36. ダンス・ウィズ・ザ・ゴースト
緩く揺れる海面を切り裂く幾筋もの白い航跡--抜錨した俺達特務艦隊の航海は、状況を踏まえれば今の所順調と言うべきか。
一隻の小さな輸送船と俺の乗る部隊の母艦
艦体央部にあるCICと異なり、今俺のいる艦橋からは海と空が見渡せる。薄曇りの空の色を映した海は灰色で、どこかに
「つくづく嫌になる相手だよ……」
一連の作戦が始まって以来、不気味なほど形を潜めていたグレイゴーストだが、動き出せば緻密でいて苛烈。牧島大将から齎された情報に、俺は石化の呪文を掛けられたように固まってしまった。
呉本隊の進撃は急激にスローダウンしていた。繰り返される特殊潜航艇からと思われる雷撃と激化する航空攻撃への対処が必要になったためだという。
さらに時を同じくして始まった集中的な空襲で、この海域に点在する数少ない後方の有人島は焦土と化したという。その中には俺達が民間人を送り届ける先に選定した島も含まれ、退避可能な場所が近隣に無くなったのだ。
ここにきてグレイゴーストの意図が見えてきた。
あの夜の空襲での人的被害は最小限度に留まったと言えるが、再建した港湾や残存の陸上施設や物資に受けた被害は甚大で、これ以上島を利用するのを断念せざるを得ないものだった。
俺達は、行き先を失い、さりとて留まる事もできなくなった民間人とともに、呉の本隊と連携出来ないまま、彼等に用意した輸送船に速度を合わせ低速で次の海域を目指す長い航海に追い込まれたのだ。当然奴はーーーー狙ってくる。
踊らされている、と牧島大将は通信越しに吐き捨てたが、まさにそうだ。かたかたと机が軽く鳴る音に気付き、俺は我に返った。見れば右手が震えている。無言のまま反対の手で押さえつけるが、震えは伝染する様に広がってゆく。
「俺の判断は……合っているのか? もしグレイゴーストの動きを……」
見誤っていたら……どうなる? 俺の判断のせいで、生き残った多くの民間人をこれ以上ない危険に晒す事になる。無論艦娘達は、命に代えてでも戦い抜こうとするだろう。言うまでもなく涼月も。
「指揮官が背負うのは勝敗じゃなく、命の重さ、か……」
ぎいっと音が鳴る程椅子を軋ませ、背凭れに体を預け天井を見上げる。
-あの時見上げた空には……
それは涼月を逃すためグレイゴーストの攻撃隊を元泊地に拘束した戦いの最中。見上げた空から逆落としに俺を狙い機銃を乱射しながら迫りくる急降下爆撃機。俺を守るため至近距離で爆弾の炸裂に晒された
「止めろっ!!」
あの時のソウの姿に涼月がオーバーラップし、思わず叫んだ俺は立ち上がっていた。
『あの……ごめん。何回も呼んだけど返事がないから……』
脳に直接届くような
「済まない、気にしないでくれると助かる。それよりどうした?」
『気になるに決まってるでしょ…………交代の時間だから行きます、って涼月から伝言。何度も連絡してたよ? なのに返事が無いからこうやって伝令が出たの、分かる? 今帰投した組の収容と交代組の出撃準備でてんやわんやだから』
小さな手を傾げた
「ありがとうソウ。出撃だろ、みんなを守ってくれよ」
『もちろん! ……ねぇ、どこに行くの?』
ぽんぽんとソウの
◇
「……交代じゃなかったのか、涼月?」
「ソウから……聞きました。なので……秋月姉さんに無理を言って交代の交代、してもらいました」
船体上構部後方のドアから第一甲板に出て後部の艦娘運用設備(元のヘリ格納庫)へと向かう途中、シフト配置され前後に分かれた機関部の間にある通路に佇む人影に気が付いた。本来ここにいるはずのない彼女――涼月。潮風に銀髪を揺らしながら肩を竦めて小さく舌を出し、悪戯っぽく微笑む顔に俺も思わず苦笑いで、同じように肩を竦めるしかなかった。
