「海に行かない?」
雫が突然そんなことを口にした。
「海?」
「あ、もしかして?」
「うん、そうだよ」
深雪・ほのか・雫の順の発言なのだが、深雪は2人の話について行けていなかった。まだ4ヶ月ほどしか関わっていないので、2人のさっきの話は深雪にとっては意味不明である。
「2人ともどういうこと?」
雫とほのかは深雪を放置していたことを、今更ながら思い出した。
「実はね小笠原に雫の別荘があるんだけど、そこに行かないかって話をしていたの」
「雫、別荘を持ってたのね?」
「うん」
ほのかの説明に素で驚いた深雪の発言に、少し恥ずかしそうに頷く雫。今の時代のテレビは標準仕様で、最大10人まで同時にテレビ電話できるようになっており、深雪は自室で2人と話していた。
「お父さんが『お友達を招待しなさい』って。たぶん克也さんたちに会いたいんだと思う」
「今年は小父様も一緒なの?」
雫の言葉に少し引き気味なほのかの発言に、首を傾げる深雪であった。何か思い出したくないことでもあったのだろうか。そんな風に勘ぐってしまう。
「大丈夫。今回は外せない用事があるらしくて、出航前に10分会うだけで精一杯らしいから」
「よかったぁ」
雫の言葉通りにほっとしているようだった。
「それでいつにするの?」
「私はいつでもいいよ。克也さんたちの都合の良いときかなって思ってる」
深雪の質問に雫はこちらの予定に合わせると言っている。メインなのだから当然なのかもしれないが。
「お兄様方に聞かないとダメでしょうから、決まったらまた連絡するわ」
そう言って深雪は電話を切った。
「…ということなのですが。お兄様方、どうされますか?」
克也と達也がその話を聞いたのは翌日の朝食でのこと。克也はまだ半分脳が寝ているようで眼が虚ろである。克也は意外と朝に弱い体質だ。ほぼ毎日深雪が作る『深雪特製克也お目覚めドリンク』を作って貰っている。そんな克也を介抱しながら深雪は達也に尋ねた。
普段は頼り甲斐のある克也だが、朝の弱い姿とのギャップが激しいので、深雪はそんな克也に優しい笑顔を向けている。この姿は深雪たちのような本当に信頼できる人間の前でしか見せない。達也と深雪はそのことを嬉しく思い、優しい笑顔を浮かべていた。達也の笑顔は友人たちに見せる笑顔ではなく、とても嬉しそうで穏やかな笑顔だ。エリカたちも信頼しているし心を許したいのだが、まだ本当の意味での信頼はできていない。
「メンバーは雫やほのかと俺たちだけかい?」
「エリカたちも誘いたいらしいのですが、連絡先を知らないのでこちらから連絡してほしいそうです」
達也はコーヒーを口に含みながら、脳内にスケジュール表を広げた。
「来週の金土日は空いてるな。幹比古とレオには俺から連絡するから、エリカと美月には深雪が連絡しといてくれ」
「分かりました。来週の金曜日から日曜日にかけての2泊3日の予定で、雫たちにも連絡しておきます」
達也の言葉に深雪はスキップしながら、キッチンに皿を持っていく。
「楽しい旅行になりそうだな達也」
「ああ、良い気分転換になりそうだ」
深雪特製ドリンクのおかげで8割近く覚醒した克也が、本気で楽しそうに言ってきたので達也も本心で返事をした。
雫は本当に克也たちのために予定を空けていてくれたらしい。深雪の電話に二つ返事で頷いてくれた。参加者全員に予定を伝えたところ、誰からも都合が悪いということはなく、全員がグルではないのかと思ってしまった達也だった。
後日に全員で新しい水着を買いに行ったのだが、その場所で起こった事件を男性陣が箪笥にしまい込み、溶接してしまったので知る由もない。特に幹比古に至ってはしばらくの間、水着という単語を聞くだけで青ざめるという怪奇現象を起こすのだった。
