Hero   作:巻波 彩灯

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第七章

 惟真はエルゼを、ヴァンはリンゼを抱えて飛び退いた。ワーウルフの爪が空振るだけ凄まじい風圧が押し寄せてくる。

 誰もが思っただろう――あの爪に当たれば、肉を抉られるどころか骨まで砕かれると。

「ちとばかし面白れぇのが飛び込んできたな」

「そうか? 俺には最悪な魔物にしか見えないぞ」

 二人とも少女たちを下ろし、彼女たちを守るかのように前へと出て、ワーウルフと対面する。

 相変わらず強気で不敵な笑みを絶やさないヴァンと彼の言葉に困惑する惟真。二人とも体はいつでも動き出せる状態だ。

「あたしも前へ出るわ! リンゼ、援護お願い!」

「う、うん……」

 エルゼも守られてばかりではないと前へ出ようとする。だが、リンゼは倦んだ様子で返事がぎこちない。

「なぁに、大丈夫よ。アイツらがいて、リンゼもいるんだから」

 彼女の心中を察したのかエルゼはヴァンに負けず劣らずの不敵な笑みで妹を元気づけようとする。

 リンゼもこの時ばかりは素直に頷き、「分かった。後ろは任せて」と力強く言った。

 エルゼはその様子に満足したように頷いては、振り返り背後にいるワーウルフを睨みつける。

 ワーウルフは見境なく暴れていており、誰もいないところを荒らしていた。これが主を務めていたのだから、驚く。けれど、その驚愕は忘れることにした。

 そして前衛の三人は一斉に地面を強く蹴り出し、ワーウルフに向かって突進する。

「氷よ絡め。氷結の呪縛、アイスバインド」

 彼らを援護するようにリンゼは魔法を詠唱し、ワーウルフの足元を凍らせていく。人狼の力を見るに対して拘束できるわけではないが、それでも速さが自慢の前衛組に攻撃する時間を与えるには十分だろう。

 その前衛組の一番手は惟真だ。彼は跳躍して頭上からトンファーを振り下ろした。その速さにワーウルフは追い付けない。

 だが、直撃しても微動だにはしなかった。蠅を払うかのように軽く振るわれた左手は人の域などを優に超えた速さで惟真へと迫る。そしていとも容易く惟真を捉えて振り払った。

 惟真は為す術もなく吹き飛ばされ、そのまま壁に激突する。壁は衝突の凄まじさを物語るようにヒビが入り、陥没していた。惟真は地面に伏せてた後、気を失ったのか動かなくなってしまった。

 そんな光景を目もくれずヴァンは左手にある鋼糸を操ってワーウルフの右腕を断ち切ろうと試みる。だが、すぐに手放した。

 ワーウルフの尋常ではない筋力により糸は剥がされ、あちらこちらへと暴れ回る。幸い誰も鋼糸の犠牲にはならなかったが、もしヴァンの反応が一瞬でも遅れていたら鋼糸の持ち主よりも酷い結果が待ち受けていただろう。

 想像以上の力に驚くこともなければ、臆することもなくヴァンは大剣を両手に持ち、ワーウルフの懐へと飛び込んでいく。これもまたワーウルフが対応できない速さで突くが手応えは途中で止まった。糸を強引に剥がしたほどの強靭な筋肉が剣を食い止めたからだ。

 すぐさま剣を手放し、ワーウルフの左手をバックステップで躱した後に再び疾駆して、その勢いを利用して柄頭を掌底で押し込む。今度は深くまで突き刺さり、流石のワーウルフも痛みに苦しんでは吐血した。

 しかし、逆上したワーウルフの右拳はもはや人間の目では映らないほどの神速で、ヴァンの体を確実に捉えては彼を突き飛ばす。

 ヴァンもまた異常なスピードのまま木製のカウンターと衝突した。粉々になった木片が辺り一面に降り注ぐ。

 彼らに続いてエルゼもブーストを使って飛び込んでいくが、氷の呪縛が解けた人狼に文字通り一蹴されて木でできた棚にぶつかり、衝撃で倒れた棚の下敷きに。

 瞬く間に惟真、ヴァン、エルゼの三人は蹴散らされ、残すはリンゼのみ。

 だが、彼女は逃げも隠れもせず、今できることを懸命に考えた。そして、行動に移す。

「炎よ来たれ! 紅蓮の炎槍、ファイアスピア!」

 炎の槍が全てを焼き尽くさんと燃え盛り、ワーウルフへと飛来。このまま直撃すると思われたが、リンゼは驚くべき光景を目にする。

 何とワーウルフはあろうことか己の蹴りで作り上げた暴風で炎を掻き消したのだ。人知を超えた生物らしいと言えばらしいのだが、もはやそれすらも表現するのは的確ではないだろう。

