深雪が四葉家当主を継承したことで、新しい時代が始まったと言えるだろう。各家から祝言が日本魔法協会本部を通じて四葉家に送られ、深雪はあまりの量にこめかみを引きつらせていた。
「深雪、あんまり無理せずゆっくりでいいんだぞ?」
「いえ、早く読み終えなければ準備に支障が出ますから」
財務処理を克也がこなしながら深雪へ心配そうに話す。ちなみに四葉家本家移築のための交渉は達也が担当している。「当主になったばかりの緊張感」と「当主ならば可能な限りの事務処理をしなければならない責任感」の板挟みで、ストレスが溜まっているであろう深雪は強情に言い張っていた。
まだ継承して1週間でこの状態では、この先が心配だが真夜よりは事務処理ができる。ストレスさえ溜めなければ、迷惑をかけることにはならないだろうと克也は深雪を評価している。
達也は四葉家本家の移築先である浦賀の工事現場にいるためここにはいない。真夜は深雪が事務処理を自分よりそつなくこなす現場を目撃し、精神的なダメージを受けて自室に引きこもってしまっている。深雪は「自分のせい」だと言っていたが、真面目にやっていただけなので何も悪くないことを伝えておいた。どうやらそれで吹っ切れたらしく、気にせず仕事をしてくれている。
だが問題なのは睡眠中の時だ。克也は1人で寝ているのだが、夜中に時折こっそり真夜が部屋に忍び込んで布団に潜り込んでくる。鍵をかけるが、マスターキーで開けられるのでほぼ鍵の役割を果たしていない。一度追い出すとドアの前で寝られてしまう。わざわざ運ぶことになり、必要のない仕事を引き受けることになったので、それ以来追い返すことは出来なくなった。
昼前から事務処理をしていたので、時計を見ると既に午後3時を過ぎている。そろそろ本家を出なければ、夕方までに自宅に到着できないので帰宅することにした。
「あとは頼むよ深雪。水波に心配かけたくないから早めに帰る」
「すみません克也お兄様。毎度こんな面倒をかけてしまって」
「気にするなって言っているだろう?あと2ヶ月もしたらいちいちこっちに戻らなくて済むんだ。それに大切な妹と一緒に仕事できるんだから文句はないよ。出来上がるまで少しの辛抱だ。葉山さん、深雪をお願いします」
「ありがとうございます!」
「かしこまりました」
ご機嫌になった深雪を葉山に託して本家を後にする。克也が3日に一度の頻度で本家と自宅を往復しているのは、水波がまだ学生なので1人で家にいさせるのは危険だという3人の意見が一致した結果だ。加えて婚約者である克也に任せるべき。これが達也と深雪の意見である。
水波なら多少の手練れでも怪我をすることはないが、克也の婚約者だと顔バレをしているため狙われることが多々あった。何度か克也も遭遇しているため、いつも周囲を警戒している。
毎日克也は水波を一高の校門前まで送っているので、後輩によく声をかけられる。水波はコミューターに乗っている間は、普段以上に甘えてくるので克也は非常に嬉しい。ここまで自分のことを好きになってくる女性ができるとは、微塵も思っていなかったから余計に胸は高鳴っている。
克也は水波を送るという仕事を毎日しているが、朝は毎回水波に起こしてもらっている。八雲に体術の稽古をつけてもらう日も普通に起きる日も、水波に助けてもらっているので少し罪悪感がある。でも水波がそれを楽しそうにしているので、このままでもいいかというある意味救われない状況になっていた。
これまでは「深雪特製お目覚めジュース」を飲んで頭を回転させていたが、最近は「水波特製愛のお目覚めジュース」にグレードアップしていた。味や効果は変わらないが、水波が作ってくれたというだけで心が満たされる気がする。
それほどまでに克也は水波にぞっこんなのであった。
「水波、もう今年の〈九校戦〉の選手選考は終わったのか?」
「はい、問題なく終わりました。2年生の実力不足は、克也様と達也兄様のおかげである程度は解決済みです」
「努力が無駄にならなくて何よりだよ」
