「私……私が必ず、守ります」
そう言い残した涼月は戦いへと赴いた。だがこれまで任地を持たず率いる艦隊もなかった俺には、頭で分かっていた敵の襲来と艦娘の迎撃――戦地ならごく当たり前の光景が映画のワンシーンのようで、どこか他人事のように涼月の背中を眺めていた。ばたん、と荒々しくドアの閉まる音でようやく我に返った俺は、慌てて涼月を追いかけて港へと向かった。
司令部から港へ続く細い道を駆け抜け辿り着いた突堤の端、慣れない全力疾走で大笑いしている膝に手を当て、肩で大きくぜーぜー息をしながら、俺は視線を水平線に向けた。遥か遠くに見える涼月の背中はすぐに小さくなり、俺の視界から遠ざかるのを確認し、背中を逸らし大きく息を吸って体に酸素を取り込んだ。
この状況で俺に出来る事はない。指揮を執ると言ってもそもそも涼月は俺の指揮命令下にある艦娘ではなく、仮にそうだとしても、たった一人の艦娘に何ができると…………。
俺はぶんぶんと頭を振り、客観性とか合理性とかの雑念を振り払う。
守るべきものがあるから、艦娘は戦うのだ。それがどれだけ絶望的で困難な状況だとしても、たった一隻、たった一機の敵と引き換えに自分の命が失われたとしても、小さくても、少しでも、それで守れる何かがあるならと、彼女達は微笑みながら敢然と死地に足を踏み入れる。その上で――――。
「涼月は必ず帰ってくる。なら俺のやるべき事は……」
守りたいもの、帰りたい場所……それは誰しもが持ち、存在する。たとえ心の中だけで朧げに揺れる熾火のような思いだとしても、それは確かに生きていて、人を支え、駆り立てるのだ。ともかく涼月は戦う選択をした。その結果で生じる事……せめてこのくらいはすべき、いや……させてほしいと、俺は来た道を引き返し、今自分に出来そうなことの準備を始める――――。
◇
入渠施設は艦娘運用拠点における中核設備の一つで、戦闘で損傷した艦娘の生体組織と艤装を修復、しかも高速修復材を併用すればほとんど瞬時に完了できる。例外は、脳と心臓が完全に破壊された場合。他の部位がどれだけ正常でもこの二か所が完全に損なわれると、いくら艦娘でも駄目。逆に言えば、脳と心臓さえ保全されれば生体修復は行える訳で、艦娘という存在の特異性を物語る要素の一つである。
「別に何が違うって訳でもないんだけどな……」
通路を塞ぐように床を這ういくつものケーブルを避けながら、巨大な培養器のようなガラス製の容器……正確にはその残骸に手を掛けつつ、保安灯のぼんやりした光を頼りに、俺は入渠施設の中を歩いている。
規模は比較にならないが、横須賀鎮守府の入渠施設と基本的な構造は同じに見える。だが、この泊地の設備の例に漏れず、かなりの損傷を受けているのが見て取れる。ないよりはまし、という程度で涼月の命を繋ぐ生命線にしては頼りなくか細い。そのせいか――――。
入渠施設に深入りしてほしくない……正しくは涼月がそう思っていると俺が感じている。
最初の頃は違った。普通に涼月も利用可能な施設を紹介する流れで案内してくれた。いつの頃か……気づけば、何となく入渠に関わる話は避けたい……そんな雰囲気が涼月から感じられるようになった。面と向かってそう言われたわけではないし、これまでの所涼月が戦闘に出ることはなかったので、俺も何となく入渠施設に足を向けなかった。
だがそんな事を言ってる場合ではない。
「えっと……浴槽は……お湯を張る前に掃除だな、こりゃ。……涼月はこれを見られたくなかった、のか?」
俺にできるのは、入渠の準備して涼月を迎えることくらいだ。ただ、ようやく見つけた浴槽は、これまたあちこちが欠け皹が入り、清掃も十分とは言えないように見える。ひょっとして涼月は水回りの掃除苦手なのかな……とか考えつつ掃除道具を探していると、弱々しい声が
――ごめんなさい……こんなで……。
目を凝らして暗がりを見つめ、ようやく知覚できたのは、エメラルドグリーンのセーラー服に安全靴、オレンジ色のヘルメットを被った、入渠施設の妖精さん三人娘。……ただ限りなく半透明で頼りなく揺れている。
この泊地の状況を考えれば、むしろよく生き残っていてくれたと思う。俺が手を差し伸べると、驚いた顔の三人は急遽会議開始。妖精さんのこういう反応は慣れているので気にしない。少しだけ待っていると、彼女達はよたよたと俺に近づき、手のひらや肩、頭に乗ってきた。
…………なんてこった。
彼女達から話を聞き、俺は愕然とした。確かに涼月からも、この入渠施設の能力は本来のものに程遠いとは聞いていた。だが………。
この損傷した入渠施設では
戦う事自体が涼月にとって深刻なリスクなのだ。なのに彼女は……。
――ごめんなさい、ごめんなさい……でも、今の私達には……。
――だから涼月には戦って欲しく……ないの……。
――でも涼月は優しい、優しすぎるから……。
えぐえぐと泣き出した入渠施設の妖精さん達を慰めながら、この深刻な問題の解決を考えたが、やはり――帰還させるしかない。なぜ涼月が入渠施設に俺を深入りさせなかったのか、思う所は色々あるが、この問題をこれ以上先送りはできない、と俺が内心で決意を固めた時、聞き覚えのある声が
『全部叩き落したよ……でも、連中も腕利きだった』
『
疲れた体をお互いを支えるようにして、レンとソウが後ろにいた。そして――――。
「敵二小隊八機、全て撃墜しました、安心して、下さい……。私、ですか? は、はい……少し、アレしちゃいましたけど、大丈夫……です」
俺に向かい微笑む涼月だが、右腕を覆うインナースーツに血が滲んでいる。気丈に堪えているが辛いに決まっている。見ればソウの砲塔にも大きな傷が一つ増えている。全体としては小破……という所か?
艦娘が傷つくという現実を目の前に、冷静でいられるはずもない。自分でも顔から血の気が引くのが分かり、ほとんど泣き声のように叫んでいた。
「今すぐ入渠してくれ!」
妖精さん達と一緒に浴槽を片づけながら入渠の準備を急ぐ俺の背中に、涼月は痛みを堪えながらも微笑みぽつりと呟いたが、その声は俺には届かなかった。
「私は……ちゃんと守れたんですね、この泊地を……安曇さんを……」
慌ただしく準備を整え涼月に入渠を促した俺は、『覗くつもりなの!? この変態っ』とソウに砲身を向けられ、レンは『
「……安曇さんは……できれば、というか外に出て、ください……。 その……入渠は入浴と、同じですので……」
淡々としつつも有無を言わせぬ涼月に断言され、俺は大人しく施設の外に出た。
そして俺達を取り巻く状況が急速に姿を変え、決断を迫ろうとしているのを知ることになる――――。