アンダードッグは彼女の横で   作:島流しの民

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遅れました(大遅刻)
今回は百城千世子視点の番外編みたいな感じです。百城千世子がどんなことを考えているのかが全くわからなくて難産でした。


【幕愛】真っ赤な空を見ただろうか

 

 

 思えば、私たちの年齢が二桁にも満たないころからの付き合いにも関わらず、私は彼女の横顔を見たことがなかった。

 犬山千景。それが彼女の名前だった。初めてその名前を聞いた時、とても美しい名前だと思った。

 肩甲骨辺りまで伸ばされた、直ぐな薄墨色の髪の毛は、手入れをしている様子を見たことがないにも関わらず美しく、見ているだけで魂を抜かれそうになるほどのもの。手櫛をしても引っかかることのないほどに細かく柔らかい絹のような髪の毛は、少々ウェーブのかかった髪質の私からすれば羨ましいものだった。

 あまり感情を表に出さない彼女は、仏頂面で、だからこそ周りから誤解されやすい人間だった。もちろん無表情というわけではないが、いつも眠たげな瞳をしているので、不機嫌だと思われやすいのだった。

 私よりも頭一つ分背が高い彼女は、凛としているので可愛らしいというよりかは綺麗、中性的な見た目をしている少女だ。しかし話してみるととてもユニークで面白い性格をしているので、そんな彼女の性格が好きな私との関係も今までなんだかんだありつつも上手くやれている……そんなように思っていた。

 

 思っていた。

 

 

 数日前からメッセージを送っても彼女の返事が来ず、頭の隅で彼女のことを考えながら映画の撮影を行っていた。

 ありのままの自分を演じる夜凪さんと共に撮影した映画は、ボロボロの出来だったが、案外楽しいものではあった。

 

 そしてその撮影が終わり数日後、次の仕事のスケジュールを確認しながら我が家の虫たちのお世話をしていると、彼女から電話があった。

 

『もしもし、今大丈夫?』

 

 久しぶりに聞いた幼馴染の声は、通話越しということもあって、何だか新鮮に感じた。

 大衆のための仮面(百城千世子)を被り続けている私ではあるが、もちろん幼馴染の前ではそんな面倒なことはしない。私は虫の世話を一時中断して、リビングに戻った。

 

「お待たせ。大丈夫だったの? ちょっと前から返事なかったけど」

『うん、ごめんね、ちょっと忙しかったから』

「そうなんだ、それで、今日はどうしたの?」

 

 私の質問に対し、帰ってきたのは沈黙のみ。

 どうやら言いにくい話題らしい。

 しかし何時までも待っているわけにもいかない。何か言いたいことがあったのなら後で言ってくれるだろうということで、私は違う話をすることにした。

 

 自慢ではないが、私の幼馴染である千景ちゃんは私のことが大好きだ。

 

 幼いころから、彼女の横顔を見たことがない。

 勿論彼女が私に横顔を見せないほどに私を警戒しているというわけではないし、私が彼女のことを嫌っていて顔を全く見ないというわけでもない。

 

 私が彼女の横顔を見たことがない理由、それはとってもシンプル。

 彼女が私から目を離さなかったからだ。

 ずっと、いつ私が彼女の顔を見ても、ばっちりと目が合った。聊か怖くなってしまうほどに、彼女は私を見ていた。

 勿論私だっていつも彼女の顔を見ようとしていたわけではないし、時には仕事で忙しく彼女に会えない日々が数日続いたことだってあった。

 だが会えた時、ふとした瞬間に彼女の横顔を盗み見ようとしたときなどは、必ず彼女の眠たげな目に捉えられていた。

 そんな時は、その眠たげな瞳の奥にちらちらと見える何かに、背筋がぞおっとするのだった。しかし同時に、私に向けられているその瞳が苦しいほど愛おしくも思えるのだった。

 

 勿論私も彼女のことは大好きだ。かつては同業者として鎬を削っていたし、役者を辞めた今も良き友としてかなりの頻度で交流している。

 

 私は彼女の横顔を見たことがない。だが、それはそれでよかった。彼女の顔を、瞳を、その睫毛を微かに隠す前髪を見ていると、そんなことはどうでもいいと思えていた。彼女の瞳が私を捉えているという事実が、狂おしいほど嬉しかった。

 

