アンダードッグは彼女の横で   作:島流しの民

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犬種はシベリアンハスキーが好きです。


Scene11 : 私の知らない貴女の横顔

 感動系の恋愛映画の出来はそこそこ良かった。全米が泣いたとまではいかないが、そこそこに自信ありげなキャッチコピーの通り、ラストシーンでは不覚ながら少しだけウルっと来てしまった。

 夜凪さんはあまり感情移入出来なかったのか、ぼんやりとした瞳でモニターを見つめ続けていた。毒々しい光によって浮かび上がった彼女の横顔は、とても朧げで、まるで霧中に滲みながらも鮮やかに咲く街灯の光のようだった。

 

「いい話だったねー」

「うーん……いい話だったけれど、やっぱり登場人物の心情があまりわからなかったわ」

 

 シアターから出て、チケット売り場のある広場まで戻っている途中。どうやら夜凪さんは劇中の男女の愛が理解出来なかったらしく、しきりに首を捻っている。

 

「何がわからなかったの?」

「……例えば、映画のラストシーンの、主人公が病気のヒロインのために自分の臓器をドナーとして提供しようとするシーン、なんで彼は彼女のためにああまで出来るの?」

 

 私達が観た映画は、所謂「ベタベタ」な感動ストーリーものだった。

 主人公とヒロインが恋に落ち、様々な試練を乗り越えて愛を育んでいくが、実はヒロインは大病を患っており、それが後半から悪化していく。最期は寝たきりになってしまった彼女を助けるために、主人公は自分の臓器をドナーとして提供しようとするが、彼女に断られる。結局彼女は死に、残された主人公が医者になって彼女が患っていた大病を治す薬を発明する。

 細かいキャラクターの設定などを挙げていけばキリがないが、端的に説明をすればこんな感じである。

 夜凪さんはこの映画のラストシーン間際、主人公が彼女のために自分を犠牲にしようとしたシーンで疑問を感じたらしい。

 

「それは、彼が彼女を愛していたからじゃないの?」

「まだ会って数ヶ月なのに、自分の命すらも差し出せるほどに彼女を愛していたの?」

「……一目惚れとか?」

「だとしたら、自分の命を犠牲にするなんて馬鹿馬鹿しい話だわ。自分が死んだら、彼女が生きていたってなんの意味も無いもの」

「そんなことないよ。彼女は主人公のことをずっと覚えてくれるだろうしさ」

「覚えてくれたって意味ないわ。彼女の隣にいないなら、記憶なんて塵芥に等しいものだもの」

 

 彼女の持論に反論しようとしたが、よく考えたら私があの映画を擁護する必要は無い。私はそうだねと頷いて、映画館を出た。

 

「じゃあ、服屋に行こうか」

「いいわね! ぜひ一緒に服を選びましょう!」

「うん。夜凪さんスタイルいいから、カッコイイ系の服とか似合いそう」

 

 下りのエスカレーターに乗る。夜凪さんは私より一段下に乗ったため、今の時間だけは私の方が高い世界を見ていることになる。

 眼前にある彼女の旋毛をぼんやりと眺めながら、そういえば百城千世子のメッセージに返信していなかったなと思い出す。

 何か言っておいた方がいいのだろうか。

 

「…………」

 

 いや、別にいいだろう。帰ってからなにか返信しよう。

 

 再び夜凪さんの旋毛に視線を向ける。彼女は今、私よりも下の世界にいる。彼女には見えないものだって、私には見える。彼女ができないことだって、私には出来る。

 

 エスカレーターの段差が平らになっていく。もう下の階に着いたようだ。夜凪さんがぴょんと小さく前に跳んで、しっかりとした地面に着地した。次いで私もエスカレーターを降りた。

 先程までの立場は逆転し、私は夜凪さんを見上げなくてはならなくなった。

 私と目線を合わさるために、夜凪さんが小さく見下げてくる。彼女は普通に私を見つめているだけなのだろうが、見られている方からすると、その瞳にはどこか私を見下している色のようなものが見えているような気がしてくる。

 

 百城千世子も、私のことをこんな風に見つめているのだろうか? 

