッチングが可能になった。まぁ、ただ速く動けるだけのメリットしかないこの力を今後どう使うのか見当は付いてないし、緑の力に関してはまるで手付かず。何とか自制を試みてみたものの、およそ5秒程度その状態を維持するのが限界だった。ただ体を酷使するよりもっとなにか別の方法を考えなくては…。
「…くん、…Cくん、…JCくん!」
「…っ!?な、何ですかっ?」
少し考えこんでいると、遊佐さんがずっと僕に話しかけていたことに気づいた。
「話、ちゃんと聞いてたかい?僕からも確認したいことがあるんだけど」
「えっ、あぁ…はい。どうぞ」
「おいおい、しっかりしてくれよ…」
口を尖らせて少し不満気な表情で僕を睨む。意外と長い付き合いになるけど、この人もこんな子どもみたいな顔するんだ…ちょっと可愛らしいと思ったのは失礼だろうか?
「さっき宍戸くんに呼び出されてね、近いうちに裏世界のレジスタンスと接触するつもりらしい。勿論、君も行くんだろう?」
「そうですね…まぁ連れて行ってもらえるなら。でも向こうの実験施設ってのにも行かなきゃならんですし、レジスタンスと接触っていうのは優先度は低いかもです」
「…あまり乗り気じゃないみたいだね。レジスタンスの名は“パルチザン”というらしいけど…君は知っていたんじゃないかな。一部のメンバーは君を名指ししてきたくらいだしね」
「…な、何ですって!?パルチザンだと!?それは本当ですか!?」
遊佐さんの思いがけない情報に、僕は歓喜のあまり体の芯から震えてしまう。
生きてる……さらたちが?パルチザンは、全滅してなかった?
「その反応…君にわざわざ隠してたのも何か訳ありみたいだねぇ。まぁ、裏の僕から託されたパンドラの内容とも一致するようだし、あながち僕の推理も間違いじゃなさそうかな?フフフ…」
不敵な笑みを浮かべる遊佐さんだけど、正直言って今それどころじゃなかった。パルチザンが生きてる…全てを包みこむさらの柔和な笑顔、少し不器用だけど真っ直ぐなミナの優しさ、常に楽観的で悪戯っぽい恋の激励。それらの全てが五臓六腑に染み渡るように深く眠りについていたその存在を大きくする。
たとえ二ヶ月という短い期間しか生活を共にしていなくても、お互いの腹の中を晒し合った仲だ。一度は失ったと後悔しどれだけ自分を責めたことか…。でも、今は違う!あの時よりも格段に強くなった。一部の生徒だけとはいえ、協力を仰ぐこともできる。そして何よりも…僕はパルチザンのみんなに会いたい。彼女たちの無事を祝って抱擁したい。会って話がしたい。あの時何も言わずに去ってしまったことを謝りたい。
その想いだけが僕の思考を支配してしまった。
それからさらに時間は経って、今は六月の二週目に入ったところだ。いきなり時間が飛んでるのは特に代わり映えするような事件が起きなかったからで……いや、ひとつだけあったな、変なこと。真夜中に一回だけ虎千代さんが部屋に訪ねてきた…サングラスにマスクにロングコート姿で。突然何色が好きかと聞かれて困ったので、とりあえず明るめの色とだけ答えたらそのまま帰っていったけど…あれはなんだったんだろう?未だに真意がわからないんだよな。まぁそれはいいや。学園のことをいうと科研ってところが襲撃されたり、課外活動の一環でキャンプに行ったり、街に来たサーカス団の警備をしたりと意外と充実してると思ったけど、それらの全てに一切関わってないんだよね、僕って。ずっと学園に隔離されて…今日だってついさっきまで精鋭部隊の部隊長のエレンさんによる軍隊式トレーニングで全身いじめ抜かれてたから、無駄なく鍛えられたし。さらちゃんじゃないけど、側から見れば結構いい感じの体つきになった気がする…うん、そんな気がする。赤・青・緑の力を交互にずっと使いながらの訓練だったから、変な疲労感が残ってるけど…。
「いらっしゃいませ〜っ!あっ、先輩!こんにちは!何かお探しですか?」
「あー、“いつもの”お願いできるかな?」
わかりました〜!と笑顔で迎えてくれたももちゃん。ほんの一瞬だけ、なんか表情に翳りがあるように見えたのは気のせいだろうか…?
