水波は四葉家お抱えのボディーガード3人と近くのショッピングモールに、衣服などの生活用品の買い出しではなく、食料の調達に来ていた。使用人に頼めば済むはずだが、健康のためとの理由で訪れている。
「水波様、あまり歩き回られてはお身体に障ります」
「歩かなければお腹の子供に悪影響です。もう少しだけ歩かせて下さい」
水波はボディーガードが自分の子供ではなく、自分の身体を心配することに憤りを感じていた。何故子供優先ではなく自分なのか。それが水波にとっての唯一の不満だった。
【調整体】として生まれ、幼い時に両親を失った自分は四葉家に物心ついた頃にぬ引き取られた。あまつさえ当主の甥っ子と婚約して、子供をもうけるという幸せを掴んでいるにもかかわらず、水波の心は一部曇っていた。
自分の心配より子供のことを考えて欲しいという水波の思いとは裏腹に、魔の手が水波に近付いてきている。そのことを水波もボディーガードも気付かずにいる。人影がなくなり人払いの結界が張られていることに気付いたのは、ほぼ人がいなくなってからだ。
「水波様、お気を付け下さい」
「...結界ですか?」
「おそらくは。人払いと認識阻害の両方が展開されているかと」
水波の前に立つ四谷辰巳は、自分の判断が正しかったことを敵の襲撃により認識した。全身を黒の服で揃えた何者かがナイフを持って、店舗同士の隙間から跳びかかってきたからだ。辰巳は動いて襲撃者の顎を右掌底で打ち抜き、少しばかり浮いた無防備な背中に、強烈な右回し蹴りを喰らわせた。
声も出さず地面に倒れた襲撃者を冷ややかに見下ろし、水波の元に戻った。
「今のは何ですか?」
「強化人間なのか〈ジェネレーター〉なのか。目的は不明ですが明らかに我々を狙っていたようです。目的が水波様自身なのか、我々ボディーガードなのかわかりません」
辰巳は襲撃者が単独だとは思っておらず、周囲を警戒していた。だが警戒範囲外から狙われてはどうしようもなかった。
「がっ!」
「ぐっ!」
突然ボディーガードの2人が、胸部を弾丸に貫かれて絶命した。その瞬間に水波が〈物理障壁〉を展開する。しかし身重なためか強度は十分ではなく、続いて発砲された弾丸によって障壁が揺らいでいた。
「水波様、危険です!今すぐ店の中に!」
辰巳に言われても身重な水波は素早く動けない。かといって辰巳が抱えて、振動を水波と子供に与えながら逃げるわけにもいかなかった。辰巳が逃げる方法を考えている間に、先程の襲撃者と同じような服装をした人物に囲まれていた。
その人物からは生気を感じられない。何かに取り付かれ、命令をただ遂行しているように水波と辰巳は感じた。
「水波様、どの程度までであれば魔法を行使できますか?」
「全魔力の6割ほどであれば可能です」
「では御身だけに障壁を発動させて下さい。私はこれから敵を殲滅します。それまでご無事で」
辰巳はそれだけ伝え、生気を感じられない人物の1人に突撃して体術で戦闘を開始する。辰巳は魔法師ではないので魔法はまったく使えないが、体術であれば四葉家屈指の実力を持つ猛者だ。生半可な鍛え方をした者であれば秒殺される。
こいつら人間でも魔法師でもない。機械仕掛けという感じじゃないところを見ると強化人間か?それもケミカル強化を受けているようだが…。
「きゃあ!」
「水波様!?」
悲鳴が聞こえて振り返ると、どこからともなく現れた4人の襲撃者が、水波の〈物理障壁〉を壊そうと躍起になっていた。
「水波様!ちっ、貴様等そこをどけ!」
救助にいきたいのだが強化人間の壁がその道を塞ぐ。1人1人が手強いので、全力勝負をせざるを得なくなり挑むが、人数差もあり急速に体力を奪われる。そのうちに攻撃が裁ききれなくなり、1人が放った左回し蹴りが水月にクリティカルヒットする。
「がっ!」
呼吸が一瞬止まり、有り得ないほどの距離を吹き飛ばされて壁に激突する。
「がはっ!」
