フロストリーフさんは気になる。   作:杜甫kuresu

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ほどける戦争

 戦場なんて血と砂煙で化粧をする場所だ、昔誰かに言われたのを覚えている。

 読み書きを学ぶ前に握った斧は、本を読み切る前に刃が欠けた。まだ小さかった身体も、成長を終える前に源石に埋まった。

 世界が残酷などと思うことはなかった。私の居る場所には、そもそも私以上の”当たり前の生活”に触れてきた人は居なかったから。それが一番の不幸だったと知ったのは、此処にやってきてからのこと。

 

 自分が凍りつき始めていると気づいたのも、此処にやって来た後。私はきっと何もかもが遅れてやって来て、今もそういう春風の波に呑まれたまま息をしている。

 私はある意味恵まれている筈だ。救いが有ったかはさておき、その錆びついた戦場の経験が活きる場所で、驚くことに人助けなんて全うな目的に従っているのだから。

 

 口に入る砂利の気持ち悪さを知っている。

 斧を杖にして立ち上がる身体の重さを知っている。

 擦り傷に風の染みる痛さを知っている。

 動かない知己を見るときの情けなさを知っている。

 このまま漠然と死んでいくことを考えたときの怖さを知っている。

 

 嫌なものを沢山、沢山知った。

 だから今度は私が、誰かに教える番だ。

 

 止まない雪はなく、溶けない朝霜はなく、落ちない露もない。

 私達は残念ながら、悲劇の中で酔ったまま生きてはいけないんだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「本当に降りれる?」

「も、問題ありません…………」

 

 そう言いながら手すりに掴まるナイチンゲールは、子鹿のように足が震えていた。それ多分降りれない。

 何でもエレベーターが二日程点検に入ってしまったらしく、昨日はシャイニング辺りに手を借りて階段を降りていたとか。

 

 今日は突然の出動で二アールもシャイニングも不在。案の定、彼女は一人では生活できないと来た。

 

「ゆっくり降りれば大したことは…………あっ」

 

 踏み外した。すかさず支える、彼女は踏み外した後に身体を持ち直せない。

 

「素直に肩を貸させて欲しい。正直、そんな危なっかしい動きをされるよりよっぽど楽だから」

「ですが」

「私の為と思って」

「申し訳ございません…………」

 

 しゅん、と項垂れるナイチンゲールに思うところは有ったけど、これくらい言わないと引き下がらない人種というのも居る。実際、こんな危なっかしいと心配になるのは嘘じゃない。

 ぐっと傷む心を抑えつけて手を差し出す。受け取り方がゆっくりとしていて繊細、何処かの王女の手を取るような気分だった。

 

 もつれもつれの足に合わせて、そっと、そっと音を合わせる。

 

「…………っしょ……っしょ」

「ゆっくりで問題ない。後の予定もないから」

「は、はい」

 

 ひ弱。ナイチンゲールの背丈は私より高いのに、きっと歳も私より上なのに。ずっとずっと、身体が脆い。

 ガラス細工のような指先も、透き通る翡翠の瞳も、零れる言葉もとても儚い。息を吹きかければきっと消えてしまう、まるで霧のよう。

 

 私の斧を持てばきっと倒れてしまうような、そんなオペレーター。

 

「…………少しいいか」

「な、何でしょうか」

「どうして私達は、あなたに頼らなくてはいけないのだろう」

 

 何でこんな細い手に握られる杖に縋らなくてはならない。

 彼女は紛れもなく患者、議論の余地なんて無い。本当なら安静にして私達が守らなければならない存在のはず、少なくともロドスアイランドの中ではそう定義される。

 

「私達は――――――いや、私は。何を守っていたんだっけ」

 

 その手を借りる私は何だ。

 

 ロドスは無力だ。私はもっと、無力。

 歩くのもやっとで、今にも消えそうな誰かの手を借りて。そこまでして私達は何を為す事が出来るのか、ちょっとだけ分からなくなった。

 分かってる。彼女に聞くのは酷いこと。

 

