流れる時間に身を任せ見上げる夜天、空を覆う大小様々の星は色とりどりに輝き、光の濃淡が織りなすページェントに圧倒される。
寝転がり大の字になって夜空を見上げる俺のすぐ傍、星灯りで飾られた銀髪に鈍い光を宿し輝かせる涼月は、俺の左腕の付け根あたりに頭を乗せて寄り添い、左腕を俺の胸を抱えるように横たわらせている。自由になる右腕を伸ばし、掌に星を掴もうと人工の夜空へ向けた後で元に戻した。
「…………?」
とさっと右腕の落ちる音に反応し、仕草だけで疑問を伝える涼月に、素直に思った事を口にする。
「いや……星を掴めそうだなと思ったけど……月がこんなに傍にあるから、別に欲張らなくてもいいかなって」
返ってきたのは、言葉ではなく柔らかい抱擁でーーーー。
◇
呉鎮モールに併設される小規模のプラネタリウムーー本来は北半球南半球を問わず各海域での天測……星や月の位置から自分の位置を把握するための訓練施設だが、設置主旨を脇に置けば純粋に星の海を漂う時間を過ごせる場所で、今日は俺と涼月の貸切にしてもらった。
駄目元で牧島大将に貸切を申し入れたら、あっさり許可が出た。そして大将の意を受け謎技術であっという間に大改装を施した妖精さん達の仕事ぶりときたら、それはもう……。
全て取り払われた座席に代わり、厚く敷き詰められた白砂と、わざわざ床面に防水加工まで施して注水した人工の海水……要するに砂浜ができている。挙げ句に造波装置まで用意したようで、波が緩やかに寄せては返している。聞けば基地司令の執務室も、条件を満たせば同じような改装が出来るらしい……。
さらに機材として大きな場所を占め目立つ存在の投影機は、密林に忘れられた遺跡のようにマングローブの木々で覆い隠す徹底した擬装。砂浜の片隅にシャワーブースまで用意してあり、どこのビーチリゾートだよ、これは……。
まるであの日の……涼月と一緒に暮らしていた元泊地にいるような錯覚さえ起こす。今後の任地と任務、そして状況を考えると、おそらくもう二度と行く事はないだろう場所ーーその思いが、俺に
空と海の間に取り残されたあの島の生々しさーー饐えた土と密林の匂い、僅かに生臭さの籠った潮の匂い、強烈に甘ったるい花の香り、消しきれない朽ちた鉄錆の金っ気……それが俺達二人の原風景だった。
「俺さ……」
口を開いた俺の言葉に、涼月は少しだけ頭を上げ前髪越しの上目遣いで、無言のまま視線を向けてきた。
「あの島に着任でもよかったかなって思ってた」
どこに行って何をしても、自分が胸を張って生きてゆくーー牧島大将にそう言った言葉に嘘はない。それでも、どうしても無視しきれない事もある。
あの島には、在りし日と同じく元司令官が着任する事になった。その話を聞いて以来、以前抱いた感情とは似ていて異なる、でも同じように胸の裡に澱が積もる。
グレイゴーストと俺が率いた妖精さん部隊との戦闘の結果、元々廃墟だったあの泊地はさらに破壊され、最早何の用も成さないだろう。元司令官はゼロどころかマイナスから再スタートを切る事になるのだが……ただ、俺と涼月が暮らしていた時間の残り香に踏み入られる気持ちのざらつきを、どうしても消す事が出来ない……。
くそっ、馬鹿らしい……。俺は自分で思っていたよりも……独占欲が強い……のかも知れない……。
途切れた話の続きを促すように、涼月の空色の揺れる瞳が俺を捉えて離さないが、ふっと彼女が口にした言葉は正鵠を射ていた。
「私も、そう思った事がないわけでは……でも、安曇さんが考えていたのは、似ていて別な事、ですよね?」
刺さるなぁ……。涼月は本当に俺をよく見ている。だからと言って、流石にこんな感情までは知られたくない。誤魔化す意図も多少あったが、左手を動かして彼女の頭を撫で、言葉をつないでみる。
