3日後の夕方。雨の香りを含んだ風が吹く中、克也は四葉家の所有するリムジンに乗ってやってきた。車から降りると同時に、到着を待っていた深雪は走り出して克也の胸に飛び込む。
「克也お兄様、お待ちしておりました!」
涙を流しながらすがりつく妹の頭を優しくなでてやる。癖のない艶やかな髪に久々に触れて、克也は懐かしいその感覚に浸る。
「ただいま深雪。待たせて悪かったね」
声を聞くとまた泣き出してしまい、克也は慰めようと慌てふためいてしまう。妹に対してとても優しく甘い兄の穏やかな時間が流れる。
「お帰り克也。久しぶりだな」
達也が頬を緩めて近づいてきた。久しぶりに見る双子の弟を視界に入れると何故か妙に安心できる。相変わらず不思議な奴だと思いながらも返事をする。
「よう達也。元気だったか?」
「当たり前だ」
いつも通りの返答をしてくる弟に、笑みが自然と深くなってしまう。すると同乗していたメイドが話しかけてきた。
「克也様、入学試験頑張ってくださいね。応援しております」
朗らかな笑顔で言ってくれる。
「ありがとう」
克也が返事をすると彼女は車に戻っていく。克也に話しかけているメイドの顔を見て、達也と深雪は驚いていた。
こげ茶色のウェービーヘア・細く濃い眉・笑うと両側にできるえくぼ。沖縄で達也をかばって逝った人、桜井穂波にあまりにも似すぎているからだろう。達也にとって心を開くことのできた数少ない人であり、深雪にとっては歳の離れた姉のような存在だった。
達也と深雪が驚いていると、克也が不思議そうに尋ねる。
「達也・深雪、どうしたんだ?」
克也の声に我に返る達也と深雪。
「すまない克也。俺たちの知っている人にそっくりな人がいたから」
「彼女は桜井水波、桜シリーズの第二世代だ。達也と深雪の知っている桜井穂波さんと遺伝子上は姪の関係だよ」
そのことを説明すると、似ている理由に納得した2人だった。
リムジンを見送ってから、俺たち3人は家の中に入る。
「2階の一番奥が達也お兄様の部屋、その手前が克也お兄様の部屋になっています」
深雪に部屋の説明を受けた後に、3人揃ってラフな格好に着替える。部屋で少しだけ自分の時間を過ごしてから、夕食の準備がしてあるリビングに向かっていく。しばらくしてでき上がった深雪の料理は、どれも美味しくて至極満足のいく夕食だった。しかも俺の大好物の魚介がメインでもあった。
食後の達也はアイスコーヒー・俺はアイスティー・深雪はミルクティーを飲んでいた。正確には、深雪が久しぶりに会えたことが嬉しいのか、俺の右腕に抱きつきながらだが。
「克也、魔法の方はどうだ?」
達也は気にかけるように聞いてきてくれた。深雪も心配そうに見つめてくる。
「安心していいよ2人とも。ほぼマスターしたから」
そう答えると達也はほっとしたように肩の荷を下ろす。
まあ、約1名「さすが克也お兄様です!」とエキサイトしているのもいたが(もちろん深雪である…)。
「ほぼマスターしたというのは、言葉通りに受け取っていいんだな?」
「もちろん」
達也の質問にしっかりと答えておく。2人がここまで心配してくれている理由は、幼い頃に俺が魔法事故にあったからだ。《流星群》の実験中、機械の故障で魔法式が俺に逆流して死にかけたことがあった。その時に達也が俺に《再生》を行使してくれた。そしてその達也を連れてきてくれたのが深雪だった。
生まれた時から俺は膨大な量の想子を有していた。母である深夜の精神干渉魔法に似た魔法の《癒し》と、妹の叔母である真夜の【固有魔法】《流星群》を使うことができると言われていた。達也は生まれた頃から《分解》と《再生》の【固有魔法】を有していたが、その2つにより魔法演算領域が大幅に占領されていたため、それ以外の魔法をまったく使うことができなかった。
それによって達也は使い物にならないと判断された。俺が強力な魔法を
俺が《流星群》を使えることを知った子供のいない叔母は、俺を必要以上に溺愛した。母といるより叔母と過ごすことの方が多かった俺は、もちろん母にも愛されてはいたが、何処か蚊帳の外に感じていた。それでも達也と深雪は俺と仲良くしてくれた。だからこそ今のこの状況ができあがっている。久々に帰って直ぐなわけだが、俺は達也にとあるお願いをすることにした。
「達也、久々に九重先生の体術修行をお願いしたいんだけどいいかな?」
「いいだろうさ。師匠も喜ぶんじゃないか?」
達也が頷いてくれたのでひとまず安心する。
