29. 嵐の前
呉鎮守府ーーーー。
「こんな所で何しとるんじゃ?」
「気持ちの準備、かしら」
暮れかかる夕陽でオレンジ色に染め上げられる、かつては海上自衛隊最大のヘリ搭載型護衛艦であり、今は大改装を経て艦娘運用母艦となったフネの、広大な全通甲板に長く伸びる影二つ。
一つは暫く前から何をするでもなく佇み海を眺めていた加賀、もう一つは恰幅の良い大柄な体を揺らしながら近づいていた牧島大将。
手の中のライターを庇いながら葉巻に火を点け、美味そうに吐き出した煙を潮風に遊ばせる牧島大将がぶっきらぼうに話始めた。
「安曇もようやっとるが、ここらが動き時じゃ」
「早過ぎず遅過ぎず、いい頃合いだわ」
現地にいる安曇少佐の報告を受け、牧島大将は呉連合艦隊の抜錨を即断した。当初からすれば作戦の大幅な前倒しで、呉は一気に慌ただしくなったが、一見無愛想にさえ見えるこの秘書艦に焦りや驚きは見当たらない。
精強無比を謳われる呉鎮守府を率いる歴戦の提督と、呉の機動部隊の中核を成す歴戦の正規空母娘の間では、前置き無しでも話は通じるようだ。
「
特務艦隊を助ける陽動と敵主力の捕捉と強襲、戦局がどう動いてもいいよう先んじて動く……それが牧島大将の狙い。
「鎧袖一触よ、心配いらないわ」
全幅の信頼と確固たる自信……加賀は少しだけ口角を上げて薄らと微笑む。微妙な表情の変化で、知らない人には分かりにくいが、牧島大将には十分伝わったようだ。
ところで、と加賀が話を変える。
「今回
鎮守府クラスの拠点に複数配備される艦娘運用母艦。特務艦隊に貸与中のあたごを除けばあと三隻、そのうちなぜこのフネを……という疑問。ギョロリとした目で加賀を見据えた牧島大将は、つまらない事を聞くなと言わんばかりに肩を竦める。
「儂が出張る
呉本隊の艦隊母艦ーーーー
「…………馬鹿」
唇から溢れたのは、弱々しい反駁だった。
◇
「こちらの思惑通り相手が動く保証はないが……」
クッションが硬めの一人掛けのチェアに身体を預けながら、俺の口をついた言葉。
今回の特務で障害となるのはーーーー。
戦闘哨戒網を敷き海上封鎖を担う深海潜水艦隊。
近隣の島を要塞化し空襲に精を出す飛行場姫と離島棲姫。
そして……グレイゴースト率いる敵主力艦隊。
それ単体でも厄介な相手が相互連携して立ちはだかる海から、一刻も早く脱出したいのは山々だが、現実はそう簡単ではない。
俺達特務艦隊は様々な理由で、想定より長く現地に釘付けにされている。
行方不明の人々の捜索に加え、この場での治療を優先せねばならない重傷者も少なくない。それに脱出のための敵の釣り上げーーーー。
脱出には敵潜水艦による海上封鎖を解く必要がある。そのために向かわせた部隊を狙い、敵航空隊が出現する。それこそがこちらの狙いだ。
対潜戦闘は最低限でも封鎖網の突破は出来なくもないが、最大の障害となる敵機動部隊の脅威は減らさねばならない。
だが空襲に現れるのは飛行場姫と離島棲姫が指揮する深海解放陸爆。水平爆撃での攻撃だが厄介な物量で攻め寄せる相手で、対潜掃討より対空戦闘を優先せざるを得ない。潜水艦を排除したい俺達と邪魔をする敵の陸上航空隊、直卒する機動部隊を温存するグレイゴーストと引き摺り出したい俺達……思惑と思惑が錯綜しているかのようだ。
停滞を打破し敵主力を引き摺り出すため、俺と牧島大将の間で新たに立案されたのが敵要塞の攻略。
特務艦隊が敵要塞攻略のため戦力を集中投入、俺達を狙って現れるだろうグレイゴーストには呉の本隊が当たる二段構えの作戦。