「そういう訳じゃ……なぁ涼月?」
彼女の頭を撫でていた俺の手に、涼月の手が重なる。
「俺と一緒で……いいんだよな?」
涼月は俺の手を持ち上げると頭から離し、腕の中でくるりと向きを変え、俺に背を向けてしまった。
姿勢を直すとかではない、拒絶にも思える小さな背中。肯定の言葉を期待していた俺の願望は思い切り空振りした。ソウがいたなら、『どこまで馬鹿なの!?』と面と向かって罵倒されただろうが、この瞬間の俺はただ涼月の反応に内心大慌てでいた。
正直、どうすればいいのか分からない。
「どうして…………」
とても小さな、震える声。こんなに近くにいるのに、全てを聞き取れなかった。しばらく間が空いて、再び涼月は言葉を発した。肩を震わせながら、先程よりもはっきりとした声には、彼女が滅多に見せない感情ーー怒りが載せられていた。
「どうしてそんな事を聞くんですかっ!? 最近の安曇さん……おかしい、です……。目の前にいる私ではなく……安曇さんと出会う前の私に、勝手に不安になって、いる……。二人で……何度も死線を越えて、指輪だって安曇さんだから受け取ったのに……」
背を向けていた彼女は俺の腕から離れぺたんと砂の上に女の子座りで、涙を一杯に溜めた瞳からキッと強い視線を送ってきた。勿論俺も跳ね起き、反射的に正座をしている。そして涼月の感情の発露は止まる事がない。それは彼女の中で積み重なっていた物だという事を容易に教えてくれた。
「私の
普段の穏やかで優しい微笑みを絶やさない涼月も、これまでほんの何度か感情を剥き出しにした事があった。ただーー対象が俺というのは初めてで……。気圧された俺は言葉を挟む事が出来ず、ただ彼女の言葉を聞くしか出来ずにいる。
「元司令官とは何でもないって……いえ、始まってもいませんけど……それとも、貴方と……ひ、一つになりたいって……私が言わないと、安心できませんか!?」
そこまで言い募ると、流石に言い過ぎたと真っ赤になった顔を両手で隠してイヤイヤと激しく頭を振る涼月を見て、ようやく俺は……理解した。
確かに涼月は、最近妙に積極的というか、そういう言動が増えていた。けどそれは、俺が等身大の彼女を見ていないかも知れないという不安の裏返しだった。
不意にレンが以前言った言葉を思い出す。
ーーあの島で……
こういう事、だったんだな……。あの島にいた、ただの涼月とただの俺は、強がりとか弱さとか、全てを曝け出してお互いの裸の心に触れ合い、気持ちを重ね始めた。
けれど現実的には想いだけで越えられないことも多く、戦場にあるほど、
でも命からがら帰投して任地や任務の話が具体的になるにつれ、真っ直ぐに想いを寄せる涼月とは対照的に、俺はいつしか俺達二人を取り巻く外側に囚われていた……んだろう。
帰る海がある……俺の言葉を受け止めて前に踏み出した彼女を、ただあるがままに受け止めればよかっただけなのに。
本末転倒も甚だしい、レンにヘタレって言われる訳だよ……。俺の不安は俺自身から来ているもので、涼月の不安は俺から来ている。一緒に作ってきてほとんど出来上がったパズルなのに、最後のピースを持つ俺が見当違いの所を見ている、そんな状態。
涼月の目の縁に溜まる涙を拭おうと伸ばした俺の手は、彼女に掴まれてぐいっと引き寄せられ……とんっと両手で突き飛ばされた。そして砂浜に仰向けで倒れ込んだ俺に、涼月が覆い被さってくる。
「分かってもらえないなら……分からせて……あげた方が、いいのでしょう、か……?」
押し倒された俺の上に跨り、膝で俺の腕を押さえこんだ涼月は、俺にそう告げた。人工の天空から降る光は彼女の表情に陰影を落とすが、上気した頬と潤んだ瞳だけははっきりと分かる。
「きゃぁっ!?」
