月の帰る海   作:坂下郁@リハビリ中

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31. 季節が君だけを変える

 ――もう……司令官じゃ、軍人じゃない。

 

 必死に訴える女に根負けしたように、俺は掴み上げていた男の胸座から手を離す。苦しさと不快さを同居させ顔を歪めていた男は、よろけながら俺から距離を取り再び瓦礫に腰掛け、肩で荒い息をしている。女は男に駆け寄り、身を挺して男を庇うように俺との間に割り込み、こちらを見上げている。よせよ、取って食ったりしないさ。

 

 改めて女を注視する。元司令官とともに嵐の海に飛び込んだのは軽空母娘だったと戦闘詳報に記載がある。セミロングを二つ縛りにまとめた外跳ねの髪型、青白のセーラー服、特徴的な赤い瞳……これに翡翠色の振袖と長弓を加えれば、頭に浮かぶ名前と一致する。

 

 「……艦娘、それも軽空母娘のり――「違いますっ!! 私はそこのお弁当屋の……」

 

 言葉は勢いを失い、見上げていた顔を伏せ項垂れる女。

 

 

 目の前にいるのは、戦闘中行方不明(MIA)の二人、元司令官と軽空母娘で間違いない。

 

 

 だがなぜ――――?

 

 

 「どうして……一体、何が……?」

 

 精一杯の問いを震える声で投げかける涼月が、静かに俺に横に立っている。そうだ、その問いの答を一番知りたいのは彼女のはずだ。感情任せに俺が出しゃばる場面じゃない。

 

 俺が一歩下がったのと同時に、涼月が躊躇いながら一歩前に出る。両手を胸の前で組み、緊張、困惑、焦燥……およそ平静からは程遠い感情を全て集めた結果で、むしろ無表情に近い。元々抜けるように白い肌は血の気を失い青白くなっている。

 

 「……………………」

 

 この場にいる誰もが口を開かず、重苦しい沈黙だけが場を支配する。耐えきれなくなった俺が口を開きかけた所で、在りし日を懐かしむように、目の前で座り込む男に……あるいは自分自身に語り掛けるように、涼月が言葉を重ね始めた。

 

 「……今に至るまで……忘れたことなんて、ありません。守りたくて……でも、守れなくて……。それでもきっと生きていてくださると信じて……。やっと……やっとお会い、できました……」

 

 それはどれだけの思いが込められた言葉なのか。こんなにも切ない彼女の言葉が、他の誰かに向けられるのを隣で聞く、そんな日が来るとは夢にも思っていなかった。訥々と、静かに語り掛ける涼月の言葉は雪のようで雨のようで、元司令官の心にも染み渡るのだろうか。彼女にとっての帰る海とは……認めたくないが、そう認めざるを得ないのだろうか。

 

 こんなにも心の籠った言葉を贈られても元司令官は反応しない。むしろ寄り添う女の方が苦し気に顔を歪め、聞きたくないと言う態で大きく頭を振っている。

 

 

 「私がこの世界に、この姿……柔らかく温かい身体と昔と変わらない鋼鉄の力を持ち、現界した時から、あの日……私達の泊地が失われたその瞬間まで、貴方は私を……私達を、さながら物語の主人公のように鼓舞し指揮を執り続けてくださいました。兵器として、兵士として戦う術は全て司令官に教わったんですよ?」

 

 

 聞いている方が泣きたくなるような、郷愁にも似た深い愛惜がひしひしと伝わる涼月の言葉が続く。

 

 

 そして――――ようやく元司令官が反応した。激しく、悲鳴のように。涼月とは目を合わそうとせず、吐き捨てるように、まるで長年の鬱屈とした思いをぶつける様に激しく語り始めた。

 

 

 「やめてくれ、もう沢山なんだよっ! ……思い出した、お前は……私を英雄かなんかと勘違いして、憧れるような目で見ていた連中の一人だったな」

 

 

 初めて顔を上げた元司令官の目は憎しみ……いや、恐怖に濁っていた。深海棲艦の恐怖に同化し、生きることを諦めようとしたこの島の民間人達とは似ていて異なる、恐怖からの逃避。

 