吐血しその血の量に驚く。四葉家に仕えている間もその前も、これほどの血を流したことはなかった。実戦経験も何度もしているが、これほどの怪我をしたことは一度もない。いとも簡単にやられた自分を恥じるが、それ以上に水波を守れないことに苛立ち、無理矢理に立ち上がろうとする。だが足腰に力が入らず、その場に崩れ落ちてしまう。
その間にも水波の〈物理障壁〉は揺らぎ、今すぐにも定義破綻しそうだ。だが満身創痍の辰巳では残りの10人を倒すなど不可能である。それを理解しているが故に悔しさが倍増し、自分の無力さを恨む。そして恐れていた事態が目の前で起こる。
「離しなさい!今すぐここか…ムグッ!」
10人から攻撃を受けた〈物理障壁〉がついに破られ、腕と足に縄を巻き付けられ、最後に猿轡を口に巻き付けられた水波は、あっという間に拉致されてしまった。
「水波様ぁぁぁぁぁぁ!!!」
辰巳の怒号も虚しく、襲撃者達は水波を担いで走り去っていった。辰巳は自分の両腕を怪我することもいとわず、地面に思いっきりたたき付けた。
俺はなんて無力なんだ。当主様の要望にも応えられず、護衛の任務さえまともにできないとは。警戒を怠っていたわけではない。むしろしっかりと周囲は警戒していた。だがその結果がこの様だ。信頼を失うのには十分すぎる理由だ。
「お困りのようですね」
不意に話しかけられ顔を上げると、目の前にいたのは幼さの残る第一高校の制服を着た少年だった。
「貴様、何者だ!」
「おお怖い。満身創痍にもかかわらずそれほどの声を出せるとは。予想以上です」
「減らず口を!」
このタイミングで現れたということは、先程の襲撃者の仲間だと予測する。辰巳は血反吐を吐きながら食ってかかる。
「貴様は奴等の仲間だな!?水波様を何処に連れて行った!」
「誤解されているようですね」
「誤解だと?」
「はい、自分は彼等とは仲間ではありません。自分は依頼主代理であり、彼等を命令する立場です」
「ならば余計に許すわけにはいかん!」
辰巳は全力を振り絞り、その少年に蹴りを放つがあっさりと避けられてしまう。カウンターでボディーブローを喰らわされ、またしても俯せに倒れ込んだ。
「弱いな。これが四葉家に仕える魔法師なんですか?」
「仕方ないだろう。彼等とやり合い重傷だったのだから。それにその者は魔法師ではない」
「あ、当主様お疲れ様です。どうやら作戦は成功のようですね」
「そのようだ。お前の指示もなかなかだったぞ
「ありがとうございます」
七宝だと?〈師補十八家〉ともあろう一家の子息が何故このようなところに!
辰巳は自分の上で会話をしている2人の素性を見ようと、目線だけを移動させ、そして驚愕した。
何故、
「何故ここに私がここにいるのか聞きたいようだね。私がここにいる理由は、夢の実現のためだ。いや、この言い方は適切ではないかな。私と彼の野望とも言える。さて七宝君、そろそろ行こうか?目標は捕獲できた。ここに長居する必要は無い」
「わかりました」
琢磨は笑顔で頷き、去って行く男についていく。辰巳は動かせない足の代わりに腕を使ってその場を去ろうとするが、怪我をした腕ではそれほどスピードは出ない。体力も大量に消費しているのですぐに息を切らしてしまう。
それでも辰巳はやるべき事を成そうとし、動かす腕を止めようとはしない。血が腕の傷口から滲もうが、口に血が上ってこようが、気合いでねじ伏せ進み続ける。
このことを当主様に。克也様にお伝えしなくては…。
「がはっ!」
突如背中に激痛が走り、振り抜くと身体の前に分厚い本を落とした状態で、右手を自分に向けながら歓喜に震えている琢磨がいた。
これが《ミリオン・エッジ》、七宝家の切り札の一つか…。
辰巳の意識はそこで闇に飲み込まれた。
「この眼で直接見れるとは思わなかった。良い物を見せてもらったよ」
「これからたくさん見る機会がありますよ」
「ではそれを楽しみにしておこうか」
琢磨と当主と呼ばれた男は死んだ辰巳をその場に残し、人を殺したとは思えない清々しい笑みを浮かべ去って行った。
克也が辰巳の死と水波の拉致を知ったのは、吉田家から本家に帰宅してからだった。