月の帰る海   作:坂下郁@リハビリ中

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58. 月の輝く夜

 危険な夜間攻撃を敢行するだけあって、姿を見せた攻撃隊は凄腕だ。根拠はないが加賀さんの部隊だろう。こういう正念場には、自分が一番信頼する相手に全てを任せるものだ。牧島大将にとっては言うまでもなく加賀さんだろう。そして俺にとってはーーーー。

 

 俺の肩に頭を乗せている涼月が、「はい……」と辛そうな囁きを零す。普段の彼女の、吐息混じりで少し途切れがちに囁くような喋り方は……何というか色々くるものがあるのは確かだ。だが今の息使いは浅く荒く、速い。レ級の攻撃で受けた傷はやはり深いようだ。一刻も早く入渠させないと……。

 

 「だから……頼む」

 

 そう呟いて黒く塗り潰された夜空を見上げる。既に陽は沈み、境目を無くした暗い空と海の間を、発動機の爆音と翼端灯の僅かな光が切り裂きグレイゴーストへと迫ってゆく。急角度で斜め下に光の糸を引く曳光弾の角度から、航空隊が暗い海面に臆する事なく急降下爆撃を仕掛けているのが分かる。涼月には、そして言うまでもなく俺にも、現状を好転させる要素が何も無く、航空隊の攻撃成功を祈るしかできない。

 

 次々と至近弾を浴びるグレイゴーストに、止めとばかりに迫る二機一組の流星改。だがーー接近し過ぎたのだろう、激しい音と火花を散らし二機が接触した!

 

 「おいおい……」

 

 流石に血の気が引いた。

 

 片翼をもぎ取られた一機はそのまま錐揉みで墜落したが、問題は残る一機ーー制御を失い、激しい黒煙と炎を纏いながら、抱えたままの爆弾とともにL-CACの進路へと向かってきた。このままだと俺達がカミカゼを受けることになる。

 

 「涼月っ!! 今すぐーー」

 

 フネから離れろ……と言いたかったが、俺の言葉を最後まで待たず驚くほど素早く動いた涼月はーーーー。

 

 「あの……?」

 「はい……?」

 

 何か問題でも? と言いたげな涼月の整った顔が至近距離にあって、前髪が俺の額をくすぐる。さらに装甲板が展開された。戦艦レ級との戦いでかなり損壊しているし、万全の状態でも直撃弾を防ぎ切るのは難しいかも知れないが、あるのは頼もしい。

 

 そこまではいいとして、なぜ俺の上に? 殆ど大破した涼月は、彼女が意識して隠さないと隠せないアレとかソレが露わになっているが、そんなのお構い無しで俺を押し倒して覆いかぶさっている。

 

 そういう体勢で密着されより明らかに感じるのは、俺の左腰の辺り……つまり涼月の右脇腹辺りからじわじわと広がってくる生温かい感覚。涼月は俺から見えないようにしていたが、レ級の攻撃で受けた傷から出血が続いているのは疑う余地が無い。

 

 「涼月、急げっ! 今ならまだ間に合う!」

 「安曇さんが私なら……そうしますか?」

 

 分かり合えているからこそ、分かりあえないーーそんな焦燥感を初めて知った。

 

 「質問で返すなっ。俺の言う事を……んぁっ!?」

 

 貪るように唇が重ねられ、涼月の舌が生き物のように俺の舌を絡め取ろうとする。涼月を押し戻そうと持ち上げた俺の両腕は……そのまま彼女の頭を、肩を抱き寄せてしまった。

 

 必ず二人で生き抜くーー自分達に半ば言い聞かせるように言い続けてきた。あるいはそうする事で現実から目を背けていた。俺はもちろん涼月でさえ助からないかもしれない状況から。

 

 こんな死地にあって、いや、あるからこそ、血の味が教える生の匂いを、例え消えかけでも命の重さがここにあると、お互いに触れ合って確かめようとしている。

 

 

 女を守るため無力を承知で駆け付け動けなくなった男と。

 

 今動けば繋がる命をその男を守るのに使おうとする女と。

 

 

 どうしようもなく愚かな二人かも知れない。それでも、この温もりを守るために命を賭けてしまう。

 

 

  ーー来るっ。

 

 チラリと目の端に捉えた炎と黒煙を纏う流星改は、まるでL-CACと間に何かが挟み込まれたように姿を消した。次の瞬間、凄まじい爆発音と炎、爆風。爆弾を抱えた流星改が何かに激突したのは明らかだ。

 

 

 濛々と立ち昇る黒煙の合間に踊る長く白い髪、巻き上がる炎の向こうに透けて見える、見覚えのある白い顔。

 

 

 ……まさか……グレイ……ゴーストが……?

