月の帰る海   作:坂下郁

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51. おかえりとかただいまとか

 『涼月(お嬢)っ、来たよっ!!』

 『安曇……何で来ちゃうかな…… グスッ

 

 両腕は動かせず、長一〇cm砲ちゃん達(レンとソウ)も砲身を握り潰され、攻め手を失った私とグレイゴーストとの睨み合いを遮るように近づいてくる轟音にも似たプロペラの音は、増援部隊を連れてくると言った安曇さんの座乗するL-CAC(上陸用舟艇)。海面を滑るように跳ねるように、五〇ノットを遥かに超える速度で突入してきた艇は、私を回り込むようにほとんど横転すれすれの旋回で進路を急に変えました。

 

 そして艇の旋回中に飛び出した二つの影ーーそのうちの一つ、旋回の頂点で空中に身を踊らせた艦娘は、遠心力を利用した猛烈な勢いで空を切り裂きグレイゴーストに迫ると、赤いオーバーニーブーツで覆われた長い脚を薙刀のように振り下ろし、踵落としを放ったのです。

 

 鈍い衝突音が響いた視線の先では、頭上で両腕を交差させ奇襲を防いだグレイゴーストと、すぐさまその腕にのし掛かるように膝を曲げ、蹴り立つ勢いで後方に宙返りする私達秋月型共通のデザインのセーラー服。そして着水までの僅かな間に、私と同じく二基備えた長一〇cm砲ちゃんによる速射を加えました。砲撃の反動を利用して再びふわりと宙を舞った後、猫科の猛獣がダッシュに備え四肢で踏ん張るように着水したのは、二本の三つ編みおさげにした明るい茶髪……照月姉さんっ!

 

 私があれだけ追い込まれた相手を一瞬の攻防で後退させた照月姉さんは、ちらりと私を振り返ってウインクして猛然とダッシュ、再びグレイゴーストを強襲します。

 

 

 その間にも安曇さんの乗るフネは旋回を続けつつ接近中。頭の中でぐるぐる思いが巡ります。来て欲しくなかった……現場を預けられた艦娘として指揮官の作戦を全うできない悔しさ、最前線に来て頂いても出来る事がない現実……。そして実際に戦って身に刻まれたグレイゴーストの底知れぬ強さは、私の想定を大きく超えるものでした。危険極まりない場所に身を置く私は、せめて安曇さんには安全でいて欲しいと願っていたのに……。

 

 けれどーーーー頭で考えた理屈は、五〇ノットを遥かに超える速度で迫るフネの姿を認め、操縦席の窓越しに安曇さんの顔が見えた時、唇が必死に私の名を呼ぶ形に動いているのを見た時に、全部消え去って……いました。

 

 立場が逆なら、例えどれほど危険な場所でも、私は絶対に安曇さんの元へ行く。私には深海棲艦と渡り合える武装があり、この身以上に大切と思える男性(ひと)のためだから。でもヒトである安曇さんには深海棲艦と戦う術がない。だからこそ私達艦娘が存在するんです。なのに……なのに、私の、ために…………。

 

 

 「安曇さんっ!!」 

 

 

 気持ちが、心が、身体が、細胞が……私の全てがどうしようもなく求めてしまってるんだ。絶え間なく浴びた砲煙、汗と海水と流した血で、ぐちゃぐちゃに汚れた髪と顔で、絶対に届けと叫びました。

 

 

 「それだけ叫べれば元気……とも言い難い様子、かな?」

 「安曇さん!?」

 

 不意に目の前に見えた背中は、グレイゴーストから私を庇うように立ちはだかっています。私を守ろうとする存在を認識し、反射的に口から出た名前。

 

 「やれやれ、可愛い妹の姿さえあの男に見えるのかい? 涼月姉さんは色んな意味で重症だな……」

 

 ん?