7月の半ばのとある土曜日の朝。食後の一時に水波に聞くと、しっかりと頷きながら答えてくれた。来月半ばから2098年度の〈九校戦〉が始まるが、去年の新人戦を見る限り苦戦するだろうという克也の予想は、ある意味良い方向に外れたらしい。
克也と達也は去年の〈九校戦〉が終わった直後から、1年生の魔法力底上げのための訓練を開始していた。魔法大学や防衛大学校などに進学する生徒とは違い、四葉家に戻るだけの克也達は時間にかなりの余裕があった。なので週に3回ほど放課後に野外演習を行っていたのだ。
ほぼ強制参加だが、用事や体調不良であれば参加しなくても構わないという条件で行っていた。魔法訓練を克也・深雪・たまに雫やほのかが。体力などの肉体的な面は、克也・達也・レオ・幹比古が担当だ。そういうこともあってか、「第一高校 地獄の訓練大会」という名前が不名誉ながら付けられた。命名者は友人の一人だと書き記しておく。
「自信を失っても、生徒会及び作戦考案者は一切責任を負いません」という自己責任を重んじる書類と「目指せ〈九校戦〉7連覇!」というスローガンの元に開催したにもかかわらず、全校生徒の内4割近くの生徒が参加してしまい、対応に追われて嬉しい悲鳴を上げるというなんとも言えない時間を過ごした。
だがそのお陰なのか2ヶ月経った頃から、参加者の実習での成績が大幅に上がり、職員一同から感謝されたことがあった。それによって参加する生徒がさらに急増したのは言うまでもない。
「ということは、今回は安心して大会を見れるということだな?」
「はい。大会には克也様が来られるのですか?」
「深雪はスポンサーや配下の企業との商談や交渉の予定が詰まっている。今回は忙しくて来れないだろうね。達也は深雪のボディーガードだから来ないのは確定だ。そうなれば代役として俺が行くことになるかな」
頭の中で深雪のスケジュールを広げながら、水波の質問に笑顔で答えた。ちなみに克也は、財務管理だけでなく深雪の秘書も兼任している。達也がどうしても対応できない時の代わりである。
自分が説明している間、水波が小さくガッツポーズをしたことに克也は気付いただろうか。泊まる部屋を副会長である水波が決めることになっているので、もしかしたら克也を同じ部屋にするつもりなのかもしれない。いや必ずそうするだろう。何故なら毎日一緒にいられるのだから。
今話している場所は司波宅だ。本家を浦賀に移築してから、それほど時間は経っていないが、やはり自宅の方が落ち着くのでこちらに来ている。正直言えば、水波と長く一緒にいれるからというのも無いわけではない。むしろそちらの方が高いのだった。
8月半ば。〈九校戦〉開幕直後に会場へと足を運び、VIP席に座りながら試合を眺める。〈スピード・シューティング〉では詩奈が去年と同じように、《ドライアイスの亜音速弾》で無双している様子をディスプレイが映し出している。自分の眼と《
「閣下、お久しぶりです」
「しばらくだ克也君。一昨年の〈論文コンペ〉前以来だな。息災か?」
「ご覧の通りです閣下。ところで今年もイタズラをされたのですか?」
「3年に一度はあの魔法を使うことにしていてね。その度に何人が気付くか試しているのだよ。魔法師の卵がしっかり成長し、受け継がれているのかを確認するためだ」
烈がイタズラがばれたような居心地の悪そうな笑みを浮かべる。その様子を見ると、3年前と何も変わらないなと思えてくる。未だに〈パラサイドール〉のことを許してはいないが、ここで過去を掘り返すような無粋な真似はしなかった。
「今回はどんな立場で来られたのか聞いてもいいかな?」
「何も企んではいませんよ。今回は四葉家当主の代理として来たまでです」
苦笑しながら裏はありませんと伝える。
「君は〈戦略級魔法師〉として公表されても、私に対する態度は変わらないのだな」
烈が3人目の〈戦略級魔法師 神代要〉だということを知っていることに克也は驚く。克也の雰囲気のぶれに気付いたのだろう。種明かしをしてくれた。
「真夜から話を聞いていてね。まさか君がそこまで成長するとは思わなかったよ
