克也と達也が生まれてから6年が経った。達也は今日の今から1時間後に人造魔法実験を受けることになっているのだが、克也はとても不安だった。母の深夜の腕は実子であるから疑ってはいないが、もしかしたら失敗するのではないかと心配だったのだ。
「達也、怖くないの?」
「実験が?」
「うん、僕は怖いよ。達也にもし何かあったらどうしようって不安で溢れてる」
実験に対してまったく恐れを抱いていない弟に、僕はより不安を覚えていた。
「心配しなくても大丈夫だよ。母さんの腕は信用してるし、たとえ失敗しても克也と深雪がいる。俺達の仲は変わらないだろ?」
「当たり前だよ。僕達はいつも一緒だ」
「分かってるじゃないか。そろそろ俺も準備しないとね。深雪を頼む。今あいつは【克也に絶賛甘えたい症候群】に感染している」
「深い話の後にそんなこと言う?」
「気分が軽くなるだろ?」
実験を受けるより他人を心配する弟の優しさに、何とも言えない気持ちになるが安心できるから不思議だ。それから少し話をした後、達也と別れ深雪がいる母の部屋に向かった。
ドアをノックし部屋に入ると深雪に抱きつかれた。
「克也兄様~!」
「ただいま深雪」
笑顔で頭をなでてやると嬉しそうに笑みを浮かべる。母は実験準備のため、既に実験室にいて最終調整に入っている。実験の間は、自分が深雪の世話をすることが母と叔母から命じられた仕事だ。
苦ではないので引き受けたが、実験に対する不安はぬぐいきれない。そんな空気が漏れ出していたらしく深雪に聞かれてしまう。
「克也兄様?」
「なんでもないよ。これからどうする?」
「葉山さんのところに行きたいです!」
「じゃあ、行こうか」
部屋を出ようとすると、自分の左腕に深雪が嬉しそうに抱きついてくる。笑みを浮かべながらそのまま葉山さんのいる場所に向かった。
2時間後、母さんが疲弊しきった表情で実験室から出てきたので、駆け寄って声をかけようとすると叔母に止められた。
「叔母上?」
「今はゆっくりさせてあげて。かなり疲れ切ってるから」
「実験は成功したんですか?」
「もちろん貴方の母ですよ?失敗するわけないじゃない」
叔母の返答に一安心する。
「達也に会うことはできますか?」
「大丈夫よ。まだ麻酔の影響下で眠っているけど直に目を覚ますわ。最初に会いたいのは貴方でしょうから側にいてあげなさい」
叔母が去り紅林さんが実験室から出て、達也以外がいなくなった実験室に入ると、簡易ベッドの上に、病院で診察を受けるような服を着た達也が横たわっていた。顔色を見る限り不審な点は見当たらず、実験に成功したのは事実だと自分の目で確かめた。
本当に感情を失ったかは話さなければ分からない。眼が覚めるまで僕はしばらく待つことにした。
眼を開けると、そこは横たわる前に見ていた天井だった。頭の中に靄がかかったような感覚に襲われるが、これが感情を失ったという結果なのだろうか。寝息が聞こえてきたので左に顔を向けると、兄である克也がベッドに寄りかかりながら眠っていた。しばらく見ていると視線を感じたのだろう。克也が目を覚ました。
「達也!気分はどう?」
「悪くないけど不思議な感覚だ」
「不安はある?」
「不安?何に?」
「これからのこととか感情を失くしたことに」
「そんなものはない。いや違うな。不安という感覚がどんなものなのか分からない」
その言葉を聞いて、克也は達也が本当に感情を失ったのだと確信した。すると涙が溢れてきた。
「克也、何故泣く?」
「悲しいんだ。達也の中から自分と深雪がいなくなるんじゃないかって思うと」
「悲しいという感情がどんなものなのかは分からないが、心配することはないよ克也」
「達也?」
達也は穏やかに微笑みながら話してくれた。
「自分の中に残った唯一の感情、〈兄妹愛〉がそんなことをさせることはない。何があっても離れることはないさ。俺達は兄弟で兄妹なんだから」
「うん、そうだね。これから3人で力を合わせていこう」