 

 揺れる炎の中で影が動き、薄らと微笑みが送られる。そして脇を閉め、手のひらをこちらに見せないようにやや内側に向けた海軍式の敬礼。燃え盛る炎は夜にぼんやり浮かぶグレイゴーストの白い姿に濃い陰影を与え、まるで彼女の髪が黒髪になったように錯覚させる。

 

 何故、何のために……それを確かめる時間は無かった。爆発の衝撃波と爆風で、片側が殆ど垂直近く持ち上げられたL-CACが転覆しそうになる。

 

 「涼月っ!!」

 「安曇さんっ!!」

 『やらせないよっ!』

 

 L-CACの上で叫びが交錯し、操縦席の辺りで爆発が起きた。反作用で辛うじて持ち堪えると、戻る反動で海面に激しく叩きつけられたL-CACは二度三度バウンドし、あらぬ方向へと全速で走り出した。着水の衝撃でラダーの角度が変わり、そのまま固着したって所か……。

 

 「レン、フネの制御を!!」

 

 返事は無く、俯いたまま涼月が首を横に振る。

 

 レンが残った長一〇cm砲の砲弾を誘爆させ、その衝撃でフネの転覆を防いだ、だと……。

 

 プロペラピッチもラダーも制御不能の鋼鉄の方舟は東に……寄るべき島もない広大な太平洋のど真ん中に向かってゆく。燃料が続く限りL-CACは走り続け、その後はただ漂流する事になるだろう。

 

 後方で立て続けに響く爆発音と燃える炎の明るさがみるみる遠ざかる。それは攻撃隊の集中攻撃が成功した証であり、この海域で暴れ回り、俺たちと幾度も戦った空母ヲ級改flagship……グレイゴーストと呼ばれた深海棲艦が海に還った証でもある。

 

 

 暗い海面にぼんやり灯る、命の篝火が消えゆく光景に、俺は無意識に敬礼の姿勢を取っていた。

 

 

 

 厚い雲が結構な速さで流れる暗い夜空を見上げる。もう随分前からL-CACは燃料切れで、潮流に身を任せ波にゆらゆら揺られながら、俺と涼月をどこかへ運ぼうとしている。

 

 せめて晴れてさえいれば、月や星座の位置関係から天測で自分達の大まかな位置を割り出す事もできるのに。俺は兵学校での座学で学んだ程度だが、実戦で実践している涼月なら……と思ったが、それ以上考えるのを放棄した。

 

 位置が分かっても、牧島大将に連絡する手段が失われている。L-CACを曳航しようにも涼月は大破。

 

 「レンとソウは、どうしたんだろう?」

 「間に合ったと……思いたい、です……でもそれ以上は……ごめんなさい」

 

 レンがL-CACを転覆から救うために自分の砲弾を誘爆させた瞬間に、涼月もレンを救うため艤装を強制解除したという。ただ今の彼女には、再度艤装を展開して武装を纏う余力は……残されていない。

 

 夜も更け気温が下がり、さらに風も強い。俺は大腿部に、涼月は脇腹に、それぞれ重傷を負い、止まらない出血で体温の維持が難しくなってきた。俺が手を伸ばしたのが先か、涼月が身を寄せてきたのが先か……ただそうするのが自然であるように、横たわる俺に涼月が覆い被さり、少しの温もりも逃がさないよう抱きしめ合う。

 

 仮に俺が、涼月が、あるいは二人がここで果てたとしても、深海棲艦の戦争ではごく僅かな一コマでしかなく、大勢に何の影響もない。艦娘の戦没も指揮官の戦死もよくある話だ。それでも、最期の瞬間まで共にいられるのは幸せな事かも知れない。

 

 

 戦い、抗い、泣いて笑って、生き残り、あるいは死ぬ……全てが一つ一つの命が織り成す色彩だ。それら全てを集めて遠くから見れば、戦争という巨大な破壊の色で塗り潰されるのだとしても。

 

 

 何もない島で出会い、ただの二人として過ごし、いつしか想いを重ね合った俺達の時間は、どんな色で彩られていたのだろうか? 

 

 

 「安曇さん……?」

 

 思索の海を漂う俺を涼月の声が引き上げた。

 

 とにかく俺達は喋り続けていた。血の足りない体で気を抜くと意識が途切れるから。そうして目を閉じてしまうと、帰れない眠りが待っている。お互いをそうさせないため、元泊地で暮らした時の思い出、カボチャの品種や産地による食味や調理法の違い、お冬さん……涼月の妹の話、好きな色、食べ物、音楽、対空戦闘理論、秋月の内緒話、子供時代の話、風呂ではどこから洗い始めるか、兵学校時代の話……とにかくどんな事でも話した。そんな努力も虚しく、少しずつ、確実に無言の時間が増えてきた。

 

 

 言えるうちに言っておかないと。同じ台詞を元泊地で言った事がある。あの時は話の切り出しに迷って、見たままの景色を口にしたが……今は違う。

 

 

 「……月が綺麗だな」

 「雲量六では……見えないでしょう?」

 

 真面目か。気を取り直してもう一度。

 

 「そんな事はないさ。すぐそばに見えるよ」

 「………………死んでも……いい、です

 

 

 俺の胸に埋めた顔をイヤイヤと振る涼月の銀髪に指を通し、少しだけ乱暴にわしゃわしゃとする。そんなに照れ臭いなら言わなきゃいいのに……まぁ、お互い様だが。

 

 にしても、だ……。死んでもいい、とは洒落にならないぞ、涼月。

 

