『……さて、と。そろそろ始めるよ、
「ええ、
吹き渡る潮風と波の音に負けず、
ずきん。
頭が痛い。緩慢に不規則に。何かを考えようとするのを、思い出すのを妨げるように痛む。
少し前の奇襲で敵機の突入を許し受けた損傷。少数とはいえ手練れを揃えた部隊だった。引き起こしの限界を超えても爆弾を切り離さず、一心に自分に向かってくる、あれは確か……九十九式艦爆。着艦良し……何を、言ってるの、私は……? 無意識に抱きしめるように手を伸ばしていたかも知れない。激しい衝撃と渦巻く炎と爆音。身を焼くと知りながら飛び込まずにいられなかった一機は、あの日と同じように私の身を焼いた。
そう、あの日ーーーー。
直上にある幾つかの黒点は、すぐに倍に増えた。それは急降下爆撃機と切り離された爆弾。不気味な風切り音を立てながら近づいてくる影はあっという間に輪郭を鮮明にし、あと五分で発艦しようとする歴戦の海鷲達を薙ぎ倒して飛行甲板に突き刺さると、一瞬の間の後、大爆発と紅蓮の炎を挙げ鋼鉄の戦船を引き裂いた。
元々巡洋戦艦として作られた艦体はひどく頑丈で、爆撃だけで沈むことはなかった。
とても遠い、終わりにして始まりの日。
ずきん、ずきん。
『
「長一〇cm砲ちゃん! お願い、何とかっ!! 安曇さんの作戦を……!!」
あぁ、頭の痛みが増す。そう……所詮小口径砲と侮っていたけれど、私の電探を狙っていたとは……。ちょこまかとすばしっこく動き回り砲撃を加えてくる
ずきん、ずきん。どくん、どくん。
頭に心臓があって鼓動を続けるような痛みと脈動に耐えるけれど、頭上の艤装の重さに振り回されるように体が蹌踉めく。それよりも、懸命に逃走を続ける小さな輸送船と護衛の軽空母を包囲している航空隊が騒がしい。奔流のように脳内に流れ込む情報が次々と減ってゆく。姿を見せた敵の新手は攻撃隊ではなく、正規空母娘をニ、三人注ぎ込んだようなその数全てが艦上戦闘機だった。私の航空隊を遮二無二擦り潰しに来たという事か。味方の誘導と、私の妨害……銀の艦娘は自分の役目を全うしたのね。うかうかと達成させるなんて……これも慢心、なのかしら。
ずきん、ずきん、ずきん。どくん、どくん、どくん。
脈動の度に血が溢れ左の視界を赤く塗り潰してゆく。奇妙な砲塔の砲撃が私の意識を分断するように撃ち込まれ続ける。頭部艤装左側の損傷を執拗に狙い撃たれたせいで、ついに左目の視界が完全に奪われてしまった。
そう、目が見えないのは厄介なこと、人型ならではの問題。ふと頭をよぎった思いに、足を止め短く息を吐き空を見上げる。……いつから私は……?
気付けば鋼鉄の巨体から人型へと変わっていた。長い黒髪と白く柔らかい肌、伸びやかな四肢と豊かな胸の膨らみを持つ身体。目で見て、耳で聞き、鼻で嗅ぎ、舌で味わい、触れて触れられる手、そして物思う心。数多の戦場を超え不敗、帰り着く母港で自分を待つ提督がいる限り、左手の薬指に輝く指輪がある限り、いつまでも続く栄光と思っていた。そんなある日――――。
黒く長い髪を潮風に躍らせながら、私は必死に敵から逃れようとしている。振り返ればその分速度が落ちる、けれどそうせずにはいられなかった。振り返りながら見上げた空は眩しく、細めた目に映るのは――青空をオレンジ色に塗り替えようとする夕陽を背負った怪鳥のような艦上爆撃機が、足の爪で握っていた爆弾を放った瞬間。
身体はひどく頑丈で、爆撃だけで沈むことはなかった。渦巻く炎に焼かれ誘爆を続け、やがて燃える物が全て燃え尽きた後は、輝く月に照らされながら夜の海を漂流した。そして空に伸ばした左手は何処にも届かずーーーー水底へと堕ちた。
明滅し途切れゆく、始まりにして終わりの日。
『安曇は上手くやってくれてるみたいだね?』
「大丈夫、安曇さんは……必ず守ってくれます」
『でも
「はい?」
『だってほら、作戦前とは思えない惚気ばっかだったし』
「なっ……そ、それは……そんな訳では……。ただ……安曇さんの声を聞いていたら……色々溢れてしまって……」
気付いているの? 銀の艦娘……駆逐艦娘の貴女が私と戦うには近づくしかない、だから伝わる。その男の名を呼ぶ時、貴女の胸は大きく高鳴り、想いが私にまで届く。そう……アズミ……というのね。貴女の手を取り支えている男は。何故、何故……私の手を取らない……? 私は待っていたのにーーーー誰を?
