「何の用だ」
只今、スタジオ大黒天。
百城千世子との通話を経た私は、思い立ったが吉日スタイルでスタジオ大黒天へと赴いていた。まあ、翌日ではあるが。
目の前には、スタジオ大黒天の代表である黒山墨字が椅子に座りながらこちらを睨みつけている。遠くから柊さんが心配そうな視線をこちらに投げかけていた。
「率直に言います。私をこのスタジオで雇ってください」
「……意味がわからん」
「もう一度役者をやりたいと思ったので、ここに来ました。それだけです」
「いやだからそれが意味わからん。スターズ行けよ」
「スターズは嫌です」
「ワガママかよ! ていうか、なんでウチなんだよ」
「ここが一番良いと思ったからです」
「嘘つけ」
「嘘じゃありません」
「嘘つけ」
「……嘘でした」
「嘘なのかよ! なんでウチに来たんだコイツ……」
黒山さんが疲れたように左手で顔を覆う。ストレスでも溜まっているのだろうか。
すると、そんな黒山さんを助けるためか、柊さんが音を立てずに近づいてきた。
「えっと、つまりは、千景ちゃんはスタジオ大黒天と契約したい、ってこと?」
「そういうことです。大黒天の専属俳優になりたいと思ってオーディションを受けに来ました」
「これってオーディションだったのか? なら不合格だぞ」
相変わらず疲れた様子の黒山さんが言った。机の上に置かれたマトリョーシカの笑みが不気味だった。
「第一、なんでまた急に役者なんてやりたがったんだ。今の生活で満足しろよ」
「また、演技をしたくなったからです」
そう言って、黒山さんの目をしっかりと見る。ここで雇ってもらえなければ、私にはどこにも行く場所なんてない。
情けないことなんて百も承知だ。私は友人のコネを使って役者を再開しようとしているのだ。
だが、そんなことどうだっていい。
もう一度役者をやれるのなら……百城千世子を蹴落とす可能性が少しでもあるのなら。
「……そんなふざけた理由で──」
黒山さんは呆れたように私を見やり、そして私の目の中に光る何かに気づいたようだった。静かな……ともすれば何も見ていないのではないかと思ってしまうほどに静かな目で、黒山さんは私の瞳を見る。常に怒っているような表情の彼にしては珍しく、その表情は真剣なもの。柊さんが、いきなり黙り込んだ私たちを訝し気に見つめていた。
暫く私を見つめていた黒山さんは、やがて徐に立ち上がると、机の上に置いてあった車の鍵を手に取り歩き始めた。そして数歩歩き、肩越しに私を見て言った。
「まあいい、とりあえずお前、来い」
「……私ですか?」
「お前に決まってんだろ。ちょっと行くとこあるからついてこい」
行くところがあるからついてこい。なんて怪しい言葉なのだろうか。
ついていくべきか迷っていると、柊さんが苦笑交じりに言った。
「誘拐されることはないから、行ってみたら? 多分、墨字さんなりの気遣いだと思うし」
「気遣い、ですか……わかりました」
それが何に対する気遣いなのか、私にはわからなかったが、とりあえず頷いておく。そして柊さんに手を振って黒山さんについていく(柊さんは溶けかけのアイスのように柔らかな笑みで手を振り返してくれた)。
大股で歩く黒山さんについていくために、私は適宜小走りになる必要があった。
「あのっ、どこ行くんですか……っ」
「あ? そんなの着けばわかるだろ」
「到着する前に知りたいです」
「めんどくせえな、ほら、乗れ」
駐車場に到着し、黒山さんがスタジオ大黒天と大きなロゴが書いてあるバンの助手席のドアを開けてくれた。そういう紳士的なところはあるらしい。滑り込むように乗り込むと、いつもよりも高い視点に少しくらくらした。
しかし黒山さんは、どうやら質問には答えてくれないようで、私はため息を噛み殺しながらシートベルトを締めた。
すぐにバンは発進し始める。緩やかな揺れを楽しみながら窓の外を眺めていると、不意に黒山さんが言った。
「それじゃ、さっきの続きするか」
「……さっきの続き?」
「オーディションのだよ」
「あ、これ、オーディションだったんですか?」
