克也が目覚めたことを知った北山潮は、克也を自宅に招待したいと克也宛に直筆の招待状を届けた。そのことに克也・達也・深雪の3人は、深雪の仕事部屋で疑問に思いながら話し合っていた。
「なんだと思う?」
「お礼じゃないか?」
「お礼ではないでしょうか」
樹里を腕に抱いた達也とペンを片手に握る深雪が、まったく同じことを言っている。それが不思議にも克也には口車を合わせているように見えた。しかしそれは克也の思い込みであり、2人は思ったことを口にしただけだった。
「論より証拠か。どうせあと5分で出なきゃダメだし行ってくる」
「使用人をお連れしますか?」
「いや、いいよ。俺1人で問題ない」
克也が仕事部屋を出て行くのを見送り、2人は要件がどんなものなのか知りたそうにウズウズしていた。
「契約を結びたいと仰るのでしょうか?」
「それなら克也を呼び出す理由が分からないな。とりあえず帰ってくるのを待つ以外知り得ることはないと思うよ」
達也の言葉には期待と不安が感じられた。
克也は所有している車で北山家に向かい、インターホンを押すと潮から入室許可を貰ったので中に入った。案内された場所は、魔法師ネガティブキャンペーンのことについて話し合った部屋同じだった。
「やあ克也君、もう身体は大丈夫なのかい?」
「北山さん、お久しぶりです。お陰様で以前のように魔法も使えるようになりました」
互いに握手をしてからソファーに座り、家政婦が淹れた紅茶を一口飲むと潮が口を開いた。
「今日来てもらったのは雫についてだ。ご足労をかけて申し訳ない」
「構いませんが雫がどうかしたのですか?」
潮は少しためらってから口を開いた。
「…雫を娶ってもらえないか?」
予想外の相談。いや、縁談に驚いて眼を見開いてしまった。
「雫をですか?」
「ああ、雫は君と結ばれることを望んでいる。奥さんを亡くしてすぐに縁談を持ち込むのは失礼千万・非常識だと分かっている。だが私は本心で雫と君が婚約してほしいと切に願っているんだ」
潮の眼は言葉通り本気だった。「眼は口ほどに物を言う」ということわざがあり、それは言葉通り間違いなく正しいのだが…。
「確かに非常識です。俺が水波を守れず悔いていることを知っていて頼んでいるのでしょう?」
「…その通りだ」
親しみをかなぐり捨てた言葉と表情で克也は告げる。〈
克也自身腹立たしく感じていたが、ここで怒りを行動に移すことはしない。
「本人は何処ですか?」
「雫は習い事だ。君の妻になれるよう一層努力をしている」
「…呆れた話です」
克也は突き放しにかかった。雫は人として嫌いではなくむしろ好きだ。だが水波以上に愛せる気はしないし、本人にとっては辛いことになると分かっていたからだ。
「君は雫が嫌いかね?」
「好きですよ。ただそれは女性としてではなく、友人としての範疇に収まる好意です。そんな相手と結ばれて、真の幸せと言えるのでしょうか?」
「雫はそれでもいいと。君の隣にいれるのであれば、それ以外に何も望まないと言っている」
ここで「はい」と言えば丸く収まるだろう。だが懸念事項がある。それを解決するまではどうしようもない。
「この話は一度保留にし、当主と相談してからお返事いたします」
「ありがとう。考慮してくれるだけでも感謝する」
話を終えて部屋を出ようとする克也を潮は呼び止めた。
「克也君、
この質問は容姿に対してではない。克也という人間そのものに対しての問いだった。
「…何も」
克也は振り返ることなく応えて部屋を出て行った。
克也が出て行き車で走り去るのを窓から見送った後、潮は詰めていた息を全て吐き出しながらソファーに沈み込んだ。何処までも沈み込んでいく錯覚に陥るが、それは気分が下がっていることの勘違いだった。
目を覚ましたと聞いて今日初めて会ったが、以前の克也君ではない。殺気が殺意がにじみ出ている。そんな感覚だ。
潮は魔法師ではないが、妻と娘が魔法師であり、ここ最近の10年間で魔法社会に企業進出しているため、それなりに魔法師と関わりを持つことが多い。
それ故に克也の纏う空気の違いに気付いたのだ。近くにいることで感覚が麻痺してしまい、普通なら気付くことができる強力な魔法師であっても気付けない。それとは違って数えるほどしか会っていないからこそ、気付くことのできた事例だ。
「…お父さん」
振り返ると、克也が出たドアとは反対のドアから入ってくる雫がいた。
「雫、もう帰ってきたのか?」
「うん、ついさっき」
潮の言っていたことは半分本当であったが、半分嘘が混じっていた。克也が礼儀をかなぐり捨てた頃に雫は帰宅していたのだ。
「聞いていたのか?」
「…コクン」
「…そうか」
雫は悲しそうに俯きながら頷き、そんな娘を励ますかのように潮は優しい声をかけた。
「克也君と深雪君ならきっといい返事をしてくれる」
「…うん」
顔を真っ赤にして頷く娘に優しく頷き、頭を撫でてから潮は部屋を出て行った。しかしその顔は幸せとはほど遠く、悲しげな表情が垣間見えた。
「お帰りなさいませ克也お兄様」
