それから数日、エルゼは闘技場に足を運んでいた。前回負けた分を取り戻すことはもちろん、リベンジに向けて研究を重ねるために観客席から宿敵の出ている試合を観戦しているのだ。
リンゼも彼女に付いて行き、エルゼが試合に出る度に不安そうな顔をして見つめる。だが、最近一緒に観戦する機会が増えてきたことにより、自然と姉妹の会話も増えていて内心喜びを感じていた。
話題はもっぱらエルゼが敗北を喫した青年の話だが。それでも少しでも多く姉妹の時間が取れて嬉しいのだ。流石にそれは姉の前で表に出すわけにはいかないけれども。
「お姉ちゃん、次……」
「アイツの出番ね……今日こそアイツの弱点見つけてやるんだから!」
そう息巻いて目を皿にするエルゼにリンゼは笑いが堪え切れない。「何よ、リンゼ。何がおかしいの?」彼女の様子に気付いたエルゼは訝しげに眉根を寄せる。「ううん、何でもないよ。ただお姉ちゃんは変わらないなぁって思っただけ」昔から負けず嫌いな姉の姿を映す瞳は、憧憬と懐かしさが入り混じっていた。
「うっさいわね、負けっぱなしは性に合わないだけよ」
「ホント、お姉ちゃん、そういうところ変わらないよね」
リンゼの意図に気付いたのかエルゼは気恥ずかしそうに視線を逸らす。わずかに頬が紅潮している。
昔から気が強く喧嘩も強い姉。だけど、本当は恥ずかしがり屋で照れ屋な少女で、多分この世で一番可愛らしい女の子ではないかとリンゼは思う。
と、会話が一区切りしたところで試合開始の合図が鳴る。二人は試合場にいる惟真に視線を向けた。
二人の少女から熱い視線をよそに惟真は、開始直後に飛び込んできた相手のパンチを次々に躱す。
相手は惟真より背が少し低い男性だが、筋肉量は明らかに彼の倍以上ある。一撃の重さはエルゼの比ではない。
だが、エルゼよりも鈍重な拳は惟真の体を捉えられない。それどころか大きな隙を作ってしまうばかり。
相手が自分よりも年下でもなければ性別も同じ。エルゼの時のように打たない道理はない。
惟真は相手の突きを左腕で押して受けながら体を右手側に捌き、がら空きの胴に間髪入れず右足で蹴り込んだ。
風を切り、空気が灼ける匂いすら感じ取れるような必殺の蹴り。
巨木がぶつかったかのように体を揺らす男性。
肉を打つ重々しい響き。
惟真が右足を地に着ける頃には男性は蹲り立てなくなっていた。低い呻り声が惟真の耳に届く。
「審判」
下段突きを男性の目の前で決め、審判に呼びかける。審判もこれ以上の試合続行は不可能だと判断し、右手を掲げた。
決着はあっという間に付いてしまった。けれど、観客は歓喜する。
惟真の無敗記録がまた一つ伸びて――二十四戦無敗、言い換えれば二十四連勝目の勝利を挙げたからだ。
「やっぱり凄いよね、あの人」
「……悔しいけど、あれは強いわ。あたしの何倍以上もね」
目的も終えた姉妹は闘技場を出て、買い物をするために屋台の方へ赴く。その道すがらで先程の試合の感想を述べ合っていた。
「だから、お姉ちゃんの時、手加減したかもね」
「そうね。あんな蹴りを喰らったら、間違いなく死んでたかも」
惟真と対戦した直後は憤死するぐらい腹立たしいことだったが、ここ最近の試合を見て思う。彼が全力で相手した時、確実に自分の体は壊されていただろうと。
こればかりは素直に彼の実力を認めざるを得ない。だからこそ、絶対に越えなければならない壁とも認知していた。
「やぁ、そこのお嬢さん、今から買い物かい?」
エルゼが思案に耽っていた間に誰かが話しかけてきた。思考の海から脱したエルゼは、即座に声がした方へと顔を向ける。
そこにはブロンドの髪で項全体を隠すぐらい襟足が長い男性が、軽薄そうな笑みを浮かべてリンゼにちょっかいを出していた。「今からオレと遊びに行かない? もちろん、オレの奢りでね」見ず知らずの男性に話しかけられて困惑するリンゼ。「えっと、その……私、今からお姉ちゃんと……」か細い声は強い否定にはならない。
「なぁに? 別にお姉ちゃんとは後で良いでしょ?」
男性の圧にリンゼは押されながらも「いや、でも……」と断りを入れようと努力する。それでも男性は軽薄な笑みのままリンゼの手を強引に掴み、連れ去ろうとした。けれど、その手は彼女の腕を掴むことはできず、反対に掴まれてしまった。
「ウチの妹に何か用?」
眼光鋭く睨みつけるエルゼ。このままだと確実にリンゼが押し切られると判断し、彼女を守るために半歩前へと出る。「アンタ、これ以上妹を困らせるなら、容赦しないからね」語気も鋭利で力強い。
「な、何だよ、お前……って、双子……?」
「そうよ。それで、ウチの妹から手を引いてくれるの?」
手首を握る力を強める。ただ一人の妹をどこの馬かも分からぬ輩に指一本も触れさせるわけにはいかない。姉としての責任感がエルゼを駆り立てる。
「分かった、手を引くよ」
あっさりと諦めた男性。エルゼはその手を離し、彼を自由の身にする。
しかし、エルゼの顔面に男の拳が飛び込んできた。エルゼは瞬時にダッキングで躱す。散らばる銀髪を拳が貫き、空を切る。
「何をするのよ!?」
男性の行動に目を大きく見開き怒鳴るエルゼ。体は既に臨戦態勢へと入っていた。
男性は忌々しげに舌打ちをして、即座に拳を引き戻す。「決まってんだろ、力づくで奪うんだよ」だが、二撃目は叶わなかった。
エルゼの突きが胸、鳩尾と立て続けに直撃し、一瞬動きを止めてしまう。そこからは彼女の速さに追いつけなくなる。
先程のまでの軽薄な笑みは消え失せ、彼女に滅多打ちにされてから男性は戦意を喪失し、ただ顔の色を白くするだけ。
それを感じ取ったのか、エルゼも手を止めた。「今日はこれくらいにするけど、今度手を出したらダダじゃおかないからね!」眼光は鋭く、瞳の奥はまだ憤怒の炎が宿っている。
「くそっ! 覚えとけよ!」
男性は捨て台詞を吐いて脱兎のごとく速やかに退散した。しかし、事態はまだ終息しない。
「警備兵だ! 誰だ、街中で暴れた者は!」
年を重ねた分だけ低い声が響く。槍を持った軍服姿の男性たちがエルゼらの元へと駆け寄って来る。
「やば、逃げるよ、リンゼ!」
「に、逃げたら余計に悪くなっちゃうんじゃ……」
「捕まったって、どやされるのは一緒でしょ!」
エルゼはリンゼの手を引いて憲兵たちから逃げるように駆け出した。
――いつも、お姉ちゃんは私の手を引いてくれる。まるで囚われたお姫さまを助け出す王子さまみたいに。
手を引かれたリンゼは姉の背を見つめる。幼い頃からどこへ行こうとしてもエルゼが常にリンゼの前へと立ち、先程の男性から守ったように障害を叩き壊し、今のように手を引っ張って先導してくれていた。
リンゼはそんな彼女に憧憬と羨望を抱いていた。
ヒーロー――それがリンゼにとってのエルゼの存在なのだ。