24. 背伸び
俺が入院とリハビリに費やしたこの一か月。それだけの時間があれば状況はどんどん変わる。もちろん、良い方にも悪い方にも――――呉の連合艦隊と激突し、大きな被害を受けたはずの
俺と涼月がいたあの島から北西にかなり進んだ所にある、艦娘や通常戦力部隊にとって海域の貴重な整備補給拠点の置かれた島が狙われた。
潜水新棲姫率いる深海潜水艦部隊による海上封鎖、さらに執拗な空襲を受け、駐留していた警備部隊はあっという間に無力化された。無論海軍も大至急敵の掃討に部隊を派遣したのだが、やはり相手はグレイゴーストで、一筋縄ではいかなかった。海域に散らばる無数の無人島、そのうちの一つに飛行場姫と離島棲姫が進出し要塞化、そこを拠点に展開される強力な航空隊と、グレイゴーストが直卒する機動部隊の巧みな連携による航空攻撃で攻略部隊は蹴散らされた。
これだけでも頭が痛い話だが、もっと頭が痛いのは――――海上封鎖を受けたその島は軍民混在、つまり多数の民間人が暮らす場所でもある。警備部隊を早々に失い、護衛無しの決死行に出た避難船は次々と沈められたが、逃げ場を失い島へと引き返した船だけは見逃されたという。グレイゴーストが得意とする
「あの
あの島からの脱出で俺と涼月が合流した連合艦隊を直卒していたのが、目の前で毒吐く牧島大将……呉鎮守府の提督だ。応接テーブルから椅子を少し離して足を組み、やや傾けた体を頬杖で支えながら、苦々しい表情で葉巻の煙を吐き出す姿は……なんというか、どの筋の人だろう……。いや勿論言うまでもなく歴戦の軍人で、見た目でいえば恰幅のよい体を真っ白な第二種軍装に収めた禿頭色白の大男だが、何せ口が悪い。邪悪なベ●マックス、の綽名通りだと改めて思った。
「安曇よ、どうやって涼月を誑し込んだか知らんが、ちぃとばかり躾が効きすぎじゃぁないか? われの指揮以外では戦いとうないなんて、兵器失格だでぇ?」
ぎろりと黒い丸サングラス越しに大将の目が光り、俺も顔を顰めてしまう。兵器……か。あるいは兵士、もしくはその両方、それが艦娘の現実的な位置付けだ。だが、俺が出会ったのは
「まぁええ、
女にした……のあたりで左の親指と人差し指で輪を作り、右手の人差し指を出し入れする牧島大将。俺と涼月の関係をそんな風に見ているのか、とオヤジ特有の無自覚セクハラに内心閉口するが、一応言質を取っておこう。
「牧島大将、私は本人の了解が得られれば涼月を特務艦隊に帯同し、任務完了後には赴任先に伴うつもりです。ご許可いただけますでしょうか?」
「じゃけぇそう言いよるじゃろう、好きにしろや。大儀ぃヤツじゃのぉ。そんなんより特務の話じゃ――」
大きな体をソファに預けた牧島大将は、面倒くさそうに手を大きく振り涼月の話を払いのけると、本題に切り込んできた。
特務――敵の海上封鎖を排除し民間人を救出、さらに避難船を指定の拠点まで護衛する、それが今回の俺の任務となる。
敵の排除、民間人の救出、避難船護衛……連続的に生起し不可分ではあるが、複数の作戦目標を同時に遂行するのはリスクが高い。だがそこに救助を待つ民間人がいる以上、やるしかない。
除外リスト入りしている者を除いた中から、俺は呉から借り受けたい艦娘の名を上げ、自分なりの艦隊構想と作戦内容を披露する。一切口を挟まず、時折頷きながら俺の話を聞いていた牧島大将は葉巻を深く吸うと、吐き出す煙とともに返答を口にした。
「概ね理には適うとる、ええじゃろ。現場は生き物じゃ、後は走りながらじゃな。参加させる連中からはわれが自分で承諾を取れ、条件はそれだけじゃ。母艦はこちらで用意した、資材資源は要るだけ持ってけ。明日中に抜錨じゃ、あちらにゃ民間人がおるけぇな」
民間人が待っている――とその言葉を理解し思わず奮い立った俺は、ソファを立ち敬礼で返答したが、くいっとサングラスを持ち上げた大将の顔は、にやりとした血腥い笑顔だった。
「われは露払いじゃ。儂もまた出るけぇの、今度こそ
無言でもう一度敬礼し、退出しようとドアノブに手を掛けた所で呼び止められた。振り返ったところに結構な勢いで何かを放り投げられ、慌てて両手で受け取ってみると、グレーのヴェルベット生地で覆われた小さな箱だった。
「責任取れ、言うたじゃろ。時が来て練度が足りたら渡しちゃれ」
これは……? かたりと小さな音とともに蓋を開けると、中には鈍く輝く銀のペアリングが収まっていた。
「勘違いしんさんなや、各拠点に必ず一組初期配備される装備品じゃ。新婚旅行もリランカ島と決まっとるがの。ちいと早いが持っていけ。じゃがそいつを受け取る以上、今度の特務……失敗は許さんぞ」
――――というやり取りを経て、俺は大急ぎで特務要員に選出した艦娘と会い、承諾を取っていた。幸い皆快く参加を引き受けてくれ、特務に必要だと計算した資材資源を母艦に積み込む指示などを慌ただしく行っていた。
「ふぅ……」
時刻はもう夕暮れ近く、赤い作業灯を明滅させながら左右に首を振るクレーンが、ブルーとグレーを基調とした洋上迷彩で彩られた母艦に影を落とす港。詰襟と第一ボタンを開け上着の中に風を通し籠った熱気を逃がしていた俺の横に伸びる影法師が一つ。振り返った先に立っていたのは――――。
「こんな所でどうした?」
左側をひと房結ったセミロングの銀髪を潮風に揺らし、後ろ手に手を組みながら涼月が近づいてきた。
「ん……そうですね、まだ……お礼を言ってなかった、と思いまして」
礼を言われる理由が分からず怪訝な表情を浮かべた俺を意に介さず、俺のすぐ目の前までやってきた涼月は深々と頭を下げ、姿勢を直すと口を開いた。
「私を……涼月を救ってくださって、本当にありがとうございます」
「いや……礼を言われるようなことでは……。むしろ救われたのは俺の方というか……」
涼月は緩く握った右手で口元を隠しながらくすりと小さく笑い、言葉を続けた。
「命の話だけじゃありません。……涼月が前に踏み出せたのは、あなたがいたからだと、思います」
確かに俺は涼月を誘った。帰る海がある、戦うなら未来のために、と。彼女の心に俺の言葉が届いていたのか、不安が無かったといえば嘘になる。それに――――行方不明の司令官のことだって……。
「安曇さん……ごめんなさい、安曇少佐……あなたが私にくれたものは、とっても大きくて……。い、今はこれが精一杯ですが……その……望んでいただけるなら、これからも……ず、ずっと……」
言葉の終わりをごにょごにょとぼかしながら、ついっと近づいてきた涼月は、俺の肩に手を掛けると精一杯背伸びして顔を寄せてきた。頬に微かに触れる柔らかな感触。
「で……では、今度の特務、全力で頑張ります!!」
夕日に照らされた以上に真っ赤な顔をした涼月は、そのまま振り返らずに走って行った。小さくなる背中を見送りながら、俺は頬に手を当て少し呆然としていた。