Q.これからの人生に柊雪が出てこないってマ?
A.マ。
「──私がもう一回役者やりたいって言ったら、どう思う?」
さざめいていた人々の声が消えた。私がそのことに驚いたのは、それらの声がすぅっと引くように消えていったのではなく、急にぱっと聞こえなくなったからであった。
夜凪さんがこちらを見ている。その瞳からは何も読めない。
暫くの間、静寂が続く。やがて人々の声がぽつりぽつりと聞こえ始めたころ、それを見計らっていたかのように夜凪さんが口を開いた。
「もう一回、役者を?」
一文字一文字噛み締めるかのようなその復唱に、私は小さく頷いた。
「そう、役者を」
「どう思うって、どういうことなの?」
ゆっくりと、まるで地べたに這いつくばり何処かに埋められた地雷を探し回る軍人のような慎重さで、夜凪さんは尋ねた。
「……変じゃないかなって」
その言葉は、正しくない。
私は知っているからだ。夜凪さんがそんな酷いことを言うような人間ではないことを。
否定されないことを知っていながらも、あえて聞いてしまう。何て弱い人間だ。
「別に、変じゃないと思うわ」
私の予想通りの言葉が返ってくる。
だが私はそれに頷くことなく、自嘲気味に笑みを漏らした。
「夜凪さんは変じゃないって思うかもしれないけど、周りはどうかわからないよ。私なんかがまた演技始めたところでって、言われるかもしれない」
自分の言葉に吐き気を催す。
私はただ、逃げ道を作りたいだけなのだ。
再び役者を始めて、失敗した時、ほれみろと自分で自分を嘲笑う準備をしているだけなのだ。
ほれみろ、やっぱり無理だったじゃないか。
やっぱり、私には才能なんてなかったんだ。なかったから売れなかったんだ。
そう言いたいだけなんだ。
自信満々に役者を再開出来るほど自惚れてはいないが、かといって役者がやりたくないわけではない。
なんていう道化。醜い足掻き。
いっそのこと、否定してくれ。私に役者なんて無理だと、正面から言ってほしい。
しかし夜凪さんはそんなことを言ったりなんかしない。彼女はどこまでも優しくて、どこまでも残酷だからだ。
「周りなんて、関係ないわ!」
語尾を強め放たれたその言葉に、私はぼんやりと頷いた。何故頷いたのかは自分でもわからなかった。何だか自分が滑稽に思えて、顔が熱くなってきた。
「犬山さんがやりたいと思ったのなら、周りが何て言おうったって関係ないじゃない。犬山さんは自分を貫いていればいいのよ」
「…………」
紡がれる言葉は、私にとってずしりと重いもの。
私がやりたいからする。
その言葉の責任は、私に返ってくる。もし私が役者を再び始め、それが失敗した時、周りの人間は私のことを馬鹿にするだろう。そしてその罵倒を防ぐ盾は私にはない。
私がやりたいと願ったのだから、しただけ。そしてそれが失敗しただけ。全て悪いのは私自身。
それに気が付かない夜凪さんは、にっこりと笑った。
「それに、犬山さんのことを悪く言う人たちがいたら、私が言い返してあげるから」
「……ありがとう」
かろうじて礼を述べることは出来たが、自分の声かと疑ってしまうほどに掠れていた。
だがそれとは反対に、私の心の中の欲望は水を吸ったスポンジのように重く、どしりと心臓の上に鎮座していた。
もう一度、役者をやろう。
私は静かにそう決めた。
▼
「今日はありがとうね、色々」
『ううん、私こそありがとう。とっても楽しかったわ』
耳に当てた携帯電話から、実際に聞くよりも若干低い夜凪さんの声が流れ込んでくる。
あの後、無事様々な服屋を冷やかした私たちは、数着の服を購入し帰宅した。夜凪さんも何着かTシャツを買っていた。個性的なデザインだったことは言うまでもないだろう。
よほど嬉しかったのか、夜凪さんは今日買った服を試着した画像を先ほど送ってきていた。当たり前だが似合っていた。
「明日は学校来るの?」
「ううん、明日はちょっと予定があって、行けないの」
「へぇ、演技の練習とか?」
「いや、千世子ちゃんとデートするの」
「……ふぅん」
いきなり耳に飛び込んできたその言葉に、危うくせき込みそうになるが、何とか我慢して相槌を打っておく。何だか自分が思っていたよりも低い声が出てしまったせいで、威嚇しているような声音になってしまった。
しかし夜凪さんは私の声の変化に気づいていなかったのか、明るい口調で明日の予定のことを話しこんでいる。
そういえば、百城千世子に返信しておかなければ。ふと、そんなことを思い出した。
「明日、頑張ってね。そろそろ切るね」
「あ、うん。ありがとう……それと、犬山さん」
「うん? どうしたの?」
「……今日の話のこと、応援してるから」
今日の話。それはもちろん、私が再び役者をやると言ったことだろう。ゆったりとした、それでも力強い夜凪さんの声に、焦燥していた私の心が落ち着いていく。
「……ありがとう」
「私こそ、ありがとうね。じゃ、バイバイ」
軽い音が鳴り、通話が切断される。私はしばらく数十分ほど通話したのだという会話の履歴をぼんやりと眺めながら、百城千世子のメッセージについて考えていた。
「……電話するか」
メッセージで何かをタイプするより、口で直接伝えた方が早い。
私は百城千世子のメッセージ画面を開き、緊張で微かに痙攣する指で通話ボタンを押した。
ぷるるる、ぷるるる。
電子音が鳴り響く。聊か冷たいとも思えるコールが四回鳴った後、百城千世子が通話に出た。
『もしもし、千景ちゃん?』
