Hero   作:巻波 彩灯

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第五章

 その頃、惟真とリンゼは活気溢れる歓楽街を足早に歩いていた。

 嬌声と独特の臭いが街を彩っている。嗅ぎ慣れない臭いにエルゼは顔を顰め、できるだけ傍目を向けないようにして惟真の背を追いかけていた。

 人の欲望を直に見るのには、幼く純真すぎる。だから、偶然にも視界に入った瞬間、衝撃が大きすぎて彼女の中の壁がまた一つ壊れてしまった。

 ――リンゼを助けるためよ。しっかりしなさい、エルゼ・シルエスカ!

 自分を何とか奮い立たせて、前だけを見つめる。惟真曰く、この道を通らなければ、リンゼを連れ去った人間たちのアジトには辿り着けないらしい。

 何故、彼が知っているのかは不思議だが今はそれどころではない。現実と戦うので精一杯だ。

「おや? 惟真じゃないかぁ、こんな所で珍しいのぉ」

「よお、色ボケ爺さん。丁度アンタを探していたところだったんだよ」

 惟真に話しかけてきた白髪に立派な白ヒゲを生やした老人。

 身に着けているものはみずぼらしく、顔立ちもそれなりに年を重ねているように見える。

 しかし、背筋は真っ直ぐと伸びていて肌ツヤも若々しいせいか、パッと見はそこまで老けているように見受けられない。

「儂を……遂にお主も覚悟を決めたのじゃな。よし、儂が」

「“魔女の館(ウィッチーズ・パレス)”は今日休みなのか?」

 誘いをキッパリと遮り、惟真は自分の用件を話す。老人は特に気を悪くすることなく、「ふむ、“魔女の館”か」皺だらけの手でヒゲを撫でながら思案し、話を続けた。

「今日は休みじゃたなぁ……何でそんな所に?」

「ちょっと用事ができてな」

「ほほう、もしかしてそちらのお嬢さんに関することかな?」

 老人は惟真の背から顔を出して様子を窺っていたエルゼに目を向ける。藍色の瞳は興味深そうに彼女を観察していた。

「ああ、そうだ」

「なら、ちょっと面を貸してもらおうかのぉ。そこのお嬢さんにも」

 手招きされた二人は老人に連れられ、路地裏へと歩いて行く。道の傍らには欲望のままに重なり合う男女の姿が見えるが、それらを無視してただひたすらに老人を追いかける。

「この辺なら誰も聞いておらんじゃろ」

 閑静な行き止まりに周囲を見渡して老人は薄汚れた木箱に腰掛けた。「さて、そのお嬢さんのことなんじゃが」静かに口を開いて話す。

「似たような子をついさっき見かけたんじゃ……髪は短かったが、顔立ちがよく似ておったわい」

「本当なの、お爺さん!?」

 今にも掴みかかろうとするような勢いでエルゼは食いつく。手がかりが増えるにこしたことはない。

 リンゼがいる場所がよりハッキリと分かれば、助けに行ける。僥倖が目の前に現れたのだから。

「ふむ、そうじゃな……金髪のチャラ男と茶髪のマッチョマンと一緒におったのじゃが……」

「リンゼだわ! 間違いない、あたしの妹よ!」

「そうだったじゃったんじゃな。なら、話が早いわい。あの男たちは“魔女の館(ウィッチーズ・パレス)”の従業員じゃ、その子もそこにいるじゃろう」

 話を聞いて、エルゼは今すぐにでもその場所へ向かおうとするが、惟真に肩を掴まれ制される。「待て、もう少し聞きたいことがある」ここまで呼んでいた訳を察していたのか、惟真は老人を見据えていた。

「それだけじゃないんだろ?」

 惟真の言葉に老人はゆっくりと頷き、「最近耳にした話だがな……」とさらに続きを話す。

「どうやら店主はモンスターで若い女を食べないと体がもたないと言っておってな? それで寿命も近いし一日でも長く生きたいから、多くの人間の命を必要としているようじゃ」