弟に慰められ、僕は微笑みを浮かべた。
「それはいいんだけど達也、深雪が達也に慣れてくれるかな?」
「…問題はそこだよ。まともに話したことないし、話させてもらえてないからどう接したらいいか分からない」
「時間が解決することもあるって叔母上が言ってたから、いつかは大丈夫だよ。明日から一生懸命魔法と体術の練習しなきゃ」
「うん、そうだね。明日からは忙しくなるよ」
僕達は日が暮れるまで楽しそうに会話を続けた。
それから6年が経った夏休みのある日。日課の体術の練習を終えシャワーを浴びた後、2人が廊下を歩いていると、落ち込みながら歩いてくる亜夜子に出会ったので話しかけた。
「おはよう亜夜子。どうした?」
「…克也さん・達也さん、おはようございます。特に理由は無いので大丈夫です。それでは」
「ストップ」
克也が立ち去ろうとした亜夜子を引き留め、達也が理由を聞き出す。
「つまり自分の魔法をどう使ったらいいのかわからないと」
「はい。四葉家分家の一つ黒羽家の魔法師ともあろう者が、突出した魔法が使えないなんて笑えますよね」
あまりにもネガティブ思考なので克也は対応に困っていた。何度も顔を合わせて会話をしている仲だが、これほど落ち込んでいる亜夜子を見たのは初めてだった。
「誰にだって得意不得意はあるから、落ち込む必要は無いんじゃないかな」
「達也、その言い方は親父臭いよ?」
「うっ、この歳で言われるのは辛いな…」
「大人びているって意味なんだけど伝わらなかった?」
「12歳に使う言葉じゃない」
「四葉だから成長が早いってことで」
「…克也も親父臭い」
「ギャフン!…酷いよ達也」
「お相子だ」
克也と達也の仲の良いやり取りに、亜夜子の顔にも笑顔が浮かんでいた。意図した結果ではなかったが、2人は亜夜子が明るくなってくれたので良しとした。
「まずは亜夜子の魔法特性を知ることから始めた方が良いかもね」
「そうだな。亜矢子、調整室に来てくれ」
数十分後、四葉家のCAD調整室で亜夜子の魔法特性を測定した達也は、自分と似た魔法を亜夜子が使うと知り、分かりやすく実演してみせた。亜夜子がそれを見よう見まねで魔法を発動したところ、あっさりと会得してしまった。
「…達也、これはとんでもない才能だよ」
「…俺も同感だよ克也」
亜夜子が魔法の練習をしている間、2人は呆気にとられながら見ていた。
「でも、まだまだ魔法式が荒い。魔法式を調整しないとダメだね。俺が魔法式を造り替えるから達也はCADをよろしく」
「任せろ」
これが《極致拡散》を使う黒羽亜夜子の誕生秘話であり、達也を単なる欠陥品だと認識できなくなる事件の発生起源である。
それから時はまた流れ、克也と達也は本格的な実戦を経験するようになっていた。陸軍出身の体術の講師に2人掛かりで挑むと、白旗を上げさせることができるようになるほどまで、2人の技が極められていた。
1人では太刀打ちできない相手と戦っている克也を、深雪は遠巻きに見るのが好きだった。絶対に勝てない相手にも必死に食らい付き、何度背中に土をつけられようと10m以上も吹っ飛ばされようと、先ほどより速い動きで立ち向かう。そんな姿を見るのが深雪の楽しみだった。
不満があるとすれば、内心を伺えないような表情で中学校と家を登下校する間、ずっと後ろを歩く兄がいることだろうか。
何故こんな人が私のガーディアンなのでしょう。叔母様の考えを教えていただきたい。
達也兄さんが私のガーディアンに任命されたのは、中学入学と同時だった。ボディーガードとガーディアンの違いは理解しているけど、感情を普段表に現さないこの人が自分のガーディアンだとは思いたくもないです。
何故克也兄様でないのか。何故まともな会話を一度もしていない兄さんがガーディアンなのか。不服に思ったのは幾度となくあります。
