校内から笑い声と泣き声が至るところから聞こえてくるが、克也はあまり興味がなかった。当事者でないのもあったが、その気持ちがまだ理解できないというのが大きな理由だ。学校生活が丸々2年ほど残っている今ならば、この先にまだ楽しいことがあると思っているからなのかもしれない。
そんなことは置いといて。卒業式自体は既に終わっている。卒業生は、3年間を過ごしたこの学校と友人あるいは先輩・後輩と別れることを悲しみながらも、新しい立場である魔法師として歩んでいく。
克也は式の片付けを手伝っていたので、誰が誰と会ってどんな話をしているかも知らなかった。残り作業が講堂の掃除だけになり、生徒会役員または自主的に手伝った生徒は、教師に「あとは専門の業者に任せるから解散してよろしい」と放免された。
雑用から解放された克也は、世話になった卒業生の元へ一高生徒として最後の挨拶をするために走り回っていた。
「克也・深雪、お疲れ様」
講堂から出ると達也が待っていた。だが少しばかり不本意そうな表情を浮かべている。どうやら片付けの最中、達也にとってあまり宜しくない何かがあったらしい。
「お待たせ達也。誰かに何か言われたのか?」
「恐ろしいぐらいに察しが良いな。その通り、小早川先輩にお礼を言われたよ」
「お礼?ああ、達也が渡辺先輩に話してた『魔法技能を失っても、魔法に関する知識と感受性を活かす道がある』ってやつか。あれだけ達也が話すなと念を押したのに」
「どうやら本人から話したのではなくて、小早川先輩が無理矢理に聞き出したらしい。正直、小早川先輩に俺の言葉として伝わろうが伝わらまいがどっちでもよかったんだがな。あの人が魔法から離れたいと言わない限りは、勧めたいということを知って欲しかっただけだよ」
達也は嬉しいような切ないような微妙な表情をしていた。それは人として一度は悩むことのある事柄であり、どちらでも受け取れるということを知るのが大切である。
「克也君・達也君・深雪さん」
名前を呼ばれて振り返ると、そこには真由美と鈴音が立っていた。真由美には何度もお祝いを言っていたので、今更言う必要はないはずだが。
「七草先輩、こちらに来られてどうされたんですか?」
「リンちゃんが克也君と会うのを渋ってたから連れてきたの」
「なるほど。克也、行ってきたらどうだ?」
「俺は構わないが…」
本当に克也は構わないのだが、鈴音がいいのか分からない。動けずにいると鈴音が自然に近づいてきた。
「少し時間をいただけますか?」
克也が達也と深雪をちらりと見ると頷いている。どうやら「構わない」と言っているらしい。
「いいですよ」
返事をして鈴音の後を追った。
離れていく2人を、微笑ましそうに見送りながら真由美は口を開いた。
「達也君・深雪さん、これからの一高をお願いね。次の生徒会長は深雪さんだろうし、深雪さんなら溝を埋めることが出来るかもしれないから。達也君も補佐お願いね」
「未熟ですが可能な限り全力を尽くします」
「俺が生徒会に入るとは思えないんですが…」
深雪は当たり前のように受け止めたが、達也は可能性がないと言う。
「心構えよ。そうならないとは限らないからね」
真由美は何かしら確信しているのだろうか。未来が見えているのか、それとも希望的観測なのか。それは達也と深雪にもわからない。
「こう言っちゃあれだけど。リンちゃん、結構悩んでたのよ」
真由美が遠ざかる克也と鈴音の背中を見送りながら呟く。
「克也と会うことにですか?」
「うん。事情がどうあれ、いつの間にか自然消滅しちゃったから、どんな顔で会えばいいのかわからなかったと思うわ。お互いが相手のことを考えすぎてすれ違っちゃったのかな」
「確かに、克也は相手を思いやる人間ですからね」
達也と深雪は知っている。克也がどれほど人に優しく厳しく関わろうとしているのかを。
「その優しさがリンちゃんには辛かったのかもね」
「優しさが人を傷つける?」
深雪が首を傾げながら呟く。
「優しいのは良いことよ?でもそれが武器となって相手の心を傷つけることもある。思いやりの心は、時にどんな武器よりも鋭く冷たいものに変わってしまう。眼に見えず、感じる事しかできないから。人間ってままならないものね」
「七草先輩は怒っていらっしゃるのですか?」
「まさか。克也君にもリンちゃんにも怒りなんてないわ。抱くことは許されないと思うし。リンちゃんにとっては初めての恋愛だから、戸惑うことの方が多かったでしょうね。たぶん克也君も同じだったんじゃないかな。似た者同士であったけども、互いをのことを考えすぎた故に歯車が噛み合わなかったのかもね」
