ゆらり、ゆらり。ごつり。
「……………………痛い」
寄せる波に運ばれた、意外に大きな何かが頭にぶつかり意識を取り戻した。瞬間、ガバッと起きあがろうとしたが、果たせなかった。手や脚にまだ感覚はある、辛うじて……だけど。ちょっとやそっとでは指一本動かせそうに無い。大きく息を吸い込もうとして力無く咽せ返る。自分の血の味を嫌というほど味わってしまった。
そして確かめる。
私は……
そして思い出す。
密度の高い散布界に取り込められた自分を目掛け、驟雨のように降り注いだ大中口径砲の砲弾。
「……まだ、死んでな、い……?」
そして振り返る。
あの銀髪の艦娘……涼月、でしたね……彼女との対戦ではヒヤリとさせられたが所詮はそこ止まり。けれど……違ったのだ。乾坤一擲の勝負を仕掛けてきたのでは無い、もちろん結果としてあの攻撃で私を仕止められたらそれはそれで良かったのだろうが、最大の目的は増援の手の届く位置に私を足止めする事。
その間に自分の航空隊は、三倍四倍の数を揃え、しかもその全てを艦戦にして直掩に回す潔い割り切りの前に大出血を強要された。
満身創痍の涼月と入れ替わり現れた照月。猫科の猛獣を思わせる獰猛な近接攻撃を捌く間に、体勢を整え切った敵の砲戦部隊による連続集中砲撃をまともに受ける羽目になった。
動かせない体を波に預け、そして思う。
「……これで終わり、なの……?」
見上げた先は、見渡す青が夕日の赤に侵蝕され始めたヴェルベットの空が半分。涼月の砲撃は私の左側に集中し、おかげで左眼は飾りになってしまった。
いや、違うーー全てはこの作戦全体を描き、さらに人の身でありながらL-CACで危険を顧みず戦力を投入するため前線にまで姿を現した男……涼月の司令官の手によるものだ。
ゆらり、ゆらり。こつん、こん。
さっきとは別の何かが左手にぶつかってきた。まるで手に取れと言わんばかりに。全身の力を集めたような必死さで、ようやく引き寄せ、指先でなぞり、握ったそれはーーーー。
「…………弓? この拵えは……二航戦の……?」
そして頭の方の漂流物は、矢の二本残った割れた矢筒だった。空母娘が艦載機を発艦させる方法は幾つかあるが、
「自分を含め……? なぜ……なぜそんな事を……思う、の……?」
瞬間、数限りない場面が時間軸を無視して一気に押し寄せてきた。それは黒鉄の軍艦としての、柔らかい女性の体に鋼鉄の力を備え数多の深海棲艦を屠った艦娘としての、そして指輪を受け取り心を預けあった提督との、色褪せない日々の記憶。
「あ……ああ………………あああああああぁぁぁぁあああーーーーーっ!!!!」
同時に、
自分は誰かーー全てが自分なのだ。たとえ姿形がかけ離れたとしても、少なくとも自身が自覚する自我はあって、そしてその名に向き合うなら……。
激痛を堪え何とか海面にぺたりと座り込み、肩で大きく上下させ肺に空気を送り込む。ようやく落ち着いた体で、状況把握するのに無理矢理立ち上がって周囲を確認。
「なる、ほど……」
これだけの損傷を受けた自分が止めを刺されずに放置されていた理由がよく分かった。空を舞う見慣れた戦闘爆撃機の群れ、母艦に収容される二航戦を含む空母娘達、陣形の破綻した相手方の部隊は、遮二無二な突撃を仕掛けてきた戦艦レ級の追撃を優先していたのだ。そして戦場で不自然に動きを止めるL-CACにはレ級が取り付き、甲板上には動けない男性と涼月……だから手が出せない膠着状態になっている。
「……私には、まだやる事が……ある……」
足取りはひどく重く、一歩進むたびに僅かずつ指先が、爪先がサラサラと崩れてゆくのが分かる。長くは保たない、だからこそ急いで……前に進む。
◇
時間はレ級がL-CACに強行乗艇してくる少し前に遡るーーーー。
右舷側の艦上構造物の根元近くに背中を預け、甲板に両脚を投げ出し座る俺。そしてすぐそばにぺたりと女の子座りで俯いたままの涼月。彼女の細い指先は俺の右太腿、具体的には、その……なんだ、脚の付け根の辺りに留まっている。俺は右手を伸ばし、彼女の頭をそっと撫でる。細く煌めく銀髪を絡ませながら、指先は涼月の頭から頬、顎のラインを確かめるように動き、辿り着いた唇をなぞるように往復する。ごめんな、でも今は触れていたいんだ。
「そんなの、いつだって……好きなだけしていいですからっ!」
え? いいの?
「だから安曇さん、気を……確かに」
気を確かにーー負傷した俺に必死に圧迫止血を続ける涼月にすれば、そう言うしかないだろう。けど涼月……分かってるんだろ?