 あっさりとした老人の言葉だが、衝撃はあまりにも強すぎた。エルゼの頭の中は一気に焦りの色一色になてしまう。急がなければ、リンゼが危ない。

 惟真に視線を送るが、彼は何事もなかったように落ち着いていた。

「そうか……ありがとう、爺さん。今度、美味い飯でも奢ってやるよ」

「飯より酒が良いわい。急いだ方が良いぞ」

「分かっているさ、ちょっと悪いな」

「へぇ!?」

 瞬く間にエルゼは惟真に担ぎ上げられてしまう。突然のことで抗うこともできなかった。

 抗議できたのは担ぎ上げられた後で、「ちょっと下ろしなさいよ!」羞恥で顔が赤くなっていく。

 その声を聞き流して惟真は老人に話しかける。「じゃ、行ってくる」言葉は後ろに流れ、左右の壁を蹴っては上空へと飛び出していく。

「気を付けるんじゃぞぉ」

 老人の言葉がその場に残る頃には惟真たちの姿はなかった。

 

「ちょっと、ちょっと!?」

 家屋の屋根を次々に飛び移る惟真に猛抗議するエルゼ。担がれたと思ったら、いきなり屋根の上を疾走するものだから、驚くも当然だろう。

「あんな話を聞いたなら、急ぐのは当たり前だろ」

「だからって、こんな場所を走るって聞いてないわよ!」

「仕方ないだろ、あの中を走るよりもこっちの方が早いんだから」

 黒緑の疾風は瞬く間に目的の場所へと辿り着く。そして、その建物の屋根に足を着けた瞬間、地面が落ちる感覚に襲われる。

「しまった」

 踏み抜いたと自覚する頃には二人は惟真が作った穴に吸い込まれていく。惟真はエルゼに負担がないように素早く彼女を抱えて着地の体勢を作る。

 落ちる先にある木の床は二人の体重に落下のスピードが加わったことにより、悲鳴を上げては撓むが何とか砕けることなく留めた。

「あっぶねぇ……」

 エルゼを下ろし、天井を見上げる惟真。そこには大穴が空いており、星空を眺めることができる。

「ったく、何が“こっちの方が早い”よ。早くてもこんなんじゃ、命がいくつあっても足りないわよ!」

「すまん、これは俺も想定外だった」

 悪態をつくエルゼを惟真はなだめる。そして周囲を見回して、自分たちがいる場所を確認。

 二人がいる部屋は普段客室と使われている場所なのか、豪勢な調度品に丁寧に整えられたベッド、隅々まで掃除が行き届いている様子が見て取れる。

「今日は休みで良かったぜ……」

 惟真は冷や汗をかいて呟いた。その呟きが耳に届いたエルゼは、一瞬何のことだろうかと考えたが、今まで見てきた光景をを思い出すと耳まで赤くし俯く。

 そんな場面に飛び込んでしまったら――幼いエルゼでも想像したくないところだ。本当に休みで良かったと彼と同じ様な気持ちを抱いてすらいる。

「とりあえず、部屋の外へ出るぞ」

 ドアを慎重に開けて、周囲を警戒する惟真に続いてエルゼも退出。閑散とした館内を不気味に思いつつ、二人は歩を進める。

 エントランスまで辿り着くと一人の男性が立っていた。紺色の髪を逆立てボサボサとしたショートヘアに深紅のレザージャケットが印象的な長身の男性――ヴァンだ。

「よぉ、久々だな惟真」

「お前か、ヴァン。またこんなところに雇われたのか?」

「まぁ、そんなところだ。俺の好きにして良いという契約だったからな」