そもそもボディーガードとガーディアンの違いは、明確に分かれている。ボディーガードは食べるために護衛対象を守り、金銭を得る。一方ガーディアンは護衛対象を守るために食べる。金銭など必要なものは、その都度上からその度に与えられる。
つまり命をどのように捨てるのかが、この2つの違いなのだと私は思っている。
ガーディアンは護衛対象が解任した時に初めて自由の身となる。兄の解任は私の自由だけど、高校に入るまでは解任してはならないと叔母様に命じられているため、私はあの男性から逃れることはできない。
ここ最近、克也兄様から愚痴を聞くことが多くなりました。「叔母上に溺愛されすぎて困ってる。どうにかしてほしい」と言われても私にはどうすることもできません。子供を授かる能力を失った叔母様の心中は計り知れないけど、同じ【固有魔法】を使える血の繋がった家族がいるのであれば、溺愛してもおかしくはないでしょう。
中学1年生で150cmもある身長ですから、叔母様と隣り合わせに立つと、10cmほどしか身長差がありません。そんな克也兄様に叔母様が抱きついて、心底嬉しそうにしているのを見ると幸せそうだと思うのだけれど、抱きつかれてげんなりしている克也兄様を見ると、どう反応したらいいのか迷ってしまう。
来週から2週間の沖縄旅行があります。達也兄さんが来るのは残念だけど克也兄様がいれば、補って余りあるほどの楽しい旅行になりそう。
しかし出発の1週間前、「半年前に起こった魔法事故による後遺症で、思うように魔法が使えなくなった克也を沖縄に連れていけない」という叔母様の過保護によって、克也兄様との楽しい沖縄旅行が、真夏の夜空の彼方へと消え去ってしまった。
「連れて行く」というお母様と「リハビリ優先」と言い張る叔母様が激しく喧嘩を繰り広げ、睡眠・食事・入浴以外の時間を割いて3日3晩続いたそうです。
克也兄様が「ほぼ回復したから行きたい」というお母様を援護する言葉を発されたのですけど、〈当主命令〉という最強の権限を持ち出されては、2人共引き下がるしかありません。
未だに喧嘩真っ最中である双子の姉妹と落ち込んでいる克也兄様を見て、薄い笑みを堪えている達也兄さんと複雑な笑みを浮かべているお母様のボディーガードである穂波さんという、なんともシュールな絵面を傍観している私は嫌な子なのでしょうか。
沖縄旅行が始まって1日目の夜、私は克也兄様に映像電話で愚痴をこぼしていた。
「やっばり私は達也兄さんが嫌いです。何を考えているのかさっぱり分からないんです。何故克也兄様は分かるのですか?」
「何故と言われても双子だからじゃない?」
「…答えになっておりませんが?」
中学生になって間もない克也兄様ですが、既に同級生あるいは上級生、さらには別の学校の生徒がわざわざ告白しに来るほどの人気者です。喜ばしいことなのですが、敬愛する私からすれば少々複雑です。そんなモテ男である克也兄様の声と顔を見れるだけで、今日1日の疲れが吹き飛ぶような気がします。
「仕方ないじゃん。それぐらいしか思いつかないんだから許してよ」
「…克也兄様の優しさに免じて今回は許しておきます」
「さすがは我が愛しの可愛いリトルシスター」
「か、からかわないでください!」
顔を真っ赤にさせて怒鳴られても、画面越しであるとそれほど怖くない。まあ、目の前で言われても「可愛い」としか俺は思わなかっただろう。
「冗談はさておき。深雪は達也が何を考えているのか分からないと言ったけど、正直俺にも分からない」
「克也兄様でも分からないのですか?」
「双子といっても達也と俺は性格が真反対だからね。それに達也には
「
意味が分からないというふうに聞き返してくるが、達也の事情を知らなければ分かるはずもない。深雪は達也が人造魔法実験を受けたことを知らず、感情の起伏がない不気味な人としか認識していない。幼い頃から面と向かって会話もしたこともなく。ましてや会わせてもらえなかったのだから知る機会もなかった。
深雪を達也に会わせなかったのは、淑女としての教育をするためだったらしいが俺には方便に聞こえる。
