アンダードッグは彼女の横で   作:島流しの民

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遅くなりました。


Scene15: 売り込み

「ほら、着いたぞ。降りろ」

 

 暫くの後、静まり返っていたバンに声が生き返った。それと同時に停車。どうやら目的地に着いたようだった。

 

「ここ……どこですか?」

 

 バンを下りた私が見たものは、何だか大きな建物だった。

 市民会館のような見た目をしているその建物は、威圧感と同時に何処か親しみやすい明るさを携えているように思える。私はぼんやりと大きな建物の屋根あたりを見つめながら、バンの鍵をかける黒山さんを待った。

 

「劇場だよ。劇場」

「劇場、ですか? 映画とかの」

「まあそうだな。だが映画じゃない、演劇だ」

「演劇? それって、芝居ですよね? なんでまたいきなり……」

「うるせえ、とりあえずついてこい」

「え、ついて行くんですか?」

「当たり前だろ。なんでバンから下りたんだ」

「そこらへんで時間潰しとけってことなのかと……」

「んなわけねえだろ。とりあえず、ついてこい」

 

 そう言い終わると、黒山さんはさっさと歩き始めてしまう。気遣いなど全く感じられないほどの早歩きだった。どこから取り出したのか、その手には鞄が握られていた。

 小走りになりながらも劇場の中に入ると、その暗さに驚く。電気がまるでついていない。

 生気を感じられない劇場の中を、黒山さんはずんずんと歩いて行く。薄暗い中、足元にぼんやりと見える、まっすぐと伸びたレッドカーペットが不気味だった。まるで、死の舌の上に立っているかのような錯覚を覚えた。

 しかしそんな長い廊下もすぐに終わる。黒山さんが不意に立ち止まり、目の前にあった劇場のドアを開けた。古臭い見た目をしている割には滑らかに動くドアだった。

 劇場内に入った私は、薄暗闇の中に存在している美しさに息を呑んだ。

 今日は休みなのか、劇場内には誰もいない(電気がついていない時点で察するべきではあったが)。

 講堂のような造りをしている劇場は驚くほどに広い。ざっと見ただけでも、千席以上はある。

 人間が存在しない劇場の中は、まるで時が止まったかのように美しく、厳かだった。また、ひっそりと並ぶ椅子たちの囁き声が聞こえてきそうなほどに静かだった。

 

「すごいですね……」

 

 私の呟きに、黒山さんは静かに頷き、そのまま壇上に向かって歩き始めた。柔らかなカーペットが音を吸収し、くぐもった足音が静かに響いた。

 ふと、舞台上に誰かが腰掛けているのが見えた。暗闇でよく見えないが、かなり慎重の高い、男性だった。暗闇の中に浮かぶそのシルエットが不気味で、思わず黒山さんの背中の影に隠れた。

 

「なんの用だ」

 

 不意に、低い、男の声音が暗闇を裂いて飛び出した。重厚感のある声だった。しかしそれと同時に、どこか色気のある声だった。何故かわからないが、水をたっぷりと含んだガーゼが思い浮かんだ。

 

「ちょっとした売り込みだ」

「売り込みだと?」

「ああ。あんたの最後の舞台に相応しい役者を見せに来た。……話し合いをする前に、電気をつけてくれ」

 

 舌打ちが響く。シルエットが立ち上がり、そのまま舞台袖へと歩いて行った。次の瞬間、暗闇が群生していた劇場内に明かりが灯った。

 慣れない明かりの痛さに目を瞬かせている私の耳に、革靴が舞台の上を歩く、どこか軽快な音が聞こえてくる。

 急いで目を開けると、そこには一人の老人が立っていた。

 身長は高く、老人とは思えないほどに真っすぐな背筋のせいで、どこか恐ろしい雰囲気を醸し出している。

 年季を感じさせる、真っ白な口髭と顎髭。目尻の皺が今まで彼が歩んできた道の厳しさを物語っている。頭髪はなく、舞台の照明で滑らかな地肌が白く光り輝いているが、そこには恥ずべき禿頭の惨めさはなく、頭髪が一本もないその頭こそが彼の本来の姿であるとさえ思えた。

 

 ──どこかで見たことのある顔だ。

 多分……というか、絶対有名な人間なはずなのだが、生憎私は劇場とか、芝居などといった類の分野は明るくなく、名前どころかどんな人間なのかさえ知らなかった。

 

 舞台上の老人がちらりとこちらを見る。何故私がここにいるのか、疑問に思っているのだろう。厳しさがひしめき合っている──それでも、その中に静かな優しさが存在している瞳だった。

 

「その役者ってのは、お前の後ろの女か?」

「あ? ああ、こいつじゃないさ。こいつは雑用係」

 

 いつの間にか雑用係にされてしまっていた。なんか腹立つ。

 黒山さんの背中を睨むが、睨まれている本人は全く気が付いていないのか、手に持っていた鞄から一台のノートブックパソコンを取り出した。

 カチャカチャと何かを打ち込んでいる彼の背後から覗き込むと、画面の中にはエプロン姿の夜凪さんがいた。

 

 シチューのCMの時の夜凪さんだった。初めて彼女に出会い、その、世界の何にも興味を持っていないといった感じの表情に驚かされていた時に見た、画面越しの彼女だった。誰かに向けてシチューを作るその横顔は、慈愛と喜びに満ちていて。包丁で指を切ってしまった際に、なんでもないよといった感じに微笑むその姿。

 

 不意に、百城千世子を思い出した。夜凪さんについて熱心に語るその瞳に殺意を覚えた。

 

 黒山さんが老人にパソコンを向ける。彼は舞台に腰掛けながらそれを見る。真剣な瞳だった。この場において、夜凪さんだけが認められていた。

 

「感情ってのは臭うもんだ」

 

 老人が口を開く。その口から飛び出た言葉に、私は耳を傾けた。

 

「俺が欲しいのは臭ぇ役者だけだ。確かに、この女は俺の舞台に出る資格があるかもしれねえ」

 

 その口から出たのは、肯定の言葉。そうだ、やはり夜凪さんは誰からも認められるんだ。夜凪さんだから。夜凪さんだったから。

 路傍の石ころみたいに追いやられた私には出番なんてない。誰にも目を向けられることなく、腐って消えていく。この怒りはどうすればいい? 私の──私達の怒りは誰が代弁してくれる? 

 どうせ無理だ。どうせ無理なんだ、私なんて。役者をまた始めたところで、誰からも評価なんてされない。隣に並びたいなんて、思うだけでも烏滸がましいことだったのだ。彼女が私に顔を向けてくれることなんて、絶対にないというのに。

 

 私にとっての、唯一の花、百城千世子。だが、彼女にとって私は唯一ではない。有象無象の一人。誰かさん。知ってる他人。

 いっそのこと逃げてやろうか? どこに? どこにも居場所なんてない。じゃあ、死んでやろうか? 死んだら百城千世子は驚いてくれるだろうか? いや、驚くわけない。

 なら私はどうすればいい。誰が助けてくれるんだ。助けてくれる人なんているのだろうか。

 

 本当に、死にたくなる。なるだけだけど。

 




原作ではデスアイランド終了と同時期に夜凪景の売り込みをしていましたが、まあちょっとくらい遅らせてもかまへんやろという謎理論で少し遅らせました。まあかまへんやろ。
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