 彼女は私のことが好き。これは疑いようのないことだった。事実、彼女は私に隠し事なんてしたことはなかった。悩みも、痛みも、喜びも、全て分かち合ってくれた。

 だからこそ、彼女が言いづらそうにしているからといって、それを急かす理由なんてなかったのだ。話しているうちに、自分から言ってくれるだろうという、信頼の現れだったからだ。

 

 何故なら、彼女は私しか見ていないのだから。

 

 

 

 

 ──しかし、それが間違いだということに、私は気づかされた。

 

 

『ていうか、今日一緒に遊びに行ってたからね』

 

 世間話にと話題に出した夜凪さんの話。彼女は夜凪さんと同じクラスだったので話しやすいかと思って口に出したこの話題だったが、その言葉を聞いた瞬間、私は思わず目をぱちくりさせてしまった。

 

 眠たげな瞳であまり感情を出さない千景ちゃんだが、特に人見知りをするタイプではないので知り合いくらいにはなっていると思っていたのだが、まさかここまで仲良くなっているとは思っていなかった。

 

 この感情は何なのだろうか。

 まるで快晴だった青空にいきなり暗雲が立ち込めて来たかのような、ほの暗い憂鬱は。

 顔に浮かんでいた笑みが消えていくのを、まるで他人事のように感じていた。部屋の隅に置かれた鏡台に映る自分が、何だか自分のように思えない。

 

「聞いてないな……」

 

 そんな言葉が口から転び出ていた。

 不審に思ったのか、千景ちゃんが私の名前を呼ぶ。私は心の中にかかった靄のような感情を振り払い、無理やり明るい声を喉から捻りだした。

 

「デート、どうだった?」

『楽しかったよ。色々と──』

 

 続く言葉が耳に入ってこない。

 ぎり。気づけば携帯を強く握っていた。赤くなった指先が諧謔的にこちらを見つめていた。

 この惨めで哀れな感情は何なのだろうか。それはわからない。

 

 ──だが、忘れてたまるものか。

 

 頬が吊り上がっていく。気が付けば、私は笑っていた。

 哂っていた。

 

 誰を、何に、なんてことはわからない。だが、確かに笑っていた。

 

『……ちょこ?』

 

 何も答えなくなった私に不安を抱いたのか、彼女が細い声を出す。

 何かを言おうと思い口を開くが、まるで言葉が意思を持ったかのように、口元から外に出ようとはしない。ふと、通話口の向こうで何やら騒がしい音が聞こえ始めた。どうやらテレビをつけたらしい。私はその雑音に紛れさせるように、ぼそりと呟いた。

 

「随分と、夜凪さんと仲良くなったんだね」

『ん? うーん、そうだね。まあ夜凪さん、あんまり壁作る人じゃなかったからさ』

 

 ぼんやりと、夜凪さんとデートをしている千景ちゃんの姿を頭の中に思い浮かべる。

 

 

 そこには、満面の笑みを浮かべた彼女の横顔があった。

 その瞬間、私を何よりもまず衝撃が襲った。

 彼女のその横顔が──十数年も見続けて来た彼女の、初めて見る横顔が──あまりにも美しかったから。

 思わず見惚れていた。私は、この横顔を今まで見逃していたのか。そんな衝撃が私を襲った。

 

 しかし、私は、彼女の初めての顔を見れた喜びよりも、その顔を引き出したのが私ではなく、夜凪さんだったことが少しだけ引っかかった。

 

 なんてことない、ちょっとした感情の変動。それが私にとって何よりも大きなものに思えた。

 何故か心が苦しい。そこに立っているのが私でないことが、こんなにも痛い。けれども、もし私が夜凪さんの立っている場所に立っていたとしたら、私は千景ちゃんの横顔は見れないのだろう。いつものように、その端正な顔をまっすぐ見ることしか叶わないからだ。

 

「まあ、それはそうだね。それで、結局電話してきた理由は何だったの?」

 

 なんだが私は感情を抑えることが出来ず、聊かぶっきらぼうに言葉を繋いだ。この話をあまり聞いていたいとは思えなかった。

 すると、電話越しの彼女は少しの間黙り込んだ。窓の外に見える夕陽は恐ろしくなるくらいに真っ赤だった。

 雲一つない空にぽっかりと浮かぶ真っ赤な太陽は、ともすれば中空に開けられた穴のようにも見える。私はぼんやりと、地球すらちっぽけに思えるほどの大きさのコルク抜きが、ぐるりぐるりと地球のオゾン層に穴を開けている場面を想像した。

