月の帰る海   作:坂下郁@リハビリ中

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62. ハロー、グッバイ

 正規空母娘・赤城……それが私らしい。名前は人に呼ばれ初めて意味を持つ。けれど……当の私は、そうである記憶があるのと同時に、他者がそう呼ぶからそうなのだろうと、自分に言い聞かせている節もある。

 

 気付けば海面に立っていた。見上げた空は波打つようなヴェルヴェットの夜天。僅かに滲む星々の輪郭は大気中の湿度の高さを示し、その並びはここが南方だと教えてくれた。

 

 どうやら大きな戦があったみたい。足元では血と油の混じる波がうねり、合間に浮かぶ幾つもの鉄の残骸……それに漂う死の匂い。

 

 後から知ったのは、グレイゴーストと呼ばれる、この海域で猛威を振るっていた空母ヲ級改flagshipとその配下の深海棲艦部隊が、呉鎮守府の連合艦隊と激突し激戦の末討ち果たされたという事。

 

 どこから来たのかも、どこへ行けばいいのかも分からない。けれどここにはいられない……纏まらない思索の波を漂う私は、突如身を焦がすような光を放つ探照灯に照らされた。

 

 「赤城、さん……ですね。失礼、呉連合艦隊総旗艦の加賀、です。海軍特別法の海域邂逅条項に基づき、貴女を艦娘として保護します」

 

 目を開けられぬ眩しさを背に近づく黒い影を、視線を下に向け僅かに開けた目蓋の隙間から伺い見る。あか、ぎ……? 躊躇う足は、内なる灰色の自分に背中を押されたように、ぎこちなく前に出て差し出された手を掴んだ。

 

 以来私は呉鎮守府の艦娘として、訓練と演習、座学に明け暮れる規則正しい生活……嵐も曇天もない、穏やかで波さえない凪の水面に、不意に投げ込まれた小石のような出来事が立てた細波は、思いの外波紋を広げてーーーー。

 

 

 

 「少佐と涼月の休暇は今日までだけど、手配は終わっているのかしら?」

 「おお、終わっとる終わっとる。じゃからの、一服させぇや」

 

 ただよう紫煙の香りが鼻を刺し、つい顔を顰めてしまう。呼び出された執務室、入室を許可され中へ入ると、葉巻を取り上げようとする秘書艦から大袈裟な動きで逃げる提督の姿を目にした。結局窓を全開にするのが二人の妥協点だった模様。

 

 弓道着に青のミニスカート、左側に結んだ黒髪のサイドテール……加賀さんは、同じ衣装でミニスカートが赤、黒髪のストレートロングの私と好対照を成す。

 

 海域邂逅、あるいは建造と呼ばれる仕組みで現界するのが艦娘で、かつての大戦で沈んだ軍艦の力を人型の身体で振るい、魂には同じく海で果てた往時の軍人達の、大切な存在を守りたいという純化された思いが込められている……という。けれど私には……そういった純粋な願いとともに、何かこう……もう一つ別な、全てを破壊しようと荒ぶる灰色めいた想念が心の奥深くに、鎖で縛られているように思えてならない。

 

 だからだろうか……加賀さんに言わせると、私は一般によく知られる『赤城』と異なる面があるようだ。

 

 顔立ち、背格好、身体付きは寸分違わぬ『赤城』でも、全体に色素が薄く肌色は色白を通り越して白磁のようで、瞳も黒ではなく鳶色なのだとか。それに……耳を出すように長い黒髪をかき上げると、内側には部分的な銀髪がある。それが何を意味するのか、あるいは意味などなくてただの個体差なのか、私には分からないし興味もない。

 

 「おお、来たか。早速じゃがほれ、こいつじゃ」

 

 色白巨躯で禿頭に丸いサングラス……いつ見てもガラの悪い提督。お控えなすって、とか挨拶した方がいいのかしら、などと埒もない事を考えながら、手渡された書類を受け取るーー転属の辞令ですか……。

 

 「そうじゃ。そこの指揮官は阿呆じゃが腹ぁ座っとる、何せグレイゴースト(クサレマ◯コ)っちゅう凶悪な空母ヲ級改flagshipをぶち殺すんに一役買った奴じゃ。一緒に暴れまわるがええ」

 

 ぴくり、と片眉が上がります。なんでしょう……その言われ様、無性に気に入りません。腐れてなど……むしろ綺麗なもので…… ご、ごほん……何故、自分の事でもないのに、気分が波立つのか……?

 

 「そんな品のない二つ名ではなかったと思うけど? ……もう少し理知的な説明が出来ないものかしら。少し頭に来ました」

 

 提督を嗜めた加賀さんは、転属の背景や異動先での作戦行動、指揮官について色々と詳細を教えてくれました。なるほど……防空駆逐艦とともに敵勢力排除、そして直掩による現場保持が役割ですね。出撃一度あたりの作戦時間は短いものの、作戦行動の目的を考えれば失敗が許されない場面になる、と。

 

 「かしこまりました、この転属、喜んでお受け致します」

 

 何よりもーーーー異動先の司令官の名を聞き、何故かは分からないけれど、懐かしく感じた自分に驚いている。アズミ……と秘書艦の涼月(銀の艦娘)、よかった、一緒にいられてるのね。……何故、旧知でもないのに安堵している、の……?

