月の帰る海   作:坂下郁@リハビリ中

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20. 重なる想いを

 どこまでが現実か不確かで曖昧な時間を、俺は振り返る――――。

 

 「安曇さん、少し休憩……しませんか? お握りとカボチャの煮っころがしを、お持ちしました」

 「もうこんな時間か、気づかなかった……。ありがとう、涼月」

 

 穏やかな声に導かれて顔を上げ、涼月が両手で持つお盆に載る食事の匂いに食欲が刺激される。脱出のため抜錨する涼月と戦うため残留する俺は、互いに準備が忙しくてこんな時間になるまで顔を合わせる暇もなく過ごしていた。

 

 俺がテーブルのいつもの位置に座ると、涼月が慣れた手つきで食事を用意し、いつもと違い俺の真横に座る。

 

 「え?」

 

 戸惑う俺に柔らかい笑顔だけで返事をした涼月は、箸で摘まんだカボチャを差し出してきた。照れくささを噛み殺しながら中途半端に口を開けている俺は、きっと間の抜けた表情だと思う。

 

 食べ慣れた、素朴だけど優しい味の食事を終え食後のお茶で一息ついていると、涼月がじぃっと俺を見つめているのに気が付いた。視線を返すと、涼月はちょんちょんと自分の唇の端を指さしてくすりと笑っている。ご飯粒でもついてるのか? すっと伸びてきた細い指は唇で止まらず――――俺の耳の穴に入ると、がさがさと音を立て動き回る。

 

 「ちょ、ちょっと……?」

 

 あの時涼月はこんな事しなかったけど……? やがて蠢く音と痛みは我慢の限界を超え、堪らず俺は声を上げた。

 

 俺の目に映ったのは、上下左右に揺れながら移動する地面。気を失って夢でも見ていたのか……どうやら俺はソウに担がれどこかに運ばれているようだ。

 

 『気がついたの安曇? もう少し頑張って!

 

 自覚した途端、痛みが体中に襲い掛かってきた……敵の急降下爆撃、ソウが辛うじて迎撃したものの、投下された爆弾は至近距離の空中で爆発、俺は吹っ飛ばされたんだ。そこまで思い出して、ハッとするーー俺が抱えていた妖精さんはっ!?

 

 ソウは砲塔()を横に振り、近くにはいなかった、どこかに隠れてるんじゃ……と頼りなさげに言うだけ。そんな……痛みを無視して無理矢理ソウの顔を覗き込もうとして、ぎょっとした。俺の位置からでは砲塔側面(横顔)しか見えないが、見える範囲は黒く焼け焦げ、連装砲のうち一門の砲身が途中からもぎ取られたように折れている。

 

 『無理しないで、安曇の右耳、やられてるから……。あと木に叩きつけられてあちこち骨折』

 

 声が急に大きくなったり小さくなったりしていたが、おかしいのはソウの喋り方じゃなく、俺の耳か。夢の後半と自分の状態がつながった。派手にやられたようだが、とにかく俺は生きている。ソウが身を挺して防いでくれたから……。

 

 『もう少しで入渠施設だから! あそこなら持ち堪えられるし、前の司令官の備蓄した人間用の医薬品もあるから』

 

 

 入渠施設か……そうだな、まずはお前からな、ソウ。修復が済んだら……さっきの妖精さんを探してくれないか。覚えてるよな? 黒髪のショートボブで、赤いピンで前髪を止めてた妖精さんだよ。

 

 

 

 密林を抜けた先にあるなだらかな丘、それが俺とソウの目指す場所。丘陵自体を偽装と巨大な掩体の両方に用いて、入渠設備や工廠、倉庫などを地下に分散して秘匿した泊地の中核施設。以前のグレイゴーストの攻撃で大きな被害を受けた後、涼月と俺は残存設備の再利用や修理でここを利用していたが、敵の攻撃の手は遠慮なく及んでいた。

 

 丘の登り端に設けられた重く分厚いスライド式の二重扉の外側は吹き飛ばされ、内側は(ひしゃ)げて開閉用のレールを歪め、ただの障害物として中に入ろうとする俺達に立ち塞がる。

 

 「……どうするよ、これ?」

 『上の方に隙間があるね。安曇、中がどうなってるかちょっと見て?』

 

 ソウが俺を担いだまま内扉に近づくので、痛みを堪えながら背を反らして頭を持ち上げる。歪んだ扉の作る隙間から中を覗き込もうとして――――そのまま中に放り込まれた。

 