「師匠に頼んでくる」と言い九重寺に向かう達也を見送って、俺は深雪に勉強を教えることにした。居候(?)させてもらうのだから、それぐらいの対価は支払わなければならないと思ったのだ。自慢ではないが、ある程度のことを教えれるほどの知識は持っている。上機嫌な深雪を追って、勉強を教えるために深雪の部屋に向かった。
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翌日の早朝、前日に八雲の許可が下りたので、克也は達也と2人で向かうことにした。深雪はお留守番だ。そう告げると少し拗ねていたが、午後に買い物に行く約束をするとすぐに機嫌を直してくれた。
この後魂が抜けることになるとは知らずに…。
早朝の幹線道路を、2つの影が生身では到達できない速度で動いていた。その1つの影である克也は、足で地面を踏むことなく
「スピードを緩めようか?」
スピードを落として、横に並びながら問いかける克也は片足で滑走していた。脅威的な体幹とバランス力で、不安定な体勢でも余裕の表情だ。
「…いや、それではトレーニングにはならない」
軽く息切れしながら達也は答える。2人の異常な速度は人間の肉体では不可能だ。何故できるのかと言えば、靴に動力を仕込んでいるからではなく、魔法を使っているためだ。
克也は重力加速度を低減する魔法と、自分の身体を道の傾斜に合わせて進行方向に移動させる魔法を。達也は路面をキックすることで生じる加速力と減速力を増幅する魔法と、路面から大きく飛び上がらないように、上向きへの移動を抑える魔法を使用している。どちらも移動と加速の単純な複合術式だ。単純であるが故に、後から魔法演算領域を付け加えられた達也にも継続的に使える。
目的地は家から魔法を使用して10分程の距離にあり、階段下に到着して軽く息を整えてから階段を上る。山門をくぐると左右から同時に攻撃を受けた。2人は慌てず互いに背中合わせで迎え撃つ。
レベル的には危ういことはないのだが何しろ数が多い。倒しても倒しても相手が群がってくる。魔法で倒したいところだが、ここには体術の指導を受けにきているので使いたくない。
使ったところでほぼ効果はない(薄いではない)。
人数的に九重寺の門人の7割が総掛かりしているようだ。師の性格の悪さに、2人同時にため息をつきながら確実に仕留めていく。5分ほどで全員を叩き潰して(行動不能に近い状態)歩き出す。
2人ともかすり傷以上の怪我をしておらず息切れもしていない。門人が手加減したわけではなく、2人がこの歳で既に達人の域に近いところまで技術を高めているからだ。生半可な鍛え方をした者が相手をすれば、長く見積っても10秒も保たないだろう。
寺の中心には、弟子をけしかけたことをなんとも思っていない人物が待っていた。服装は門人とほぼ変わらない質素なものなのに、まとっている空気は別格だ。彼の名前は九重八雲といい、この九重寺の僧侶で自称〈忍び〉だ。より一般的には〈忍術使い〉と呼ばれ、古式魔法の使い手であり古式魔法の伝承者。
「先生、お久しぶりです。久々に体術の指導をしてもらえますか?」
挨拶と共にお願いして構える。両手を顎の下あたりで構えて左足を突き出し、右足を引きながら腰を少し落とす。その半身姿は、格闘技における基本の構えだ。それを見ながら八雲はひょうひょうとしながら答える。
「そんなに焦らなくてもちゃんと鍛えてあげるよ。今日だけじゃなくて
「本当ですか!?」
今日鍛えてもらえるだけで素晴らしいことなのに、これからも鍛えてくれるらしい。ありがたく思いながら克也は、一気に八雲との距離を詰めた。目の前に現れた瞬間に右足で八雲の足を払う。が簡単に躱されてしまう。
だがそれは予想の範囲内である。
ジャンプで避ける八雲に払った足を軸にして踏み切り、前方に回転しながら左脚の踵で頭部を狙う。
「およ?」
予想外の攻撃に八雲が気の抜けた声を出す。これならいけると克也は確信した。踵が後頭部に当たる瞬間、八雲の輪郭が崩れたと思うと姿が消えていた。克也は無理な体勢から放った技を空振りさせ、致命的な隙を見せる。その隙をつかれ、八雲の高速の連撃を避けるのに精一杯になった。攻撃を躱し続けることができないと思った克也は、連撃の隙を見て間合いから逃れながら白旗を上げる。
「参りました先生」
降参すると、八雲は自分の頭をぱしぱしと叩きながら呟く。
「ふぅ~今のは少し危なかったよ。あの体勢からまさかドロップキックがくるなんてさ。おしかったね克也君。つい《
「《
克也は分析する能力が達也より低いので、達也でさえわからないことは理解することができない。
「達也君にはどう見えたかな?」
