俺は涼月の肩を抱いたまま、涼月は俺の肩に頭を載せたまま。寄り添うお互いの体温と耳元をくすぐる細い銀髪と、静かな吐息……どのくらい無言でそうしていただろうか、徐々に冷えてくる夜風だけが時間の経過を教えてくれる。
一緒に行こう、と言った俺と。
ほっとする、と言った涼月と。
それきり俺も涼月も言葉を飲み込み、夜にお互いを溶かしたまま。時折涼月が居心地の良さを探して体勢を直し、その度に揺れる髪が耳や頬に当たりくすぐったいが、俺はそのままにする。そのままにしたたものの、徐々に落ち着かなくなってきた。無防備すぎるほどに体を預けてくる涼月の体温は、俺に沈黙を破らせる。
「月が……綺麗だね」
遠くの空、視線の先に浮かぶ白く輝く月。この辺で見る月にしては珍しく輪郭がはっきりとし冴えた光が眩しい。日本人は天気の話しかしない、とパーティトークの下手さを海外で揶揄されるようだが、今の俺も間違いなくそうだろう。話が続かない……と内心慌てていると、腕の中で涼月がぴくり、と肩を震わせ反応した。俺の顔を見上げるように頭を動かし、前髪越しに見える空色の瞳が揺れ、綺麗な形の唇が動き出す。
「死んでも……いいわ、と応えた方が……いい、ですか?」
「えっ!? 馬鹿なことを……死ぬなんて軽く言わないで欲しいな」
馬鹿はお前だ、と総ツッコミを受けそうな返しをぎこちなくした俺。涼月は俺の反応に目を優しい笑みの形に変えて微笑む。
かなり後で知ったのは、『月が綺麗ですね』も『死んでもいいわ』もI love you や I’m yours の明治期の超訳らしいという話。涼月が何を意図したのかは分からないが、俺はそんなこととは知らなかった。ただ、死を口にするなと言ったには理由はあるのだが……。
少なくとも、俺の頓珍漢な受け答えは、二人の間の沈黙を取り去る効果だけはあったようだ。遠くの空に視線を移した涼月が、訥々と話し始めた。
「確かに……死んでもいい、そう思っています……いえ、いました、かな? どっちだろう……」
俺が知りたくて、それでいて聞けなかった話に、涼月は触れ始めた。
「あの日……司令官を守り切れず、救う事もできず、敵の攻撃に屈して漂流した私ですが……こうやって生きています」
俺に視線を合わせる事無く、涼月は前を向いたまま。近すぎて涼月の表情の全体は見えないが、目が濡れているように思えた。
「流されて気づけばこの泊地に戻され……ずっと独りでこの泊地を何とか立て直したい、そう思って……いえ、思うようにしてきました。そうでなければ私……私……」
そう言うと涼月は俯き、言葉を飲み込んだ。俺は何も言わずにただ続きを待つ。
「鋼鉄のフネからこの柔らかい体に生まれ変わった私に、毎日は全てが新鮮で、一日ごとに積み重なる思い出がとても愛おしかった……。兵士として兵器として、大切な……大切な仲間達とともに戦って戦って、泣いて笑って……。この泊地が終わったと、そう認めてしまうと、私の生きた証も終わってしまう……司令官がくださった時間。もし取り戻せないと、そうだと認めてしまったなら、たとえ刺し違えてでも……仇を、討つ……」
俺が何となくそうだろうなと思っていた事を、涼月は整理して話してくれた。
過去に積み重ねた時間の結果で今の自分が形成されるのは、人間も艦娘も変わることは無い。振り返る場所があるからこそ、自分がどこにいるのか、どこまで来たのかを確かめて、また前に踏み出せる。
もしそんな大切な思いの宿る場所が理不尽に奪われたなら……目を伏せ心に終い込む事もできるだろう。けれど涼月は抗い戦う事を選び、華奢な肩に重過ぎる思いに独りで耐え続けてきた。