 

(あんなに真っ赤な夕焼け空だから、明日は晴れだろうな)

 

 片耳で彼女を待ちながら、そんなことを考える。

 すると、小さな声が聞こえて来た。

 

『実はさ……私、もう一度役者、やろうと思ってるんだ』

「…………そうなんだ」

 

 それは私にとって衝撃的な告白だったにも関わらず、私の口から出て来たのは淡泊な返事のみだった。

 それは、私が心の隅っこでは微かに理解していたからなのかもしれない。

 いずれは、彼女が再び役者をやるということを。そしてそれを、私に伝えてくることを。

 

『一応、ちょこには伝えておいた方がいいかなって思って』

「うん、そうだね。ありがとう」

『だからこれからは同業者となるわけだから──』

 

 一拍置いて、彼女は『よろしくね』と続けた。

 いくら淡泊な返事をしたからといって、嬉しくないかと問われるとそうではない。それはそうだ、私の愛する幼馴染が再び役者をやるというのだから。私は弾む心のまま、彼女に尋ねた。

 

「あ、そうだ。じゃあアリサさんに話しといた方がいい? 多分私が言えばもう一回雇ってくれると思うけど」

『うーん、そのお誘いはありがたいんだけど……やめとこうかな』

 

 申し訳なさそうに、彼女は言う。自力で入らないということに、罪悪感を感じているのだろう。

 私はそんな幼馴染の姿に微笑みを滲ませ、頭の中で彼女と一緒に出社している自分を描いてみた。

 それは、とてもとても楽しいものだった。

 

「自分からスターズのオーディションに受ける感じ?」

『いや、私、スターズには入らないつもりなの』

「……え?」

 

 しかし、その妄想は、一瞬のうちに砕かれた。

 その言葉に、私は自分を取り繕うことも忘れ、素っ頓狂な声をあげてしまう。

 スターズには入らない。その言葉が、ずしりと私の心の上に置かれた。

 

『もう一回スターズに入ったら、コネだと思われちゃうからさ。だから、違うところで頑張ろうと思ってる』

 

 その言葉に、そんなことはないよと言いそうになるが、慌ててその言葉を押さえ込む。

 多分、彼女は何か考えがあってスターズに入らないつもりなのだろう。ならば、私が引き下がっては彼女を困らせてしまうだけだ。

 言葉を失くした口先が作り出したのは、大して興味もない質問だった。

 

「……もう、どの事務所に入るとか、決まってるの?」

『ううん、まだ。けど、目星はつけてる。明日にでもお願いしに行くつもり』

「……ねえ千景ちゃん」

 

 ぼんやりと、上手く働かない頭を抱えたまま、口を動かす。

 

『うん?』

「千景ちゃんがもう一度役者をやるのってさ……」

 

 沈黙。

 静寂。

 箝口。

 緘口。

 

 何も言えない。

 

「誰のため?」そんな簡単な一言が口から出てこない。

 私は諦め、なんでもないと言葉を濁した。

 

『じゃあ、そろそろ切るね』

「うん、私も、そろそろ用事があるから、じゃあね」

『また今度、遊ぼう』

「ふふ、今度会うときはお互いライバルかもしれないね」

 

 適当に言葉を繋いでいくが、私の心は既にこの会話に存在していない。

 少し会話を交わして、通話を切る。彼女のアイコンに設定されている画像を見つめながら、私は目を閉じた。瞼の裏に、先ほど見つめた太陽の赤さが残っている。

 

 

 夕焼け空だから、明日は晴れ。

 月が滲んでるから、明日は雨。

 

 

 手の届かない天気についてはよくわかるのに、手の届く彼女の気持ち一つわからない。

 

 目を開くと、赤い太陽が未だにこちらを向いている。その赤さがどこか虚ろに思えて、私は忌々し気に電気を点けた。

 

 私の愛おしい幼馴染は、果たして今、私と同じ景色を見ているのだろうか。見ているのならば、教えてほしい。貴女が何を考えているのかを。

 そんな詮無い疑問を振り払うように、私はカーテンを閉めた。黒々とした感情が心の中で渦巻いていた。

 




自分で書いててなんか違うなぁと首を傾げております。

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