いつも通りの白いインナースーツにセーラー服、肩にはいい加減あちこち擦り切れた俺の第一種軍装の上着を羽織った涼月の姿に、どこかほっとしている自分に気が付いた。夜間攻撃を受けて以来、慌ただしく緊迫した時間が続き、軍務以外に碌に話もできていなかった。いや、戦場にいる以上それが当然と言われればそこまでだが……。
ゆっくりとした足取りで涼月が近づいてくる。柔らかな女性らしさを纏いながらも整った所作の姿に見とれていると、ぐらり、とあたごが一つ波に揺さぶられ、俺は大きく体勢を崩しそうになり……微動だにしなかった。歩みを止める事無く近づいてきた涼月に抱き止められているからだ。というか……そんなに密着しなくても……。
「す、涼月……そ、その……もう、大丈夫だから」
「本当、ですか? でも鼓動が……速い」
そりゃそうだろう。零距離で密着され、涼月の豊かな胸が俺の胸元で切なげに潰され形を変えているんだ。
とにかく、涼月と距離を取ろうとした俺は、ぽん、と滑らかな銀髪が飾る涼月の頭に手を置き、軽く動かす。俺の指の動きに合わせるように逆らうように向きを変える銀の糸が動くと、抱きしめる涼月の腕に力が籠り、頬を俺の胸に埋めてくる。
「体じゃなく、気持ちが心配、なんです……」
そう呟いた涼月は体を離し、俺の手を取ると指を絡めてしっかり握り、そのまま手を引いて歩き出した。
「お、おい……」
返事はなく、手を引かれたまま涼月についてゆくしかなかった。
◇
前後を機関部に挟まれた通路の中央辺りまでくると、ようやく手を離した涼月は、ちらりと俺の方を見て腰を下ろし、自分の隣をぽんぽんとしている。今更あれこれ言っても仕方ないので俺も腰を下ろす。待っていたように体育座りから膝を崩すと凭れ掛かってきた涼月は、俺の肩にこてんと頭を預ける。どうしたんだ、一体……?
「安曇さんは……元泊地で私が入渠した時のこと、覚えてますか?」
忘れるはずがない、あの時……涼月は初めて本心を打ち明けてくれたんだ。言葉の代わりに俺は黙って頷く。
「涼月の……心に閉じ込めていた思いを……受け止めてくれましたよね。そして気づかせてくれた……私には帰る海がある、って……。今はその海がどこにあるか……私の心の羅針盤ははっきりと示してくれるので、迷ったりしません」
そこまで言うと涼月は体勢を変え、俺を見つめてくる。空色の瞳から、真摯な思いを込めた真っ直ぐな視線が送られ、俺も目を逸らせない。
「安曇さんが何かで思い詰めているのは……知ってました。それが何かは分かりませんが、涼月にも……分けて、ください……」
つん、と鼻の奥が熱くなり、不覚にも涙が出そうになった。そんな顔を見られたくなくて横を向く。けれど、真剣な思いをぶつけてきた涼月に、誤魔化すような事はしたくない。俺の立場なら本当は言うべきではない、それでいて誰かに言いたかった思いを……振り絞る。
「…………怖いんだ」
戦いが、ではない。
「涼月はもちろん、他の艦娘達、あの島の二〇〇名に近い民間人達……多くの命が俺の指揮に左右される。相手はグレイゴーストだ、僅かなミスも許されない戦いになる。もし判断を誤れば……皆の命は……。情けないだろ、今だってほら----」
震える右手を差し向けると、涼月は宝物でも受け取る様に両手で俺の手を包つみ、柔らかく、それでいて力強く微笑んだ。
「情けなくなんか、ない……。でも……独りで背負わないで……。元泊地を守るための戦い、安曇さんと共に生きるための戦い……次こそ三度目の正直、私達が勝つ番、です。必ず……必ずお守りしますから」