気づけば水面に立っていた。白い体と黒い装甲、色素の抜けた白い髪、頭上には巨大なカブトガニのような艤装、黒いマントで体を覆い手にはステッキ。それからの日々は殺し、殺し続ける日々。
ある日、護衛の艦娘を伴い航行する母艦を哨戒機が見つけた。低速で何かを探すような動きを繰り返している。死にたがりは何処にでもいるのね……無造作に右手に持ったステッキで海面を突くと、複雑な紋様を描いた円陣がぱぁっと光り、頭上の艤装の両目が炎を立ち上らせたように燐光を放つ。大きく開かれた顎、その中から次々と艦載機が飛び立ってゆく。
航空機と私は意識と感覚を共有し、彼等の見た物は私が見る物でもある。赤と黄色の炎と白い閃光、黒い煙に包まれた艦、間もなく艦から鉄屑に変わるだろう。半壊し空と繋がった艦橋で何かが動いている。ヒト、ね……。傷付き血を流すその男は、姿勢を直すのが精一杯の様子。私が思う事をすぐさま艦載機は実行する。緩降下で機銃掃射を続けるその機を通して見たものは、空に伸ばされた左手と……。
ーー迎えに行けなくなった、済まない。
寂しげに微笑んで、最後に確かに三文字、誰かの名を叫びながら男は炎に飲まれた。
どうしても忘れられない、今に続く終わらない日々。
『あぐぅっ!! まだ……まだぁっ!!』
「レ、レンッ!? 離れてっ!!」
近づき過ぎよ、奇妙な砲塔さん。受けた砲撃は無視して一直線に接近し、手にしたステッキを
『涼月、お待たせっ!! 秋月が……行けって……涼月を守ってって……』
「ソウッ!! あぁ……秋月姉さん……ありがとう、ございます……」
二体に増えた奇妙な砲塔は、高角砲で撃ち払おうとする私の迎撃を巧みに躱し、連携の取れた動きで私を挟撃する。けれど小口径砲の打撃を積み重ねた所で、私を倒せないのは分かっているでしょう? ならば何か、別な手を隠しているということね。電探を潰して、航空隊を潰して、私の視界を半分奪って……何をする?
『グレイ…………』
『ゴーストォォォッ!!』
ここが正念場と、奇妙な砲塔たちが叫びながら足を止めて私を撃ち続ける。
やめて。
やめて。
私はそんな名前じゃない。
私はーーーー私は…………誰?
灰色の亡霊……あながち間違いじゃないかも知れない……それほどまでにゆらゆらと、頼りなく海面に立つ私。血を流しすぎた……そしてハッとした。用心深く機会を伺っていたはずの
◇
「ふぅ……」
肩を上下に揺らし、大きく溜息を一つ。さぁ、次は私の……涼月の番、です。グレイゴーストの電探と左目の視界を奪うことに成功し、レンとソウが激しく動き回り撃ち続ける今こそーー死角に潜り込んだ私は、膝に力を込めて一気に接近します。
安曇さんの立てた作戦を完遂させる、恐らく唯一にして最大の好機。
「魚雷格納筐、回転」
魚雷発射装置が、背中で重い音を立てて九〇度回転します。他の駆逐艦娘の皆さんと違い、私を含め秋月型駆逐艦は雷撃は得意では……はっきり言えば苦手、です……。けれど、駆逐艦娘の最大最強の武器はやはり魚雷。いくら苦手でも、この至近距離なら外さないっ。
ーー何故かは分からない、だがヤツは……涼月に特別な関心を抱いているように思えてならないんだ。だから君に航空攻撃を仕掛けてはこないはずだ。
安曇さんの言う通り、秋月姉さん達に猛攻を仕掛けたグレイゴーストは、その後航空隊を別方面……避難民の皆さんが乗る輸送船に差し向け、私に単騎で向かってきました。
ーー艦隊戦ならあり得ない状況……最大限利用させてもらう。ヤツをいきなり倒そうとしても無理だ、順を追って無力化する。そのためにーー。
そのために、安曇さんは増援部隊に加えた三人の正規空母娘の艦載機のほとんど全部を艦戦にしました。航空隊の動きを掴ませないために、グレイゴーストの電探を潰す事が私に課された最初の使命。そしてーーーー。
「目標、前方のグレイゴースト………魚雷、全門斉射っ!!」
ーー涼月の
それでも、この戦いは、私に……いいえ、私と安曇さんにとって特別なもの。
だからーーーーすっと右手を空に向け大きく伸ばし、畳んだ右脚も持ち上げ溜めをつくる。腕を振り下ろす勢いを利用して持ち上げた右脚を伸ばしながら後ろへ。腰を入れながら体を左に半回転、振り出した左手の指先の延長線上に向かって、前を向いた四発の魚雷が勢いよく次々と海面に着水します。猛然と加速する魚雷を追いかけ、グレイゴーストの死角から飛び出した私は注意を自分に向けるため、そして持てる火力を全投射するためレンとソウを呼び寄せ収容し、砲撃準備。
「グレイゴーストッ、私は……涼月はここです!! これで……これで最期ですっ!!」