そんな不安ごとを消し去るようにももちゃんら快活な様子で商品を持ってくる。そう、僕が定期的に箱買いしている紙パックのコーヒー詰め合わせを。
「んしょ…っと、商品はこれで合ってますよね。でも、先輩ってお金持ってますか?クエストに行ったところもあまり見たことありませんけど…」
ももちゃんがただでさえ苦しい僕の懐事情が更に困窮することを心配してくれる。ただまぁ…今回は副収入が認められたから例外である。
「今回は大丈夫さ!なんだったら半年先の分まで今ここで予約したって構わないくらいだよっ!」
僕は商品の値段より少し多めにお金を渡す。早い話が小銭がなかったのだ。ももちゃんはお金を受け取って会計を済ませながら苦笑していた。
「そ、それは流石に…でも、すっかり元気になったみたいで良かったですっ。ちょっと心配してたんですよ?」
「えっ、僕のことを?どうして?」
ちらりとこちらを見て、少し複雑な感情を孕んだ表情をするももちゃん。そして、彼女の中で整理がついたのか、ポツリと呟いた。
「…帰ってきてすぐの頃は、すっかり気落ちしてるというか試合に負けた直後のスポーツ選手が心配されないように無理に明るく振る舞ってるみたいな感じでしたから」
あー、たしかにそうだったかもしれない。風子さんに北海道での戦いのことを話していた時のことだろう。自分で話している内にどんどん卑下してしまったんだよな。ましろちゃんを守るなんて大層なことを言っておきながら、最後は国軍の兵士に任せて自分も魔物の群れに敗北。今まで自分にあった驕りが招いた結果だということを痛感させられた。当然戻ってきてなにもかも忘れて本心から元気に振る舞うなんて、できるわけがなかった。結局は時間が過ぎて自然に解決したものの、まだ心の何処かで引っかかっている。多分ずっとつきまとうんだろうな、こういうのは。
ももちゃんは多分ちょっと心配くらいの目線でまだこの真理には気づいていないだろうから、僕はこほんと仕切りなおして、ちょっと強引にでも話題を変える。
「それはそうと…律さんから聞いたよ〜。この前のキャンプ、転校生くんと一緒だったんだってぇ?」
「…ふぇ?」
僕のいやらしい笑いに、ももちゃんはびくんと身を強張らせた。急に話題を振られて少し戸惑っている、というよりも何か別のことで焦っているように見えた。
「転校生くんに手作りのカレーを振る舞ってあげて、更には川辺で二人で薪拾いときた。これはいよいよ二人の仲が急接近してると見ていいのかな?いいんだよね?」
「な、な、なに言ってるんですか。私は別にそんなつもりじゃ…」
「そんな日和ったこと言わないの。前からずっと心配してたんだから。“ももちゃんの恋を応援し隊”のリーダーとしてはね」
「なっ、なんですかそれ!?いつの間にそんなものが…私なんかのことで色々な人を巻き込んで申し訳ないですね…」
「まぁ構成員は僕しかいないけど」
「私の反省を返してくださいっ!」
ぜぇぜぇと肩で息をするももちゃん。ちょっと揶揄っただけなのに過剰なまでに反応するなんて…必死だな!
「でも、嬉しいっていうのは本当だよ。ももちゃん、奥手だからその辺ちょっと心配だったんだ。いやー、良かった良かった!」
あははと笑って見せると、不意にももちゃんが僕に言葉を投げかけた。
「…嬉しかったんですか?」
「…へ?」
「センパイハ、ウレシカッタンデスカ?」
急に背筋が凍るような感覚に襲われた。ハイライトが消えたももちゃんの無機質な瞳が僕を貫く。え、僕なにかマズイこと言った?いや、僕はただ…ももちゃんのことを本当に祝いたくて…なのに、なんでそんな恐ろしい目をするんだよ!?
その時、ポケットの中に入れていたデバイスからコール音が鳴った。
「っ!?ご、ごめん。ちょっと…もしもし」
僕は目の前の恐怖から逃れるように電話に出た。あのまま射抜かれていたら恐怖で僕の気が狂いそうだった。
「はい、はい…わ、わかりました!すぐに行きます」
「電話、誰からですか?」
慌てて向き直すと、ももちゃんが不思議そうに僕のデバイスを覗き込もうとしていた。…さっきまでの恐ろしい気配は微塵もなかった。僕の気のせいだったのか…?
