月の帰る海   作:坂下郁@リハビリ中

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 今回は深海翻訳機能をONにしてお送り致します。


35. 忘却の空

 海域にある、海図にさえ記載のない小さな岩礁。その中でも比較的大きな岩に、彼女は立っていた。

 

 月明りに照らされた少女、というよりは妙齢の彼女は、ただ黒一色に染め上げられた暗い空と海を見つめている。頭の上にカブトガニのような形状の巨大な帽子様の艤装を載せ、真っ白な体を黒いマントで覆い、右手に握るステッキで海面に何やら文字というか紋様を描く姿は(いにしえ)の時代の魔女が蘇ったようである。

 

 

 彼女こそ、空母ヲ級改flagshipの中でも、人類側から『グレイゴースト』と二つ名で呼ばれる数少ない個体であり、この海域を中心に暴れ回る深海棲艦艦隊の首魁。

 

 

 海面温度の高いこの海域の湿度は、夜天に輝く月の輪郭さえ朧げに滲ませ、柔らかい光を頼りなく拡散させる。星明りもまた同様で、風のないどろんとした黒い鏡のような海面を照らすには些か光量不足。モノトーンで彩られたグレイゴーストは闇に溶け込むような風情だが、ふと何かに気付いたように反応する。

 

 頭部に乗る巨大なカブトガニ状の艤装の、目とでも呼べばいいのか、左右に二か所ある窪みが炎を立ち上らせたような燐光を放ち、不規則に杭を打ち込んだように生えている巨大な歯を備えた(あぎと)が上下に開く。

 

 そして空には時折明滅しながら近づいてくる光、徐々に大きくなる発動機の音……グレイゴーストは麾下の航空隊の着艦態勢を整えていたのだ。すっと持ち上げられたステッキを振り下ろすと、整然とした動きで一機また一機とカブトガニの口の中へと姿を消してゆく。

 

 

 着艦作業を続けるグレイゴーストに、ひょいひょいと点在する岩場を飛び石のように跳ねる小柄な少女が、満面の笑み……と呼ぶにはいささか邪悪な雰囲気の漂う笑顔を浮かべながら近づいてきた。

 

 黒いロングパーカーをワンピース代わりに着たような出で立ちだが、前は大きく臍の辺りまで開け放たれ、黒いビキニに覆われた胸元が露出した姿ーー戦艦レ級elite。

 

 分類上は戦艦だが、飛行甲板を備え大量の戦闘爆撃機を操るので実態は航空戦艦……いや、先制雷撃を加える特殊潜航艇も装備している事を踏まえれば、戦艦の皮を被った何か、としか言い様の無い破格の攻撃力を誇る深海棲艦。

 

 ちなみに副旗艦にこの戦艦レ級、随伴艦に戦艦棲姫と空母ヲ級が二体、軽巡ツ級、さらに護衛の水雷艦隊を加えた連合艦隊がグレイゴーストの率いる主力部隊となる。

 

 「首尾はどうよ?」

 

 問いかけるレ級に、グレイゴーストは振り返ることなく短く答えた。

 

 「上々ね」

 

 

 ついに動き出したグレイゴーストは、特務艦隊を率いる安曇少佐と涼月のいる島に()()()()()()()()()()()()()()()を敢行した。

 

 

 高空を飛行し爆弾を降らせる陸上機による水平爆撃と異なり、航空母艦から艦載機が夜間発着艦するのは危険極まりない。朧げな月明りと星明りが照らすだけで距離感が取れない海面に向けて発艦、目的地まで暗闇の中を飛び続け、真っ暗な地面や海面に向けての攻撃。いざ帰投するにしても広大な黒い海面に佇むちっぽけな母艦に帰らなければならない。

 

 そんな難易度の高い攻撃でグレイゴーストが上々と呼べる成果を上げてくるのだ、彼女の率いる航空隊の熟練度が十分伺い知れようというもの。視点を攻撃を受けた側、安曇少佐と涼月の側に移してみてもそれは明らかだ。

 

 通常夜間警戒は上よりも下、つまり潜水艦への警戒に比重が置かれる。安曇少佐の指示もセオリーに沿ったもので、夜間哨戒に出た駆逐艦娘も水中聴音機を装備していた。艦娘部隊のプロトコルを見透かしたように特務部隊を襲ったグレイゴーストだが――――。

 

 

 「相変わらず見事な腕前だな、勿論皆殺しにしたんだろ?」

 「残存の地上施設と港湾設備はほぼ壊滅、あれ以上留まれない……。それに相手部隊の対応速度、連携、対空攻撃の射程、砲撃精度……必要な情報は全て揃った。あとは……狩るだけ」