 その言葉を引き出させたのが私にふっと入り込んだ甘えなのか、”ナイチンゲール”の聖女たる所以なのか。見分けはつかない。

 彼女は顔色なんて殆ど変えない。敢えて言うなら手付きは止まって、少しだけ眉はひそめられたように見えた。気のせいかも。

 

「私には分かりません」

 

 ああ、その通り。

 あなたに答える義理はない。

 

 

 

 

 

「半分、嘘です…………考えたこともありませんでした。フロストリーフさんは、そういった事を考えることが出来る方なのですね」

「考えたことが、無い?」

 

 不意をつかれた。体を押してまで戦場に入ったと聞いたものだから、もっとはっきりした返答ができる人間だと思っていたと言うか。

 ナイチンゲールはコクリと頷いた。

 

「私は覚えている頃には、言われるままに治療を繰り返してきました。数はもう覚えていません、沢山治療した筈です」

「ですが。誰を治療するか、ということを考えたことはありませんでした」

 

 憐れむ気はない。考えるより先に、それはそれで凄いことだなと思った。

 

「凄い人だ、あなたは」

「……?」

 

 頼りない足取りも脳裏から掻き消えていく。

 

「私は傭兵として戦う内に考えることを、一度辞めてしまった。考えない方が楽だったから」

「あなたは楽な場所よりも知ることを選んで、此処に来たんだろう?」

 

 羨ましくも有る。ナイチンゲールという人間は、かつて悩むことも知らなかったということだと思うから。

 血も心も凍りつかせて誤魔化した私では追いつけない。思うことが有っても迷わなかったとかではなく、彼女は其処で思わなかった。

 

 過程がどうあれ、正誤はともかく。それは普通では出来ない。

 ただ。其処から戦場に立とうと奮い立つことはもっと出来ない、無理だ。

 

「あなたは過去と戦っている。白紙を強いられた過去とだ――――――だから戦場に立つ」

 

 それは不器用。見てるだけで分かる、その奇蹟は素晴らしいもので、同時に彼女の白い歴史を引きずり出す力。

 それでも戦うのだから、それはもう私にとって称賛に値する。

 

「なるほど。ナイチンゲールというオペレーター、欠片ではあるが理解した」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「しかし、階段も降りれないのは辛いな」

「皆さんにご迷惑を掛けてしまいます…………」

 

 ふぅ。と溜め息を付きながらテーブルに着くナイチンゲール、歩いた距離は長く200m。吐く息の量はとてもではないが彼女の運動量とは見合ってない。

 私も手は貸していたのだけど、それでもこの有様。シャイニングと二アールは彼女を置いていくのが、実は結構気がかりだったんじゃないかと思う。ドクターに打診しておくべきかも。

 

 コーヒーカップを持つ手も小刻みに揺れる。震えていると言うよりは風邪で朦朧としてるみたいな手付き。

 

「手も感覚、弱いのか」

「はい」

「困らないか?」

「お裁縫をしようとしたら、指が穴だらけになってしまいました……」

 

 それは多分最初は皆だと思う。

 

「完治は無理でも、何か改善はしたいな」

「そういったところです」

 

 何か手はないものか…………。

 

――思い出した。

 

「どうしましたか?」

「…………これかな。少し待ってて」

 

 

 

 

 

「これは…………」

「あやとり」

 

 あやとり。いいところはペースが自由なことと、基本的には危なくないこと。何より子供向けの遊びは簡単。

 此処は子供を保護することも有るからこういう道具も事欠かない。事務室で相談したら、手続き書類は要らないって言われたから速く帰ってこれた。

 字はまだ綺麗に書けない、練習はしてるつもりなんだけど…………。

 

「ナイチンゲールはあやとり、したことある?」

「いえ。有るかもしれませんが、記憶にございません」

 

 相当深刻な記憶障害らしい、覚えてないものはしょうがない。

 

「じゃあ手始めに…………」

 

 久しぶりだから流石に鈍いかと思ったけど、染み付いた動きは中々取れないらしい。見慣れた手付きがするすると紐を指に這わせていく。

 

