私に反応した
茫洋として、私を見るようで見ていないような、ぼんやりとした姿。幾度かの対戦を経ている相手ですが、これだけ間近で姿を見たのは……初めて、です。
左目を中心に大きなダメージを受けている軽母ヌ級にも似た形の大きな帽子様の頭上の艤装、色白というよりは血の温もりを感じさせない真っ白な肌、体を覆う黒い
こちらに引き付けつつ距離を取り、腰背部から前方に向け伸びる艦首を分割した形状の装甲を左右に開きます。内側にマウントされる
照準補正中に、ぐらりと大きく頭を揺らした仇敵の右目が妖しく光り目が合ったように思えました。瞬間、駆け抜ける記憶の奔流――――。
貴女の猛攻撃で壊滅した元泊地、元司令官を失った泊地からの撤退戦。大破し漂流を余儀なくされた私は島に押し戻され、ただ一人……貴女を討つための命を繋いだ。
そこはいつしか安曇さんと出会い、暮らした場所に変わり、何の変哲もない、淡々とした毎日が積み重なった。残骸となった施設を少しずつ整理して、一緒に畑を耕して、その日採れたお野菜やお魚で作る質素なご飯を一緒に食べて笑いあって、夜が更けて……惜しむように、離れがたいように、就寝する時間が少しずつ遅くなって、でもやっぱり別々のお部屋で朝を迎えて……。
ただの涼月とただの安曇さんが暮らしていた日々もまた、貴女との戦いで終わりを迎えました。私の脱出を助けるため元泊地に立て籠もり妖精さん達とともに貴女の航空隊と戦った安曇さんは重傷を負い、私もまたたった一人戦い、辛うじて二人とも生き延びることができた。そして今、民間人を退避させる私たちを執拗に付け狙う貴女と――――。
「グレイゴースト……貴女がいなければ、私は安曇さんと出会っていなかったでしょう。その意味では、貴女に感謝すべきなのかも知れません……。ですが貴女は……この海に余りにも多くの血を、流し過ぎました」
無言のままレンとソウが砲身の角度を微調整し、ちらりと私に星十字の目を向けてきます。こくりと小さく頷き、肩に羽織っている安曇さんの第一種軍装の上着、右の長袖の袖口を、薬指と小指で小さく掴んだ私は、そのまま右手を前に差し向けます。背中越しの安曇さんと一緒に号令をかけてるようで、緊迫した場面でも不思議なほど落ち着けています。
諦めたかのように顎で天を指すほどに上を向いたグレイゴースト……もうすぐ雷撃が届く、タイミングを合わせて撃ち込まないと!
撃て、と言おうとした刹那、想定より僅かに早いタイミングで爆発が起き、海面を下から突き上げ高く高く噴き上がった水柱。
四発の酸素魚雷が炸裂した証で、巨大な水柱が自重に耐えかね滝のような海水の雨となって降り注ぎ、濛々とした水煙が立ち込める中、私は慌てて砲撃を指示。レンとソウが四秒間隔で撃ち込んだ長10cm砲の砲弾は、烟る水煙の向こうにいる、黒いマントで体を覆うグレイゴーストに吸い込まれてゆきます。そして水煙が収まった後……目の前には何もありませんでした。
ーーおか、しい……?
余りにも静謐な、海面を漂う黒いマントを除けば始めからそこには誰も居なかったような光景。必死に何が起きたのか思い出す、思い出さなきゃ。
ーーグレイゴーストは……何を、したの?
頭上から、ずるりと巨大な帽子様の艤装が滑り落ち海に沈み込み、白く長い髪が踊っていた。帽子と言うには大き過ぎ、軽母ヌ級自身、と言われても納得してしまいそうな
ぞっとして背中に冷たい汗が流れます。僅かな間ですが、敵を完全に見失っていた!
