刻一刻と夕暮れの近づく時間、L-CACの甲板に佇む涼月は赤い夕日の光の雫を纏い、オレンジと赤で彩られ銀髪と白い肌がキラキラと光る。潮風に乱れる髪を左手で抑え、どこか遠くを見つめる儚げな横顔は、たとえ全身至る所が汗と血と硝煙で汚れていようと、俺にはどうしようもなく尊く思え、ただ見とれるしかできずにいた。
「……綺麗、だな……」
「そんなこと……」
無意識に心の声が口に出ていたのではなく、今の俺はそうするのが当たり前のように、見たものを見たままに言葉にした。一方の涼月はどこか気まずそうな態。
「で、でも……出来れば……今はあまり……見られたくないというか……」
そう口ごもりながら、一生懸命髪を整えようとしたり着衣を整えようとわたわた忙しい。確かに涼月の制服は上着もスカートもインナースーツも、あちこち破けたり切り裂かれていたりで、色々見えてたり見えてなかったりしている。
動かせない右腕の分も含め、涼月は必死に左腕を体に巻くようにして、少し前屈みになりながら困ったような表情。そうする事で駆逐艦とは思えないサイズの二つの膨らみが強調されているが、自分では気付いてない模様。俺の視線を逸らしたいのか集めたいのか、不思議な挙動を見せる涼月だが、その辺には深入りしないでおこう。俺もすっと目線を下げる。
「そ、そういえば……」
誤魔化すように頭に浮かんだ疑問を訊ねてみた。涼月を含む艦娘は、艤装と呼ばれる武装の展開と格納を自分の意思で行える。お馴染みの
余談だが、レンやソウのような自律型兵装は、一旦展開すると格納には本人達の意思が優先されるとか。もちろん強制格納も出来るが、涼月は強制した事が無いと言っていた。
「レ級相手では私の装甲なんて……無いのと同じ、です……。なら少しでも軽くして、速く動けるように……」
全てが紙一重の戦いーーーーふぅっと大きく息を吐き、ガチガチに強張っていた肩から無理矢理力を抜く。俺も涼月も、今に至るまで目の前の状況をどう切り抜けるか必死だったが、ようやく他愛もない話ができるようになった。
俺の場合、少しずつだが止まらない出血のせいで徐々に注意力散漫になっている。喋り続けていないと、集中力を保てない。実際にはまだまだやる事が山積みで、無事に帰ったとしても俺は速攻病院送り。
まず差し当たって最優先事項は、レ級が意識を取り戻す前に海に叩き落すこと。
「はい、片付けてしまいましょう。それに……」
涼月の視線の向かう先には、横たわるレ級と……その側に落ちているボロ布?
「私の……大切な御守り、です」
ぷうっと頬を膨らませて不平を顔に出した涼月。え? あれは以前あげた……? 本来なら肩に羽織る制服のジャケットの代わりに、涼月は俺の第一種軍装の上着を羽織っている。この激しい戦いの最中に失くしたものだと思っていたが、レ級を倒した時に一緒に吹っ飛んでいたのか。
ゆっくりとした足取りでレ級の方に向かった涼月は、まずボロぬ……ではなく、俺の第一種軍装を拾い上げようとする。スカートの後ろを押さえてからきちんと両膝を揃えてしゃがみ、少し上体をひねって左手を差し伸べる。こういう何気ない仕草が上品なんだよなぁ……。
「…………随分と甘いのね……」
どこか愉悦を滲ませた小さな小さな呟き。その声に気付けていたなら、目の前の光景は違うものになっていたのだろうかーーーー?
溶け落ちた夕陽のオレンジと、飛び散る血飛沫の赤ーー自らを飾る不吉な色から必死に逃れるように、身体を大きく捻りながら、踊るようにぐらりと崩れ落ちる涼月の姿。辛うじて倒れるのに抗ったものの、甲板に膝立ちで左手は出血を抑えようと右の脇腹に当てられたまま。
「戦うなら死ぬまで殺せ。それが出来ないヤツが殺される。教訓ってやつ? 活かせる
首をこきんと鳴らすように回し、右の頬桁を赤黒く腫らしながらニヤリと笑う小柄な少女は、べっとり赤く染まった抜き手の形に固めた右手を解くと、持ち上げてぶん、と振って血糊を振りほどく。レ級……!? ノックアウトされてたんじゃ……?