「えっ…あ、あぁ…遊佐さんだよ。頼まれごとをしてて」
「ふ〜ん…そうなんですねっ!でも、また頑張り過ぎちゃダメですよ?はい、これお釣りです!」
ももちゃんはそう言って差額分の小銭を手渡してきたので、それを受け取ろうと手を差し出す。すると、ももちゃんは持っていたお金ごと僕の手を両手で包み込んだ。
「も、ももちゃん!?ど、どうしたの…っ!?」
突然の行動に戸惑う僕だったけど、それも不意に耳元に顔を近づけて小声で囁いてきたももちゃんによって、その感情も消え失せた。
「…先輩がいなくなったら、悲しむ人もいるんですから…ね」
それだけを囁いてそっと離れたももちゃんの表情はいつもの愛嬌のある少女のものではなく、どこか妖艶な雰囲気に包まれた“女”の顔をしていた。違う。違うよ、それは…僕に向ける表情じゃないよ…ももちゃん。
「あ、あぁ…き、気をつけるよ…じゃあね…」
僕は何かが怖くなって急いでお釣りを財布に入れると、商品を小脇に抱えて逃げ出すように店を出た。
「ありがとうございましたーっ!」
背中越しに聞こえたももちゃんの快活な挨拶。今はそれすら僕の気に留めず、ただただこの場から逃げ出したかった。突如として感じ始めた得体の知れないこの感覚を一秒でも早く消し去るために…。
「それでねー、ネネがびしっと言ったんだよ。ネネは学園長なんだよ!ネネに逆らったら退学〜って!ねぇ、ちょっと聞いてるぅ?ねぇお兄ちゃんったら!ねぇねぇ〜!!」
あー、なんだこの子。目の前でチョロチョロチョロチョロ…正直、すっごく五月蝿い。っていうか、初対面なのになんでこんな馴れ馴れしく話しかけられるんだ?
その所業を見かねた僕は堪らず口を挟んだ。
「…あの、寧々ちゃんだっけ?まず僕は君の友達じゃないし、呼び出したなら早くその用件を教えてくれないかな……っ!!だ、誰っ!?」
僕は不意に背後から視線を感じて、振り返る。しかし、そこには人はおろか窓から入ってくる風や虫の気配すらまるで無かった。
「…?どうしたの、お兄ちゃん?後ろに誰かいるの?」
どうやら目の前の少女には、何も感じていないらしい。かく言う僕にもその存在を認めることは出来ず、もしかしたら本当に僕の気のせいなのかもしれないと考え、「何でもない」と言及の一切を切り捨てた。…ただそう思いたかった。でなければ今度こそ見えない“ナニカ”からの恐怖で心臓を鷲掴みされ、そのまま握り潰されてしまいそうだった。
「ふーん…ま、いいや。お兄ちゃん、クエスト受けたかったんだよね?ネネが理事長にお話しした結果ぁ…なんと!三人以上のパーティーが条件で許可されましたぁ〜!わーい!ぱちぱち〜!」
楽しそうに手を叩く寧々ちゃん。
「…えっ、本当に?こんなあっさり?」
「何よ〜。ネネ、お昼寝の時間も削って交渉してあげたのに〜。不服なの?」
「いや、たしかに頼んだけどこんなに早く許可してもらえるなんて…まだ三ヶ月しか経ってないのに」
僕が驚いていると、寧々ちゃんはえっへんと胸を張って自慢気にふんぞり返る。十歳の奇才、恐るべし…。
そんなことを考えていると、寧々ちゃんがぴょこぴょこと跳ねてきて僕に手の平を差し出してきた。
「あのね、ネネ頑張ったからお兄ちゃんから成功報酬を貰えるんだよっ!そういう取引だもん…だから、ちょーだい?」
ゆ、遊佐さんめぇ…本当そういうところは抜かりないよな。とはいえ、今手持ちの物で渡せるのって言ったら……あ、そうだ。
「これ、コーヒーなんだけど…いる?」
「何それ!?いるいる〜!」
僕が差し出した紙パックのコーヒーを受け取ると、早速付属のストローを挿して勢い良くちゅ〜っと飲んでいる。が、すぐにむせたように小さく咳をした。
「けほっ、けほっ!もぉ〜!何これ!?全然甘くない〜!これならあとお砂糖三個はいるよ〜!」
どうやら寧々ちゃんの好みには合わなかったみたいだ。僕も自分の分のコーヒーを飲んでみる。うん、いつもと同じ味だ。美味しい美味しい。
「そうかな?程良い甘さでいいと思うけど…」
「それはお兄ちゃんが大人だからだよーっ。ネネはまだ子どもだからもっと甘いやつがいいの〜!」
「子どもって、僕と寧々ちゃんって一応同い年なんだけど…」
「へ?そうなの?でも書類には18歳って…」
「その辺はいろいろあって説明面倒だから、後で生徒会長にでも聞いてよ。じゃあ、もう行くからね……説得してくれて、ありがと」
僕は席から立ち上がり学園長室から出て行こうとすると、その手前で寧々ちゃんが背後から元気な明るい声が聞こえてきた。それは何のことない「じゃあね〜!“また”今度あそぼうね〜!」という恐らくは全く他意のない言葉だった。でも、その“また”という言葉が不思議と異様に僕の気分を高揚させてくれた。気づけばさっきまで感じていた物言わぬ強大な恐怖感は心からすっぽりと消え去っていた。僕は瞳を閉じてその言葉を噛みしめるように胸の中にしまうと、そのまま温かい気持ちで扉を開けた。
それが新たな恐怖の幕開けであるとは知らずに。
……ん?あれ、なんか水っぽいな。それに息苦しくて呼吸も満足に出来てないらしい。まるで全身がどっぷりと水の中に入ってしまっているみたいだ………んんっ!?