「
「師に伝えていても可笑しくはなかろう?」
人の悪い笑みを浮かべてくるのは、教え子の
「君に伝えておきたいことが幾つかあるのだが構わないかな?」
「自分にできることであればなんなりと」
「では、お言葉に甘えて話しておこう。良いニュースからがいいかな?それとも悪いニュースからかな?」
「では悪いニュースからで」
「…普通、ここなら良いニュースからではないかね?」
「では良いニュースからで」
「…」
あっさりと掌をひっくり返す克也の態度に、烈も〈論文コンペ〉前の響子同様に黙り込んでしまう。克也は意図的に話したつもりはないらしく、その様子に首を傾げていた。3年前の藤林が戸惑った光景とまったく同じである。
「…まあいい。良いニュースは光宣のことだ」
「光宣ですか?」
「ああ、今まで君が治療していたがようやく特効薬を開発することができてね。今回の〈九校戦〉にも参加しているよ」
「おめでとうございます。光宣が出るとすれば〈モノリス・コード〉ですね?これは勝つ見込みがありません。まったく困ったものです」
賛辞も苦悩もどちらも克也の本音だ。光宣が実戦で活躍することができることに喜びもあるが、〈モノリス・コード〉に出場するとなると素直に喜べなくなる。一高OBとして後輩には負けて欲しくないし、総合優勝して欲しいのだからそう思っても仕方がない。
光宣にとっては初めての〈九校戦〉であり、最後の出場になる〈モノリス・コード〉に全力で挑んでくるのは、克也の想像に難くない。今の最上級生もなかなかの魔法力を持っているが、光宣の《
光宣には活躍して欲しいし、後輩には負けて欲しくないという感情に板挟みにされているが、この程度でどうこうなるような内臓の鍛え方はしていない。鍛えたといっても毒物を飲み込むなど危険な方法ではなく、比喩表現に近いものだが。
「孫にとって最初で最後の〈九校戦〉だから、大いに活躍して欲しいのがこの老いぼれの願いだ。…そして悪いニュースだが。どうやら面倒なことになってきているようだ」
「…何か起こるのですか?」
「【レプグナンティア】の活動が活発になってきていてな。世界各地で彼等による魔法師を狙ったテロが頻繁に起こっている」
「魔法師を狙ったと言いましたが。正確には【第一世代】や【調整体】を主にしたテロなのではありませんか?」
克也の質問に閣下は顔を曇らせた。【第一世代】や【調整体】が狙われたとなれば、孫である光宣にも被害が来るかもしれないという心配が大きくなったのだろう。光宣が【調整体】だと知っているのは、烈・克也・達也・深雪・水波だけだが、烈自身は自分と僅かな関係者だけだと思っているはずだ。
克也は知っていると知らせないために、話をずらす必要があったので少し解釈を曲げていた。
「閣下は魔法師全体ではなく、一部が狙われていることを危惧されているのですね?問題ありませんよ。我々は【第一世代】だろうと【調整体】であろうと分け隔てなく助けます。それが〈十師族〉の存在理由の一つです」
「…ありがとう克也君。少しだけ気が軽くなったよ。私は既に当主から降りた身だ。一々現〈十師族〉の話に首を突っ込むわけにはいかない。頼んだよ」
「お任せください」
克也の意図的な理解の仕方に烈は助かったと思ったのだろう。かなり肩の荷が降りていた。だが克也に魔法師の存在を守って欲しいという願いは本物であると、克也は感じていたため素直に頷いた。
烈との会話の後、黒羽家に【レプグナンティア】の活動について調べるよう命じ、昼食を食べに屋台へ向かった。
昼食を終え午後から始まる〈スピード・シューティング〉の決勝リーグを見に行こうとすると、緊急事態を知らせる警報が携帯端末から聞こえたので取り出して開く。さすがの克也でも驚愕せざるを得ない事態が書かれていた。克也は急ぎ足で来た道を引き返して、指定された部屋に向かい始めた。
『何者かによる第七研究所への襲撃あり 午後2時より緊急の師族会議を開催 司波克也殿は至急、富士南東野外演習場の謁見室を利用されたし』
とメールには書かれていた。