懐かしい幼馴染の声に、私は心が癒されていく思いがした。
「もしもし、今大丈夫?」
『大丈夫だよ。ちょっと待っててね』
通話口からごそごそと音が聞こえてくる。どうやら場所を変えているらしい。
暫くしてドアが開く音がした。どうやら一人になれる場所に来たらしい。
『お待たせ。大丈夫だったの? ちょっと前から返事なかったけど』
「うん、ごめんね、ちょっと忙しかったから」
『そうなんだ、それで、今日はどうしたの?』
「……」
百城千世子に、再び役者をやると伝える。
簡単だと思っていた報告が、何だか難しい。気恥ずかしさやらがどっと襲ってきて、私の口を縫い付けてしまった。
黙り込んだ私に何かを察したのか、百城千世子が言葉を継いだ。
『あ、そういえば私、明日夜凪さんと一緒にデートに行くんだ』
「……ああ、そういえばそんなこと言ってたね」
『夜凪さんが?』
「そう」
『夜凪さんと連絡取ってるんだ』
「うん。ていうか、今日一緒に遊びに行ってたからね」
沈黙。
私の言葉に、百城千世子は少しの間黙り込んだ。
気まずさが電波となり私の耳の中に入り始めたころ、ぼそりと百城千世子が呟いた。
『……聞いてないな』
「ちょこ?」
『……ん、いや、なんでもない。ワンちゃんもデートしてたんだ。どうだったの?』
「楽しかったよ。色々と夜凪さんのこと知れたし」
『……ふーん』
「夜凪さん私服がすごい独特でさ、見ててすっごい面白かったんだー。それでも似合ってるんだから、美人はいいよね」
『…………』
「……ちょこ?」
私の問いかけに対しても、百城千世子が返事をすることはない。
数秒後、何かしらの気まずさを覚えた私がテレビをつけた瞬間、彼女の声が耳に飛び込んできた。
『随分と、夜凪さんと仲良くなったんだね』
「ん? うーん、そうだね。まあ夜凪さん、あんまり壁作る人じゃなかったからさ」
『まあ、それはそうだね。それで、結局電話してきた理由は何だったの?』
何だか強引に話を戻されたような気がしなくもないが、いずれかはこうなることだった。
私は静かに息を吐きだして、緊張で声が震えぬように意識しながら口を開いた。
「実はさ……私、もう一度役者、やろうと思ってるんだ」
『…………そうなんだ』
私の一世一代の大報告を聞いてなお、百城千世子の反応は薄かった。自惚れていたわけではないが、もっと大喜びすると思っていたので、若干の恥ずかしさが残る。
熱くなってきた頬を誤魔化すために咳ばらいをする。
「一応、ちょこには伝えておいた方がいいかなって思って」
『うん、そうだね。ありがとう』
「だからこれからは同業者となるわけだから──」
一緒に頑張ろうね。その言葉が言えなかった。果たして私が頑張ったところで、彼女に追いつけるのだろうか。そんな詮無い考えが頭の中をよぎって、結局私が口にした言葉は、「よろしくね」というなんとも簡素なものだった。
『あ、そうだ。じゃあアリサさんに話しといた方がいい? 多分私が言えばもう一回雇ってくれると思うけど』
「うーん、そのお誘いはありがたいんだけど……やめとこうかな」
『自分からスターズのオーディション受ける感じ?』
「いや、私、スターズには入らないつもりなの」
『……え?』
素っ頓狂な声が耳元で響く。素の百城千世子の声を聞いたのは、何だか久しぶりな気がした。
百城千世子は何か考え込んでいるのか、黙り込んでしまった。
「もう一回スターズに入ったら、コネだと思われちゃうからさ。だから、違うところで頑張ろうと思ってる」
もちろんこれは言い訳だ。
もし再びスターズに入れば、否が応でも比べられてしまうから。かつて百城千世子の二番煎じと馬鹿にされた役者が戻ってきたところで、辿り着く場所は同じなのだ。
それに、同じ事務所なら、彼女の活躍を間近で見なければならない。それは、今の私には耐えられないことのように思えてしまった。
百城千世子の控えめな声が聞こえてくる。
『……もう、どの事務所に入るとか、決まってるの?』
「ううん、まだ。けど、目星はつけてる。明日にでもお願いしに行くつもり」
『……ねえ千景ちゃん』
「うん?」
『千景ちゃんがもう一度役者をやるのってさ……』
「……」
『…………』
続く言葉はない。
沈黙が滲み、その輪郭がぼやけて消えたころ、百城千世子は小さな声で何でもないと呟いた。私はわかったと応えた。
「じゃあ、そろそろ切るね」
『うん、私も、そろそろ用事があるから、じゃあね』
「また今度、遊ぼう」
『ふふ、今度会うときはお互いライバルかもしれないね』
そんなことは起きるはずないだろうと思ったが、楽しそうな百城千世子の手前、否定するわけにもいかないので曖昧に笑っておいた。そんな自分に腹が立った。
「じゃあ、バイバイ」
『うん。バイバイ』
通話を切る。部屋の隅っこへ追いやられていた静寂が俄かに勢いを増して部屋の中央に吹き荒れる。
私はベッドに寝転がり、ぼんやりと天井を眺めた。
「役者……か」
まだ事務所に入れるかどうかもわかっていないが、漠然とした不安が胸に募る。
だが、もし入れたとしたら──
「今度は、頑張ろう」
ぴたりと閉じられたカーテンを見ながら、私の意識は朦朧としていく。
私は落ちてくる瞼に逆らうことなく、意識を手放した。
書き溜め自体は後数話分あるんですけど、投稿するのが面倒くさくてサボっちゃってます。
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