第105話 結晶
「樹里姉様待って〜」
「ここまでおいで〜」
「樹里姉様、魔法を使って木に登るのはズルいです。降りてきてください!」
「やだ。捕まえたかったら
樹里が木の枝の上に座り、見上げながら怒っている優姫にあっかんべーをした。その様子に優姫が更に怒るという構図が続いている。その様子を縁側からリーナは微笑ましそうに。だが少し不満そうに見つめていた。
「リーナ、どうしたの?ため息なんかついて」
「あらミユキ、仕事はいいの?」
「今日はそこまで急ぎの仕事はないから少し休憩をね」
声をかけてきたのは四葉家現当主の深雪だった。5年前とまったく容姿が変わらないので、リーナは少しばかり嫉妬してしまう。だが同時に自分は大人びたと言われるようになった。それは前が幼すぎたということだろうか。褒め言葉であっても素直に喜んでいいのか微妙なところだ。
「不満そうね」
「分かるの?」
「なんとなくだけど」
これが「女の勘」というものだろうか。それは男性にも女性にも通用する科学的に証明できないものだが、侮れないのは事実である。
「そんなに会いたいの?」
「そりゃ会いたいわよ。もう半年も会ってないのよ?我慢の限界よ」
恥ずかしそうに「いろいろ」という言葉が最後に聞こえてきた。それを深雪は敏感に聞き取っていたが、どう声をかければいいのか悩んでしまった。
それってそういうことも含まれるのかしら。
深雪自身も達也を亡くして5年あまりでご無沙汰だがそう思ったことはほぼない。それはやるべきことが多いからだろうか。それとも樹里がいるから心が満たされているのだろうか。克也にとある期待をしたこともないわけではないが。
その辺りは深雪に聞くべきだが、聞いた瞬間に氷付けにされのがオチだ。もしくは深雪自身もその答えは出ていないのかもしれない。そんなことを考えていたからだろうか。深雪は笑みを浮かべてしまいリーナに睨まれる。
「何よ」
「ううん、リーナがそれだけ想ってくれて嬉しいの」
「お、想う!?」
何故か顔を真っ赤にさせて悶える様子は、深雪の嗜虐心をくすぐるほどの威力を秘めている。だからリーナはみんなから弄られやすいのだろう。
「事実でしょう?」
「否定したら問題ありよね」
「そうでしょうね」
リーナは紅潮させているのとは対照的に、深雪は笑顔を浮かべとても楽しいそうだ。悪女の適性があると見た者がいれば、そう表現したことだろう。
手をあごの下に置きながら「オホホホホ」と言えば尚近づく。まあ、深雪はそんな捻くれた性格はしてないし、単純にリーナの初々しい反応が可愛くて、もっと見たいという感情に苛まれているだけだ。
「恋愛経験が少ないのも考えものね」
「絶対にしなければならないという強制はないから仕方ないと思うわ。それに貴女の場合は、生まれ育ったのが国外だもの。ここに来なければ経験はできなかったでしょう?」
「うん。ある意味【レプグナンティア】には感謝してる」
リーナは視線を深雪の娘と戯れている愛娘へと移す。髪は自分とは違い紫がかった漆黒である。しかし眼は蒼色であるため、親の遺伝子を双方から受け継いでいるのが分かる。魔法を使って逃げ続ける樹里を、魔法を使わ(え)ずに追いかける娘は元気に満ち溢れている。そんな様子を見ると素晴らしい旦那と巡り会えたと思う。
だがそれでも恨みはある。祖国を追われた元凶の【レプグナンティア】は、生涯の伴侶を見つける手助けをしてくれたが、バランス大佐やカノープス少佐など信頼していた人物と永遠の別れを強制的にさせられたのだ。負の感情を抱かないはずがない。
それを発散させてくれたのは今の夫だ。祖国から追い出した連中ではなかったが、【レプグナンティア】の日本支部を壊滅させる手助けをしてくれた。完璧には払拭できてはいないが、今では気にならない程度には減少した。だが忘れはしない。2人を殺した奴らの犯した罪の重さを。
「いつ帰ってくるの?」
「あと1週間くらいだと思うわ。今は大亜連合が存在した土地を開発する仕事をしているから、案外すぐに帰ってくるかもね」
その言葉を聞き、リーナは恋する少女のように顔を紅潮させた。時折独り言で「また襲ってあげる。夜は寝かせないわ。なんなら2人目もありかも。カツヤ次第でもあるけど」という娘が聞いていないとはいえ、口にすべきでない言葉を発しているので、深雪は引きつった笑みを浮かべている。
リーナは好きな人とそういうことをしたいという気持ちが強い人間性らしく、夫が帰ってくる度にそんなことをしている。相手も嫌がってはいないので深雪も口を挟まずにいるが。挟んでしまえば、リーナから何を言われるか分からないし言われたくもない。自分の身体を自分の腕で抱きしめながら悶えているリーナをその場に残し、外で遊んでいる2人を呼ぶ。
「そろそろお昼にしましょう。お家に入りなさい」
「はい、お母様。優姫、行きましょう」
「はい、樹里姉様!」
木から魔法を使って降りた樹里は、リーナの娘である優姫と手を繋いでこちらに走ってくる。2つしか歳が変わらないからか同じ女の子だからか。2人はいつも仲良く遊んでいる。冬には文弥にも子供が生まれる予定なので、四葉家だけではなく黒羽家も、これから穏やかな時を過ごすことができるだろう。
「達也
深雪は空に向かって、何処からか見ているであろう達也に向かって声を届けた。
魔法がお伽話の産物ではなく、現実のものとして体系化された今でも、〈死者の国〉はあると信じられている。仏教を重んじる四葉家だが、これといった宗派には属してはいない。何故なら仏教の宗派によっては考え方が根本的に違うこともあり、それぞれが望む宗派を選ぶというしきたりになっているからである。
吉田家は精霊魔法及び神祗魔法なので神道である。だからといって相容れない関係ではないので仲違いはない。現代においても日本人は文化に無頓着なのもあるだろう。10月31日はハロウィンで渋谷のスクランブル交差点は、昔から変わらず仮装した若者で溢れかえる。
12月25日はクリスマスでケーキやプレゼントを、恋人や友人達と食べたり交換したりして楽しむ。それは克也や深雪も例外ではない。仏教の行事も時折行いながらも、そういった学生の頃に楽しんだ異国の風習を気にせず開催しているため、毎年学生時代の友人達が楽しみにしている。
1週間後、車の音が聞こえる度にリーナは窓から外を覗く。待ち遠しくて昨日はあまり寝ていられなかったが眠気は全くない。むしろ冴えているそんな状態だ。深雪達は落ち着きがなく、そわそわしているリーナを微笑ましげに見ている。
三十路になっても、付き合いはじめのような初々しい行動をとっていれば和んでしまうのだ。何度目かもしれない残念感を抱いていたリーナだが、玄関の引き戸が開けられる音を聞いて駆け出した。そして引き戸を開け入ってきた想い人に抱きつく。半年前に会って以来、顔も見れず声も聞けなかった寂しさを取り戻すかのようにすがりつく。
「お帰りなさいませ」
深雪の淑やかな礼に微笑み、自分に抱きついている妻の背中を軽く叩きながら返事をする。
「ただいまリーナ・深雪」
優しい笑みを浮かべる克也に、深雪も華のような笑みを浮かべた。