「司令官が生きているのかどうか……知る術がないとしても、それでもあの方は私の……。特別な想いがなかった、と言えば、きっと嘘になる……」
ずきり、と胸が痛む。抜けない棘が刺さったような痛みに顔が歪むのを抑えられなかった。認めよう、俺は……涼月の元司令官に嫉妬している。とても生々しくて醜くて、でもそれは確かに俺の心にいつの頃からか宿っている。今の自分では超えられない元司令官の優秀さに対してか、涼月の心をここまで掴んでいる事に対してか、あるいはその両方か。
届かない想いを胸に抱いた彼女を連れて、俺はどこに行こうとするのか――――悔しさに唇を噛み締めた俺の傍らで、涼月はふるふると首を振る。
「でも、今の涼月は弱くなってしまいました……。安曇さんと……二人で、菜園のお手入れをして住む所を修繕してお食事を用意して、日常の小さな出来事で笑い合う、今日と同じ明日が来ることの嬉しさ……そんなささやかな日の終わりを思うのが……こんなに切ないなんて、知らなかった……」
ずきり、と再び胸が痛む。涼月の肩を抱く手に力が籠るのを抑えられなかった。半ば押し付けられたように始まった、俺との奇妙な共同生活をそんな風に感じてくれていたのか……。
「安曇さんは経験を積めば立派な司令官になれる、そう言いましたが、貴方は……優しすぎ、です……。こんな風にされたら……涼月は……このまま戦えない――――」
涼月の肩を抱いていた俺の手はするりと前に動き、少しだけ開いていた距離を完全に潰し彼女を抱き寄せる。細い顎を指で支えながら、強引に俺の方へと顔を向ける。潤んだ瞳に浮かぶ戸惑いを無視し、さらに引き寄せる。力なくされるがままの涼月の唇が僅かに開き、甘い吐息が俺にかかる。
「戦おう……過去のためじゃなく、君の未来のために」
「みら、い……? それは――――」
決着を付けなければ前に進めない過去だってある。それは理解できるし、涼月が艦娘である限り、今が戦時である限り、戦わない選択肢はない。事実俺も艦隊本部の命を受け、彼女を連れ帰るためここに来たのだ。それでも……同じ命を賭けるなら、終わりかけの物語の完結を選ぶより、白紙のページに新たな物語を描いてほしい。
涼月の唇が形を変え鸚鵡返しに俺の言葉を繰り返す。お互いの吐息が絡み合うような距離で、俺は涼月にこれ以上何も言わせたくなかった。無意識に引き寄せられるように、僅かしかない唇と唇の距離はゼロに近付き――――。
『もう一息っ』
『教育的指導っ』
ゼロどころかマイナスになった。
脳に直接届くような声……
『あ、どぞ。気にせず続きを、ね?』
出来るかっ! そんなレンの言葉を聞き、俺と涼月は我に返った。俺は慌てて彼女から手を離し後ずさって距離を取り、涼月は力が抜けた様にぺたんと女の子座りで肩を落とす。
『まったくもう、ちょっと目を離すとこれだから。ふぅん……涼月がそれでいいなら、まぁ……別に……』
レンを押し出したのはもう一基の長一〇cm砲のソウ。夜目にも分かるほど頬を上気させ瞳を潤ませたままの涼月を見て、俺をジト目で睨みつけたソウが、やれやれといった態で
潮時だろう。これ以上は……何というか、良くない。俺は立ち上がり背筋を伸ばすと、涼月に向け手を差し出す。握り返された手に体重がかかり、涼月も立ち上がる。
「取り敢えず、帰ろうか。お腹空いたよ」
「はい……古漬けのお茶漬けとか、どうでしょう?」
涼月の抱えた想いがどこへ向かうのか、これから俺達がどうなるのか、今は分からない。それでも月明かりの下、俺達は手を離さず歩き出した。