「予想通りと言うべきか予想外と言うべきか。これに関しては微妙なところだな」
自室の椅子に座りながら独り言を呟く克也の表情は暗い。克也とリーナの2人だけの部屋とは違い、ここは完全プライベートスペースだ。妻のリーナでさえ許可なしでの入室は認められない。
その理由は特にはないのだが、仕事柄どうしても1人にならなければならないときがある。リーナがいることで安らぐときもあるが、気分的な問題でこうして1人きりの時間を過ごしたくなる時もある。
克也の目の前の机には、大亜連合本土への攻撃決定と自分の出征を命令する文が置いてある。届けられたのは昨日の夕方で、渡されたときになんとなく予想は付いていた。本家に戻ってから2週間での参加は不愉快極まりないが、友人の生存が大事だし本国を火の海にはできない。だから気が乗らなくても赴かなければならないのだ。
「深雪、俺はどうすればいい?」
「いきなりどうなされたのですか克也お兄様」
克也はモヤモヤとした気分を消し去れず、リーナではなく深雪に助けを求めた。深雪の仕事部屋で腕の中にてじゃれる樹里をあやしながら問いかけると、深雪は複雑そうな表情を浮かべながら聞き返す。
「俺はこのまま人を殺め続けなければならないのか。人を殺めずに解決することはできないのか。そればかりをこの2週間悩み続けた。だが答えは一度も。答えの霞さえ見つけることはできなかった。教えてくれ俺はどうすればいい?」
深雪は兄の狼狽ぶりに驚きを隠せない。この2週間で立場上、克也と会う機会は少なかった。だがそのようなことで悩んでいるとは想定していなかった。リーナではなく自分に相談してきたのは、そのような話を聞かせて不安にさせたくなかったのと、妹と当主としての意見を聞きたかったのだと理解した。
「克也お兄様が苦しんでいるのは重々承知しております。しかしその答えにお答えすることはできません」
「何?」
「そのようなことは私ではなくリーナにご相談下さい。リーナを不安にさせたくないと分かっています。しかし自分に知らせずお兄様が苦しんでいる姿を見る方が、リーナは遙かに不安になります」
深雪の眼には涙が溢れ、気持ちが本物であることを示していた。樹里も緊迫した空気を感じたのか。声を静かにして手に持った玩具で遊んでいる。
「リーナに相談しろだと?こんな不安を話して子供にまで影響が出たらどうする。俺は耐えられない」
一度自分の子供を失っている克也からすると、到底受け入れられる話ではない。もう二度とあのような気持ちを味わいたくない。そして誰にも味合わせたくない。そう誓ったのだ。
「そのようなことで悩んでいるお兄様を見る方が、リーナには悪影響です。自分の気持ちと真っ直ぐに向き合って下さい。そしてリーナに話すべきなのか話さず余計な不安を与えるのか。自分でお考え下さい。これは〈
「…ご意向のままに」
当主権限まで使われては逆らうわけにはいかない。それこそリーナに悪影響である。樹里をベビーベッドに寝かせたあと、克也は深雪の仕事部屋を出た。
「克也お兄様、本当にリーナを心の底から愛しておられるのであれば話すべきです。未来を誓い合った者は、相手に隠し事をされるのが嫌いなのです。それは性別に関係なくお互いにです」
克也が出て行ったドアを見ながら深雪は呟く。そうでもしなければ、自分の胸がはち切れそうな痛みを隠せなかった。
リーナのいる部屋に向かうと、ちょうどリーナの健康管理を行っているシルヴィがいた。
「リーナの体調はいかがですか?」
「問題ありません。普段通りに健康ですよ」
柔らかに微笑む様子は、自分達とそれほど歳の差を感じさせない柔らかさがある。
「ちなみにシルヴィさんは身を固めないのですか?」
「使用人の仕事が性に合っています。何よりリーナの幸せを一番近くで見れるだけでいいんです。少し抜けているリーナを放って行くことなどできませんから」
「シルヴィ!」
人の悪い笑みと共に元々の綺麗な容姿が相まって、何とも言えない色香をまといながら話す自分直属のシルヴィに言われて、リーナは心外とばかりに憤慨する。
「そうですね。俺がいない間に何をするのか分かりませんから。その気持ちはありがたいです」
「カツヤまで…どうせワタシは何もできないドジなリーナですよ」
年甲斐もなく落ち込み始めたリーナに、シルヴィは笑顔で手を振りながら部屋を出て行った。つまり克也に「後は任せた」と言いたいのだろう。嫌でもないしむしろ嬉しいので文句は言わないのが。
何気なくリーナの頭を撫でてやると、ふて腐れていた顔は何があったのかと気になるほどご機嫌になっていく。この変化にさすがの克也も苦笑いするしかなかった。
「リーナ、話したいことがあるんだがいいか?あ、体勢はそのままでいい」
「何よ改まって」
揺り椅子に腰掛けていた体勢から、立とうとするリーナを押し留める。近くに置いてあった椅子を移動させて座る。そしてリーナの手を握りながら問いかける。
「俺はこれまでに何千。いや、もしかしたら何万を越える人を殺してきたかもしれない。俺の薄汚れたこの手で抱き締められ触れられても、君は笑顔を絶やさずいられるか?」
突然の言葉にリーナの笑みは凍り付く。
「…何を言ってるの?冗談にしても質が悪いわよ」
「ああ、そうだ。お前はその質の悪い魔法師と契りを交わしたんだ。それでもお前は幸せだと胸を張って言えるのか?」
リーナは克也の顔を見ながらため息を吐き出す。