「敵が連携してるなら、俺達も牧島大将と連携する……うぉっ、結構効くな。うー……」
背中を波打つようにゆっくり力強く転がりながら上下に往復するボールに、背筋が痛みつつ気持ちいい悲鳴を上げそうになる。
「何が特殊装備を有効に活用しろ、だ」
俺達に貸与されたあたごを含め、呉に配備される艦娘母艦には牧島大将肝入りの特殊装備があるとの事で、俺も興味津々だった。蓋を開ければ、艦長室には艦長専用に、リクリエーションルームには艦娘共用に、それぞれ置かれたマッサージチェアだった……。
『私達のテクに何か不満でも?』
背もたれの中からひょいっと顔を出した妖精さんが、ぷくっと頬を膨らませて俺に迫ってくる。あぁ、そういう……ボール的な何かが機械的に上下してるんじゃなく、君らが頭でぐりぐりしてたって事? 技術のとんだ無駄遣いだとついつい思ったらーーーーいつものように考えている事が筒抜けになってしまった。
『むーーっ! 体で分かってもらうしかないようですね!』
わらわらと現れたマッサージチェアの妖精さん達に手足をしっかり拘束された。そしてにひひとほくそ笑む妖精さんがスイッチに手を掛ける。
「パワーMAXって……痛ってぇ! あいったーっ!!」
「あ、安曇さん! どうされたんですか!?」
艦長室のドアを蹴破るような勢いで涼月が飛び込んできて、マッサージチェアの妖精さん達もびっくりして動きを止めた。た、助かったけど、何でここに?
「そ、その……お疲れのようでしたのでカボチャのぜんざいを差し入れに、と思って……。そうしたら悲鳴が聞こえたので思わず……」
そっか、ありがとう。でも心配しなくていいよ。事情を簡単に説明すると、涼月が妖精さん達を窘めてくれて、ようやく俺は解放された。
ふと目が合い、お互いに逸らす。
お互いがお互いをどう思っているのか、図らずも知った……いや、知ってはいたんだ。ただ言葉にしたのが初めてだっただけで。あれ以来、必要以上にお互いを意識してしまった俺と涼月はどうにもぎこちない。
それでもこうやって涼月は俺を気遣ってくれて、誰かに思われる暖かさが胸にしみる。いや、疲れていると言うなら、対空戦闘に出ずっ張りの涼月の方が疲れて当然だ。
「そんな……私達艦娘が戦うのは当たり前の事で……」
「まぁいいからいいから」
渋る涼月と選手交代、マッサージチェアに座らせて、妖精さんに念入りとお願いする。
困惑しながらも素直に俺の言う通りチェアに座った涼月は、背もたれの角度調整ややマッサージの強度を妖精さんと話し合っている。俺の時と待遇違うな……まぁいい。お、始まったな。
「あっ……」
……。
「んんっ」
…………。
「あっ、そこは……」
目の前には頬を赤らめつつ、痛いのか気持ちいのかくすぐったいのかその全てなのか、マッサージチェアで身を捩り、時々切なそうに声を上げる涼月の姿。…………何故だろう、いけない事をしているような気になってくる。
限界なのか、目の端に薄ら涙を載せ潤んだ瞳の涼月が縋るように終了を訴えてきた。
「そ、そうだね。もういいんじゃないかな、うん」
涼月の願い通り、スイッチをオフ。くったりしている涼月を起こそうと手を差し出したが、力が上手く入らないのか、涼月にそのまま腕を取られ、むしろ引き寄せられてしまった。
空いてる手を背凭れについて体を何とか支えてキープするが、彼女との距離はまずいくらいに近い。
『あの二人、もう認めてあげなきゃなのかな。安曇のご両親にはいつご挨拶行く? というか私達が仲人?』
『うーん、今はそれよりも伝令のが重要。例の逃げちゃった夫婦、発見したって伝えなきゃ』