「お帰り克也」
「ただいま2人とも」
自宅に戻り深雪の仕事部屋に入ると、2人に声をかけられたので普通に返事を返す。
「北山さんは何のようだったんだ?」
達也の質問は興味本位からであり、決して悪意があったわけではないが俺は不快に感じた。
「雫との縁談を申し込まれた」
「本当ですか克也お兄様?」
「北山さんが嘘をつく理由もないからね。それでこの封筒は?」
何故か俺の立つ方向に置かれた封筒に注意が向いてしまったので、不思議になって聞いてみる。何となく似たようなことだろうと半ば予想していた。
「九島家からの手紙だ。今の話の流れからして、おそらく藤林さんと克也をくっつけたいのだろう」
「藤林さんは寿和警部とかなり親しかったはずだ。
手紙を開くと、明日の午後3時に生駒の九島本邸に来て欲しいと書かれている。明日の昼頃にここを出れば十分間に合う。ならば今日の精神的疲労を回復させ、明日の疲労に備えるべきだろう。
雫との縁談も九島家との対話の後に返事をしなければならない。さっさと水波の敵をとらなければならないのに、ここで足踏みする羽目になるとは思わなかった。
両方とも断ることはできるが、四葉の立ち位置を揺るがすわけにはいかない。後手になるが敵討ちは後回しだ。
翌日の昼前。家を出ようとすると樹里がぐずったので、抱っこしてやると泣き止み、眠りについたのでほっとしてから足を外へと動かす。「もはや父親ね」と言われたが無視して生駒に向かうことにする。誰が言ったのかは言わないでおこう。何故なら達也の機嫌が急激に悪化していたので、これ以上刺激してはいけないと思ったからである。
生駒の九島家本邸に到着したのは、約束の時間の5分前で謁見室に案内してくれたのは光宣だった。高校時代より少年らしさが抜け、青年らしく成長した彼には既に婚約者がいるらしい。
そういうこともあって、藤林の縁談が持ち上がったのだと克也は思った。
「お待たせしました」
「約束の時間前なのだからかしこまる必要はない。それにしても君は、必ず約束の時間の少し前に来るようにするのかな?」
「遅刻するのは失礼ですし、早めに来すぎても問題ありです。5分前に来て1分ほど前に顔を合わせれば、簡単な挨拶をしている間に時間になりますから」
「そうか。ではそろそろ本題に入ろう。といっても、もう気付いているのだろう?」
「藤林さんと婚約して欲しいということですね?」
「その通り」
100歳にさしかかろうとしているにもかかわらず、まったく衰えが見えない烈の様子に、克也は驚きと尊敬のまなざしを向ける。それとは反対に、内心でやはりと思っていた。
「響子も30才を迎える。私も孫にそろそろ身を固めてほしいのだ」
「お気持ちはお察しします。しかし何故自分なのですか?他にも藤林さんを慕う方や釣り合う人はいると思いますが」
「響子自身が婚約するならば、君とがいいと言い出してな。私も君なら文句はない。響子に近寄ってくる男は、大抵下心をむき出しにしてくる。時には隠してくるが響子や私の眼はごまかせん。だが君はまったくそんな感情を抱かず、自然に響子と関わってくれている」
「自分もそんな気持ちがないわけではありませんよ。藤林さんは女性からも男性からも、羨望のまなざしを送られるほどですから。異性としての魅力は、正直自分の中でもかなり高いです」
本心だがこの程度で2人を引き下がるわけがないと分かっていた。案の定、烈の隣に座る藤林が答える。
「それでも具体的な行動には出ないでしょう?」
「当たり前です。相手の許可無しにそんなことはしません。そんなことをするような男は唯のケダモノです。せめてお互いに了承を得てから行動に移すべきです」
「ますます婚約して欲しくなった」
どうやら克也の意見は火に油を。いや、ガソリンを注いでしまったようだ。まさかの事態に頭を抱えたくなるが、軽い興奮状態になっている2人の前で、そんなことをするわけにはいかない。したところで気にする2人ではないだろうが。
「自分は昨日、同じように縁談を申し込まれました。返事がすぐにはできません」
「モテ期ね克也君」
「俺はそんなのいりません。水波以上に愛する女性は二度と現れませんから。それでもいいのですか?一番に愛してもらえなくて辛くはないのですか?」
「一番ではないのは悔しいけど、見向きもされないよりは遥かにマシよ」
このままではらちがあかないようだ。ここは一旦家に持ち帰るのが手っ取り早い。
「一旦この話は保留にさせて下さい。返事はまた日を改めて」
「ありがとう考慮してくれるだけでありがたい。光宣、克也君をお送りしなさい」
「はい、お祖父様」
光宣に連れられて部屋を出て行く克也の背中を見ながら、烈は克也に聞こえないボリュームで藤林に聞いた。
「可能性はあると思うかな?」
「限りなく低いです。おそらく克也君は断ると思います」
「やはりか。響子はいいのか?」
「大丈夫と言えば嘘になりますが。心の整理はつきました」
「そうか…」
悲しげな笑みを浮かべる藤林を、烈はまっすぐ見ることができなかった。