敵機が駆逐された空の下、海面にぺたりと座り込んだ私を、近づいてきた
数の暴力を超えようとし、超え切れない寸前までに追い込まれた。敵は今も昔も変わらず、
あの時……司令官を護衛して泊地を脱出した時にあったのは、死ねないという執着。けれど、今自分を突き動かす、戦い抜いて生きる決意は……頭の片隅にも無かった。
――ああ……死なない事と生きる事は、違うんだ。
そう自覚した瞬間から、体のあちこちに……特に左脚が酷く、鋭かったり重かったりする痛みが押し寄せてきました。自分を抱きしめるようにそれぞれの手が別の腕を掴むと、触れるのは素肌の感触……あられもない姿です。腹部を覆う濃灰色のコルセットは半壊し、半袖の白いセーラー服とミニスカート、インナースーツは激しく破けて肌が剥き出しになり、左のロングブーツは踵の辺りを除いて原形を留めない有様。
自分を抱きしめる手に力が籠り、指先が感触の違う布地……肩に羽織っていた第一種軍装のジャケットに触れ、ぞくりと背中に悪寒が走ります。自分の顔が一気に青褪めたのが分かりました。
自分が生き残れたのは、無謀とも言える戦いで貴重な時間を稼いでくれた人がいたから。生きろと……涼月には帰る海があると、教えてくれた人がいるから――――。
戦いはまだ続く……いえ、ここからが本番。南下した味方の航空隊は敵本隊を目指し、敵も第二波の攻撃隊を送り込むでしょう。どうあっても泊地は戦闘に巻き込まれる。地下化された工廠なら、持ち堪えられるかも知れない。でもそれ以前に……無事でいる、の……?
私は……行かないと。きっと怒られる、何考えてるんだ、って。でも……もう二度と……大切な物を失いたくない。
空を睨み立ち上がろうとして……べしゃっと顔から海面に突っ込みました。力が入らず震える左脚、張り詰めた気持ちが動かしていた限界を超えた体は、もう言う事を聞いてくれません。
「動いて、動いてよっ!! お願いだから………私は行かないと!!」
ぼろぼろと零れる涙が海面に波紋を作り、揺れる波に飲み込まれる。邪魔しないでっ! 私の両手を抑えるレンを振り払うと、血が滲むほど唇を噛締め、がんがんと拳で左の腿や膝を叩き無理強い、ガクガクと震える脚で海面に立ち上がります。瞬間、血の気が一気に引くような目眩で大きく体を波打たせ、後ろに大きく体勢を崩して倒れそうになり、がしっと抱き止められました。
「よく頑張ったね」
聞き覚えのある声に、力なく視線だけで声の主を見上げると――――優しく細められたダークグレーの瞳、ポニーテールに纏めた綺麗な焦茶色の髪……秋月姉さん、です。
「敵潜水艦隊の待ち伏せを振り切るのに時間がかかって……遅くなってごめんね。でももう大丈夫、今度こそ……あの
周囲を見渡せば友軍の姿、白波を蹴立て最大戦速で私と秋月姉さんを次々と追い越してゆきます。
「もうすぐ空母部隊も来るから!」
機動部隊は切り札投入、並行して砲雷撃部隊が突入、秋月姉さんは空母の護衛……説明が続きますが、頭に入ってきません。
「母艦までもう少しだけ頑張って、涼ちゃん。さ、肩を貸すから」
そうだ、こんな所で何を呆けていたのでしょう。
「…………私は行かないと」
秋月姉さんの腕にしがみ付き、必死に訴えます。泊地に一人残り敵を引き付けてくれた人のこと、脱出の手段がないこと、私に行くべき海があると教えてくれたこと、何よりお互いに生きると約束したこと。秋月姉さんに口を挟む暇を与えず一方的に話し続けていましたが、ぽん、と肩に手を置かれてはっとしました。
「そうなのね……あの特務少佐の方がそんな事を……。涼ちゃん、あなたは母艦で入渠して。お互いに生きると約束したんでしょ? なら……信じないと、ね? 大丈夫、私達が必ず何とかします。あなたは一人じゃないのよ」
意気込んでも動くのがやっとの私は、秋月姉さんに支えてもらいながら、連合艦隊の母艦を目指します。姉さんが前を見たままで少し潤んだ声で呟き、私はうんうんと頷くしかできませんでした。
「……おかえり。やっぱり涼ちゃんは自慢の妹です」
◇
結論から言います、グレイゴーストとの戦闘は痛み分けに終わりました。
味方の切り札は噴式戦闘爆撃機。航続距離の短さを補うため危険を顧みず前線を押し上げた空母部隊は、
互いの航空戦力は消耗、旗艦大破の敵と、第二艦隊が大損害の味方。対グレイゴースト戦の中で最大の戦果を挙げたものの互いに決定力を欠き、今回の戦いは終わりを迎えました。ただ言えるのは、次に相対する時こそ決着だということ……。
秋月姉さんの意見具申と私への状況確認を経て、連合艦隊の司令長官は損害を受けた第二艦隊を泊地に寄港させ、入渠設備が利用可能な場合の応急処置と生存者救助、残存兵装搬出などの指示を出し、妖精さんの操る
雑多な機械音と静かな波音、それと潮の香りが満ちる広いおおすみのウェルドック内で、私は無言のまま開け放たれた
どのくらいそうしていたでしょうか……水平線に黒い影が見えたと思うと、こちらへ猛烈な速度で向かってきます。同時に勢い込んで第一艦隊の空母勢や秋月姉さん、各種作業を担当する妖精さん達がウェルドックに駆け込んできました。
あっという間に目の前に現れた上陸用舟艇は速度を落とすと、慎重にドック内に入り二基の発動機が停止しました。空気圧が失われた艇体は静かに着底し、前面の歩板が降艇のため倒れます。中央部にある全通式の甲板に設置されたコンテナの扉が開くと、妖精さん達や連合艦隊の皆、そして
無事を確かめ合い、傷を労わり、戦いを振り返る賑やかな声が響き、入渠準備のため慌ただしく妖精さんが飛び回るウェルドックの中、喧騒を他人事のように聞いていた私の視線はただ一点に集中しています。
傷だらけのレンとソウが、誰にも触らせない、という勢いで確保したストレッチャーは、載せられている人を気遣いゆっくりと下ろされ、きいきいと車輪の軋む音とともに私の目の前で止まります。
血の気の引いた顔色で、それでもゆっくりと手を持ち上げ、無理に微笑むその人の輪郭は、あっという間にぼやけて滲んでしまいました。
「安曇さんっ!!」
涙声で叫ぶのが精一杯、へなへなと腰が抜けた様に床に座り込んだ私の頭に置かれた手が、涼月の存在を確認するように、いつまでも優しく髪を撫でてくれました。