「今回の旅行は深雪に達也のことを知って貰うために、母さんが計画した家族旅行の予定だったんだ。俺がいないのが唯一の計算外だけど」
「お母様がそんなことを…」
「だから達也のことを知ってほしいって…イタッ!水波、つねらないで。分かった行くからあと1分で行くから。そんなに腕を引っ張らないでって千切れる!」
電話越しに叫び始める克也兄様に疑問符を浮かべていると、画面外に消えていた克也兄様が疲れた顔をしながら戻ってきました。
「ということで俺は訓練とリハビリに戻るよ。じゃあねマイハニー」
「んなっ!」
ドストレートな家族愛を爆発させられ、噴火1歩直前で硬直していると、こちらの気持ちを知ってか知らずかは分からないけれど、克也兄様は一方的に電話を切った。
「いくら血を分けた兄でも、その顔と声と台詞は反則です克也兄様!」
兄に対する不満をぶちまけながらも深雪の顔はにやけており、就寝のためにベッドに入った後も嬉しそうで、なかなか寝付けなかったと記しておこう。
一方克也といえば、何故か水波に物理障壁の訓練を強制的に教えさせられていた。
2週間後。母さん・達也・深雪は、本家に帰ってきたが表情は重く暗かった。詳しい事情を知らなければ、大亜連合の侵攻によって被害を受けたことによるストレスだと思っただろうが、実際はそうではなかった。
達也が後に戦略級魔法として認定される
俺にとっては一回り以上歳の離れた姉的存在であり、水波にとっては遺伝上叔母にあたる人物が亡くなったのだ。涙を流しても誰も文句は言わないはずだ。
遺灰は穂波さんの遺言通り海に流されたが、母さんの要望で四葉家でもう一度正式な葬式を行った。分家を参加させなかったのは、穂波さん個人とそれほど関わりがなく達也に気安く声をかけていることに対して、分家から批判の声が上がっていたためである。
穂波さん自身「何を言われようと達也君は達也君です。欠陥品だろうとそうでなかろうと私の接し方は変わりません」と言ってくれたことを嬉しく思い、また申し訳ないと思った。だが本人が望んでいるのだから、自分達が何かを言うのはお門違いだ。
穂波さんの葬式を行った日、俺は水波と同じベッドで寝ていた。水波がなかなか泣き止んでくれず、そのままこの時間まで来てしまったという次第だ。未だにぐずっている水波の頭をなでているとポツリと話してくれた。
「穂波様がいなくなっても、私達は何も変わらないのですよね?」
「もちろんだ。俺達は絶対に穂波さんを忘れない。記憶に留まらず、魂にまで穂波さんの優しさは染み込んでる。だから俺達が死のうと穂波さんが死のうと消えることはないよ」
「はい。それより気になるのは深雪様と達也様の関係です」
「あの変化には驚いたな」
水波が言いたいのは、深雪が達也に向ける感情が180度変わったことだ。今では達也のことを「達也お兄様」。挙げ句の果てには俺のことを「克也お兄様」と呼ぶようになっていた。何があればそこまで変わるのかと思っていると、深雪が「自分が死にかけたときに助けてくれた」と話してくれた。死の淵から戻った深雪は、自然と達也のことを「お兄様」と呼ぶようになっていたらしい。
一緒にいれば段々と深雪が達也に心を開いていくと俺は予想していたのだが、まさかそんな形で関係修復に至るとは思っていなかった。〈死にかけていたときに助けてくれた男子に恋する少女〉のようなフィクションでしか起こらない事態が現実で発生したとなると、この先2人がどのようになっていくのか想像もつかない。
達也も嬉しそうにしているので、俺は口出しできないし母さんだって微妙な顔をしているのだ。まあ、そのせいで叔母上が深雪に負けないとでも言うかのように、これまで以上の「愛」を注がれるようになったことが唯一の問題点だ。
「お休み水波」
「お休みなさいませ克也様」
今頃深雪も達也と同じベッドで寝ているのだろうと予測しながら、俺は深い眠りの淵に落ちていった。