「(ガボボボブブボッ!☆→¥$€%+÷×=$々☆€°○*#!!)」
あっ、足っ!!足着いてない!?ヤバイ…動けないっ!?くっ…い、息が、出来なっ…!?えっ、これ死ぬ…?こんなあっさり…?やっと自由に動けるようになったのに、死ぬ……ん?あれは、光?そ、そうだあの光!外に繋がっているであろうあの光に手が届けば、もしかしたら…届け、届けっ、届けぇええ!!
僕はもがき苦しむ中で全ての力を出し切ってその手を光条に向けて必死に伸ばした。勿論、その手を誰かが取ってくれるという根拠も自信もない。でも、そうしなければ…多分ずっと後悔する。虫の報せ…というかデジャヴというか。そんなことを考えていると、突然誰かに腕を捕まれそのまま引っ張り上げられた。
「…っ!!げほっ!がはっ!えほっ!?はぁ、はぁ…」
急に周りの環境が変化したためなのか、体内に侵入してきた水という水全てを放出するように激しく咳き込んだ。危うく胃の内容物までこんにちはしそうになったけど、そこは我慢して何とか気分を落ち着かせる。すると、四つん這いになっている僕の頭上から声をかけられた。
「あのぉ…だいじょうぶ?」
視線を向けると、そこには背中まで伸びた艶のある黒髪が特徴的な少女が立っていて、小首を傾げて心配そうな表情をしていた。見た目だけの印象だと恐らくましろちゃんと同じくらいの年齢に見えたけど、それ以外は全くと言っていいほど不明だった。すると、全く状況が掴めていない僕の胸中を察してなのか、少女が少し焦った様子で会話を切り出してきた。
「あっ、えっとね…お兄ちゃん、川で溺れてたんだよ?でもちょっと不思議。だって、この川って“かおるこ”のお腹くらいの深さしかないのに…?」
「え?…あっ」
少女に指摘されて川を覗き込むと、水がすごく綺麗ですぐに川底が見えた。少女はお腹の高さと言っていたが実際には僕の脛くらいの深さしかなかった。少女のほうに向き直すと、くすくす笑いながら「変なの〜」と僕を小馬鹿に…いや揶揄っていた。この“かおるこ”ちゃんの態度はなんか調子狂うな。少しおどおどして儚げかと思ったら、次の瞬間には僕を揶揄って楽しんでいる。単純に感情の起伏が激しい落ち着きのない子って訳でもなさそうだし…なんか前にも同じようなことがあったような…ん?かおるこ?
「…会長〜っ!ご無事ですか……って、あ、貴方は!?」
その時、近くの草陰から聞き覚えのある声が聞こえてきた。というか、貴方はって言われてる時点で既にお互い目が合っているけど、決してその事実を認めたくないから説明口調になっているわけではないとだけ言っておく。多分これ以上言い訳できそうもないから…。
「…か、薫子さん?どうして…」
オカン(悪寒)、襲来。
【違和感】
むぅ〜…先輩(JC)って、やっぱり乙女心が分かってません!確かに初めて会った時に私は先輩(転校生)が好きって言ったし、誕生日も祝ってもらいたいって言いましたよ。でも、その裏で色々尽力してくれる先輩(JC)のこと知ったら…なんとも思わないわけないじゃないですか。先輩(JC)と先輩(転校生)、どっちが本当に好きなのか…自分でも正直分からなくなってしまいました。
先輩(転校生)は相変わらずクエストや他の学園生との用事で常に忙しそうですし、先輩(JC)は時折何か見えない恐怖に怯えてるような顔をしてます。今日だっていきなり裏世界の自分と話してほしいって言われて心の整理がつかないところで更にちょっと茶化されてムッとした気持ちのまま話していたら、突然何かに怯えるように走って行ってしまいました。まるで自分だけにしか見えない“何か”から逃げるように…ちょっと心配です。私の思い過ごしで何も起こらなければいいんですが……あっ、いらっしゃいませ〜!何かお探しですか?