 

 一回り小さく縮んだ背丈、目の前で小さく竦められた肩はいつもよりもほっそりとした撫で肩で、髪も……いつの間にそんなに伸びたのでしょう? ですが聞き覚えのある声、です。よく見れば……いえ、よく見なくても安曇さんが海面に立てるはずないのに……。

 

 くるりと振り返った顔は、苦笑いを浮かべていました。安曇さんのフネから飛び出したもう一つの影はお初さんだったのね。

 

 「照月姉さんがグレイゴースト(ヤツ)を抑えている間に離脱しないと。その前に……涼月姉さん、触るよ?」

 

 言いながらお初さんは私の身体をぺたぺた触り始めました。あっ、そこは……い、たくて……。損傷した両肩に手を置かれ痛みに顔を顰めた私は、お初さんにされるがまま海面にぺたりと座らされました。

 

 「右肩と右肘は完全に折れてるけど、左腕は肩と肘が外れてるだけだ。さて、我慢してくれよ? すぐ済むから」

 「あぁっ!! い、痛い……で、でも……大丈夫……」

 

 私の返事を待たず左肩の付け根に右手を置いたお初さんは、だらりと動かない私の左腕を持ち上げ、鈍い音と共に外れた骨を嵌め、肩の痛みに私が声を上げた間に左肘も同じように処置。そして私の首元からスカーフを解き、自分の首元からもスカーフを解いて、長一〇cm砲の予備砲身を添木に右腕を固定してくれました。

 

 お初さんに肩を借りながら立ち上がった私は、ようやく周囲の状況を把握しました。グレイゴーストに行動の自由を与えず、私から遠ざけるために照月姉さんは近接戦闘を仕掛け、優勢に戦っているように見えます。流石、の言葉しか出てきません……。

 

 

 『来たよ、涼月(お嬢)……』

 「ほら……見えるよね?……」

 

 

 レンとソウがくいくいとスカートの裾を引っ張ります。導かれるように向けた視線の先には、旋回を終え速度を落としながらこちらへ向かってくるフネとーーーー全通甲板に姿を見せた人影。

 

 思わず駆け出そうとして、がくっと膝から崩れ落ちてしまいました。そっか、グレイゴーストと組み合って、真上から押さえ付けられたのを支えていた脚も……。滅多な事で表情を変えないお初さんも顔色を変え私に駆け寄って来ました。

 

 「……どうやら両膝も傷めてるようだね。満身創痍、か……それでも負けなかったんだ、流石は涼月姉さん。さあ掴まって。送ってい……む、ちょっと待って」

 

 再びお初さんの肩を借りた何とか立ち上がった所で、お初さんが右耳を覆うような仕草で立ち止まりました。安曇さんからの通信……でしょうか。私には……ないのに……。

 

 一瞬辛そうに顔を歪めたお初さんは、私に向き直ると内容を共有してくれました。

 

 「このままL-CAC(特大発)に涼月姉さんを運びたかったんだが……味方の打撃部隊の準備が整ったそうだ。砲撃に巻き込まれるのも馬鹿らしいからね、照月姉さんはどうせ夢中になって遊んでるんだ、連れ戻さないと。さて、と……余り時間も無い事だし」

 

 グレイゴーストとの戦いは、ついに最終局面を迎えそうです。そこに自分がいられない悔しさに俯く私を、お初さんが正面から抱きしめました。

 

 「涼月姉さんがここまで戦い抜いてくれたからだ、心から誇りに思うよ。その脚だとキツいかも知れないが、帰るべき場所の方から近づいてきている、後ひと頑張りだ。……僕は、行くね」

 

 私を抱きしめる腕に、一瞬だけきゅっと力を込めたお初さんは身体を離すと方向を変え、全速で疾走を始め、あっという間に遠ざかって行きました。

 

 そして私もまた振り返り、自分の帰るべき場所ーー安曇さんの乗る艇に向かって歩き出そうとして……脚がついて来ず、手をつこうにも骨折を吊った右腕と痛みの残る左腕を出せず、派手な水柱を立て顔から海面に突っ込んでしまいました……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「ぷはぁっ! もうやだ……」

 