甲板からL-CACの操縦席へ向かおうとした俺達を襲った戦闘爆撃機による機銃掃射で、両舷の艦上構造物や甲板に設置された各種装備品は見る影もなく破壊されてしまった。装甲も無い上陸用舟艇が沈まず、俺達二人が無傷だったのは十二分な奇跡だが、それ以上奇跡の安売りは起きなかった。破壊された牽引用ウインチから、テンションを掛けて保持されていたフック付きのワイヤーロープが解き放たれ、唸りを上げ甲板を跳ね回りながら俺達に向かってきた。
「安曇さんっ!!」
「えっ!?」
涼月と横並び、彼女の右にいた俺の右太腿にフックは突き刺さり、ワイヤーは脚に絡まって甲板に縫い付けられたような状態になってしまった。
俺達人間よりも遥かに優れた感覚器官を持つ艦娘の涼月は、高速で迫るワイヤーの鞭に気づくと咄嗟に俺を突き飛ばそうとした。けれど骨折し吊っている右腕は動かせず、必死に差し伸べた左手は……コンマ数秒の差で競り負けた。
自分でも血の気が引いて来るのが分かる……じわじわと止まらない出血が甲板に作る血溜まりが徐々に広がってゆく。脚の付け根近くに刺さるフックを引き抜けば一気に大量出血し俺は持たない。脚に絡まってるワイヤーが止血帯の役目をある程度果たしているのが皮肉だが、このままでもいずれ出血過多で俺は持たない。L-CACの操縦席も被害を受けているし、設備が無事でも右腕と両膝を負傷している涼月では両手両脚を使うこの艇の操縦は難しい。要するに詰んだ、という事だ。
「……ごめんなさい。弱い艦娘で……」
何を言ってるんだ? 涼月は弱くなんかない。ただ独り廃墟と化した元泊地で生き抜いて、今だってこれだけの激戦を潜り抜けてきたじゃないか。涼月……俺は君のことを誇りに思い続けるよ。
ふるふると首を横に振った涼月は顔を上げた。陽は傾き始め、薄ら赤味を帯び始めた光を、銀髪と白い肌に纏い、目の端にためた涙に煌めかせる涼月は例えようもなく美しかった。そして柔らかく微笑んで告げた言葉で、さっきの言葉の意味が分かった。
「……もう、独りでは生きて……いけません」
それはまさか……俺と一緒に死ぬって事か……? やめろよ、なぁ?
「…………だから……お願いです、戦って……二人で……生き抜いて」
涼月は敵と、俺は命とーーーーああ、そうだな。涼月、やっぱり君は強い。優しくて強い。
一瞬見つめ合った俺達は笑い合う。そして一刻も早くL-CACを後方の母艦かがに収容し俺の手当をしなければと、涼月がオープンチャンネルで悲鳴のように状況説明をしている最中に起きた異変……艇後部からの激しい振動と破壊音、そしてーーーー。
「ハロー」
何がハローだよ、ふざけやがって。軍のデータベースでは見た事はあるが、実物にこんな至近距離でお目にかかるとは、ね……。黒いロングパーカーをワンピース代わりに着たような出で立ちだが、前は大きく臍の辺りまで開け放たれ、黒いビキニに覆われた胸元が露出した小柄な身体と長大な尻尾を持つ深海棲艦ーー戦艦レ級が乗り込んできた。
◇
レ級を確認した涼月は、呼びかけに応えない
やれやれ、と言わんばかりに頭を振った戦艦レ級。髪を掻き上げるような仕草の右手が頭を抱え、その拍子に黒いパーカーがずり落ちる。潮風に晒された顔、頬には何かで抉られたような跡が残る。それが呉の加賀さんに付けられた物とは知らなかったが、歪んだ笑みを一層凶悪に見せる。
鞭のしなやかさと棍棒の凶悪さで襲いかかるレ級の長く太い蛇のような尾は、低い姿勢からさらに身体を沈め躱す涼月の髪を掠め、右から左へと薙ぎ払われる。躱された尾は方向を変えると逆袈裟斬りのように斜め下から涼月に迫った。低い姿勢で躱したのが災いし……いや、最初から計算ずくか……いずれにせよ涼月が危ないっ!
俺は咄嗟に左腰のホルスターから銃を抜き、レ級を狙う。現用兵器は深海棲艦に通用せず、ましてこんなハンドガンが何に役に立つか……それでも、だ。
ーー涼月に手を出すな。
狙い澄ました一撃を見舞おうとしていた尾の動きがぴたりと止まる。尾の先端にはいくつもの砲が集中配備された巨大な顎門、眼前の涼月を噛み砕こうとしていたそれが頭を擡げ、俺の方を指向する。
「へぇ……先に殺して欲しいんだ?」
憐れむような色を一瞬だけ表情にのせたレ級の問いと撒き散らされる凶々しい重圧、それでも向けた銃口を下げる事はしない。レ級に答える代わりに、力の限り叫ぶ。
「涼月っ!!」
この隙に逃げてくれ、と願いながら。
「安曇さんっ!!」
叫びながら、涼月は真っ直ぐに俺の元に戻ろうとする。
「隠し玉ありって事? 見え見えすぎてね……舐めるなぁっ!」
『安曇と涼月に……手を出すなぁっ!』
突如レ級は怒りと不快さを剥き出しに叫び、蛇のような尾は俺から向きを変え、いきなりL-CACの艇首に砲撃を加えた。砲撃と同時に背後からの着弾、爆炎に包まれたレ級は大きく仰け反り蹈鞴を踏んでいる。
巻き上がる発砲炎、レ級の砲撃で齎された爆風と爆音が響くL-CACの甲板で、俺は聞き逃さなかった。大口径砲の砲撃音に紛れた、聞き覚えのある甲高い砲撃音……長一〇cm砲のものだ! 同時に空から見覚えのある砲身が…二つ三つに折れて甲板に降ってくる。
「レンッ」
「ソウッ」
涼月の装備する二体の
『もう撃てないからさ、砲身を囮に、ね。それよりも行くよっ!
後ろから引き倒されるような勢いで、艇首を持ち上げながら全開加速を始めたL-CAC。確かに気を抜いたら吹っ飛ばされてしまう。けど今の俺は甲板に縫い付けられているようなものだし、何よりーーーー。
「す、涼月……そんなに強くしがみ付かれると……出血多量で死ぬかも」
「……笑えないです、安曇さん……。でも……絶対に、絶対に離しません」