そして時は流れていつの間にか旅行当日になり、克也たち3人は集合場所に到着していた。真夜にももちろん許可をもらっており、「楽しんできなさい」と助言(恐喝?)を貰っているが、言われる前からそのつもりだった。克也たちが到着すると既に全員集合済みだった。念のため15分前に来たのだが、時間を間違えたのだろうか。
「おはよう。ところで俺たち早めに来たつもりだったんだけど、時間を間違えてたか?」
「間違えてないですよ克也さん。3人には30分ほど遅い時間を伝えてたんです」
克也の質問にほのかは何かを含ませながら答えてくれた。
「何故?」
「主役の登場は必ず最後って相場が決まってるでしょ?」
「何の主役だ?」
「そりゃ〈九校戦〉のよ。雫とほのかも活躍したけど、一番はあんたたち3人だからね」
達也の疑問に今まで手すりにもたれていたエリカが、いつもの悪い笑顔で伝えてきた。もたれている姿もなかなか様になっている。エリカの返事を左から右に流しながら、そんなどうでもいいことを克也と達也は考えていた。
「君たちが雫の言っていた素晴らしい才能を持った子たちだね?初めまして雫の父の北山潮だ」
克也たちは後ろから声をかけられたので、振り返って挨拶する。
「お初にお目にかかります四葉克也です。こちらは幼馴染の司波達也と妹の深雪です」
自分だけでなく達也と深雪も紹介すると、2人は綺麗なお辞儀をした。
「こちらこそよろしく。悪いけど僕はこれで失礼させてもらうよ。何分仕事が山積みでね。短い間だが旅行を楽しんできてくれ」
そう言うと北山潮は乗ってきた車に乗り込み、集合場所から仕事場に向かっていく。背中からは僅かに哀愁が漂っているようにも見えた。
「あれが北山グループのトップか。意外な人間性だな達也」
「ああ、同感だ。もっと厳格な人だと思ったが、予想より温和な人のようだ」
達也と感想を交換しているとエリカに呼ばれた。
「お〜い3人とも。そろそろ出発するらしいから乗り込んだ方が良いよぉ」
「ああ、今行く」
克也たちは荷物を持ってクルーザーに乗り込んだ。3日間の旅行を満喫する気持ちを胸に抱いて。
6時間ほどの船旅を終え、克也と達也はビーチのパラソルの下で寝そべっていた。沖ではレオと幹比古が競泳をしているようで、水しぶきが上がっている。ときおり大きな水しぶきが上がっているのは、意地悪をしたレオに幹比古が水霊を使って反撃したからだろうか。
そんな様子を見てから視線を波打ち際に戻すと、眩しくて瞼を閉じそうになった。日光が水面に反射しているのが眩しいのではなく、水着ではしゃいでいる5人の少女がである。全員が美少女に分類されるほどの容姿なので余計に眩しかった。
「克也くん・達也くん、入らないの~?」
「お兄様方、水が綺麗で気持ちいいですよ~」
エリカと深雪の誘いに、2人は曖昧な笑顔を浮かべて手を振った。
克也にとって砂浜で寝転がれるなど考えたこともなかったので、素晴らしい気分だった。海は何度か見たことがあるが、プライベートでは来たことがない。ましてや友人と遊んだことはないので新鮮さを感じていた。
眠気に身を任せようかと考えていると、2人は間近に人の気配を感じたので眼を開ける。そこには全員が勢揃いしていた。2人が声を出さなかったことを評価されるべきだろう。克也は呆然とし達也は戸惑っている。
「入ろうよ2人とも。こんなところにいたら来た意味がないよ」
「エリカの言う通りですよお兄様方。遊びましょう」
エリカと深雪が脅しとも誘惑とでもとれるような言葉を使うので、克也と達也は諦めて泳ぐことにした。まとっている空気は普通なのだが何故かそう感じる。
「そうだな。こんなところでじっとしてたらもったいない」
そう言って2人ともパーカーを脱ぐ。だがしまったと思ったときには時既に遅しで、全員が呆気にとられていた。
