《A.D.1989 07.25 カイロント平野西部の街、マビラ》
寝室兼リビングに鳴り響く目覚まし時計の雑音。
そしてそれを止めるスイッチを引っぱたく音。
彼の一日のルーチンはここから始まる。
寝ていたソファから降り、朝食を取ろうと食料品を収納している棚へ直行する。
安いボロアパートな為、構造に欠陥があるのか歩く度に床が軋んで嫌な音を立ててくる。
いつ突き破るか分からない床を歩き、棚からカップ麺を取り出す。
湯を沸かそうにもここにはコンロなんて完備されていないので窓を全開にし、キャンプ用のバーナーをテーブルに置いてそこに水を入れた鍋を置き、火を付けた。
火力が強いおかげで湯は直ぐに沸くが、その間彼はやたらと玄関の方を警戒していた。
彼はここの大家が家賃を急かしに来ないか見ていたのだ。
いつか払う、いつか払うと家賃の延滞を繰り返してきたが、もうじき限界がやって来るだろう。
「おっと」
ふと鍋の方に目をやると沸騰仕掛けていたので元栓を閉めてバーナーの火を消し、湯をカップに注ぎ込んだ。
後は蓋を閉めて三分待つのが普通なのだが、硬麺派の彼はなんと三十秒で蓋を開けた。
割り箸で麺を粗方解すと直ぐに啜り出した。
そしてあっという間に汁も飲み切り、空の容器を潰して割り箸と一緒にゴミ袋に突っ込むとテーブルに置かれていた腕時計を左腕に嵌めて時間を確認した。
彼はいつもここから結構離れた場所で仕事をしているのでこの時間帯には家を出ている。
急いでツナギに着替え、帽子を被って財布やら何やらとポケットに突っ込むと玄関を開けた。
「げっ……!」
「げっとはなんだげっとは」
いざ仕事に行こうとした矢先にこれである。
まさかこんなタイミングでここの大家と出くわすとは思いもしなかった彼は思わず驚きと落胆が口から零れてしまった。
「お前、何時になったら家賃払う気だぁ? リジールさんよ」
「ロイスナー、俺は今から仕事に行くんだ。 悪いがその話は後にしちゃくれねえか?」
苦笑いしつつ大家のロイスナーの脇を通り過ぎようとしたら案の定道を塞がれた。
「まさかまた一週間待ってくれとか言い出すんじゃねえよな?」
「一週間とは言わん、あと五日待ってくれ!」
「アホか!!」
ロイスナーから放たれた右フックを屈んで躱し、それから隙をついて手摺とロイスナーの僅かな隙間を走り抜けてアパートから脱出した。
その手際と言ったら見事なもので三階から掴まれる物全てに捕まりながら高速で下へと降りていった。
リジーナは毎回こんな感じで大家から逃れていたのだ。
右フックを見事に躱されたロイスナーは忌々しげにアパートから逃げ去るリジーナを見た。
「この空賊崩れのチンピラが……調子づきやがって……」
ロイスナーは朝日に照らされた男の背中を、ただ見据えていた。
彼を追い出さない辺り、ロイスナーにも情はあるのだろう。
「やっべぇ早く行かねえと遅れる!」
朝なのでまだ人通りの少ない大通りを自転車で走り抜けていく。
ここは自然豊かなので景色はいいのだが、そんなものを楽しんでいる暇はなく、襲いかかる夏の熱気に耐えながらひたすらペダルを漕ぐ。
彼の職場は飛行場。 そこで整備員として働いていた。
元空賊で戦闘機の整備の経験も一応あるので今はそこで働かせて貰っている身だ。
整備する機体はどれもこの街の警備部隊が使用する戦闘機か攻撃機しかない。
というかこの街には兵器以外の航空機は存在しないと言ってもいい。
ある程度飛行場が近付いてきた時、突如空から音が聞こえて来た。
彼にとっては聞き慣れた音だった。
音のした真上を見ると、低空を飛行していた単発機が頭上を通り過ぎていった。
しかもエンジンから煙が上がり、機体の制御もままならない状態のようだ。
オマケにその単発機が向かっていた方向には彼の職場である飛行場があった。
「おいおい、こりゃ本当に急がねえと!」
飛行場に着くと開いていたゲートを走り抜けて黒煙が上がっていた滑走路へと全速力で向かった。
不時着した戦闘機は漏れ出した燃料に引火したらしく、燃え上がっており、それを他の整備員が消火器で消火を試みていた。
現場に着くと自転車を半ば放るように飛び降り、機体を包む炎にも怯まず飛び込んだ。
「何やってんだ!人がいるじゃねえか!!」
炎に焼かれながらコックピットにいたパイロットのシートベルトを外し、パイロットを出すとまた炎を掻い潜って出て来た。
キャノピーが開いていたのは幸いだった。
閉まっていればパイロットは助からなかっただろう。
「早く医務室に運べ!」
担架を持ってきた整備員にそう言って担架に乗せて医務室へと向かわせた。
火も何とか消防車が来て消火は完了した。
運ばれていく燃えカスと化した戦闘機を見ながら先程助けたパイロットの事を考えた。
あのパイロットは女性だった。
顔つき等から見てアジア人に近かった。
黒のボブカットに飛行帽、そして飛行服ではなく赤い服を身に付けていた。
「女性パイロットだなんて、今時の空賊とかじゃ珍しいもんでもないか」
ポツリと呟きながらリジーナも格納庫の方へと自転車を回収しつつ向かった。