 「大丈夫、です……入渠さえすれば、すぐ治りますから」

 「そう……入渠さえすれば、な……」

 

 どれほどの重傷でも入渠と呼ばれる生体修復で完全回復するのが艦娘だが、この言葉には裏がある。もし入渠できなければーーーー? ヒトより遥かに強靭な生体機能を持つ艦娘も不死の存在ではない。母港を離れた戦地で傷を負い、帰り着けなければ……生体機能の限界を迎えた時点で、やはり彼女達も海へと還る。

 

 俺の言葉のニュアンスに涼月はすぐに気付き、上体を起こすと左の人差し指を立てて唇に当て、悪戯っぽくウインクをした。皆まで言うな、って事か……。

 

 そしてこてん、と俺の胸に倒れ込んできた涼月の左手が何かに触れる。

 

 「あの……何か……硬いものが……」

 

 えっ!? いや、それは……。

 

 「涼月……それを取り出して……くれないか」

 

 躊躇いがちに伸びた涼月の手が触れる。

 

 

 

 ポケットから取り出されたのは、グレーのヴェルベットで飾られた小さな箱。

 

 

 

 俺や涼月の血で汚れて半分くらいダークグレーになっているが……この状況だ、許して欲しい。さて、と……無理矢理上体を起こした俺に合わせて涼月も自分の位置をずらす。

 

 「こんな場面で渡すとは夢にも思ってなかったけど……受け取ってくれないか?」

 「えぇっ!? これは……そんな……」

 

 ぱかりと蓋を開け、中身を涼月に見せる。鈍く光る銀のペアリングに、動かせる左手だけを口に当てるが驚きを隠せないようだ。

 

 

 呉を出撃する際、時が来れば涼月に渡してやれ、と牧島大将から渡された一組の指輪。

 

 

 ケッコンカッコカリ……艦娘の成長上限を解放するシステム。そのキーアイテムがペアリングで、最初の一組は軍から支給されるが、それ以上必要なら指揮官が自費で購入できる。

 

 時が来れば、とは俺がどこかの拠点長になり、涼月も定められた練度に到達する、その二つの条件を満たした時。前者は……生きて帰れなさそうな以上無理だし、後者も呉を出る時はまだまだ遠かった。けれど……今渡さないと、永遠に渡せないだろう。

 

 「あ、安曇さん……どうして……それがここに……?」

 

 無任地士官(居候)だからね……自分の部屋どころか渡された指輪を仕舞って置くデスクさえない。だから結果的に肌身離さず持っていたんだ。

 

 「…………本当に涼月で、いいんですか?」

 「…………涼月じゃなきゃ、だめなんだ」

 

 『指輪を贈る』という行為にどうしても意味を求めてしまうが、根本は戦力向上のシステムなので、ジュウコンカッコカリ(指揮下の全員に贈る事)も可能だ。それでも艦娘にとって最初の一人に選ばれるのは特別な事だという。そして俺にも……特別な意味しかない。

 

 差し出された涼月の左手は少しだけ震えていた。きゅっと一瞬だけ握ってから手を取り、薬指に指輪をはめる。同時にさぁっと潮風が吹き抜け、重く空を塞いでいた雲が流れてゆくと、夜天に輝く月が姿を見せ、細い銀の糸のような光が涼月をヴェールのように飾る。

 

 「綺麗……」

 「ああ……綺麗だ」

 

 伸ばした左手の薬指、月の光を集めるように輝く指輪を感慨深げに見つめる涼月と、そんな彼女を見つめる俺。本当にキラキラと輝いて……いや、指輪自体が光っている? 輝きはさらに増してゆき、やがて目を開けていられないほどの眩い光が涼月を包み込んだ。

 

 

 次に目を開けた時、目の前には全ての傷が癒えた自分に驚きキョロキョロと視線を泳がせる涼月の姿があった。

 

 

 「これは……これが……指輪の力……?」

 

 困惑しながらも、意を決した涼月は立ち上がると艤装を展開する。背負式の魚雷格納筐に、腰から左右に広がる傷一つない装甲板。その内側にマウントされるのはーーーー。

 

 『よっ! お待たせ』と、しゅたっと短い手を上げるレン。

 

 『どうなる事かと思った……って安曇、大丈夫!?』と、わたわた慌てるソウ。

 

 

 「はは、は……そっか、そうだったんだ……」

 

 訳もなく笑えてきた。確かに呉を発つ前、涼月の練度は指輪による上限解放基準に届いていなかった。だが今回の特務での激戦につぐ激戦が、この短い期間で彼女を一気に成長させたって事か。

 

 それに、後で知った事だがーーーー最初に指輪を付けた時だけに限り、どんな状態からでも完全回復させる機能が備わっていたという。想像さえ出来ない技術だが……お陰で助かった……。

 

 

 

 これで涼月は……もう大丈夫、か……

 

 

 張り詰めていた緊張の糸がぶつりと切れ、俺は甲板に崩れ落ちた。

 

 

 悲鳴を上げ俺を抱きかかえながら、涙声で牧島大将と連絡を取り合う涼月の声をぼんやり遠くに聞きながら、俺は意識を手放したーーーー。

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