 

 提督と秘書艦に敬礼し回れ右、部屋を後にする。

 

 軍艦としての私は、帝国の栄光を一身に背負い、凋落のきっかけとなりながらも、その終焉を見届ける事なく道の途中で没した。それが赤城という艦娘の過去のはず。なのに何故自分の心がこうまで動いたのか、私には分からない。

 

 ひょっとして、自分には自分でも思い出せない過去が……あるのかも知れない。

 

 自分は艦娘、戦いの海にしか居場所がないのなら、逆巻く波頭を踏み越え、吹き荒ぶ風に向かい矢を放とう。それとも、この転属で……アズミなら、私の隙間を埋めてくれるのだろうか? 

 

 

 さぁ、帰ろう。私の戦場へ。答はいつもそこにしかない。

 

 

 

 「そういえば……安曇少佐と涼月はどこへ行ったのかしら?」

 「酒保(呉鎮モール)ん中のプラネタリウムじゃろ。安曇から貸切にしてくれ言われとった」

 「二人きりの貸切……気分が高揚するわ」

 「まぁ……ケッコンしとる二人じゃ、()()()()()()()()には多少目ぇ瞑ってやるがの。終わったら掃除しとけとは言うといた」

 

 

 「……いいなぁ」

 

 

 ことりと小さな音を立て、牧島大将の執務机に湯呑みを置いた加賀が、無表情のまま丸いお盆で口元を隠しながら呟いた小さな声。

 

 「軍の金で行ける新婚旅行はリランカじゃが、あん二人が行けるんはまだまだ先じゃろ。何より部隊のメンツもまだ揃うとらん。今回の休暇はせめてもの御祝儀じゃな」

 

 加賀の声が聞こえたのかどうか定かではないが、大ぶりの湯呑みを片手で持ち、牧島大将はずずっとお茶をすすっていたがーーーー。

 

 

 「……ま、そのうちな」

 

 

 執務机の横に無言で侍る加賀だが、僅かに目尻が下がっているようだ。沈黙する二人の間を、開け放した窓から吹き込んだ穏やかな風が流れ、部屋の中の空気を爽やかなものへと変えてゆく。しばらくの沈黙の後、次に沈黙を破ったのは大将の方だった。

 

 「ところで加賀……よかったんか?」

 「……何かしら?」

 「赤城の事じゃ。吾も異動に同意しとったが……行かせてもよかったんか?」

 「()()()なら、必ずどこかで生きている……そう信じてる。心配、いらないわ……」

 

 ちらりと加賀の様子を伺いながら、牧島大将は葉巻入れに手を伸ばす。執務室と寝室は禁煙ーーそれが二人の間のルールで、後者に関して大将は律儀に守っている。が、前者については何だかんだと理由を付け紫煙を薫せ、そして秘書艦の加賀に嗜められる……までがある種の様式になっている。

 

 開け放した窓に向かい、大将に背を向け外を眺める秘書艦は振り向こうとしない。航空母艦に分類される艦娘の中で最初期に現界しながら、未だに一線級の戦力を誇る加賀の、その力とは裏腹に華奢な肩と背中を見つめていた牧島大将は、唇まで運んだ葉巻を無言のままケースに戻した。

 

 

 栄光の一航戦ーー赤城と加賀。ここ呉には加賀一人だが、かつて赤城も所属していた。

 

 赤城と加賀はほぼ同時期に呉に着任し、切磋琢磨しながら成長を続けた。やがて訪れた転機……苦戦の続くとある泊地への増援を決断した牧島大将は、赤城他数名の艦娘を出向させ戦線の立て直しに寄与し部隊を帰投させたーー赤城を除いて。

 

 歴戦の艦娘と新進の若い司令官……今の安曇少佐と涼月の組み合わせにも似た二人は絆を誓い合い、赤城は正式にその泊地に転属を認められた。そしてーーーー指輪を受け取りケッコンカッコカリを果たした赤城は戦没、諦められずその捜索に当たった司令官も深海棲艦の艦載機による空襲で……。

 

 

 知らせを受けて以来、「必ず帰ってきます」と加賀は呉に新たな赤城の着任を頑として認めず、牧島大将も秘書艦の悲痛な我儘を受け入れ、今に至る。

 

 

 海域邂逅や建造で、同一の個体が出現し併存できるのは、艦娘が備える規格化された兵器としての側面だが、それぞれの生きる環境で積み重なる時間は、同一の艦娘に異なる個性を与える。そしてそれは絆と呼ばれる濃やかな繋がりを、戦友や指揮官との間に育んでゆく。

 

 

 「……執務室は禁煙よ。煙が目に……染みるわ」

 

 

 背を向けたまま加賀の零した僅かに震える声に、牧島大将は火の着いてない葉巻をもて遊びながら、沈黙を守っていた。

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