「そうか……だが、お前と話している暇はない」

 穏やかで落ち着いている二人の会話だが、異様な緊張が走る。これから一歩でも踏み出せば、激しい戦いが始まる――そんな予感がエルゼの中にあった。

 重々しく息詰まる空気で気死しそうだがエルゼは辛うじて口を開く。

「知り合いなの?」

「ああ、ちょっと前に一緒に仕事をした仲だ」

 彼女に一瞥もしないまま惟真は答える。表情は異常に硬い。「それでこの子の妹を探しているんだが、知っているか?」そのままヴァンへと問いかけた。

「妹……妹かどうか知らねえが、ちんちくりんなら地下にいたな」

 質問に少し逡巡するヴァンだったが、ハッキリと返答する。「さっさと行った方が良いぞ。雇い主は飢えているからな」地下への入り口を指し示した。

 ヴァンの言葉を聞いて惟真はエルゼに目配せをして、先に行くように指示を出す。

 エルゼは後ろ髪を引かれる思いもありつつ、今の自分では足手まといになるだけだと自覚している故に、大急ぎで地下へと駆け出していく。

 彼女の姿が見えなくなった後、惟真はおもむろに言う。いつでも動けるように体を撓ませながら。

「良いのか? 依頼人に怒られるぞ?」

 その言葉にヴァンはにやりと獰猛な笑みで返す。腰に提げている剣を鞘ごと傍らに放り投げて。

「知るかよ。俺の好きにして良いって言うから好きにしたまでだ」

「相変わらずだな」

「変わらねえのはテメェもだろうが……始めようぜ、どっちが速いか競争だ!」

 黒緑と深紅の弾丸が同時に飛び出し、交差する。そして――。

 

 惟真とヴァンの競争が始まった頃、エルゼは地下エリアまで何とか辿り着けた。人がいないことを不審に思うが、今はそれどころではない。

 疑問を振り払って先に進む。通路に出る前に二人の男性が待ち構えていた――ブロンドの髪の男性と茶髪の男性、因縁の相手とも呼べる者たち。

「アンタたち……妹を返してもらうわよ!」

 不意打ちがあったとはいえ、一度は敗北を喫した相手。エルゼは臆することなく、拳を顔面の前に掲げて臨戦態勢に入る。

 この二人を倒さなければ、リンゼの元へ辿り着くことはできない。だからこそ、迷いはない。

「ふん、いくらゴリラ女でもオレら二人はキツイんじゃね?」

「そうだな、力の差でも圧倒的に不利だぞ」

 数的も力も有利だと踏んで、男性たちは余裕の笑みを浮かべる。さらには茶髪の男性の手には樫の木で作られた棍棒が握られていた。彼の力とあの硬さが合わされば……エルゼが体験した通りになるだろう。

「うっさいわね! 数でしか女の子に勝てないなんて恥ずかしいと思わないの?!」

 言葉を言い終わるか終わらないかの内に、エルゼは地面を強く蹴り茶髪の男性の方へ飛び込んでいく。

 彼女の行動に気付いた男性は棍棒を振り上げる。だが、彼の動きはあまりにも緩慢すぎた。

 もう既にエルゼは懐に潜り込み拳を突き出している。そして、魔法を詠唱していた。

「ブースト!」

 茶髪の男性の屈強な体に拳を打ち込むと同時に、先程詠唱した魔法の効果によりさらにインパクトを強める。彼女の全体重と魔法による筋力強化によって生み出される威力は並大抵のものでない。