 

 「何すんだよソウ!? ……って、いないし」

 

 べたんと床に落っこちた俺は、のろのろと倒れ掛かる様に扉に靠れると、外にいるソウに文句を言おうとしたが、すでにいなかった。当のソウは、少し離れたところにある巨大な瓦礫をずりずり引きずりながら戻ってきた。

 

 「早くお前も中に――」

 『二一号対空電探改の妖精さんの……』

 

 何を言い出す? ソウはこてんと背中を扉に預けたまま、どこか呑気そうに話し始めた。

 

 『最後の報告だと、敵の第二波が接近中なんだって。味方の部隊……間に合うかな』

 

 なら尚更だ、早く中に入れよ! ソウはふるふると砲塔()を振り、俺の言葉をはっきりと否定した。そして――――訥々と語り掛けてきた言葉は、いかれた耳を通さずに俺の心に直接はっきりと響いてきた。

 

 『安曇はさ、涼月には普通の女の子みたいに接して、妖精さんを助けるのに走り回って大怪我して、艤装の私の入渠を優先しようとしたり……私達は戦うための存在で兵器なんだよ? 前から思ってたけど、拠点を預かる司令官とか向いてないよ』

 

 一旦言葉を切ったソウだが、相変わらずこっちを見ようとしない。

 

 『でも……ありがとう安曇。向いてないけど、そういう司令官がいてもいいかな。だから、死なせないよ』

 

 それだけ言うとソウは巨大な瓦礫を内扉を覆うように立てかけ、俺を外の世界から隔離した。だぁん! と両手で内扉を叩くがびくともしない。がくりと項垂れた俺を慰めるように近づいてきた入渠設備の妖精さん達は、一生懸命に俺を地下へと引っ張ろうとしているが、縫い付けられたように俺の足は動かなかった。代わりに獣のような咆哮が入渠施設内に響き、やがてそれが自分の声だと気づいた。

 

 涼月を守り共に戦うレン、敵を引き付けるためここに残った俺、俺の頼みを聞いて戦ってくれた妖精さん達、俺を守ろうとするソウ……誰もが誰かのために全てを賭けている。だが涼月が味方の連合艦隊に合流できなければ水の泡だ。そして彼女が今どうしているのか、味方の艦隊がどうしているのか、知る術は無い。

 

 焦燥は俺に涼月の名を叫ばせるが、ぼんやりとした保安灯が照らす入渠施設の暗がりに声は溶けていった。

 

 

 

 急制動、急旋回、急加速での高速回避……振り切った雷撃、空振りさせた爆撃はどれくらいの数になるか分かりません。直撃こそまだ許してませんが、至近弾が確実に増え、私とレンの損傷も行動に支障を来しかねない水準に近づいて……きました。早く味方と合流しないと……ですがこれまでの戦闘で一三号対空電探改が損傷し、敵の動きは勿論、近づいているはずの味方部隊の動向も掴むことが出来ません。

 

 このままだと……絶望を振り払うようにぶるぶると頭を振り、汗と海水、そして血でべったりとおでこに張り付き目に入る前髪を乱暴に拳でどけながら、敵の攻撃を回避できるコースを視線だけできょろきょろと探していた時――――。

 

 

  ――涼月っ!!

 

 

 それは確かに安曇さんの声。挫けかけた心を叱咤するような鋭さと、悲鳴のような痛々しさが同居する叫びに導かれ、がばっと頭を上げた私の視線の先――――広がる青空を切り裂いて()()する部隊。

 

 『涼月(お嬢)!! やっと……!」

 

 長一〇cm連装砲(レン)が目を光らせて叫びます。

 

 灰白色の機体を飾る赤い帯と尾翼のマーク……熟練の零戦二一型の一群は、急降下から二〇mm機関砲を斉射して敵の編隊を崩すと、軽やかな巴戦で次々と敵機を撃ち落としてゆきます。空を縦横無尽に舞う味方部隊の姿を、私は観客にでもなったようにぼんやりと見ていました。

 

 敵の航空隊もやはり手練れ、形勢不利と見て躊躇わず戦闘空域を離脱してゆきます。零戦たちは私の頭上で大きく旋回しながら編隊を整え、その間に姿を見せた大編隊――烈風に守られた友永隊の天山一二型と江草隊の彗星――が続々と私の頭上に陰を落としながら一路南へと向かいます。

 

 「助かった……の?」

 

 海面にぺたりと座り込んでしまった私は、一言そう呟くのが精一杯でした。

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