 初めて見る動きが興味深いのか、ナイチンゲールが私の手をじーっと眺めて観察してくる。何を考えているのかはどうしても掴みかねる真顔が多い人だけど、何となく好奇心の視線なんだろうというのは伝わってくる。

――終わり。

 

「この紐、引っ張ってみて」

「ここですか?」

 

 おずおずと摘むナイチンゲールに頷いて答える。

 おっかなびっくり引っ張ってみるとするすると指に絡まる紐が引かれて解けていく、紐抜きだったかなこれ。そんな感じの名前のあやとり。

 

「こんな感じ、他にも色々有るけど。やってみる?」

「是非」

 

 もう一つの紐を渡すと、まるで見たこと無い動物でも見るみたいにソワソワと紐に指を通したり引っ張ったりする。それ自体は多分見たこと有ると思うんだけど…………意外と好奇心旺盛なのかも。

 

「取り敢えず真似してみて。分からなそうだったら教える」

「はい」

 

 結論から言うと、ナイチンゲールはかなり理解の速いオペレーターだった。

 

 手先は確かに不器用というか不自由そうで、実際何度か指が動かないことに苦労はしているけど、どれだけペースを上げても指の動き自体は一度で覚えてる。

 どうしても待つ時間は出るけど、顔つき以上にリラックスしてる感じがするからあまり不快でもない。

 あの時とは大違いだ。

 

「あの」

 

 手が追いつくまで待っているとふと、彼女がこっちを見つめてくる。

 

「何?」

「フロストリーフさんはどういう縁であやとりをしていたんですか?」

 

 おっと。そういう質問がこの人から飛んでくるのは予想してなかったな。

 

 でも隠しても変だしいいか。

 

「昔、傭兵だった頃に自分より小さい子が居てな。戦闘を間近で初めてみたから、手が震えるようになってしまった時期があったんだ」

 

 そうだな、確か人数は5人。名前も…………よし、ちゃんと覚えてた。大丈夫。

 思い出せるのは彼らの手が私よりも小さくて、後は顔色も常に悪かったこと。もちろん戦場慣れしていない子達だったからというのもあるけど、アレは多分栄養失調も関係してる。

 

「あの子達の気を紛らわすために、あやとりを教えてたんだ。紐が有れば出来るから、食事の時とかも手が震えてたら大変だし」

「それだけ」

 

 作業に戻ろうと思って上の空だった視線を彼女の手の方に戻す。

 

 ナイチンゲールの手が止まっていた。まさかと顔を上げてみると、彼女の翡翠がジッと此方を見つめて動かない。私の顔を見ていたというのがもっと細かい表現。

 此処で誤魔化し笑いができれば楽だけど、生憎と私は出来ない。

 

「どうかした?」

「その子供達はどうなったのですか?」

 

 子供の質問に困る親っていうのは多分こんな感じなのかも。

 

「別に。普通だったよ」

「あなたの表情がそうではないと、言っているように見えますが」

 

 そうか。

 私はそういう顔が出来るようになっていたのか。てっきり顔色一つ変わっていないと思っていたから失策だ、ナイチンゲールにそう言われてしまうならきっと相当に違いない。

 

 多分、アーミヤとかなら上手く誤魔化せるけど私には無理そうだった。

 

「…………二人は初陣の次の戦場で戦死。片方は右腕だけ何とか持ち帰った、別の二人はその前に別の戦場で特攻させられて死んだらしい。一人は――――――最後に自殺した」

「それを思い出すのが、正直少し難しかったんだ。すまない」

 

 辛いからとかじゃなくて、忘れていた。

 中途半端に冷たくなるから思い出せなくなってしまう。辛い記憶は固めて冷やしてさようなら、不器用極まりないが私の戦場での暮らしはそういうものだ。

 

 此処に来てからそういうものじゃないと頭で理解できるようになった気がする。

 でもまだ、頭でしか分からない。

 

「すまない。重苦しい話になってしまったな」

「問題ありません。あなたがそれを言葉に出来たことは、きっとあなた自身が思う以上に大事な事の筈ですから」

 

 あっけらかんと言ってあやとりに戻るナイチンゲールに、何だか私は負けたような気分だった。

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