「2人ともそれって…」
エリカは驚愕の表情を浮かべている。克也と達也の身体は筋肉で覆われているが、皮膚には傷が無数に刻まれている。克也は達也よりましだがそれでも異常な光景だった。切り傷や刺し傷、さらには火傷の痕などが見られる。実際に切られて刺されて焼かれなければ、このようなことにはならない。だからエリカの反応は正しく、むしろ控えめだったと言ってもいいだろう。
「すまない。見ていて気持ちの良いものではないな」
達也がそう言いながら脱いだパーカーを拾おうとする。克也もそうしたが克也たちのパーカーは、一瞬速く拾った深雪のせいで手は空を切った。
「深雪さん、返してもらえませんか?」
妹とはいえ女性の胸に手を伸ばすわけにもいかず。何故か敬語で克也がお願いしたが、返事は言葉ではなく行動で返ってきた。克也と達也の左手と右手を、深雪によって抱え込まれていたのだ。
「わ!」
美月が驚いていると、深雪が克也と達也に声をかけてくる。
「お兄様方が心配されることは何もありません。この傷は誰にも負けたくないという気持ちを持って、長きに渡って鍛えあげた結果なのですから。だから私は気にしません」
深雪がそう言っていると、ほのかが達也の左手を雫が克也の右手を抱え込み始めた。
「克也さん・達也さん、わ、私も気にしません!」
「私も」
ほのかは噛んだが気持ちは十分伝わってくる。
「え~と雫さん?ここにいる人たち以外に見られはしないけど、念のために言っておくよ?俺には彼女がいるんですけど…」
「知ってる。分かってやってるから気にしないで」
『いや、貴女が気にしなくても俺が気にするんですけど!』
克也が心の中で叫んだが伝わるはずもなかった。そして3人とも普段より少しだけ顔を赤くしていたのだが、それは日差しのせいだけではないだろう。
「達也、そろそろ入ろうか?」
「そうだな入るか」
波打ち際に向かい水に素足を浸すと心地良い水温で、これだけでもこの場所に来た甲斐があったと思えた。
「達也、俺はレオと幹比古のところに行って泳いでくる。みんなのことをよろしく!」
そう言って泳ぎだそうとしたが、冷気を感じたかと思うと克也の足を手の形をした氷が掴んでいた。恐る恐る顔を犯人の方へ向ける。するとそこには女王の笑みをした深雪が立っていた。いや、降臨していた。
「深雪さん、冷たいんですが離してもらえますか?」
またもや敬語になってしまう克也であった。
「克也お兄様、一体何処に行かれるのですか?先ほどみんなで遊ぶという雰囲気ではありませんでしたか?」
「達也に任せてさっき言った通り、レオと幹比古のところに行こうと思って…」
「行かせるとお思いですか?」
凄んでしまいそうな笑みを浮かべながら、1歩ずつ近づいてくる。克也は逃げようにも、氷の手に囚われているので逃げられない。ちなみに克也と深雪以外は陸に避難している。全員が克也を助けようとはせずに見ているだけだ。助けようと近づけば、絶対零度のような視線を喰らうのを理解しているから。だから助けようと近づかなかったのかもしれない。
深雪があと3歩で触れるという距離になってから、克也は氷の手を《燃焼》で解凍し、移動・振動魔法の複合術式を用いて水面を走り、体術で鍛えた足を懸命に回転させた。そのおかげで深雪が呆気にとられている間に、レオと幹比古のところまで走り、競泳に途中強制参加した。
「克也お兄様、逃げましたね!?許しませんよ…」
深雪の言葉に魔法が発動して、海水が凍っていく。気温が30度から10度以下まで急激に低下する。達也が深雪を抑えようと動こうとした瞬間に、深雪が魔法を自力で抑えたので達也はほっとする。克也には後でお仕置きが必要だなと達也は思ったのだった。