 

 

「……くだらないな」

 

 口の中でその言葉を転がし、飲み込んだ。

 せっかく夜凪さんと一緒にいるのだ。楽しいことに専念しよう。

 私は頭の中の考えを振り払い、目の前を歩く夜凪さんを追った。

 

 

 ▼

 

 

「犬山さん、こんなのはどう?」

「今すぐ返してきて」

「…………」

 

 結論から言うと、夜凪さんとの服屋ショッピングは難儀を極めた。

 まず彼女、絶望的に服のセンスがない。いや、むしろ前衛的とも言えるほどだ。

 とにかく誰が何の目的で誰のために作ったのか皆目見当がつかないような摩訶不思議なシャツをどこからか見つけて来ては、爛々と目を輝かせながらこちらに持ってくる。その度に私は返してきてとお願いし、夜凪さんは悲しそうな瞳をこちらに寄越しながらシャツを返しに歩いていく。

 これは私が悪いのだろうか? 

 

「犬山さん! このシャツはどう!?」

「夜凪さん。私が服選ぶから、夜凪さんは待っててね? あとそのシャツは返してきて」

「…………」

 

 ……多分私が悪いんだろう。

 

 

 ▼

 

 

「似合ってるよ! すっごい似合ってる!」

「そ、そうかしら……なんだか落ち着かないわ」

 

 試着室のカーテンの向こうには、恥ずかしそうに俯きながら自分の服を見つめている夜凪さんがいる。

 私が選んだコーディネートは、黒のレザージャケットに麻の白シャツ。下は濃い青のリップドジーンズである。かなり簡単なファッションだが、シンプルなりの格好良さが滲み出ている。特に、夜凪さんはスタイルがよく脚が長いので、少々破けたジーンズと相俟って妖しげな色気が溢れ出ている。

 しかしそんな格好良さを一気に可愛さへと変えているのが、恥ずかしそうにしている夜凪さんの表情である。どうやら破れているジーンズが恥ずかしいらしく、しきりに手で隠そうとしている。

 同性の私でさえその可愛さにクラクラしているのだ、男が見ればまず間違いなく惚れるだろう。

 

 パシャパシャと写真を撮っていると、恥ずかしがった夜凪さんが試着室のカーテンを閉めてしまった。似合っていたのだが、もったいない。

 

「やっぱり私はこのシャツがいいわ」

「もったいないなぁ、似合ってたのに」

 

 数十分後、またどこから見つけてきたかわからないシャツを片手に夜凪さんは満足気な表情を浮かべていた。

 これを買うわとレジに向かっていく夜凪さんについて行きながら、ふと彼女の私服が気になった。

 

「夜凪さんって、普段どんな服着てるの?」

「どんな服って……こんな服?」

「え、こういうの毎日着てるの?」

「こういうのってどういうの……?」

 

 虹色の吐瀉物を吐く蛙とか、熊のイラストが載ってあるシャツのことである。

 どうやら夜凪さん、こういった前衛的なシャツを私服にしているらしい。天才はどこか抜けていると聞くが、それは本当らしい。まあ、夜凪さんは何を着ても似合うのだが。

 

「あ、けどこの前皆にサインしてもらってすっごくオシャレになった服があるの!」

「サインしてもらってオシャレになった?」

 

 唐突に、彼女はそんなことを言い出した。

 そしてポケットから携帯を取り出して、これ! という言葉と共に私に突きつけてくる。

 

「『デスアイランド』の打ち上げでね、皆が書いてくれたの!」

「…………へぇ」

 

 携帯の中では、今着ている服と同じようなものを着た夜凪さんがこちらに向けてピースをしている。

 しかし唯一違うところは、彼女のシャツに様々なサインが書かれているというところだ。

 だが、そのような有象無象の文字の塊は私の目には入ってこない。

 

「…………ほんと、すごいね」

 

 息が止まる。視界の端がぼんやりと滲んでいく。

 

 私の視線は、写真の一部分でピタリと止まって動かない。

 彼女のシャツの胸元に大きく書かれた、百城千世子のサイン。

 

「…………」

 

 何も喋れない。喋りたくない。

 