克也と鈴音が似た者同士という言葉に、達也と深雪は納得と戸惑いを混ぜた表情を浮かべた。
克也はどちらかといえば、軍人であり魔法師だ。対して鈴音は研究者であり実験者だ。魔法研究に関しては、真面目で妥協のない研究を行う。2人とも自ら立てた仮説への道を探ることを得意としている。だがその道のりはまるで違う。克也はリスクが多少あっても最短距離で解決しようとするが、鈴音はリスクを軽減させながらも効率的に解決しようとする。
真由美の言った「似た者同士ではあるが、歯車が噛み合わない」という言葉は、実に的を射たものであった。
「2人がこの結果に納得しているなら、私は何も言わないことにしてる。リンちゃんは大学受験があったし、克也くんは〈パラサイト〉事件で忙しかったからね」
「俺も口出しする気はありませんよ。2人が出した答えが全てですから」
「私も同じです」
「2人ならそう言ってくれると思った。達也君・深雪さん、また会いましょう」
真由美は髪をたなびかせながら、かつての学び舎へと消えていく。後ろ姿へ向けて感謝の礼をする達也と、名残惜しそうに見つめる深雪の姿があった。
鈴音が足を止めたのは、入学式のリハーサルの間に達也と座っていた並木道のベンチだった。鈴音の隣に座ると風が吹き桜の花びらが舞う。俺は話し出そうとしない鈴音の代わりに口火を切った。
「卒業おめでとうございます。早いですね出会ってからもう1年が経つんですから」
「…ええ、色々ありましたね。入学式での【エガリテ】の襲撃、〈九校戦〉での事故、〈論文コンペ〉での大亜連合による襲撃、そして吸血鬼騒動。予定外の事件が起こりすぎました」
「そうだな。波乱な1年だったのは否定できない」
少しずつ緊張がほぐれてきたのか、俺達の会話は話すにつれてスムーズになっていた。鈴音の声音にあわせて、俺は砕けた口調で答える。
「でも、自分にとっての一番の出来事は鈴音と出会えたことかな。短い間だったけど幸せだった」
「こちらこそ同じですよ。よもや私から告白することになるとは思っていませんでしたから」
「俺もだよ。上級生からくるとは思ってなかった。そういえば鈴音は魔法大学に進学すると聞いたよ。魔法研究のためか?」
「ええ、これから魔法師の地位を少しでも変えるための方法を学びに行こうと思っています」
「その方法が見つかって実現されることを祈っているよ。またどこかで会えるといいな」
俺達はその言葉を最後に立ち上がり、どちらからともなく抱き合う。鈴音は声を上げて泣いて俺に縋り付いてきた。俺は付き合った半年の間、鈴音が泣く姿を一度も見たことがなかった。だが、高校生最後の日に泣いてくれたことを忘れずにいようと思う。
そして鈴音から俺への別れのキスが届くのだった。
誰にも見せたことのない穏やかな笑顔を浮かべた鈴音と別れ、克也が達也と深雪の元へ向かうと、真由美の姿はなく摩莉が代わりにいた。
「ご卒業おめでとうございます。渡辺先輩、どうされたんですか?」
「ありがとう克也君。久しぶりだな。最後に3人に挨拶しておこうと思ってね」
相変わらずハンサムな顔で言ってくるので、男として負けている気がしなくもない。
「恐縮です。こちらから行こうと思っていましたが」
「おや、それは失礼なことをしたな。まあいい探す手間が省けたんだ。これも何かの縁だろう。3人ともわかっているとは思うが、これからの一高を頼むぞ。まだ二科生を見下す一科生が多く居るからな。不安はあるがお前達がいれば大丈夫だろう。十文字からの言葉も伝えておこう。『一高のことは任せた』だそうだ。単純な言葉で用事を伝えるとはあいつらしい」
「本当ですね。最後まで自分のやり方を変えない素晴らしい人です」
「それではなまた会おう」
摩莉が去ったことでいつも通りの3人になるが、重要な話は終わらなかった。
「リーナはどうした?」
「式が終わってすぐに帰宅しました」
「撤退命令が出たんじゃないか?」
「だろうな。〈パラサイト〉は倒したから指令は出てるだろうが、卒業式に出てくれたことには感謝しよう」
達也はリーナの本当の理由を話さなかった。克也と深雪は気付いていたが、そのことを修正することもなく帰宅した。
数日後、到着ロビーでいつものメンバーが帰国を待っていた。3学期は一昨日に終了しており、テスト結果も出ている。相変わらず克也と深雪は他を寄せ付けない圧倒的な差を付けて、主席と次席を占領していた。