八雲は克也の組み手を見守っていた達也に話を振った。
「光の屈折率を下げ、自分の姿を周辺の景色に溶け込ませたのではないですか?姿が消えたように見せかけ、相手の動揺を誘う技。眼で敵の位置を探し当てる敵には効果抜群でしょうね。しかし師匠が使いたがる術ではないと思いますが」
「その通りだよ達也君。正確に言えば気配を消して隠れるのではなく認識を少しずらす術だ。僕があまりこの術式を使わないのは、自分に合わないと思っているからだよ。気配を消すか偽るのが〈忍び〉の要素だからね」
達也の分析は正しかったらしく、八雲が満足気に頷いている。
「さあ達也君、来なさい」
左手を天に向けて指先だけ自分に向かって動かす様子は、強者の余裕を表している。事実、達人の域を越える腕前なのだが。八雲と組手を始める達也を見ながら克也は考え込んでいた。
やはり達也は俺が持っていない能力を持っている。さらに体術は上で、CADを自分方式の完全マニュアル調整を行えるほどの知識も持っている。だが羨ましいと俺が思うのは、達也を否定することになるだろう。何故なら達也からしたら、自由に魔法を使える俺が羨ましく思うのと同じなのだから。俺と達也がコンビを組めば間違いなく最強になれる。達也の分析力と俺の魔法力があれば負けることはない。
しばらくすると試合が終わったようで、境内は静まり返っていた。達也が息切れを起こしながら地面に崩れている辺り、また先生に負けたようだ。ほんの少し嬉しく思いながらも治療するために近寄る。
「そろそろ達也君との勝負は勝率6割になるかな。ようやく差をつけれたよ」
「達也の方が俺より長く戦えてますし勝率も高い。少し悔しいです先生」
達也に【固有魔法】《癒し》を施しながら話す。この魔法の便利なところは、精神的ダメージだけでなく肉体的なダメージにも多少効果があることだ。
「仕方がないよ克也君。君は数えるほどしか僕の教えを受けてない。それに比べて達也君は、この2年間ほぼ毎日僕と組手をしている。そもそも体術といっても、僕が教えているものと君が本家で教わったものでは根本的に違うからね。〈忍び〉または〈忍術使い〉が使う体術は、相手の動きを予測して必要最小限の行動で終わらせられるかを目的としている。逆に君が習ってきた体術は、相手を圧倒して速攻で倒すことを目的にしている。だから僕とやっても相手の癖や戦術が分からない。分析している間に、小技の多い僕に負けてしまう。でも落ち込む必要はないんだよ克也君。両手で数えるぐらいしか組手をしていないのに、僕が驚く戦い方をした。それだけでも自信を持っていい」
先生に励まされたことで、若干だけ消沈していた自信が持ち直す。達也もいつの間にか起き上がって、先生の話を同じように聞いている。
「君ち2人が同時にかかってくれば、たぶん僕もそんなに保たないと思うよ?君たち2人は口に出さなくても、どう攻撃したがっているのかわかるんだからさ」
それだけ言うと先生は、もう帰りなさいとばかりに送り出した。
帰りは魔法を使わずに歩いた。2人して先生に勝つことができなかったが、収穫があったので落ち込むことはない。
「達也、先生が言ってた口に出さなくてもどうしたいかがわかるってのは、俺たち3人が作った《念話》のことかな?バレてるとは思わないけど」
「それはない。たぶん師匠が言いたいのは心の深い部分で繋がっているとか、信頼があるとかそういうことだと思うぞ」
俺の不安を一蹴してそれらしいことを言ってきた。達也が言うのだから間違いないだろう。
「達也、家まで勝負しないか?先にインターフォンを押した方が勝ちで魔法は禁止で走りだけだ。負けたら深雪の欲しいもの1つ買うのはどうだ?」
「いいだろう克也。面白い勝負になりそうだ」
そう言うと直線のガードレールの柱に並ぶ。
「「よーい…ドン!」」
2人同時に掛け声をして走りだした。もちろん誰にも迷惑をかけないようにして。
勝負はギリギリのところで俺が勝ったが、インターフォンを壊してしまい深雪に2人そろって怒られた。あの女王のような笑顔で(ただし眼は笑っていない)…。修理費は本家が出してくれたが、深雪に説教されている俺たちを見て修理に来た四葉家の使者は苦笑していた。午後から俺は深雪に連れられて買い物に行ったが、夕方まで振り回され魂が抜け、何処で何をしたのかを覚えていない。
帰ってきた俺を見て達也は首を傾げていたが。
そして俺の魂を抜いた張本人が、とってもご機嫌だったのはまた別の話である。その喜びは達也が服を買ってあげたからか。俺と一緒に買い物に行けたからなのか…。
《