 行くべき場所は目と鼻の先なのに、何度も転んだ私はすっかりずぶ濡れになり、何度目か忘れましたが水面に立ち上がります。スカートの裾を左手だけでまとめてぎゅっと絞り、セーラーの上着も同様にします。ぶるぶると頭を振って水気を飛ばし……そうこうしているに気付きました。

 

 すぐ近くまで安曇さんのフネが微速で近づいたかと思うと機関を停止したのです。四周に張られてゴム製のスカートはあっという間に萎んで、艇の乾舷に当たる部分が海面すれすれまで下がると、前面の歩板が倒れ傾斜路が現れました。

 

 

  どくん。

 

 

 私は……生きて帰って来ることが、できたんだ……。高鳴る胸の音を抑えるように、左手を胸に当てて大きく深呼吸。一歩前へ。

 

 「…………」

 

 無言のまま水面を軽く蹴り、歩板に乗ろうとして……出来ませんでした。普段ならこんな高さ、何でもないのに……。辿り着いた安堵感は、私の身体に激しい痛みと疲労を思い出させたのです。乗り損ねて歩板の端にぶつかり、そのまま落ちそうになるのを慌てて左腕一本でしがみ付きました。

 

 

 こんな状況なのに、ふと思い出した事があります。

 

 あれは……私がいた元泊地に安曇さんがやってきて、色々あって二人(とレンとソウ)で暮らし始めてしばらく経った頃でした。

 

 ー初めて会った私の話を受け入れて対潜警戒を取る柔軟さ、長一〇cm砲ちゃんとお話ができるほど妖精さんとコミュニケーションが取れる力、この泊地での暮らしにもあっという間に慣れる適応力……きっと良い司令官になれる、そう思います。

 

 私はそんな事を安曇さんに言いましたけど……こんな事ーー艦娘のために前線に突入してくる人だなんて、あの頃は思いもしなかったな……そう思うと、思わず微笑んでしまいました。

 

 

 きゅっと唇を引き絞り、何とか身体を引き上げようとします。傾斜路の距離なんて僅かなものですが、折れた右腕と傷めた両膝を抱えた疲労困憊の身体を、嵌め直したとはいえ痛みの残る左腕だけで引き上げるのは、とても辛い、こと……でも、もう少し!

 

 「ああっ!?」

 

 少しずつ身体を引き上げ、ようやく甲板に手が届こうかという所で滑り落ちそうになった私は…………力強く掴み留められました。

 

 

 横顔に触れる横顔ーーーー滑り落ちそうになった私を身を乗り出して抱き止めてくれた安曇さんの温度が伝わってきます。

 

 このままだと私と一緒に安曇さんまで落水してしまう! ……と思いましたが、この艇の妖精さん達が懸命に安曇さんの脚を支えてくれていました。とにかく力を掛けやすい部位を求め、お互いの手がお互いの体の上を乱暴に探ります。私は左腕を安曇さんの首に回し、安曇さんも私の腰や太腿をがしっと掴み、絶対離すまいと痛い程の力を込めお互いを支えます。

 

 「きゃぁっ!」

 「うぉっ」

 

 そして妖精さん達が渾身の力で私達を引っ張り上げるのに成功しましたが、一本釣りのようにそのまま甲板に勢いよく叩きつけられました……けれど、痛く、ない? 衝撃で一瞬目を閉じていた私ですが、すぐに理解しました。痛くないはずです。だって……下敷になった安曇さんに覆い被さるようにしがみ付いていたんですから……。

 

 濡れた私の髪からぽたぽたと海水が滴り落ち安曇さんの顔を濡らし、お互いの吐息がお互いの頬を労るように撫で、安曇さんの瞳には私が映っていて、私の瞳にも同じように映る、そんな距離。

 

 しばらくの間ただ見つめあっていた私達ですが、優しく微笑みながら安曇さんの唇から溢れた短い言葉に、私の返事は声にならず、ただただ泣きじゃくってしまいました。

 

 

 「………おかえり」

 「……ただい、ま……

 


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