「目的地に着くまでがオーディションだ」
「帰るまでが遠足じゃないんですから……」
私の言葉に、黒山さんはほっとけと返す。ちらりと横目で見ると、黒山さんは日差しが眩しかったのか、サングラスをかけていた。完全に不審者である。
「ほかに誰かがいたら話しづらいこともあるだろうからな」
「……」
黒山さんなりの気遣い。
先ほどの、柊さんの言葉。それはどうやら間違いではなかったらしい。私がいきなり役者を再開したいと言い出した本当の理由を、黒山さんは聞くために私を連れて来たらしい。
ありがたいと思うと同時に、何だか申し訳なく感じてしまう。私のワガママのために、迷惑をかけてしまっているような気がした。気がしたというか、迷惑をかけているんだけれど。
「ここには俺とお前しかいない。だからまあ、本音で喋れるだろ」
「……ありがとうございます」
一応、礼を言っておく。掠れた声だった。
黒山さんは何ともない顔で運転を続ける。等間隔で鳴り響くウィンカーの音だけが車内に響いた。
「礼は別にいい。それで、なんでまたいきなり役者をやりたいと思ったんだ」
サイドミラーを見ながら黒山さんが問う。何だかその行動がとても大人っぽく見えて、私は少しだけ感動した。何に感動したのかはよくわからない。
「……見返してやりたかったんです」
「誰をだ。大衆をか?」
「百城千世子を」
「……ほお」
ちらと、黒山さんがこちらを見る。私はそれに気づかないふりをして、前方の車のナンバープレートを見つめ続けた。
「アイツ、お前のこと見下してたのか?」
「いえ、別にそんなことはないと思います」
「……そうか。見返して何になるんだ?」
「……さあ。私が気持ちよくなるだけだと思います」
「正直者だな」
「臆病者なんです」
「そうともいう」
「そうとしかいいません」
静寂。段差に乗り上げたのか、大きな揺れが車内を襲う。後部座席で何かが崩れる音がした。黒山さんが慌ててハンドルを切る。
「お前には未来が見えていない」
そして、そのついでに、並みの軽さでそんなことを言われた。私は弾かれたように顔をあげ、黒山さんを見た。黒山さんは前を見ていた。
「未来が見えていないって、どういう」
「目先のことしか見えていないってことだ。手前の感情で動いて、その後のことを全く考えていない」
「……それでも、動いてます」
「そんなものはハリボテだ。その後に何もない」
「…………」
「もし万が一お前の目標が達成したとする。お前は百城を下し、ヤツの役者生命を終わらせたとする」
黒山さんの言葉が続いているのにも関わらず、私はその言葉を聞いて、目を見開いた。
百城千世子が役者を辞める。その言葉が、ずしりと私の肩にのしかかった。
違う、私は百城千世子を引退に追い込みたいわけじゃない。ただ、私の存在に気付いてほしいだけなんだ。一緒に並んで、見たことない彼女の横顔を見て、共に歩くだけ。それが私のしたいことなんだ。
彼女が役者を辞めるだなんて考えられない。辞めたら私はどうなる。果たしてその時、私は私でいられるのだろうか。
黒山さんが言葉を継ぐ。
「そしてその後、お前はどうする?」
「その後……」
「ポスト百城として、芸能界に君臨でもするつもりか? 違うだろ」
「…………」
「お前は結局、何も考えていない。ただただ、憎しみに駆られているだけだ」
「…………」
「そんな奴に俺は仕事を与える気なんてない。そんなことをすれば、手前が勝手に手前の重荷で潰れていくだけだからな」
何も言えなかった。ただ恥辱だけが私の心の中に積もっていく。
こんなはずじゃなかった。こんなことになるはずじゃなかった。
涙が出てきそうだ。いっそのこと、出してやろうか? それなら、黒山さんも考えを変えるかもしれない。
──ああ、情けない。腹が立つ。そんなことを考えてしまう自分が腹立たしい。
私は、迫りくる恥ずかしさから逃げるために目を瞑った。今すぐドアを開けてバンから飛び降りたい気分だったが、できなかった。怖かった。
結局、私はただの臆病者なのだ。
ずっとシリアスじゃないか?