慌てて周囲を見回そうとしてーーーー背後からの囁き声。
『捕まえた……』
私の肩に顎を乗せるような距離で、灰色の魔女が耳元で呪いを掛けています。
◇
「くっ……!」
くるりと体を入れ替えて素早く後ろを向いた視線の先には、頭上の艤装も黒いマントも脱ぎ捨てた、抜き身の魔女の姿。およそ感情を感じさせない表情からは狙いが読み取れませんーー読み取るもなにも、深海棲艦の彼女が狙うのはただ一つ、私を……沈めることしかない。
「レンッ! ソウッ!」
『ごめん
『うぐぅっ』
グレイゴーストの両手は、レンとソウ、それぞれの二門の砲身を束ねるように握り潰していました。この状態での発砲は砲身内での爆発に繋がり、そうなれば私もタダでは済みません。一瞬にして矛も盾も奪われた私に向かい、おもむろに白い右手が伸びてきたので、反射的に左手を伸ばし組み止めます。小さく首を傾げたグレイゴーストが、今度は乾いた血で赤黒く染まった左手を伸ばしてきたので、やはり右手で組み止めました。
「ぐっ……」
期せずして手四つ、まるで力比べのような姿勢になってしまいました。こんな体勢になると駆逐艦と正規空母の、体格差と出力差がモロに効いてきて、無造作にグレイゴーストが手を動かすだけで強大な圧力に膝が折れそうになります。歯を食いしばり必死に耐え押し返そうとしてーーーー。
「きゃぁぁぁぁぁぁっ!」
『
『涼月!? ねぇっ、大丈夫!?』
押し返した所を往なす様に捻られ、両腕の骨が……折れた? 良くて脱臼、でしょうか……。堪らず両腕をだらりと下げ、海面にぺたんと座り込んでしまいました。痛む箇所を抑えたくても腕を動かすことが出来ず、唇を噛んで激痛に必死に耐えます。砲身を奪われたレンとソウはじたじたと暴れ、「こっち来んなバーカバーカ」とか「日焼け止め厚塗りし過ぎて表情筋動かないんでしょっ」とか必死に悪口で対抗しようとしていますが……効果はないみたい、です……。
「グレイ……ゴースト……」
痛みを堪え途切れ途切れに、目の前の敵の名を呼んだ時、初めて変化が現れました。無表情な白い彫像のような顔に、何とも言えない哀しげな色が浮かんだのです。
『私をそう呼ぶのね。ならきっと
い、いけません……つい見入って……いえ、魅入られた……? じりじりと後退り、その分グレイゴーストが距離を詰めてきます。
『それがあるから……海に還らずにいられるの……? 私も知っていた匂いが、する……』
「な、にを……何を言ってるの?」
再び無表情になったグレイゴーストの手が伸びてきて、私は必死に後退ります。不気味に伸びて来る白い手は、私の命を刈り取ろうとしている、の?
い、や……。
砲弾や爆弾、魚雷により齎される無機質な危機とは違い、ヒトの命がヒトの手で直接的に奪われようとする場面。私は……恐怖という感情に呑まれそうになりました……。
けれど私は生きて、生き抜いて帰らなきゃ。折れそうになる心を懸命に繋ぎ止めるーーこんな所で……私には帰る海があるのに…………安曇さん、安曇さんっ!!
ーー安曇さんっ。
その手は、私の首を絞めることもなく、心臓を抉ることもなく、肩に掛けられた安曇さんの第一種軍装の上着に向かっているのに気付きました。
「嫌っ!! やめてっ!!」
恐怖を上書きする怒りが心を燃やします。それは私の……そして安曇さんの想いそのもの。ある日、顔を真っ赤にしてその上着が欲しいです、と告げた私に、安曇さんは照れ臭そうに顔を顰めながら言ってくれたんです。『一緒に海に立つ事は出来ない。だからせめて心だけは共にある、そう思ってくれたら嬉しい』と。
元泊地からの脱出行以来、必ず私の肩を包んでくれている
私に覆い被さるように迫るグレイゴーストに対し、私も海面に横たわるように背中を倒します。そして持ち上げた右脚を力いっぱい前に送り出す。私の前蹴りはグレイゴーストの鳩尾に深々と食い込んで呼吸を奪いました。深海棲艦だとしても人型である以上生体機能は同じなはず、息が出来ないと体を動かせないでしょう?
狙い通りに動きを止めたグレイゴースト。その間に私は必死に海面を転がり反動で立ち上がり、グレイゴーストと距離を取ることに成功しました。
「私に……安曇さんに……触らないでっ!! 私は……必ず安曇さんの元に帰りますっ!!」
とはいえ、ここから……どうする? 両腕は思うように動かせず、レンもソウも砲撃できない。逃げても逃げ切れるものではない。
丸めた背中を波打たせていたグレイゴーストですが、ようやく呼吸を整えたようです……が、私を無視して別な方向を見ています。
「特大発……? 速いな……。この娘のためなら……やはり来るのか……」
視線の先、水平線に小さく見えた黒い点は、五〇ノットを遥かに超える猛烈な速度で海面を跳ねるように進み、あっという間に輪郭を鮮明にしました。それが