「のこのこ近づいてきた所を
涼月のあの一撃を受けて、倒れた振りで好機を窺っていた、だと……。
「いい線いってたけど……あれじゃ命には届かない」
そう言うとレ級は、涼月の血で濡れた指で、血化粧でもするように自分の顔を嬉しそうになぞりはじめた。
「せめて
飄々と、笑みさえ浮かべながら、レ級は涼月の髪の毛を鷲掴みにして無理矢理引き起こすと、凶々しいオーラを撒き散らし、狂気に相応しい相貌で絡み始めた。
「姉様にもぶたれた事ないのに、駆逐艦風情がやってくれたな。楽に死ねると思うなよ」
ふざけたことを……! 牧島大将の言ってた通りだ、このアバズレがぁぁっ! くそっ、悪口で倒せるような相手では無い。考えろ……考え抜け! 今の俺にできるのは頭を使うことと、涼月を信じることだ。
「レン、お前は動くな。操縦を頼む」
『安曇……何、考えてる?』
心の声は最大出力でレンに呼びかける。
「とにかく俺と涼月に任せろ。涼月ならきっと何とかする。いや……俺がさせる」
さぁ、うまく釣れてくれよ。ホルスターから再びハンドガンを取り出し、きっちり狙いを定める。レ級の顔小さっ、当たるかな……いや、当たっても効果は無いのだろうが。
「もう一度聞くけど……そんなに殺して欲しいんだ?」
いいぞ、レ級が食い付いてきた。まずはこっちに注意を向ける。もう一押し。
「涼月から手を放せ。命令だ」
有無を言わせない俺の口調に、レ級は大袈裟に頭を振りながら芝居染みたポーズを取り一頻り狂ったように笑うと、底冷えのする歪んだ笑みで問いかけてきた。よし、完全に食いついた。
「命令……? 誰が誰に? まぁ確かに艦娘にとっては上官だけど……笑わせてくれる。ふふ、ふふふふ……」
激しくオーラを立ち上らせるレ級は、唇の形だけで笑顔を作るが、完全に激怒している。いや、目が怖ぇよ……。
「貴様の両腕両脚を捥ぎ取って、まとめてこの娘の下の口に突っ込んでやろう」
まだ髪を掴んだままだが、涼月から注意が完全に逸れた。レ級を敢えて無視し、必死に俺の方へ視線を送り続ける涼月に柔らかく微笑む。気付いてくれよ。
「涼月、今なら『無いのと同じ』じゃないよ」
「それが遺言!? 意味分から……痛っっ…………たぁぁぁぁぁっ!! 刺さってる、これ!!」
涼月の腰から瞬時に展開された、艦首を二分割した形状の装甲板。前方に伸びる鋭く尖った先端が、至近距離で涼月の髪を鷲掴みにしているレ級の腕を、体を深々と切り裂いた。真正面から戦艦級の深海棲艦に突き立てられた衝撃で、装甲板はひしゃげ折れ曲がりながらも大きなダメージを与えている!
よく……よく分かってくれたよ。レ級に気付かせないための、俺達の何気ない会話の引用だけで、涼月は躊躇いなく俺が望む通りに動いてくれた。
次発装填装置を持たない涼月は、
「行けぇぇぇぇ!!」
「はいっ!!」
戦艦の砲撃は受け止められなくても、生身同士の戦いで装甲板を至近距離から突き立てれば大昔の海戦のようにラムアタックと同じだ。俺達はレ級を沈めるには力不足。だがL-CACから突き落とすだけならーーーーこれでいける!! 満身創痍の涼月が力を振り絞り、レ級を後部甲板から突き落とすため押し込んでゆく。
「………………え?」
「だから…………随分と甘いのね……そう言ったけど?」
破壊された後部門扉……その先は海、という所。振り絞った力でも届かず、涼月の突進はレ級に組み止められた。気力と体力の限界、これまでの蓄積した疲労と損傷、中でもレ級により与えられた脇腹の傷は浅くない。がくりと膝を甲板につき項垂れる涼月に、レ級が冷たく言い放った。
「もういい……殺す」
俺はふぅっと息を吐き、右脚太腿のつけ根近くに食い込む金属の太いフックと拘束する様に脚に絡むワイヤーロープと……止まらずに徐々に大きく広がった血溜まりに目をやる。そして深々と突き刺さるフックに手を伸ばす。コイツを引き抜けば大出血だが、それでも少しは動く事が出来るだろう。遮二無二突っ込んでレ級を突き落とす。成否は問題じゃない、今動かなければ……全てが終わる。
グラァッ!!
これまでにない大きな横滑りで海面を滑り艇体を大きく揺らすL-CAC。さすがのレ級も大きく体勢を崩したものの何とか踏み留まるが、涼月は糸の切れた操り人形のように甲板に倒れ込んでしまった。
『安曇っ! 前方に人影…………
焦燥を露わにしたレンが叫ぶ。くそぉぉぉぉっ!! ここまできて……それでも……。俺は必死に涼月の名前を呼び続ける。ゆっくりと頭をもたげた彼女は、俺の方へと這ってこようとしている。
「涼月、俺達は……一緒に……」
「安曇、さん……私達……一緒に……」
同じ想いが同じ言葉として同時に溢れた瞬間、レンのものとは違う強い思念が響き渡った。
ーー運命は……乗り越えることが……できる。
甲板を這う涼月の上を、甲板に縫い付けられた俺の前を、轟音を立てながら一筋の光が空気を切り裂いてゆく。
「あぁ……?」
信じられないものを見る目で、肩に深々と突き立った矢と射手の間でレ級の視線が忙しなく動き続ける。それは俺も同じだ。グレイゴーストを警戒しレンは高速機動をL-CACに強いているが、全通甲板を備えるフネの構造上、艇首から艇尾まで一直線の空間が広がり、その最後尾にレ級が立つ。しかし高速で旋回を続けるL-CACがその直線の道を見せるのは僅かな時間しかなく、ヤツは……その瞬間を捉えて射通したというのか? なんて腕だよ……だが何故弓と矢を……?
遠目に見えるグレイゴーストが次の矢を番えている。弓を頭上に抱え、右手は弦を引き、左手はそのまま弓を前方へ押し引く。
「な……? ダメだよ、そんな……まだ、殺し足りないよ。私を……姉様を……戻れない海へ送り込んだ連中を、そんな連中にいいように使われる艦娘を、私達の流した血を忘れて顧みない人間達を、皆殺しにするんだ」
ーーもう……終わり。私達には……還る
もう一度響いた強い思念と同時に、一の矢を遥かに超える速度の二の矢が甲板上を突き進む。深々と突き刺さった矢はレ級がこれ以上L-CACに留まるのを許さず、激しい勢いで弾き出した。狂気の戦艦が落水し立ち上がった激しい水柱がみるみる小さくなるのを見ながら、俺はグレイゴーストの行動が理解できず、頭の中では疑問符が舞い踊っていた。