「あんたもいつまでたってもバカなのね。あんたの手が汚れていようと人殺しの手だろうと気にしたことはなかったわ。今まで一度も。言わせてもらうけど、ワタシの手も汚れているわよ。部下を処断し、【レプグナンティア】のアジトごと消し去ったこともある。だからワタシの手もあんたと同じよ」
「…この先も変わらず俺と生きていけるのか?」
「愚問ね。そうでもなきゃ一緒になんてならないわよ」
強い。
それがリーナの言葉を聞いて思った言葉だ。誰にも屈さない心。克也が惹かれたのは、リーナのそういう心の在り方だった。水波に抱いた感情とまったく似た感情が、克也の胸の中で渦巻いている。
克也は自分とは違った「強さ」を持っている人に、惹かれる性分なのかもしれない。初めての交際相手の鈴音も「母校に対する想い」「魔法師の地位向上」という曲げない「強さ」を持っていた。だからこそ心を動かされ胸が打ち震えるのだ。
「ありがとうスッキリしたよ。じゃあ、そろそろ寝ようか」
「ふふふふ」
リーナは不適な笑みを浮かべながらこっちを見てくる。
「どうした?」
「今夜は寝かせないわよ?」
「…何をするつもりだ?」
「さあね。その時までのお楽しみ」
苦笑しながら寝巻きに着替える。
「子供に悪影響にならないようにな」
「あら、何を想像したのでしょう」
「最近叔母上に似てきたぞお前」
「良い影響かしら」
「悪い方向だ」
他愛ないやり取りをしながらも寝る準備は整っている。布団に潜り込み、リーナも克也の隣にゆっくりと身体を横たえる。
「無理するなよ?お休みリーナ」
「万事O.K.カツヤ。お休み」
互いに手を握りながら眠りの淵へと落ちていく。2人の幸せな一時はゆっくりと進んでいった。
翌日、俺は本家から直接対馬要塞へ飛んだ。飛行術式ではなくヘリを使うのは、魔法使用の許可が下りていないのと魔法力の温存のためだ。浦賀から対馬要塞までは軽く1000kmを超えるため、いくら俺でも少なからず疲労はする。
「大亜連合本土への攻撃命令が何故簡単に下りたのですか?」
「このまま放っておけば、日本が被害を被る可能性が高まる。それを踏まえて総合的に判断した」
対馬要塞へ向かうヘリの中で克也は風間に質問していた。一見攻撃する理由が分からないと言っているように聞こえるが、実際は「一般人が多く住む地に攻撃を加えるのを何故許可したのか」というのが主な質問だ。
それを風間も分かっているが敢えて回りくどく説明している。対馬要塞に着くまで時間があるからなのか克也への配慮なのかは分からない。だがその気配りを克也は無駄にしなかった。
「狙う地点は何処になるのですか?規模はいかほどなのでしょうか」
「予定爆破地点は
「つまり攻撃するには遠距離からしか不可能だと。だから自分が赴かなければならないのですね」
風間との間に流れる沈黙は、真田から聞いた人を殺すことに対する克也の葛藤によるものだ。風間は表立って戦う機会がないのだから、人を直接殺すことも必然的にない。だが代わりに部下に殺させているのだから、人を殺していないとは言いきれない。
「ご安心を。自分は腹をくくっています。もう悩んで躊躇などしません」
「頼む」
風間は克也の眼の光の強さを理解した。それは覚悟を表す光。もう二度と悩まない。二度と巻き込まない。その想いが輝いていた。
克也は対馬要塞から本土を狙う。〈ムーバル・スーツ〉を着た克也は、特化型CAD《レーヴァテイン》を手に第一観測室の全天スクリーンの真ん中に立っていた。
このスクリーンは衛星の映像を三次元処理して、任意の角度から敵陣の様子を観察することができるようにしたものだ。今は克也の要望で、水平距離500m地上100mの位置から見下ろした映像を映し出している。
『克也君、準備はいいかい?』
「準備完了。衛星とのリンクも良好です」
スピーカーから真田の声が聞こえ、克也はいつも通りに返事をする。
『《レーヴァテイン》発動準備』
「《レーヴァテイン》発動準備、開始します」
スピーカーから聞こえる風間の声で克也は動き出す。
8年前まで目視できない(魔法や機械を使えば見える)距離にあった海軍基地 鎮海軍港はなく、その先にある大亜連合の本土そして国の中心部にある本部を視る。
意識は鮮明に。そして感覚は研ぎ澄まされ、向こうの様子がダイレクトに感じられる。これまでの魔法使用とは違い、明らかに魔法の構築速度が速まっている。
「発動準備完了」
静かにだが冷酷に死を宣告する言葉に全員が息をのむ。
『戦略級魔法《レーヴァテイン》発動』
「《レーヴァテイン》、発動します」
風間の命令を復唱し、克也は引き金を引いた。
対馬要塞の中から海峡を越える。かつてあった鎮海軍港跡地 を越えて本土へ。
西安の本部の上空300mに、突如として煉獄の炎を纏った剣が出現した。運動法則に従って落下した剣は、自身の質量で加速度的に瞬時に速度はマッハを越える。
剣が近づくごとに周囲の建物・木々・戦車などの兵器が蒸発する。それは人間も例外ではない。本部天井を直撃した剣は爆発し、爆風と熱波が瞬時に広がる。周囲にあるすべてのものを破壊し薙ぎ払い消し去る。
約9983k㎡の中心都市は、瞬く間に廃墟と化す。建物が存在したのか疑うほど綺麗に。警報が鳴り響く間もなく、西安は地図上から消え去った。
その光景を見て、戦略級魔法という意味合いをここにいる全員が1人も例外なく理解した。複数の若い兵士がトイレにかけこみ胃の内容物を戻したが、無様だと切り捨てることはできないだろう。
克也は無表情に、自分が放った魔法の痕跡があるであろう方角を見つめていた。