もっと驚いたのは幹比古が総合点で学年トップ20に入ったことだ。新学年から一科生に転科する可能性があることが分かり、全員が自分のことのように喜びを分かち合っている。幹比古は恥ずかしそうに、しかし同時に嬉しそうに笑っていた。
到着を待っていると人混みの中に、見覚えのある金色の髪が見えたので、克也・達也・深雪の3人が追いかけた。
「「「リーナ」」」
「あら?3人ともどうしたの?」
「リーナの姿が見えたから声をかけたんだ」
「今日発つって言ってなかった?」
「「「言ってない(わ)」」」
嘯くリーナに司波三兄妹は同時に言ったが、リーナも返答は予想済みだったようでそれほど驚いていなかった。楽しそうな笑顔を浮かべている。留学中に浮かべていた表情とは違う。肩の重荷が下りたことで、本当の笑みを思い出したような感じだ。
「リーナ、これで最後じゃないよな?」
「どうでしょうね。ワタシがそう簡単に自国から出れるとは思わないけど」
「直接会わなければならないというわけじゃないさ。連絡先を交換しないか?」
「いいわよ。なかなか積極的ねカツヤ」
連絡先を交換し、リーナの発つ時間まで世間話に花を咲かせて送り出した。リーナがゲートに消えた1時間後、今までと変わらない雫が帰ってきた。
「ただいま」
「「「「「「お帰り(なさい)雫(北山さん)」」」」」」
自分に抱きついているほのかを雫はなだめながら、薄い笑みを浮かべながらこちらに話し掛けてきた。
「お土産たくさんあるよ。レイからも」
「ああ、後で聞かせてくれ」
行った頃より余裕のある空気で雫は頷き、みんなで雫の帰国パーティーを開くために空港を後にした。
3月半ば。克也は達也がFLTに行っている間、深雪と家でゆっくりしていた。その時に真夜から連絡が入る。
「叔母上、今回はどのような用件で?」
『春から水波ちゃんに一高へ進学してもらうので、先に連絡しようと思ったの』
「水波が...ですか?」
『ええ、ガーディアンとして貴方達の家に住んでもらいます』
「深雪のですか?」
『いいえ、貴方のですよ克也』
その言葉に克也は開いた口が塞がらないという現象に陥り、数秒ほど思考停止に陥った。復帰させたのは深雪の言葉だ。
「叔母様、それは何故なのでしょうか。克也お兄様の力を心配されているからではないはずです」
『もちろんそのことは忘れてませんよ深雪さん。克也の戦闘能力の高さは、誰よりも私が一番知っていますから。水波ちゃんは《障壁魔法》を得意としています。万が一の為に近くに居させてあげて下さい』
「…わかりました叔母様」
深雪は真夜の言葉を受け止めて納得した。深雪や克也は真夜に対して反抗する態度をとるつもりは毛頭ない。反抗すればどのような仕打ちを受けるかわからないから。などとというくだらない理由ではなく、達也に対する風当たりが強くならないための予防策の意味合いが強い。
もちろん達也の安全だけが目的というわけでもない。真夜の考えが正しいから従っているし、その理由が納得できるものならば受け入れる。たとえ裏に何かしらの意図が含まれていたとしても。
「いつ来るのですか?」
『来週辺りにでもしようかと思っています』
「分かりました。達也にも伝えておきます」
『ええ、それじゃあね』
電話を終えてからしばらく、2人は画面の前で佇んでいた。
「…克也お兄様、よろしいのですか?」
「水波は良い子だから大丈夫だよ」
電話が切れた後、深雪は真夜が何かを隠していると感じたらしい。相変わらずの勘の良さと褒めるべきだろうか。いや、今の話だけでも大抵の人間は裏があるとわかるだろう。深雪は不安そうに克也に聞いてきたが、克也にも分からなかったので、何も言えずに話を逸らすことしかできなかった。
FLTから帰ってきた達也に、克也は真夜からの言伝を話していた。
「ということだ達也。いいかい?」
「駄目と言うわけないだろう。それに《障壁魔法》を使えるのであれば、わざわざ対抗魔法を使わなくても守ってもらえる。戦術も組み立てやすいしな」
達也は内心とは裏腹に前向きに言葉を伝える。水波は穂波に似すぎているため、あの辛い記憶を思い出してしまう。本当は嫌なのだが、彼女が悪いわけではないので文句を言うつもりはなかった。
克也も達也があの出来事を思い出してしまうのではと思ったが、真夜のお願いという名の命令には抗えない。また新年度も波乱な1年になると思った3人だった。