艦娘が本気を出せば俺達人間はハムスターみたいなもので、抵抗など許されない力の差がある。だが涼月は勿論本気を出していないし、俺も体を動かす余地がある。押さえ込まれた膝の下で、俺は腕を折り畳むと膝裏から涼月を持ち上げて、今度は俺が押し倒し返す。
「分かってもらわないといけないのは……涼月、君の方だ。君が思うよりも、俺は君の事がーーーー」
下から伸びてきた両腕が俺の頭を引き寄せ、唇で塞がれた唇は、その続きを言う事を許してもらえなかった。
◇
「………………………………」
「………………………………」
貸切時間の終了間際、慌てて身支度を整えてプラネタリウムを後にした俺達は、無言のまま帰路に着く。お互いちらちらとお互いの顔を覗き見て、目が合うと慌てて逸らす、を何度繰り返したか。指を絡め手を握り合い歩いているけれど、微妙に歩く歩幅が合わず、二人の距離が近づいたり離れたりしている。
せっかくの呉鎮モールだが、あと数日で呉を出発するのは決まってるし、しばらく来る事はないだろう。少し見て行く? と水を向けた俺だが、消え入りそうな声で答えた涼月の様子に、それ以上の言葉を続けられなかった……。
「……カフェにだけ寄れたら……。そ、その…………今はちょっと……歩きにくい、というか……」
えっと……そこのソファに座って待ってて。俺が買ってくるよ。テイクアウトでいいかな?
◇
「いつも飲んでるけど、涼月は抹茶オレ本当に好きだよね。そんなに美味しいんだ?」
ようやく当たり障りのない話題を見つけて、何気なく涼月に聞いてみた。抹茶オレ自体は何度か飲んだ事もあり、味は知っている。でもそこまでハマるほど美味しいのかな、と少し興味があったのも確かで。
お互い右利き、今は其々の利き手にトールサイズのプラカップが握られ、繋いでいた手は離れているが、肩が触れるか触れないかの距離で寄り添いながら歩く帰り道。モールから鎮守府の本部棟へと続く遊歩道は暮れ落ちる夕陽に照らされ、全てがオレンジ色に染め上げられる時間帯。
俺の問いに対し涼月は、咥えていたストローを無言で唇から離す。すらっとしたバランスの良いスタイルの涼月は他の駆逐艦娘よりも背が高いが、それでも俺よりは低く、カップを俺の方に持ち上げるように差し出して来た。か、間接キ……などと慌てるのも今更だよな、と向けられたストローに口を付けようとして…………カップが遠ざかってゆく。
釣られるようにストローを追いかけ頭を下げた俺の唇に、入れ替わるように背伸びをした涼月の唇が重ねられた。
「……甘い、ですか?」
唇に手を当て、いたずらっぽく聞いてくる涼月に、くるりと背を向けてしまう。不意撃ち過ぎる……自分でも顔が真っ赤で頬が熱いのがよく分かる。
「行きましょう?」
「どこへ……?」
沈みゆく夕陽に照らされた涼月は穏やかな微笑みを浮かべ、カップを左手に持ち替えて右手を俺に差し出してきた。
「どこへでも……貴方の行く所が、私の帰る海、です……」
「そうだね……いつまでも一緒に……戦って生き抜こう」
差し出された右手を、俺の左手が絡め取り繋ぎ、ゆっくりと歩き出す。忘れ得ぬ呉での凪の日々はもう終わり、俺と涼月の旅立ちはもうすぐだ。
守られるべき民間人達を守るために、艦娘を戦場へ送り込まなければならない司令官と、戻れないかも知れない海で傷つきながら戦い続ける艦娘達。
だからこそーーーー新たな戦場と向きあおう。俺と涼月と……新たに加わる仲間と共に、涼月に帰る海があるように、全ての艦娘を帰るべき場所に帰り着かせる事を目指して。
(了)
足掛け二年半、途中三度の長期離脱を挟みながら続けてきたこの物語ですが、これにて一旦完結となります。今後は番外編の形で不定期にアフターストーリー的なのを投稿する可能性はありますが、現時点では何とも言えません。長らくお付き合いいただきまして、誠にありがとうございました。