 「私の右脚はあの時鉄骨に圧し潰されて今でも自由に動かない。肺にも鉄筋が刺さったな。……知らなかったんだ、あの焼けるような痛みを、流れ出す血に比例して冷たくなる体を……死の恐怖を! お前ら艦娘は知らないんだ! そりゃそうだ、高速修復材(バケツ)で傷を瞬時に癒し、死さえもダメコンで無効化するんだからな。俺は後方の司令部に籠っていたただの人間なんだ。……怖いんだよ、もう嫌なんだ、あんな思い、二度としたくないんだ! これ以上……俺に何かを求めないでくれ! やっと……やっと逃げられたんだ……」

 

 この男にしか分からない何かから身を守るように頭を抱え激しく震える姿は、とても小さく憐れで、それでいてどうしようもなく正直な、血を吐くような告白。セーラー服姿の女が、大きな胸の形が変わるほどにきつく、守る様に抱きしめても震えは収まる気配を見せなかった。ようやく男の震えが収まった頃、赤い瞳から涙を流しながら、女はぽつりぽつりと語り出した――――。

 

 

 かつて男は、涼月が憧れ、俺が超えたいと願った、優秀な指揮官そのものだった。だが……泊地からの撤退戦が全てを暗転させた。大きな怪我を負いながらも沈みゆく母艦から脱出した二人が辿り着いたのは、涼月と流されたのと反対方向にある、半農半漁の村があるだけの小さな島。そんな場所に艦娘の入渠施設はおろか、満足な医療体制があるはずもなく、男の体には癒えない傷が残り、女も同様に。

 

 

 「……木を隠すなら森の中、人を隠すなら町の中」

 

 男が唐突に口を開いた。女の髪を優しく撫で、自嘲気味に笑みを浮かべながら女の話を引き取り続ける。

 

 「あの小さな村に日本人と艦娘がいたら、早晩噂になる。体が動くようになってすぐこの町に来たよ。後方基地があり人の往来の盛んなここでは、私達二人は目立たない。幸いコイツの見た目はヒトと変わらないからな、目の色さえコンタクトで誤魔化せばそれで十分だ。小さな弁当屋をやってたが、結構評判良かったんだぞ? なのにまた深海の連中が……」

 

 暗い笑みを張り付けた男から、俺は目を逸らせなかった。時も、季節も、全ては移ろい、人もまた変わりゆく。だからって、こんな……。

 

 「軍に連絡すればよかったじゃないか。そうすれば設備の整った医療機関で……。いや、今からでも遅くは――」

 「遅いさ、全てが。私だけならまだしも、コイツと一緒の逃避行だ。敵前逃亡に兵器の私有隠匿……良くて懲役、死刑だってあり得る。……私の心はもう折れたんだ。若き少佐よ、死の縁を覗き込んでなお立ち上がれる奴は……多くないのだ。貴様もいずれ分かるだろう」

 

 

  ――違う、そうじゃない!

 

 言葉には出来ないが、俺は貴方の言い分を受け入れることが出来ない。ヒトは、俺達軍人でさえ、艦娘に守られている。それは事実だ。貴方の言う事は、ある側面ではきっと正しくて、誰だって死にたくなんかない。けれど生きたければ戦うしかない。逃げた先には……何もないんだ。

 

 

 ぐっと唇を噛んで大きく天を仰ぎ見る。涼月にも、誰にも、今自分がどんな顔をしているのか見られたくない。

 

 

 ぎゅうっ。

 

 

 固く握っていた俺の拳を強引なまでに解き、きつく指と指を絡め再び手が握られた。

 

 

 「戦う術は司令官に教えていただいた……そう言いましたよね? ですが……涼月が涼月として生きる意味を、帰る場所をくれたのは、安曇さんです。それはかけがえのない……心が温かく、強くなる事……」

 

 目の縁を真っ赤にして、涙を堪えた涼月が意を決したように、淡々と、それでいて意思の強さを秘めた言葉を唇に載せる。

 

 「私はこの先も、安曇さんと一緒に目に映る全てを守るために戦い続けます。司令官……貴方が戦いを降りるなら、一人の民間人として……私が…………守り、ます……。だから……だから……」

 

 

 空は一層暗く重く、いつ雨が降り出してもおかしくない空模様。ごろごろと響く遠雷は、途切れ途切れの涼月の言葉を、思いを飲み込んでしまう。それでも誰もが理解したはず----それは優しくも悲しい、決別の言葉だと。

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