 多分、百城千世子にとって、夜凪さんはヒーロー(主人公)みたいなものなんだろう。

 誰も暴いてくれなかった、ずっと独りで背負っていた仮面を、打ち砕いてくれるであろうヒーロー。自分に新しい世界を見せてくれる唯一の存在。

 そこに私はいない。私にだってその資格はあったはずだ。彼女の仮面を誰よりも知っているのは私なんだから。彼女の仮面を剥がすのは、私の役目だと思っていたから。

 だが実際には、私の居場所はそこにはない。

 逃げ出した私の代わりに、百城千世子は夜凪さんを選んだのだ。

 

「……ちょことは、仲良くなった?」

 

 苦し紛れに尋ねる。

 何も話したくない。喋りたくもない。けど、夜凪さんにこの心情を気付かれたくない。

 仮面を被っているのはどちらだ。

 百城千世子の美しい仮面とは違う、汚く醜い仮面。

 

 夜凪さんは笑顔で答えた。

 

「ええ! とても仲良くなったわ!」

「そう、それは、よかった」

 

 声が掠れているような気がする。いや、私の耳がぼんやりとしているだけか。

 夜凪さんの声が聞き取り辛い。

 

「千世子ちゃん、クールだけど、ホントは誰よりも熱心でひたむきに演技について考えてるの! 台風で撮影できないかもってなった時も──」

 

 

 知っている。彼女は小さい頃からそうだった。誰にも悟られないように、誰よりも必死に練習をして、誰からも認められるような人間になっていったんだ。知っている。小さい頃から知っている。

 

 

「けどね、ちょっとおちゃめな部分もあって! 私が撮影の時に緊張してた時に、わざと冗談を言って和ませてくれたり──」

 

 

 知っている。彼女は何時でも他人のことを考えている。私のことを考えて、私のために行動して。

 彼女の中心に存在しているのは自分自身ではない。大衆、即ち自分以外の誰かなのだ。ただ、周りから誤解されやすいだけの、少女なのだ。

 知っている。私は知っている。私が知っている。

 

 

「けどやっぱり怒ると怖いの……私がうっかり失言しちゃった時、静かな瞳でこちらを見ていたの。その時、ホントに怖くて……」

 

 

 知っている。彼女は天使でもなんでもない、少女なのだ。心無いことを言われると怒るし、なんでもない事で笑う、一人の女の子なのだ。ただ、周りからの期待と畏敬の眼差しを背負っているだけ。

 知っている。全て知っている。私は彼女の幼馴染なんだから。私が知っている。私は百城千世子のことを誰よりも理解している存在なんだ。私は彼女の全てを理解しているんだ。

 同期の役者よりも、星アリサさんよりも、夜凪さんよりも、誰よりも、誰よりも。

 

 

 

 

 

「けどね、映画のラストシーンで、初めて彼女の仮面の下の素顔を見れた気がするの! あの時の彼女の横顔、映像で見たけど、本当に綺麗だったわ!」

「………………え?」

 

 

 

 

 ──それは、知らない。

 

 

 息が止まった。ぼんやりと耳鳴りがする。

 

 

『覚えてくれたって意味ないわ。彼女の隣にいないなら、記憶なんて塵芥に等しいものだもの』

 

 

 先ほどの、夜凪さんの言葉がサイレンのように頭の中で鳴り響く。

 ずっと彼女の後ろにいた私のことを、百城千世子は覚えているだろうか? 

 

 

『なつくってどういうこと?』

『絆を結ぶということだよ』

『一番大切なことは、目に見えない。君の薔薇をかけがえのないものにしたのは、君が、薔薇のために費やした時間だったんだ』

 

 

 私にとっての唯一の薔薇。世界で一輪の花。百城千世子。

 私にとって、彼女はなくてはならない存在だ。かけがえのないものなんだ。

 

 なら、彼女にとって私の存在は? 

 

 

「百城千世子の……横顔……」

 

 

 私が今まで見て来た彼女の顔は、どんなものだったのだろう。

 何時もの仮面越しに見える、うっすらとした表情のみだったのではないだろうか。

 

 私の知らない彼女の横顔。

 それを向けられたのは、(脇役)ではなかった。

 

 

 もしも私が女優をしたのならば、彼女はその表情をこちらに向けてくれるのだろうか? 

 

 

 どくんと、心臓が大きく跳ねた。

 




だんだんと話が進んでいきます。ちなみに柴犬も大好きです。
評価感想お気に入りよろしくお願いします。

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