 

 グレイゴーストの返答に、レ級は反応した。顔まで覆うように深く被っていたフードを後ろに送り、白い髪と整った顔貌を表に出した。美少女と言っても差し支えない顔立ちだが、その表情は明らかに怒りに満ちている。

 

 「飛行場姫と離島棲姫が()られてるってのに、お優しいことで」

 

 ぴくり、とグレイゴーストが肩で反応を示し、目元に漂う燐光がゆらりと揺れ輝きを増す。意に介する事なく、レ級は嗜虐的な色を帯びた笑みを浮かべ首を傾けながら言葉を続ける。

 

 「やっぱあれかい? 部分的とはいえ昔の……()()()()()()()()()()そうさせるのか?」

 

 一際大きく燐光を輝かせたグレイゴーストは、初めてレ級の方を向いた。彼女の感情の昂りに反応するように頭上の艤装が再び顎を開け、くぐもった唸り声を上げるが、レ級はむしろ愉しそうに笑い出す。

 

 「ま、呆けるのも程々にな。じゃないとお気に入り、私が喰っちゃうよ? ……冗談だ、怒るなよ?」

 

 首元のストールを口元を隠すように引き上げたレ級は、再びひょいひょいと点在する岩場を跳ねてゆき、その姿を暗闇に溶かしてゆく。一方のグレイゴーストはレ級を見送るようにふりふりと手を振っていたが、岩場に腰を下ろした。

 

 「真上……直上……」

 

 ぽつりと呟くが、それが意味する事は彼女自身よく分かってない。記憶があると言っても断片的なものに過ぎないのだ。着艦作業を終えたグレイゴーストは、物思いに沈んでゆく。

 

 

   見上げた空には太陽を背に突入してくる急降下爆撃機。

 

   沈みゆく体、精一杯伸ばして左手が水面に触れた。

 

   ヴェルヴェットの空は遠く、どこまでも高かった。

 

   帰りたかった。帰れなかった。でも、誰の元へーーーー?

 

 

 気づけば水面に立っていた。白い体に黒い装束を纏うこの姿で。

 

 

 艦娘を相手に撃たれて撃って、殺される前に殺して、気付けば自分の下に集う深海棲艦(仲間)が増えていた。

 

 戦いはより組織的に、効率的に、徹底的になった。

 

 人の形をした戦船は、使い潰されるのが宿命なのだろうか。沈みゆく彼女達が泣いても祈っても、彼女達を救う手は姿を見せる事は無かった。

 

 あの泊地もそうだった。

 

 潰した敵基地は多く、倒した艦娘も数知れず、覚えていない事の方が多い。それでもなぜか心に残っている。規模の割に頑強な抵抗を示され、予想より若干梃子摺っただけなのに。

 

 あの涼月(銀髪の駆逐艦娘)もそうだった。

 

 沈めたと思ったけど、嵐の中での攻撃で確認が甘かったのだろう。生き残って廃墟となった島に舞い戻っていた。少し興味が沸いた。独りで何をするつもりだろうか? 手向かうならその時は殺せばいい、だから泳がせていた。

 

 かなりの時が経った頃、あの娘の元に一人の男がやってきた。二人は仲睦まじく、細やかな暮らしを続けていた。興味が湧いた。二人で何をしているのだろうか? 手向かわないなら殺すまでもない、だから泳がせていた。

 

 そして現れた呉の連合艦隊(大規模な機動部隊)は、これまで戦ったどの艦娘部隊よりも手強い相手だった。あの二人に拘わっている場合じゃない。娘も呼応して動き出したようだ。手向かう、の……? なら、今度こそ殺す。

 

 

 けれどーーーー手向かってきたのは男だった。

 

 

 命辛々隠れたか、一緒に逃げたか、だと思っていた男は、妖精さん部隊を指揮して猛攻を仕掛けてきた。慢心……と言われればそうかも知れないが、あまりにも予想外な攻撃に大きな被害を受けてしまった。娘を逃すための遅滞戦術だと、すぐに気が付いた。

 

  ーー何故オ前ハ、アノ娘ノ手ヲ掴ンダ? 私ノ手ハ……ココダ

 

 そして今回の戦い……あの島に銀髪の駆逐艦娘がいるのは確認済み。今度もあの男は、銀髪の娘と共にあろうとするのか?

 

  ーーサァ、一緒ニ水底ヘ行コウ? ソウスレバ……

 

 そうすれば何かを……思い出すのだろうか? 気付けば空は赤と黒が入り混じった複雑な模様を描いている。夜明けは近いーーすっとグレイゴーストは海面に立つ。

 

 「全艦、抜錨……」

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