 それでもめげずに「炎よ来たれ! 赤き速弾、ファイアアロー!」と詠唱して抵抗するリンゼ。

 複数の炎矢は高速で打ち出され、ワーウルフに襲いかかる。

 だが、これもワーウルフがパンチや蹴りで生み出す風の壁により打ち消されてしまう。ただ一つ先程と様子が違った。

 ワーウルフの息は上がり、足取りも覚束ない上に焦点もさらに乱れており、何を見ているのか定かではない。

 そして何かを求めるように右手を伸ばし、リンゼへと歩み寄る。「フィリア……愛しのフィリア……」譫言を口走っていた。

 リンゼは彼の変調の原因を見極めようと凝視し、気付いてしまった。彼の牙にこびりついている布切れは、彼女たちを襲撃していた男性たちが着ていたものだと。

 驚愕するが、譫言を発し続けながら近づくワーウルフを前にすぐさま現実に戻り、彼を見据える。

「私は、フィリアじゃありません」

 静かに、けれど芯の強い言葉が響く。すると、ワーウルフは動きを止めてしまった。「嘘だ……その魔力の高さはフィリアしかいない……だって、匂いが」現実と虚構の狭間で何を見ているのか、リンゼには分からない。けれど、何かしらの幻想を見続けていることは察した。

「私の名前はリンゼ・シルエスカです。フィリアという人ではありませんし、その方は知りません」

 淡々と事実だけを述べていく。そんな事実を受け入れられるほど、ワーウルフが正気ではないのは重々承知している。それでも彼女は否定するしかなかった。

「嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ! キミはフィリアだ! フィリアじゃなきゃ、誰なんだ!?」

「嘘じゃありません! 私はリンゼ・シルエスカという名前です! あなたが愛したフィリアさんじゃないんです!」

「ああ、その強さは……やっぱりキミはフィリアなんだね。ようやく会えた……これからはずっと一緒に」

 会話が成立しない。幻想に飲まれたワーウルフには、言葉はもう届かなかった。

 彼が大口を開き、リンゼを頭から噛み砕こうとする。リンゼは目も見開いて、微動だにしない。

 何故なら――

「ウチの妹に手を出してんじゃないわよ! このド変態!!」

 ワーウルフの背後からエルゼの右足が側頭部へと当たり、ブーストを用いて蹴り飛ばした。

 先程、惟真の打撃を受けても平然としていたワーウルフだが、その面影はなく軽々と壁に打ちつけられる。しかし、リカバリーは早く、すぐに立ち上がった。

「まだあれで立つの!?」

「お姉ちゃん、来るよ!」

 姉妹は言葉にもなっていない絶叫が迸らせながら疾走するワーウルフを何とか躱し、体勢を整える。

「あたしが引き付けておくから、リンゼ魔法をお願い!」

「うん!」

 そう言ってエルゼはワーウルフに向かって駛走し、もう一度ブーストを用いて右拳を脇腹に叩きつける。

 これまた効いたのか、ワーウルフは再び口から血を吐き出した。だが、逃すまいと爪を立て、エルゼに刺突しようと左手を振り下ろした。

 確実に逃げられない速度で、リンゼの魔法も間に合わない。エルゼは死を覚悟した。

 だが、彼女の耳に届いたのは、金属がぶつかった時に鳴る甲高い音。

 目の前では鋭利で硬い物体がいくつか飛散した。

 エルゼの眼前に現れたのは惟真だ。トンファーで爪を叩き折り、彼女の窮地を救ったのだ。

 そしてエルゼは惟真に抱えられて後退する。と同タイミングで、リンゼが放った炎の槍が疾駆した。

 まだ力は残っていたのか、またしても炎の槍は暴風壁により消失。

 それを見計らったかのように深紅の弾丸がワーウルフが作り出した強風の壁をものともせずに突っ切る。

「そろそろ返してもらうぜ。テメェの血で錆びつかせる程、安いモンじゃねぇんだ」

 ヴァンは口の端をを獰猛に吊り上げる。傍から見れば、飢えた野獣のそのものように。

 柄を両手で握りしめ、剣を右手側に捻り傷口をさらに開く。そして、右足の脚力のみでワーウルフを蹴り飛ばして引き抜いた。

 刀身は血に濡れ、本来の色を失っている。大きく振るい落として、銀色が蘇った。

「まだやるみたいだな」

 頭に強烈な打撃をもらい、爪は折られ、腹部の傷が広がっても尚ワーウルフは立ち上がる。

 言葉の羅列は意味を成さず、目はもはやどこを見ているのかさえ分からない状態だ。

 それでもワーウルフは地面を強く蹴り出して、ヴァンへと突撃する。だが、動きがあまりにも鈍重すぎた。

 銀色が一筋流れるとヴァンを潰そうとした左腕が宙を舞う。

 地に落ちる前に惟真とエルゼが飛び出し、各々最大の力を込めた拳をワーウルフの胴体へと叩き込んだ。

 蹈鞴を踏んで後退るワーウルフに追い討ちをかけるようにリンゼが炎の槍をもう一度放つ。

 着弾し、ワーウルフは燃え盛る。肉が焼ける独特の臭いが部屋一帯へと瞬く間に充満。

 それでもワーウルフはリンゼに向かって右手を伸ばす。けれど、左腕が地面に着いた直後、彼は頽れた。

 何が彼をあそこまで狂わせたのかは、四人に知る術はない。ただその最期を見届けるしかなかった。

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