 為す術もなく受けた男性は手に持っていた棍棒を手放し、腹部を押さえながら蹈鞴を踏んで後退する。

 内臓を潰されたのか、下がった先で血を吐き出して脂汗を流していた。やがて痛みに耐えきれずに失神し、自ら作った血の海へと倒れ込む。

 そんな様子をエルゼはただ無表情で見ているだけ。彼女には彼にかける慈悲など持ち合わせていなかった。

 強いて言えば先程のお返しといったところだろう。もはや倒すべき障害以外何ものでもないのだから。

「っで、一対一になったけど?」

 茶髪の男性が倒れるのを見届けると、エルゼはブロンドの髪の男性を睥睨する。体はいつでも行動できるように撓ませていた。

 ――正直、アイツと比べたら大したことがない。アイツは一発も当てさせてくれなかったからね。

 失神している屈強な男性に一瞥し、眼前のブロンド髪の男性も観察して思い起こす。

 この二人は確かに素のパワーだったら、エルゼより何倍も上だろう。特にエルゼの傍らで地に伏している男性は、惟真よりも力があると言っても過言でない。

 しかし、圧倒的に速さが足りていないのだ。いくら力があろうとも技を当てる速さがなければ、意味を為さない。だから、エルゼとの実力差はかなりあるのだ。

「へへっ、ついさっきは手加減してたんだよ! おらぁ!」

 引きつった笑いからブロンドの髪の男性は鬼気迫る表情で殴りかかる。だが、力んでいるせいか、腕の振りが大振りとなりエルゼは余裕で回避する。

 その後もエルゼは必殺の一撃を見舞うタイミングを窺いながら、落ち着いて男性のパンチを次々に躱していく。

 男性の拳が大きく空を切った瞬間、エルゼは疾走して脇腹に右拳を叩き込む。「ブースト!」もう一度魔法を使用し、一撃を重くする。

 骨が砕かれたり、内臓が潰れる感触が彼女の拳に伝わるもののエルゼはさらに押し込んだ。

 ブロンドの髪の男性も茶髪の男性と同じように血を吐いて倒れ込む。

 男性の血をそのまま浴びたエルゼは苦虫を噛み潰したかのような表情を浮かべるが、背に腹は代えられないと分かっているため、我慢することにした。

 そして、リンゼがいる部屋を探しに通路へと駆け出す。――男性たちからどこにリンゼがいる部屋の鍵を受け取っていないどころか彼女がどこにいるのかさえ尋ねていないまま。

 

 薄暗い部屋の中でリンゼは、ただひたすらに祈っていた。――願わくば、もう一度姉と会えますように。

 すると、鉄でできた扉が歪み始める。魔法の詠唱をしていないのに、鉄製のドアが歪むの尋常ではない。

 恐怖がリンゼの体を小刻みに震わす。もしかしたら、彼らが言っていたボスがやって来て食べられてしまうという最悪の事態を想像して。

 けれど、部屋に光が差し込んだ瞬間、彼女は安堵した。目の前に現れたのは、エルゼ(ヒーロー)だったからだ。

「お姉ちゃん!」

「リンゼ!」

 身動きのできないリンゼは可能な範囲で姉に近づこうとする。エルゼもリンゼの方へと駆け寄り、彼女を抱きしめた。「ごめんね、こんな怖い思いをさせちゃって……」情けなく震えているエルゼの声が耳朶を打つ。

「ううん、私は大丈夫だよ。お姉ちゃんこそ、大丈夫なの?」

「あたしも平気よ」

「でも、血が……」

「ああ、これ? これはあたしの血じゃないから」

 返り血を浴びたまま放置していた為、髪や服があちらこちら黒く変色し、本来の色が塗り潰されていた。

 それに気付いたリンゼだが、エルゼの言葉を聞いてひとまずは安心すると同時に、誰の血なのかという疑問が沸き上がる。

「じゃあ、誰の……?」

 恐る恐る尋ねてみると「これはあのいけ好かない金髪男のよ」あっさりと返答するエルゼ。

「その人は大丈夫なの?」

「さあ? あんな奴の心配をしたって仕方ないんじゃない?」

 淡泊な姉の意見にリンゼは困惑するばかり。気の強い姉のことだから、そう易々と同情するわけもないのは分かるのだが、いくら何でもそれは酷すぎるのではないかと。

「その人たちも助けに行こうよ」

「何でよ、リンゼを連れ去った奴らなのよ? 助ける必要なんてないじゃない」

「それでも傷付いて困っている人は放っておけない」

 リンゼは真っ直ぐな瞳でエルゼを見つめる。そこには気弱な彼女からは想像もできない頑なな意志を宿した光が灯っていた。

 いくら自分たちに害を為した相手だとは言え、流石に血まで吐いているぐらいの怪我をしているなら手当てぐらいはしたい。

 彼女の強い意志にリンゼは諦めたかのようなため息を吐いた後、「分かったわ、リンゼがそう言うなら」観念の意を伝える。

 そして、リンゼを拘束している器具を破壊して二人は男性たちが倒れている所まで歩いて行く。

 彼女たちが到着していた時には、そこは血の海しかなく誰一人もいなかった。

「どうなっているの……?」

 リンゼは大きく目を見開いて動揺するが、エルゼは「きっと目を覚まして、どっか行ったんじゃない?」と結論付ける。

 だが、リンゼにはそう思えなかった。

 血まで吐くということは相当重傷だということを示している。だから、すぐに動けるはずがないと思うが……。

 今の彼女たちに二人の行方を知るよしもない。

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